44.移住者は、知る。
「──、──ソー⁈おい!ソー!起きたぞ!!サウロ!!ソー起きたぞ!!」
…………あれ?
ぼうっとする中で、声が遠い。白いぼわぼわが動いて見えて言ってることが聞こえるのに理解できない。頭が回らないし、目が眩しくってずっと開いてはいられない。
眉に力が入って、開くのも疲れてまた閉じたくなる。途端にどすどすと胸の辺りに衝撃が落とされた。
「おい!こら!また寝るなよ⁈起きろよ!おい!!」
どすん!とまた一際大きな衝撃に、直後咽せる。
ゲホッゴホッコホッコホッ!と、肺から苦しくなって勝手に身体が少し起き上がった。肺だけじゃなく喉まで痛い。いやむしろ喉の方が痛いし熱い。
針でも飲んだような感覚で、また咳き込むを繰り返す。「おい!どうした!」と、今度はちゃんと聞き取れた。
喉がガラガラ言いながら息を吸い上げ吐き出す感覚が気持ち悪い。喉を押さえながら咳と呼吸で忙しいのに、右からも左からも違う声で名前を叫ばれるからわけがわからなくなる。
「聞こえるから!」と言いたくてもやっぱり声が出ない。声を出そうとすると余計に痛くて咳き込んでの悪循環だ。目尻に涙が沁みるくらい目を絞りながら、呼吸が整うまで頭もガンガンするし死にそうになる。
胸を拳でドンドン叩いたら「なんか詰まったのか⁈」と言われる。
「おい!ソー!!返事しろ!!おい!!」
聞こえてるってば!!
もううるさ過ぎて、悪いけどルベンの口を両手で閉じる。覆うではなく上と下でぱしりと挟めば、そこでやっとルベンと黙ってくれた。ぜぇ、ぜぇと歯を食い縛ったまま肩で息を整えながら目を合わせる。
「こ、え、が、で、な、い、の!」と口の動きで訴るけど、うっかり人語でやったから絶対通じない。
狐族語でやり直そうとしたけれど、こっちはこっちで口の動きじゃわかりにくい発音だった。けど、パクパク口を動かした甲斐はあって、青い目をばちくりさせたルベンはやっと異変には気づいてくれたようだった。そ〜っと押さえる手を離せば、閉じたまま固まる。
真正面に立つルベンに、そこで初めて彼が私の上に乗っていることに気付く。そりゃあ余計息苦しくなる!!!
パクパクパク、と喉を押さえながら話せないことをもう一度訴える。するとようやく「喋れねぇの?」と少し間の抜けた声を返された。間髪入れず、全力で頷く。
「ソー」
また呼びかけられ、きちんと顔を向ければサウロだった。さっきまでずっと呼ばれてたけど、もう咳でそれどころじゃなかった。きちんと今度こそ両目でサウロを見上げれば、心なしかもともと白いサウロの顔がもっと蒼白になっているように見えた。
私と違って咳もしてないのに、肩が微弱に揺れて息も乱れているし、ルビー色の目もどこか潤んで見えた。
どうしたのかなと首を傾げれば、サウロが唐突に膝をつく。がくんっと膝立ち状態で、それでもベッドの上にいる私よりは下にならず顔の位置が近付くだけだった。……あれ?ていうかここ何処だろう。
わからないけど泣きそうに眉を垂らしたままのサウロの頭を撫でる。手が届きやすい高さになってくれたから、撫でて欲しいという意味かなくらいしか思いつかない。
サウロの短髪を撫で、反対の手では大人しくなってくれたルベンのモフモフも撫でる。首を回して周囲を確認しても、まったく見覚えがなかった。なんとなく消毒液っぽい匂いがするから病院とかだろうか。……あれ??
病院、と自分が思って違和感を覚えれば、そこで先に手のひら越しの異変に気付く。余所見している間にも撫でてる手が微妙に振動するように震えるなと思って目を向ければ
サウロ、泣いてる。
「⁈ッゴホッ‼︎コホッコホッ‼︎ゴホッ!」
サウロ⁈と叫ぼうとしてしまった途端、思いっきりまた喉が痛んだ。
背中を丸めて咳き込む中、ルベンが背中をとんとんと叩いてくれたけどその間にも「またサウロ泣いた」と困ったように言う声が聞こえてくる。本当一体どうなってんの?!
