43.歌に縋る理由
ライナに抱きしめられたリリスは、唇を噛みしめ、今にも崩れ落ちそうに震えていた。
「・・・リリスは・・・本当は・・・ただ、歌が好きだったの・・・」
その呟きは、誰に聞かせるでもなく、心から零れ出る声だった。
幼い頃の記憶――
明るい陽射しが差し込む家の中。
小さな椅子に腰かけ、無邪気に歌を口ずさんでいた。
「リリス・・・素敵よ! 本当に天使の歌声だわ!」
「我が娘は世界一だ! 将来は大歌姫に・・・いや、もっともっと大きな舞台に立てる!」
お母さんとお父さんが、笑顔で褒めてくれた。
リリスは、その時の温もりが何より嬉しくて、ただ、それだけで歌う意味があった。
「褒めてくれるのが嬉しかった・・・ただ、それだけでよかったのに・・・」
だが、日々が進むにつれて状況は変わった。
両親はリリスの歌声を使って金を稼ぎ、名声を得るようになった。
舞台はどんどん大きくなり、客席の数も増えた。
周囲からは「奇跡の歌姫」と呼ばれ、誰もが喝采を送った。
リリスはそれに気づいていた。
歌が「愛される娘の声」から「金を生む道具」へと変わっていったことを。
「それでも・・・それでお父さんとお母さんが喜んでくれるなら、それでいいって・・・そう思ったのです・・・」
けれど。
彼女の声はまだ幼かった。無理な舞台、過度の歌唱。
ある日、突然、喉を痛めて声が出なくなった。
「・・・声が、出なくなった瞬間・・・」
リリスの声が震える。
「お母さんも・・・お父さんも・・・リリスを見て、冷たい目で・・・」
『歌えないなら、お前には何の価値もない』
その言葉が、刃のように心を切り裂いた。
抱きしめてもらえた温もりはもうなく、残ったのは利用と失望だけ。
「・・・その時・・・リリスの中で、何かが壊れたのです・・・」
絶望と涙の中で、リリスは両親を殺した。
血に染まった手で竪琴を抱きしめ、ただ震えながら。
「でも・・・歌うこと自体は、好きなままだったのです・・・!だから・・・だから、歌い続けた・・・!たとえ呪いの歌でも・・・殺すための歌でも・・・それしか、残らなかったから・・・!」
涙を流しながら、リリスはライナに顔を押しつける。
「歌が・・・歌がなきゃ、リリスは空っぽになってしまうのです・・・!存在する理由が・・・消えてしまうのですぅ!」
その声は、心からの悲鳴だった。
幼い少女が失った「愛」と「存在の意味」を、必死に繋ぎ止めようとする哀しい叫びだった。
リリスはライナに縋るように泣きじゃくりながら、震える声で訴え続けていた。
「歌がなきゃ・・・リリスは何も残らない・・・!存在する理由が・・・消えてしまうのです・・・!魔王様もリリスの歌に価値を見出してました」
その悲鳴を、ライナは黙って聞き続けた。
自分の胸元に小さな身体を押しつけ、泣き声に揺れる肩を、力強く抱きしめながら。
そして、しばらくの沈黙の後、ライナは静かに口を開いた。
「・・・なら、俺が新しい意味を教えてやる」
リリスは涙で濡れた瞳を大きく見開いた。
「・・・あたらしい・・・意味・・・?」
「お前の歌は、人を殺すためのものじゃない。お前が本当に望んでいたのは・・・笑顔を見たいってことだったんだろ?最初に歌った時、お父さんとお母さんに褒められて嬉しかったんだろ?その時の気持ちは・・・まだ残ってるはずだ」
リリスの心の奥に眠っていた「幼い喜び」を、ライナは優しく引き出すように言葉を紡ぐ。
「だったら、その歌を誰かを救うために使え。笑顔を与えるために、涙を拭うために、心を癒すために。・・・お前が歌う理由は、俺たちが一緒に作っていけばいい」
その言葉に、リリスの震えが止まる。
彼女の中で「存在価値=歌うこと」だった方程式が、初めて別の形に変わろうとしていた。
「・・・でも・・・リリスは・・・また、人を笑顔になんて・・・できるのかなぁ・・・?」
不安と後悔の色を浮かべるリリス。
ライナは、満身創痍の身体を押して、その小さな頭をそっと撫でた。
「それはこれからのお前次第だが、俺はできると思ってる。お前が本当に歌を好きでいられる限り」
リリスの瞳から、再び涙が零れた。
だがそれは、絶望の涙ではなく、温かさに触れた、救いの涙だった。
彼女の胸に染み付いた「呪葬歌」の旋律が、少しずつ形を変えていく。
破壊と呪いのための歌ではなく、人を癒し、人を勇気づけるための「新しい歌」。
その予兆のように、リリスの喉から漏れたのはかすかな、柔らかいハミングだった。
ライナはその音を聞いて、小さく頷いた。
「音楽に疎い俺でも分かる・・・綺麗な歌声だ・・・その声を、守りたいって思う奴はきっと俺だけじゃない。だから・・・その歌に、新しい意味を刻んでいけ」
抱きしめられたままのリリスは、両親を殺してから初めて・・・心の底から安堵したように、小さく息を吐いた。




