そして当然だった。
「やっぱさー、さっきのもそういう意味なのか?」
「…………そういう……?」
尋ねるルベンに、サウロの方が不思議そうに目を見開いた。
一体何のことを言っているのかと本気でわからないまま見返せば、ルベンは間も待たずして「ほら」と投げるように先程のソーとの会話を掘り起こす。
「ソーにサウロと同じ色の目化粧してくれって言ったろ?〝染まってくれ〟って。あれもルベンのことが羨ましかっただけか?」
「…………どう、だろうな」
想起すれば、サウロは自然と視線がルベンから逸れた。
彼女と同じ化粧を施し合った様子に羨みがなかったとは言えない。しかし、それとは別に自分を真似てくれたと言うルベンの言葉に胸が僅かに灯り、そして鮮やかな紫に彩られた彼女の目が自分と同じ色であればどんなにかと、見てみたいという気持ちが自然と湧き上がった。
自分と似た姿をした人間族である彼女をもっと自分に近づけたかったのだろうかと、自身が他人事のようにそう思う。そして望み通りに同じ紅を彼女が購入してくれたことも、間違いなく自分は嬉しかったのだから。
遠い目をするサウロに、今度はルベンも続きを促す。傾いた首のまま「わかんねぇの?」と尋ねてみる。しかしやはりサウロの思考は纏まらない。今まで一人だった自分に今更対人関係などで悩むこと自体が難しい。
「ただ、……」
ただ、彼女がいつかあの紅を目元に引いてくれるのかと。
それを思うだけで、今は幸せだった。自分の姿全てを忌み嫌ったサウロにとって、同種族とは違う目の色も消して好ましいものではない。だが、それを他ならぬソーやルベンがほんの少しでも共有してくれるなら
「……今はこの目も、昔よりは呪わしくない」
そう言ったサウロは、自分でも気づかぬ内に柔らかく笑んだ。
近くを偶然通りかかったエルフの女性店員が思わず足を止めてしまうほどの甘い微笑だ。自分の目元をなぞりながら語るサウロに、ルベンはそれがそのまま答えなのにと思う。
足音が急激に止まったことに高い鼻ごと顔をエルフへ向け、そして戻す。獣人族である彼には、エルフもサウロもソーも見かけの美醜についてはわからない。しかし、今日まで見た限りはきっと人間族とエルフ族にはサウロの姿は嫌われてはいないのだろうことはわかった。
一瞬やはり言うべきじゃないかと悩んだが、当人が戻る前にいっそはっきりさせた方が良いとも思う。少なくとも、このことは彼女も薄々気付ける筈のことだと考えながら。
「……他の連中も、人間族もエルフ族もサウロのこと格好良いって思ってても、それでもサウロはソーと一緒にいんのか?ソーじゃなくても、あいつらならサウロのこと怖がんねぇのに」
「ソーが良い。…………それに、ソーとしか言葉を交わせない」
今までになく、はっきりとした口調でルベンの言葉をうわ塗ったサウロは、それから少しの間で付け加えるかのように理由を足した。
そういえばそっかとルベンもその理由には納得するが、サウロ自身は言い切った時にはその事実も頭から抜け落ちていた。
ただただ、彼女じゃなければ駄目なんだとその意思だけは固い。もし、この先で彼女と言葉が通じ合わなくなってしまって他の人間と同条件になっても自分は彼女が良いと思う。
「私と逃げてくれたソーと共にいたい。ここ以外はあり得ない」
断言するサウロに、ルベンは三角の耳をぴょこりと立てた。
きっと彼にとっては、自分を受け入れてくれるオークも見つからない方が幸せなのだろうなとルベンは思う。既にサウロにとっては飲み込みきれてしまった結論が、ソーにも正しい意味で伝わればと考える。
「そっかー」とサウロ相手に棘のある言葉も返す気もなく、代わりに尻尾を揺らした。
「なーサウロ。……この後さ、ルベン達みんなで服お揃いなんだよな」
「嗚呼、ソーが言っていた。確か、エルフ族の……」
「別にエルフでも人間でもオークでも何でもルベンは構わねぇけど」
頷くサウロに途中で言葉を持っていく。その場で頬杖を突き、サウロへ笑って見せた。「私もだ」と遅れて返事をするサウロに、ヘヘッと悪戯を思い出したような無邪気な笑みだ。
「たっのしみだよなぁ、ソーやサウロと一緒の格好で歩けるんだろ?これよりずっとお揃いってことだよな!」
そう言ってルベンは肉球のついた手で自分の目元を指し示す。
ソーの前では言わないが、憧れのサウロになら本音で話しても良いやと思う。惜しげもなく喜びを語るルベンに、サウロも無意識に口元が緩んだ。
確かに言われて見れば、目の色程度ではない互いの共通点だ。身体の大きさも種族も性別も違うお互いがどれだけ似た服になるのかは想像もつかないが、ソーが自分達との為に用意させてくれた服というだけで充分に価値は有る。
「もうルベンもサウロもソーから離れられねぇな」
ヘヘッと楽しそうに笑いながら語るルベンの言葉にサウロは一度見開きを強めた。
どういう意味かと尋ねる彼の姿勢に「だってさー」とルベンは明るい声で話を繋ぐ。ばふっと肘置きに顎を乗せながら尻尾を揺らした。
「もうこ〜んな大金借りちまっただろ?ルベン達じゃ一生働いても絶対払えねぇし。だからルベン達で守ってやるんだろ」