ルベンが背中を叩いてくれたお陰もあってすぐ回復できたけど、顔を上げられるようになってもサウロは変わらなかった。
両手をぶらりと垂らしたまま、ルビー色も真っ赤な瞳を濡らしている。整った顔のまま眉が垂れて、苦しそうな口の隙間から牙のような歯まで食い縛っているのがわかる。
私が泣かしちゃったような気がしてごめんねの気持ちも込めて宥めるようにまた頭を撫でたら涙の量が倍量に増えて溢れ出した。喉仏を攣るように上下させて、本当に音もなく静かに静かに泣くサウロにどうすれば良いかもわからなくなる。喋れたらどうしたのか聞けたのに、声が出ないのが歯痒い。
オロオロと視線を泳がしてはルベンへ助けを求めたくなって目を向ければ、彼は眉間をぎゅっと狭めて私を睨みながら口を開いた。
「ソーが二日も目を覚さないからサウロのやつすっげぇ心配してたんだぞ」
二日⁈
ゴホッ!?とまた喉が痛む。なんとか今度は声には出さずに意識できたけど、それでもつい動揺で咳き込んだ。ルベンの耳がぺたりと垂れて、背中を叩く為に回り込んだ私の横で足踏みする。
全く現状が掴めずに、直前の記憶も思い出せないところで、ふとルベンの目元に気付く。真っ赤なアイシャドウに、そこで一気にエルフの店からの記憶が芋蔓式に蘇った。
また咳き込んで、今度は色々とんでもない記憶まで蘇ってきてベッドの中で足を無意味にバタバタする。うわ、最悪。そうだ、私……
「思い出したか?」
「…………!!!!」
コクコクコク!と繰り返し頷いて答える。ルベンから呆れたような溜息が聞こえた。
仕方なさそうにそのまま当時のことを説明してくれる。
「ソーがいきなり水戻すからルベンもソーもまた湖に沈んだんだぞ……」
ごめんなさい。
声が出れば絶対そう言っていた。
私が最後に気を失ったせいで、避けさせていた水が全部元に戻って結局また溺れてしまった。ただ池ぽちゃするだけなら良かったけど、水流に津波みたいに揉まれてルベンでも大変だったらしい。
サウロがすかさず建物の上から飛び込んできて、私とルベンを水中で確保して湖から救出してくれた。本当に水でも心強いオークで良かった。
ルベンは無事だったけど、私は気を失ったまま目を覚さなかったからサウロが抱えて私達の宿まで運び込み、そこで隣の部屋のサイラスさんが慌てて病院へ私達を連れてきてくれたらしい。つまりここは人間族の病院ということだ。
ルベンとサウロは人間族の言葉がわからないけど、ルベンが病院というものは知ってくれていたからそのままサウロも私をお医者さんに預けてくれた。……というか、ルベンが説明するまでサイラスさんにも私を預けたがらなかったらしい。多分、溺れたんじゃなくてアレで気を失っただけだから良いけど、もし溺れてたら応急処置無し長時間放置で私死んでたんじゃないかと思う。
医者が何を言ってるかもわからないし、取り敢えずベッドに寝かされた私をルベンもサウロもずっと泊まり込んでまで付き添ってくれていた。
特にルベン曰くその間サウロは何度も泣いてたらしく、サイラスさんや医者らしき人も困惑するくらいだった。今はこれだけ二人が騒いでも誰もこないということは、近くに誰もいないんだろう。
「本当わけわかんねーぞ」と腕を組みながら溜息混じりに締めくくるルベンに、私も苦笑いしてしまう。
二人からすれば私の状態もわからず二日も放置されたのだから当然だ。ルベンは肝が据わっているから良いけど、サウロは本当に不安だったんだろうなと思う。私がこんな大都会の城下まで連れてきたのに、一人にされるなんて生きた心地もしなかっただろう。
ルベンが説明してくれている間も、撫でやすく頭を垂らし涙だけ溢し続けるサウロは静か過ぎて。頭を撫でるだけじゃ伝えきれない。
周囲を見回せば、ペンとメモ用紙が置かれているのに気がついた。私の手でも届く、ベッド脇の棚に置かれたメモにはすでに人間族の文字が書かれていた。
『ソーちゃん、目が覚めたら引き出しの中にある呼び鈴鳴らせ』
『俺は9時と18時に来る』
『狐とオークは部屋から出すなそして置いていくな絶対』
最後に、サイラスさんのフルネームが書かれていた。きちんと書き置きを残してくれていてありがたい。
なんでメモの横にじゃなくて引き出しの中に呼び鈴なんだろ?と思ったけど、多分ルベン達が悪戯に鳴らさないようにする為だろうなと思う。
時計を見ると、まだ15時でサイラスさんが来るまで時間がある。すぐに呼び鈴……と思ったけど、その前にペンを取る。
サイラスさんのメモを一枚剥がして置いて、新しいページに走り書きする。サウロが文字を読めるかわからないから、どちらかといえば文字は知っていそうなルベンの狐族語で書く。私が書いてるそばからルベンは書面を鼻先がメモを突きそうなほど顔を近づけてきた。
サウロにも見えるように書面を掲げれば、サウロもちゃんと見ようとしたのか腕で目を擦ってから顔を近づけてくれた。
『心配かけてごめんね!二人とも助けてくれてありがとう!』
「……言っとくけど結局ルベン、大して何もできてねーぞ」
「助けてくれたのはソーじゃないのか……?」
すごい。ルベンだけじゃなく獣人族のサウロも読めてる!
