第17話「過去に囚われし者と、目覚めの予兆」
「ほら、ユウ! またボーッとしてた! 朝食冷めちゃうよ!」
ミリィの声が耳元で炸裂し、俺は反射的に背筋を伸ばした。目の前には、焼き立てのパンと目玉焼き、それにスープの乗った簡素な朝食が並べられている。
「悪い、ちょっと考え事してた」
「んもぉ……最近、よくあるよね。ぼーっとしてる時間。もしかして、誰かのこと考えてた~?」
ミリィがにやにやしながら、こちらを覗き込んでくる。その視線の先には、朝から読書に夢中のリゼ、スープをふーふーしているリア、そして今日も巫女装束が妙に色っぽいエリナの姿がある。
「ち、違うって」
「へぇー? それって“全員のこと”を考えてたってこと?」
ミリィは唇を尖らせて揺さぶってくる。俺が慌てて否定しようとするより早く、リアがスプーンを口元で止めて、ぽつりと呟いた。
「……私なら、別に考えてくれてても嬉しいけど」
「リアっ……!? な、なに言って――」
慌てふためく俺を見て、リアはスプーンを口に運び、無表情のまま小さく笑った。
「冗談……かも。でも、ちょっと本気」
隣で、エリナがふわりと笑う。
「男の人って、鈍感な方が多いんですね。……それとも、気づかないふり?」
「くっ……!」
俺は口にスープを運びながら、内心で頭を抱える。最近――特に、あの王都での戦い以来、彼女たちの態度が微妙に変わってきている。
視線の熱。距離感の近さ。言葉の含み。どれをとっても、“ゲームだから”と割り切るには、現実味がありすぎる。
(俺は、どうすればいいんだ……)
パンのかけらをちぎりながら、ため息を飲み込んだ。
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「じゃあ、今日はどうする? 久々に素材集めでも行く?」
朝食後、くつろいでいたリビングで、ミリィが提案した。ギルドからの依頼もなかったため、自由行動の日だ。
「私は町で魔導書の在庫を見てきます」
リゼが手帳を取り出しながら言う。リアも、「鍛冶屋に新しい防具が入荷してるって聞いたから、見に行く」と続く。
「では、私は神殿に……最近、気になる“気配”があるのです」
エリナの言葉に、全員がピクリと反応した。
「気配?」
「……はい。正確には“気の乱れ”でしょうか。神域とされている場の結界が、わずかに揺らいでいるのを感じます」
重々しいその言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰める。
「それって、まさか……」
「今すぐどうこうというレベルではありません。ただ、注意して見ておくべきでしょう」
「エリナがそこまで言うなら、無視できないね」
ミリィが腕を組み、俺の顔をじっと見つめた。
「どうする、ユウ? 今日は誰と行動する?」
問われて、俺は戸惑った。皆、それぞれに予定がある。でも――
「なら、俺は……町の広場で情報収集しておく。最近、変な噂もあるし」
「……それが、ユウの答えなんだね」
ミリィが少し残念そうに、でもどこか納得したような微笑みを浮かべた。
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広場は今日もにぎやかだった。冒険者たちの声、露店の掛け声、街の音と匂いが混ざり合い、いつもの“日常”がそこにあった。
だが、俺の胸にはざらついた違和感が残る。さっき、エリナが感じた「揺らぎ」。それがどこかで、別の“何か”と繋がっている気がしてならなかった。
(このまま、何事もなければいいけど――)
その瞬間、視界の端に“それ”は映った。
黒いローブを纏った、謎の人物。目深にフードをかぶり、広場の雑踏の中で、確かにこちらを見ていた――
――目が合った。
その瞬間、俺の胸に冷たい何かが走った。全身を貫くような悪寒。視線が絡んだわずかな時間だけで、確かな“殺意”を感じた。
(……あれは、普通の冒険者じゃない)
俺が動こうとしたときには、黒いローブの人物は群衆の中に姿を消していた。
急いで追いかけようとしたが、群衆に阻まれ、まるで煙のように掻き消えていた。
(まさか……この町の中に、すでに“奴ら”が紛れ込んでる?)
心拍が早まる。俺は急いでギルドに向かい、情報を整理しようとした。
しかし――
「……ユウくん、少し話があるの」
先回りしていたように、ギルドの前でエリナが待っていた。その表情は穏やかだが、瞳は強く何かを見据えている。
「やはり、神域の異変と関係が?」
「……そうかもしれません。少なくとも、“何か”が動いているのは間違いありません」
二人でギルドの奥にある小部屋へと入り、彼女は静かに語り始めた。
「神域……本来、精霊と神意の加護が守る聖なる場所。その一角、封印された“穢れ”の場所で、昨日――神託の異常がありました」
「神託の……異常?」
「はい。“真なる姿が、目覚める”と。……それと、もうひとつ」
彼女は少し躊躇したあとで、低く、静かに告げた。
「“彼が試される”――と」
俺のことか? 思わず言葉を失う。
「エリナ……それって、どういう意味なんだ?」
「私にも、まだ分かりません。でも、ユウさん。私は、あなたが“選ばれし者”だと信じています」
彼女はそう言って、柔らかく微笑んだ。距離が近い。吐息がかかるほどに――
「あなたが信じる道を、私は信じます。たとえ、それが……世界の理に逆らうことでも」
(俺は……どうして、こんなにも皆に期待されてるんだろう)
不安と責任、そして――ほんの少しの誇らしさが胸を満たしていく。
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夜。
宿に戻ると、リアとミリィ、リゼもすでに帰っていた。だが、何かが違う。部屋の空気が、微妙に張り詰めている。
「ユウ……今日、誰かと会ってたの?」
先に口を開いたのはミリィだった。真剣な眼差しで、俺の顔をまっすぐ見ている。
「少しだけ、エリナと神域のことを――」
「そっか。やっぱり、エリナなんだ」
彼女の表情が曇る。その陰に隠された不安や、言葉にできない気持ちが伝わってくる。
だが、それはミリィだけじゃなかった。
リアも、リゼも、皆が俺に向ける視線に、何かを押し込めたような色がある。
「……ごめん。俺、自分でもよく分からないんだ。ただ、今の状況に追いつくのが精一杯で……」
「……バカ」
ミリィがぽつりと呟いた。
「でも、そういうとこ……ずるいよ、ユウ」
空気は静まり返る。けれど、それはどこか心地よくもあった。みんな、俺を信じてくれてる。だからこそ、俺も――
「ありがとう。……みんな」
その一言に、重たい空気がふっと軽くなった気がした。リアが照れ隠しに頬を赤くして、リゼは黙って紅茶を差し出してくれる。ミリィはふいっと視線を逸らした。
(この日常を、絶対に守りたい)
だから、俺は――戦う。誰にも渡さない、この場所を。
しかしその夜――
窓の外。遠くの空に、黒い霧のような影が広がり始めていた。
それは、静かに、だが確実に“神域”へと向かっていた。
次回予告
第18話「目覚めし神域、蠢く影」
封印された神域に異変が――
蠢く闇と目覚める力、浮かび上がる神職の真実。
ユウたちに試練の時が迫る。