43.報復
─ 死ねば良いのに。
今まで、これでもわりと普通に健全に生きてきた。
がんばって努力すれば応援されて、褒められて。やっかみもなければハブられることもなかったし、友達だって途切れずに済んだ。人とは違うことを好きだといっても、虐められることなく受けいられた私は多分恵まれた方だった。
普通の人生で就職活動で挫折を味わって、それでも金銭面なんて気にせず大学院まで行かせてもらえた。
成績だけなら優秀で先生達にも認められて、本当にずっと恵まれた。
異世界に来てもルベンとか、サンドラさんとか、……スキルとか。よく考えれば出来過ぎだった。
優しい人に囲まれた。衣食住を保証されて教えてもらって仕事を紹介されてゴブリンさん達に大金貰って調子に乗って旅に出てルベンが一緒でサウロと出会って二人とも強くっていつの間にか自分まで強いと錯覚して。……この世界が私に優しいと思って疑わなくなっていた。
なんだかわからない。ずっとずっと綺麗で綺麗で紙の香りがする大事な大事な新書の上に嘔吐されたみたい。
奴隷とか聞いてたくせに考えないようにして、なんでも上手くいくような気になって巻き込んでこんなのに嵌められて助けにきてくれた二人まで
─ 死ねば良いのに。
優しかった世界が今は淀んで、暗い。
自分の目に映っているものの裏側が全部ドロドロに歪んで溶けてる気がする。本当にこの目に映ってるのが偽物で、何にかもわからないのに裏切られた気さえする。
調子に乗っていた私のせいで二人を巻き込んで死ぬところだったことは本当で、自分が酷く自己中心だったんだと今更思う。
仕事だってサンドラさんに紹介してもらっただけでサンドラさんが守ってくれたから無事だっただけで、お金だってゴブリンさん達がいなかったら無一文だったくせになんであんなに自信を持てたんだろうああこういうの自意識過剰とかいうんだっけ違う?どうしようあんなに勉強してきたのに言葉が上手く出てこない頭が回らない。
目の前で、血色の悪い色で気持ち悪い顔を向けてくるエルフに思う。もう、どの顔も気持ち悪いし吐き気がする。こいつさえいなかったらこんなこと気付かずに済んだのに楽しかったのに。
─ 死ねば良いのに死ねば良いのに死ねば良いのに死ねば良いのに。
本当に、本当に死んだと思った。サウロも、ルベンも。もしかしたら本当に死んだのかもしれない。それなのにへらへら笑ってるのも信じられないしなんで命乞いするのかわからない。
殺しにきたくせに売ろうとしたくせになんで殺されたくないの??勝手過ぎるしなんで生きていて良いのこんなのが。
ああ優しい世界だったなと。まるですごい遠い日のことのように思う。もうきっと戻れないと感じてしまったじりじりと目の奥が燻った。
言った通りになんでもなってくれるなら何をやっても良い気がするし何でも適えられる気がして仕方ない。手足は固められたように重いのに、胸からドロリと熱が溶けてこぼれだしているような感覚が気持ち良くて気持ち悪い。こんなの知りたくなかった。
「だっだから全部誤解なんだ本当!!俺は本気でやりたかったわけじゃなくて本当に違うんだ。な?な頼むよもう二度と関わらないからまさか殺さないよな??」
─ 死んで
気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
もう視界に入れるだけで熱いものが溢れ返って、泣きたくないのにこみ上げる。少しでも顔の筋肉を意識したら歪んでしまいそうで泣いてしまいそうで嫌だ。こんな奴の前で泣きたくないのに、自分で思ったように身体が反応してくれない。
ただただこいつが気持ち悪くで同じ〝人〟にも思えない。動物よりも虫みたいな、理解できない生き物に思えてくる。こんな生き物なら殺しても良いんじゃないかと思ってくる自分も気持ち悪いしおかしい。こんなにおかしくなっていることにまたエルフが憎くなる。
腕が肩ごと強ばって、耳鳴りが酷い。胸に溜まるこの感覚を吐き出す方法がわからなくてもどかしい。いくら息を吸っても吐いても全然軽くならないし汚れたようにざらつく。
見たくないのに視界にいれたくないのにこんなのよりルベンやサウロの方が大切なのにこいつから目が離せない。瞬き一つすらできないで自分の身体が自分のものじゃないみたい。
─ 死んで死んで死んで私と関係ないとこで後悔して死んで
「だってあんな気安く高度スキル使ってくるなんてこっちじゃ売ってくれっていうようなもんでだから俺も良いのかな~って!!?」
何言ってるかわかってんの?