万族翻訳の効果の素晴らしさをこんなところでまた噛み締める。多分、お互いが書いた文字だけは読めるのだろう。こっそり感動する私は、二人の発言の違和感に気付くのも数十秒遅れた。
ルベンが妙なところで謙遜するのも不思議だけど、サウロの言う言葉がもっとわからない。もしかしてまだ私記憶抜けてるとか?……いや、ちゃんと気を失う直前まで思い出したし。
「俺らの怪我治ったのってソーがなんかやったんじゃねぇの?」
ゴホッ!!!
「あ」の代わりにまた咳が出た。ゴホゴホとまた咽混みながら、頭の中では「そうだった」と叫ぶ。そうだ私よりも重傷者の二人だったじゃん!!
今度はルベンだけじゃなくルベンを真似するようにサウロまで背中を叩いてくれた。力の加減が難しいのか壊れ物みたいにすごい弱い力だけど、取り敢えず労わってくれてるのは伝わった。
なんとか咳が落ち着いたところで、折らんばかりに握りしめたペンでまた殴り書きする。そうだ私のことなんかより先ずそこを心配すべきだった!
『サウロとルベンは怪我ない⁈身体痛むとか毒とか痺れとか!!』
ルベンはめちゃくちゃ血が出てたしサウロもなんか煙にやられてたし!!
そう思って突きつけた書面が勢いをつけ過ぎてルベンの鼻に本当にぶつかった。「読めねぇよ」と肉球の手で叩かれつつ、改めて読んでくれた二人は揃って無事だった。
ルベンも湖を上がる前から傷は塞がってたし、サウロも敵のスキル効果で身体が動けなくなったけど急に回復してからはもう後遺症もないとのことだった。……どっちかというと、私が心配で「生きた心地がしなかった」とさらりと言われるとまたごめんなさいと今度は両手を合わせて謝る。多分このジェスチャー、二人には伝わらないけど。
「あれソーじゃねぇの?」
「私もそうルベンから聞いていたが……」
「………………………………」
めっっっちゃ言いにくい。
気付けばわかりやすく顔が引き攣ったまま二人から目を逸らしてしまう。何をやったかは、うっすらだけどそれなりに自覚はあるし覚えてる。でもここで言ったら大変なことになるだろうなぁと思う。
まず、二人が信じてくれるかもわからない。
あの時は私もちょっと色々混乱してて頭に血が上ってて、とにかく正常じゃなかった。もし私の記憶通りならエルフ達にも思い切り報復しちゃったし。殺さないで済んだだけ本当に良かったと我ながら思うけど。
何も言わない、どころかそのまま紙にも書こうとしない私にサウロとルベンは二人で仲良く顔を見合わせた。
「まぁ良いや」とルベンが大きく欠伸をすると、そこで私の膝上に移動する。モフモフの尻尾をくるりと振ると、そのまま丸まり出した。
「あのおっさん来るまで時間あるし、ソー起きたならもう大丈夫だよな」
待ってそこで寝るの。
お腹よりは苦しくなくなったけど、どちらにしても私の上で寛ぐルベンは本当にそのまま目を閉じた。私としてはまだルベンに宿とか買った荷物とかお金とかエルフ達とか色々聞きたいこと残ってたんだけど、私が答えないなら教えてくれないということだろうか。
白い毛玉のようになるルベンが、そのまま寝息を立て出すのは本当にすぐだった。スーー……と、いつもより寝入るのが早い気がするルベンに、もしかしてサウロほどじゃなくてもやっぱり心配してくれてたのかなと思う。
上半身を起こしたまま、手を伸ばしてまたルベンを撫でる。モフモフと変わらず柔らかい毛並みと一緒に、寝息と連動して背中が上下に膨らんでいるのがわかった。私にかけられた毛布よりルベンの方がずっと暖かい。
「ソー」
