第22話「揺れる王都と、近づく心」
王都――フェルディナント。
その高く聳える白壁と石畳の街並みは、外見こそ整然としていたが、内側には確かな歪みが生まれ始めていた。
「空気、重いな……」
ギルドの本部へ向かう途中、ユウはふと足を止めて空を見上げる。
雲一つない晴天。けれど、空気には確かに緊張感が混ざっていた。
「うん、明らかに何かが変わってる。王都に戻ってきて、まだ半日も経ってないのに……」
隣を歩くミリィが、不安そうに辺りを見渡す。
人通りの多い大通りではあるものの、街の人々はどこか落ち着かず、ひそひそと囁き合っている。
「“異端”の話、だよね」
「うん……。神域の封印が揺らいだって噂が、もう広がってるの」
リアが小声で答える。その表情には、かすかな焦りが浮かんでいた。
神域――本来なら聖職者と一部の上級者しか足を踏み入れられない領域に、ユウたちは足を踏み入れた。
それ自体が、すでに「規格外の行為」であり、王都の教会組織にとっては、ある意味“触れてはいけない禁忌”でもあった。
「噂の出どころを調べる必要がありそうだな。グレイスなら、何か掴んでるかもしれない」
ユウの言葉に、一行は頷いた。
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ギルド本部に到着すると、顔見知りの受付嬢がすぐに対応してくれた。
「グレイス様なら、地下の会議室にいらっしゃいます。すぐご案内しますね」
通されたのは、静かな石造りの小部屋。
そこには、金髪の女ギルド幹部――グレイスが待っていた。豪奢な衣服の上からでもわかる鋭い視線が、ユウたちを一瞥する。
「神域の奥まで踏み込んだって報告、あれ本当なのね。……とんでもないことしてくれたわね、ユウ」
「ま、俺も途中までただのクエストだと思ってたからな」
苦笑しながらそう答えると、グレイスは深く息を吐いた。
「今、王都には“異端審問官”が入り込んでるの。中央教会が何も動かない代わりに、現場の粛清を行う組織。あなたたちの行動、間違いなく目をつけられてる」
「……異端審問官?」
リゼが眉をひそめる。ユウも、その単語に嫌な既視感を覚えた。
何かを正すという名の下に、力を振るう組織。異を排し、規格外を「異端」として狩る者たち。
「今はまだ監視程度だけど、下手に動けばすぐ排除対象になるわ。神域の情報も、一部が何者かに漏れている可能性がある……」
「……内部に裏切り者がいるってことか」
「ええ、そう考えてる」
会話が沈黙に包まれる。
だがそのとき、ユウのポケットから小さな音がした。
――《ピロリンッ!》
ログイン通知、ではなくシステムアラート。画面に小さく“神域震動検出:座標F-2”と表示される。
「また、神域の波動……。しかも今度は、王都の地下……?」
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しばしの緊張の後、グレイスは椅子を立ち、静かに言った。
「今は動かない方がいいわ。少なくとも今日のところは、ね。皆、しばらく街で休んできなさい。王都の空気も知っておくべきよ」
「了解……それじゃあ、各自、少し自由時間ってことで」
ユウが声をかけると、各メンバーはそれぞれ頷いた。
だがその時――エリナが、袖を引いた。
「……ユウ様。少し、お時間をいただけますか?」
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【王都西区・大聖堂前】
人通りの少ない聖堂裏手の公園。
エリナは無言のまま、ベンチに腰を下ろし、石畳を見つめていた。
「どうしたんだ、エリナ。珍しく静かだな」
「……怖いんです。自分が、あの神域で感じたものを言葉にするのが」
その声は、かすかに震えていた。巫女としての顔ではなく、一人の少女としての、か弱い声。
「私は……“啓示”を受けたんです。でも、それが何なのか、まだ分からなくて――。ユウ様の側にいると、それを確かめられる気がするんです」