言いたいけど口が蓋をする。今喋っちゃいけないとわかってる。泣きたい感情とは別の理由で喉が焼けるように熱いから。喋っているのに喋ってない感覚なのに。スキルだとわかった途端もう何の違和感もなく使えてる。自分が人間じゃないような気さえする。
また、偉くなったような勘違いをしそうになる。そう思う自分も全部こいつのせいだから。
死んで、消えて、息をしないで、苦しんで、心臓止めて、生まれてこないでと。謝ってとか自首してなんて、綺麗な言葉が優先順位低くて心からは思えない。
嫌いよりも上があったなんて頭では知っててもわかっていなかった。
殺せば犯罪者。異種族の掟があって、転移者でもそんなの関係ない。この世界にも国にも法律があって、こいつらはそれを破っているだけ。今だけは無法の世界だったら良いのにと思ってしまう。こう思うのもこいつらのせいこいつらのせいこいつらのせい絶対許さない。
いっそ世界の全部書き換えてしまおうか。
できると、わかる。
法律も、国も、この世界の常識全て一番簡単に短い言葉で変える方法ばかりを頭が考える。
拳に力を入れて、苦しめたいのに触れたくない。今なら、きっとできる。神様の力でなんでも叶う。
触らず殺すことだって今回〝だけ〟は世界に許される方法も誰にも悪いと思われずにも済む。私は何にも無くさずになんでもできる。
本当に、言葉を使えるだけで神様になれたような気持ちが足の裏を痺れさせて身体中の血がドグドグ回る。憎いのに憎いのにこんなのと比べたら私はすごく綺麗でまともで正しいと思える。なんで、なんで本の主人公はこんな生き物でも許したりできるんだろうそうか偽物だから創作だからきっとそうだから私はきっと普通だ。
二人とも助かった、助けられた。それでも殺されようとしたことも私達は悪くないのに狙われたことも変わらない。こんな遊び半分で面白半分で二人が殺されたのが本当にあったことなのが嫌で嫌で胃液が溶岩みたいで叫んで手足を投げ出したいほど苦しくて不快、不愉快、死んでほしい。……嗚呼こいつさえいなければ。
一つの願いが、結論より先に喉まで出かかった。たった一言で短くて、今の全部なかったことにできるのがそれだった。どこまで無かったことになるだろう。
こいつさえいなければきっとこんなことにならなかったから、一度全部消えるのか。町についた頃かな、こいつに会っちゃった時かな。ああまた別の服屋さんを探さないと。でもそれくらいは頑張ろう。こんなことを全部なかったことにできるなら良い気がする。
吸い上げる為に口を開く。声じゃないその感覚にもう慣れたのが、まるで光に溶けるような感覚だった。……いや違う。どろどろで黒くて泥水みたいに粘り気のある感覚は、もしかしたら逆かもしれない。動悸が酷くてこのまま死んじゃうのかもしれないしなら早くしよう。この胸の重苦しさと泥つきが消えてくれるならなんでも
『ソーは何したいんだよ?』
「………………」
空に、なる。
いつだっけ。ルベンが、初めて王都のこと教えてくれた時?……楽しかったな。あの時はこんな、こんなことになるとは思わなくって。
手足が重いまま顔にも力が入らない。自分がいま泣きそうなのか無表情なのかもわからない。ただ、ただ胸の底がまだ重くって、絞るように苦しくて。
『どんな種族の店でも働けるし、どうせいつかは王宮とか行くんだろ?偉くなりたいとか──』
いらなかった。もっと、ずっと昔からやりたかったことは変わらない。
……子どもの頃から変わらなかった、筈なのに。
『前の世界の知識とか上手く使えば将来がっつり稼げちゃうかもよー?』
惹かれなかった。それよりも忘れられなくて、曲げられなかったくらい。