二日ぶりの毛並みを味わっていると、そこでサウロに呼ばれた。じっとまだ湿った瞳で私を見つめていた彼に顔を向けながら、もしかしてサウロもまた一緒に寝たいのかなと考える。
だけどこのベッドだとサウロが入りきらないどころか乗ったら壊れるかもしれない。あくまで人間族サイズだし。
どうしたの?の意味も込めて、筆記よりも首を傾げて返す。変わらず私の背に合わせて膝立ちのままのサウロは、少しだけまだ眉に力が入っていた。ベッドに乗り上げてくる様子はなく、どこか真剣な表情で。
「……やはり番にならないか?」
何故??と、思わずまた首を反対方向に傾けてしまう。
以前にもサウロに相談されたことだ。だけど、ずっと一緒にいるし変わらないから必要ないって結論になった筈なのに。それとも、病院に入院するのに面会許可が大変だったとか??いや、言葉がわからないのに人間族のルールもなにもわからないし。
だけど、サウロの言い方は冗談にも聞こえない。簡単に首を横に振るのも悪い気がして、私はもう一度メモに筆記する。
『どうして?』と短く書けば、今度は掲げる前に書面を覗き込んですぐに返事をくれた。
「ソーに、触れられない。……ここまでしか、触れられない」
そう言いながら、サウロは広くて大きな手をそっと重ねてきた。ここまで、と言ったままに私の手が包まれる。
サウロの片手で綺麗に私の手首から下が見えなくなる。折らないように意識してか、包んでくれる手がまた微弱に震えていた。
「ソーが目を覚さない間。頭も、髪も、手も、……触れてもらえなかった。私は眷属で、それだけだ」
逞しい喉をごくりと鳴らしたサウロは、唇を噛み締めたまま顔を苦しげに歪め、ゆっくり首を横に振った後最後は小さく俯いた。
私の方に前のめりになったまま背中も肩も丸く、初めて会った時みたいに小さく見えた。
今までも、何度も触れて欲しがったり甘え下手だったサウロを思い出す。私が眠っている間だからできないのは仕方ないけど、サウロがすごく寂しかったのはわかる。
眷属だけじゃ私に触れられないから番になりたい。どこかわかるようで、まだしっくりこない。でも確かに番、つまりは恋人とか夫婦になればお互い触れるのもおかしいことじゃないのはわかる。
さっきルベンもずっとサウロが心配して泣いていたと話していたし、それでもサウロは私に手しか触れなかったのかなと思う。自分から私を抱えたりは普通にしてくれたサウロだけど、もしかしたら「異性に触れる」のはそれとは違う価値観なのかもしれない。
ここで、番にならなくても触れるくらい良いよと言えば良いのかなと思って、……寸前にペンを止める。
甘え下手のサウロが、一度ならず二度も言ってるのに。
自分から触れるのも躊躇るような子なのに、きちんと二度も私にお願いしてるということはきっとサウロにとっては私が思っている以上に大事なことだ。
こんなに二日間も心配して泣かせちゃうのに、もしかしたらいくら私が良いよって言ってもオークにとっては番じゃないと触れられないか、意味がないのかもしれない。これからずっと一緒にいるのに、書類も儀式も要らないのに、断る理由の方ある??
いや番だし夫婦だし結婚だし!!と思うけど、そもそもサウロとこれからずっと一緒にいるって決めたの私の方なのに。
サウロは格好良いし強くて優しいし、サウロと番にならないで他の誰かと番になる未来があったら絶対サウロを傷付ける。サウロのこと普通に好きだし、寧ろ勿体無いくらいの良い子なのに。そのサウロの方が番っていう関係が良いってこんなに言ってるのに!!