「エリナ……」
彼女の銀髪が風に揺れる。
澄んだ瞳がまっすぐにユウを見つめた。
「ユウ様。あなたに、手を引いてほしいんです。……この不確かな未来を、共に進むために」
言葉の重みに、ユウは言葉を返せなかった。
ただ、そっと彼女の手を握る。それだけで、エリナの表情が緩んだ。
ーーーーー
王都の空に、夕焼けが差し込んでいた。
レンガ造りの建物の壁に影が伸び、街の喧騒が次第に柔らいでいく。
その路地裏、ユウは静かに佇んでいた。
考えごとをしていたのか、石畳を見つめたまま、しばらく動かない。
神域の異変。王都で起き始めている小さな異変。
そして、エリナとの会話のあとに残った、あの曖昧な感情。
「おーい、ユウ?」
肩を軽く叩かれて、ようやく現実に引き戻される。
「……リゼ?」
少し汗ばんだ額に、ほつれた前髪。
いつもよりも表情が固い。だが、その目はまっすぐだった。
「やっぱり、いた。さっきエリナと別れたって聞いて、こっち来てみたんだ」
「なんでわかったんだよ……まるでストーカーみたいだな」
軽口のつもりで言ったが、リゼはむっとした顔で肘を突く。
「は? 何その言い草。あたしは“心配して来てやった親友”だろうが」
「はいはい。ありがとな」
小さく笑うユウに、リゼはようやく肩の力を抜いた。
「……っていうかさ、ユウ。王都に来てから、ずっとピリピリしてない?」
「……そう見えるか?」
「そりゃ見えるよ。あんた、普段は『ま、なるようになるだろ』って顔してんのに、今はやけに考え込んでる。なにかあったの?」
ユウはすぐに答えなかった。
言うべきか迷ったが、彼女の真剣な目に、逃げ場を失っていた。
「……実は、神域のほうで、ちょっとおかしな通知があった。運営の警告じゃなくて、昔のシステムが反応した感じで……」
「また、そういうの。まったく……」
リゼはため息をつきつつも、すぐに隣に腰を下ろす。
「そういうのって、大体ヤバいやつでしょ。エリナもなにか知ってるっぽい顔してたし、もうごまかし効かないよね?」
「……まあな。けど、俺ひとりで考えててもどうにもならないし」
リゼは黙っていた。だが、ふと笑って言う。
「ねえ、ユウ。昔、覚えてる?」
「何を?」
「まだ王都に来る前。ギルド試験で落ちまくってた頃。あたし、お金なくてさ、宿代も払えなくて……勝手にユウの部屋に転がり込んで、怒られたの」
「ああ……。あの時、俺のベッド取られたっけ。床で寝たの、あれが初めてだったわ」
思い出して、ユウは思わず吹き出した。
リゼも楽しそうに笑う。
「あたし、あの時めっちゃ恥ずかしかったんだから。だって、ユウって異性として全然意識してないと思ってたし……」
「今は違うのか?」
不意に、真顔で尋ねると、リゼは一瞬、言葉に詰まった。
「……バカ。そういうこと聞く?」
「聞いたら、何かわかるかなと思って」
リゼは顔を赤くして、視線をそらす。
「変わったよ。今は……すごく、意識してる。だから、ユウが黙ってると余計に不安になるんだよ」
その声は、いつになく小さかった。
ユウは黙って、その横顔を見つめる。
いつも騒がしくて、誰よりも前に立とうとする彼女が、今はこんなにも静かに――寄り添っている。
「……リゼ」
「ん?」
「お前がそうやって支えてくれるから、俺、結構がんばれてるのかもな」
素直にそう言うと、リゼはぽかんとし、少しして、照れくさそうに笑った。
「そういうこと、もっと早く言えよ。あたし、今さらドキドキしてんじゃん……!」
「そうか? 俺としては、いつも通りのつもりだったんだけどな」
「その“いつも通り”が一番ズルいんだよ……バカ……」
リゼはそっと、ユウの肩に寄りかかる。
風が吹き抜ける夕暮れの路地裏。
騒がしい日常の片隅で、ふたりの距離がほんの少しだけ、縮まった。
次回予告(第23話)
「交差する運命と、仮面の審問官」
王都の地下で静かに進む陰謀。ユウたちは、ある噂をきっかけに古文書の謎へと迫る。
そして姿を現す異端審問官。
眠れる神域が、ゆっくりと目を覚まし始める――。