私
鳥が鳴いていた。
朝の気配に、ひとつ大きく伸びをする。澄んだ光が降り注いでいる。
はたして、そこは知らない場所だった。天井が高い。
周囲は一回り円筒の壁で囲まれている。レンガで積まれたその壁には、いくつか、上に尖った洒落た形の窓ガラスがはめ込まれている。西洋の小さな村の、歴史ある小さな教会といった雰囲気だ。
窓は、層をなして規則的に並んでおり、それを数える限り、この建物は十階ほどの高さがありそうだ。しかし、どの階にも床がない。はてしなく高い天窓から、建物の底である一階まで、真っ直ぐに明るい光が降り注いでいる。
この建物には、床というものが一切ない。
よくよく観察してみれば、それは、この一階とて同じことだった。砂なのか、土なのか、それとも、ただ地面でしかありえないような平面状の概念が、建物の底として存在するだけだった。
そして、
あ!
それは、壁の他には唯一、実在の物体として、そこに落ちていた。打ち捨てられ、朽ちようとしている。降り注ぐ光の中で、それは芳醇な美しさを放っていた。
その正体もわからぬまま、惹きつけられるように近づいてみれば、なんとそれは、私である。みじめにも、私はこの牢獄のように美しい井戸型ポテンシャルの底で朽ち果てようとしている。
驚きながらも、そのままそこに置いておくわけにもいかず、一息にひっくり返してみた。私は音もなく、ゆっくりと転がった。
はたして、私のどいたあとには、深い闇が口を開けていた。ちょうど私が覆っていた形とぴったりに、闇は平面概念地面をくり抜いていた。闇の中はいくら目を凝らして覗いてみても、深い闇以外の何物でもない。
異変が始まったのは、それからしばらく経ってからだった。
その間に、天窓から降り注ぐ光の強度は何度か明滅した。
まず、地面に空いた闇が、鳴動を始めた。平面はざわざわと揺らめき、色は漆黒から少しずつ深い緑に変わり始めていた。
再び鳥の声が聞こえたとき、それは爆発的に起こった。すなわち、鳴動はいよいよ激しくなり、一本の朝顔の蔓が、概念的平面の暗闇を貫いて、つっと立ち上がった。
それを皮切りに、闇の全体から何十本という蔓が噴き出し、あっという間に地を這い、壁を伝い、窓だけを残して、全てを覆いつくしてしまった。
澄んだ光が降り注いでいる。
瑞々しい緑に満ちた温室で朽ちていく私の姿は、例えようもなく美しい。
風が吹いた。
蔓の一本が、天窓を突き破ったようだ。
その途端に、遥かの頭上から地上へ、次々に鮮やかな赤紫の朝顔が咲いていく様は、まるで、その天上の華やかな世界に、地上の者を誘っているかのようだ。突き破られた窓から、鳥の声が、人の声が、虫の声が、生命の声が、降り注ぐ。
私は、朝顔に覆われた牢獄の底で朽ち果てる。
邪悪な悪魔の呼び声に、耳を貸すな!
根元を斬られた朝顔は、すぐにしおれ、くたびれ、枯れた。葉も蔓も、鮮やかな花さえも、炭素だの窒素だののガラス玉状原子粒子となって、ガラガラときらめきながら崩れ落ちた。
しかし、その夢のような輝きもすぐに収まり、後にはまた深い井戸型ポテンシャルが残るばかりである。
どこかで鳥が鳴いている。