もしかしたら、もしかしたら番になったらサウロも今までとは違って安心して甘えたりしてくれるのかもしれない。そう過ぎった途端、もう番になっちゃった方が良い気がした。
サウロに甘えてもらうのは嬉しいし、サウロにとって、多分きっと、番が異性のパートナーで一番近い存在の証なら、そうなりたい。また私にこんなことがあっても、先にうっかり死んじゃっても、今日みたいに泣くことだけはないように。
これからずっと一緒にいるって決めたんだから。
「…………」
コクンと、私ははっきり頷いた。
文字にするのもなんかむず痒くて、笑顔を作りながらも背中が反るほど全身緊張した。膝にいるルベンの感覚がしない。
私の返事に、サウロにもちゃんと伝わったのが表情だけでわかった。
さっきまで影の差していたルビーの目が、宝石よりも眩しいくらいにキラッと光って「本当か⁈」とサウロにしては大きな声だった。
うん、とちゃんと二度目の確認も頷きで返す。
なんだろ番と言ってもサウロにとってそんな意味じゃないって頭ではわかるのに、だんだん心臓まで音を立てだした。バクバクバクと、まさかの了承してからのど緊張だ。耳や頬が熱くなってくるのを感じて、奥歯を食い縛る。
嬉しそうに美男子な顔を至近距離で綻ばせるサウロが余計に心臓に悪い!沈黙に緊張を煽られて、動悸がはっきり聞こえるしなんだか指先の感覚もなくなるし無意味に大きな声を出したくなる。まさか人生初のプロポーズを無言のまま成立させることになるとは思わなかった。
汗が額にまで滲んできて、ここはもう引き出しの呼び鈴に頼ろうと思った瞬間、サウロの綺麗な顔が更に距離を詰めてきた。
本当に一瞬で、腕が伸びたと思えば私の後頭部に回された。サウロの手とサウロの顔に挟まれる。
瞬きをする間もなくて、目を見開いたままとうとう近過ぎるサウロの顔が見えなくなって。
──唇が、熱くて、柔らかい。
口を結んだまま疑いようもなくサウロの唇に重ねられ、……食べられた。
ただ当てるだけじゃない。そこからさっきサウロに触れられた手みたいにサウロの口に包まれる。一瞬で終わらない、私の後頭部に回していた手がそっとずらされて頬に到達するまでの間ずっとサウロの唇に包まれて頭の奥の奥まで痺れるような感覚に襲われる。ちりりっと唇に柔らかな感触が擽って、サウロの舌かなと気付いてしまった瞬間心臓が破裂した。
サウロの指先が微かに耳の先に引っかかっただけで、息が詰まるように身体が強張った。電流を浴びたような感覚に目が回り、サウロの唇がゆっくりと離れていく感覚一秒一秒が焼き付けられる。目が開いてるのに前が見えない。顔を引いていったサウロは、またすごく頬を染めているのが今までになく色っぽくて。
「……もう、躊躇わない」
ルビーの瞳がどこか魅惑的に輝いて見えた。
艶っぽいと言うのだろうか、微笑んだサウロが可愛くて心臓が半分潰れた。唇を結んだまま顔色以外まともに反応できない私に、今までの躊躇いなんだったのと言わんばかりに大きな手で頬をすりりと撫でてくる。また顔が近付いて、今度は死ぬと心臓の速さで確信したら……額にキスされた。
唇の音が小さく聞こえるくらい。今度は軽くされてすぐ離される。そのまま流れるように次は頭をするりと撫でられた。
ボンッッと頭の中で何かが被曝した。多分喉が無事でも絶対一音も喋れなかった。サウロの艶な表情に脳がバターみたいにどろりと溶けていく。叫び出したいくらいの衝撃なのに、口が動かないまま後頭部から再びベッドに倒れ込んだ。
「寝るのか?」と、なんでもないことのように言うサウロの声にすら心臓が音を立てて弾けそうになる。
確かに!確かに!!番を了承したけれど!!!と、頭の中で叫びながら……叫びたくはあっても全然怒っていない自分が死ぬほど恥ずかしい。
口だけじゃ足りず、顔ごと両手で覆って目も絞る。もう心臓破れる苦しい。
寧ろ浮かれているのかも、と。……そのまま遠くなる意識で思った。
結局、私が意識を取り戻したことを病院が把握するのは、お見舞いに来てくれたサイラスさんが発熱中の私を発見してからだった。