子どもの頃から私にとって特別で、この世界に来ても変わらないくらい大切だった。
周りが皆大人になって夢を叶えて、子どもの頃から将来を決めていた私なんかよりずっとずっと上手くやっていくのを見送りながらそれでも
『そいつら見返してぇの?』
『出世してぇの?』
そのどれでもない、ただやりたいものも気持ちもずっと変わらなかった。
ちゃんと覚えてて、その為に真っ直ぐ歩いてきた。見返すとかそんなの要らないくらい、前の世界でもこの世界でも他の誰の為でもなく私自身が欲しくて欲しくて憧れた。
言葉を繋いで、繋いで、読んでもらいたかった。他の誰かにじゃなく私がそうしたかった。やりたいことに理由なんか要らなかった。
ただ私がそうしたい。立場も、お金も、認められるも関係ない。それでもやりたいこと〝だから〟どうしようもなかった。諦めることに理由はあっても諦めたくないことに理由はない。
「…………ッ……」
「⁈おいソー‼︎⁈」
膝に、力が入らない。気付いたら視界が落ちて、エルフと同じ目線になる。ソー!と、隣からだけじゃない、遠くからも叫ぶ声が聞こえてきた。
信じられないものを見るようなエルフが、気持ち悪く僅かに笑んだ。きっとこのまま私が駄目になれば良いと思ってる。
目の奥が熱くて、視界が滲んで白くなる。ああコイツと同じくらい私の夢は汚れたんだなと思ったら、ぼたりと膝に滴が落ちた。
鼻を啜る気力もなくて、ただちょっと胸の奥が洗い流される感覚が暖かい。自分の呼吸が信じられないくらい内側に響いて木霊する。
許さない。その気持ちはまだ変わらない。だけど、嫌だ。ずっと、ずっとこの力を貰ってから嬉しかった理由をここで否定したくない。
私が、私がしたかったことはこんなんじゃ
『ありがとうな嬢ちゃん。お陰で面倒事なく良い取引ができたよ』
『なんかあったらいつでも戻って来て良いから』
『ソーが良いやつって言うなら、やっぱりそうだったんだろうな』
『ソーの言葉なら、きっと。……全て優しいのだろうな』
「…………ぁ」
喉が、焼けるくらい痛い。喋っているのが声帯じゃないのに、まるで火を纏った炭を飲んだみたい。
喉を両手で押さえて握って、それでも内側には何も届かない。本当に、あと一言で血も吐くかもしれない。
逃げたい。やり直したい。コイツらにもう関わりたくない。やり返されない、このスキルの力を他の人に知られず穢したくもない。……だから。
エルフを見据え、唇を噛む。全部、終わりにする。目の前のエルフにだけじゃない、この場にいるエルフ達全員へ。今度こそ終止符を。
もう、私達の人生を邪魔しないでと。
「バ ベ ル」
〝それ〟を意味するものは、私が知るどの言語より短くて、喉からもきちんと響かされた。
湖だけじゃない、周辺全てにまた光を放つ。視界が真っ白になって、一瞬目を大きく見開いたエルフの顔も見えなくなった。
急にくらりと意識が遠のいて、背中から倒れる。元の視界になっても見えなくなって、瞼の裏しか映らない。頭を地面にぶつけずに済んだのは、モフモフとした感触が受け止めてくれたから。
水が顔に降って、お風呂で沈んだかのように飲まれてく。息ができなくなることよりも、熱しきった顔と胸も喉も冷やされていくのが気持ちよかった。
「ソー」と。天から降ったその声が神様のようだと思ったけど、……もっと近い声だとわかったら嬉しかった。
〝神を討たんと醜い心を剥き出しに矛を掲げる彼らに、神は嘆き悲しみそして奪った〟
〝もう二度と悪しき野望を共有しあうことがないように〟
〝もう二度と彼らが自分の元へ訪れることがないように〟
9-2.5-1.21-5
9-2
明日18時最終更新致します。