『代わりに私を守ってよ』
金額に戸惑う自分達へ放たれた言葉を思い出し、ルベンは笑う。
あの時の彼女からの提案は願ったりだった。金銭面を全面的に頼ることになることは不甲斐ないが、それ以上に彼女と共に居られる理由ができた。
彼の言葉に「そうだな」と静かに返すサウロもまた、同じ事を思い出す。山育ちの彼はまだ物の値段などわからないが、それでも彼女が当然のように自分達への買い物に支払った額が高いことはルベンの反応で理解した。今も自分の傍にある斧のケースも、彼女がわざわざ店主に尋ねて購入してくれたものだ。もうどちらも二度と手放せないと思う。
「あ。ソーには絶対内緒だぞ⁈アイツ絶対めんどくさいことになるから」
「?……そうは思えないが……」
わかったと了承しながらも、やはりサウロは不思議そうに首を捻る。
まだソーと付き合いこそ短いサウロだが、彼女にルベンがずっと傍にいると言えば素直に喜ぶと思う。
しかしルベンからすれば、変に遠慮されたり逆に喜ばれた時も面倒だった。未だに自分を年上の男性と見ていない彼女の気やすさは時々腹立たしい。色気付けとまでは言わないが、せめて自分が目上なのだと認めさせたい。
そしてそう思っているにも関わらず、彼女にぬいぐるみ扱いされても頑とすることができないことも自覚していた。
疑問が晴れないサウロを置いて、ルベンはごろりとうつ伏せから腹を見せるように転がった。
「ソーはさ、他の人間族と違うから色んな奴らに狙われるんだよ。それも絶対自分のやりたいこと曲げねぇから、余計拗らせる」
ソーと一緒にならどこにでも行きたいと思った。だからこそ彼女と共に旅に出ることも決めた。だが同時に、……彼女が自分の知らない場所で不幸になるのは嫌だとも思った。
自分を別の世界では幸福の狐だと教えてくれた彼女を、どうせなら自分がどこまでも幸せにしてやりたいと今でも思う。そして転生者である彼女が王都で暮らせば、きっと利用しようとする存在はいる。特に全種族の言葉を話せる彼女は、下手をすれば人間族以外の権力者にも狙われる。……だからこそ。
「サウロなら強えーし、絶対どんなやつからもソーを守れるだろ?だから頑張れよ。王都に着いても一緒に暮らしても絶対ソーは鈍いままだぞ。ついでにサウロも」
「鈍い……?ソーも、私も……、……鈍いか?」
「すげー鈍い」
眉を寄せ、怪訝な顔をするサウロにルベンはズパリと言い切った。
絶対いまも自分の「頑張れ」の意味すらわかっていないであろうサウロが、今後それを自覚する時は来るのだろうかと少し思う。
だが、どちらにせよ彼女を手放さず守る意思だけは変わらないのであれば、気長に見守ろうと敢えてそれ以上は言わなかった。ちょっと突けば簡単にくっつくんじゃないかとも思うが、それはそれで馬車の中でイチャつかれても面倒くさい。
取り敢えずは、彼女の幸せを最前席で眺められるなら後は面白ければサウロが彼女の眷属でも番でも良いやと紅い目尻を少し緩ませ笑み、欠伸した。
……
「ふわぁ……」
エルフのおば様に案内されるまま試着室に向かう中、欠伸を溢しながら首や肩をぐるぐる回す。
大分寝てしまった。壁に掛けられている時計を見て余計になんか疲れてしまう。ほんの数十分の仮眠のつもりだったのに、かなり元気になれた気がする反面もう今日はこれで終わりで良いかな〜と思ってしまう。買い物にはしゃぎ過ぎた自覚もある。
本当は物件探しまでいきたかったところだけど、予想以上に買い物で体力を使い過ぎた。
「物件は明日にしよ……」
誰へでもなく一人呟いてしまう。
二人も大分待ち惚けされてるし、今日はこの辺で区切りつけないと悪い気がしてきた。ただでさえこの後服も増えるんだし。
店の奥にあった試着室と書かれたプレートの向こうを覗けば、想像の倍広々としていた。扉の付いた個室が七つ横一列に並んでいて、扉付きの上にこれだけ広ければ二人も連れてきて良かったかなと思う。
そのまま試着室へ入ろうと身体を向ければ「いえこちらに」とエルフのおば様に止められる。
ばっちり試着室って書いてあるのに止められて、思い切り間の抜けた声で聞き返してしまう。まさか待合席だけじゃなく試着室まで何か特別なものでもあるのかなと思えば、明らかに従業員用の扉を開かれた。客を通す用じゃない扉の向こうは、小綺麗ではあるけどやっぱり客用とは狭さや雰囲気からして違う。堂々と促され、流石に足が止まる。「あの」と、半歩後ろに足が下がりながら扉を指し示した瞬間。
ぐいっ、と。
なんでこっちに。……そう言おうとしたところで、扉から伸びてきた腕に引き込まれた。悲鳴を上げるより前に驚くほど手早く口まで塞がれる。
案内してくれたおば様じゃない。けれど、扉脇に立っていたそのおば様も声を上げず自分の口を両手で覆うだけで助けてくれる素振りがない。
扉の先に潜んでいたのだろう男に強制的に引っ張り込まれれば、今度は肩幅のがっちりしたエルフだ。さらに同じような体型がもう一人いる。エルフといったら皆モデル体型のイメージが固まりかけてたのに、この二人はどちらもがっちりしてる。
私が扉を潜るのを扉脇で待ち構えていたんだなと、引き込まれた先で理解する。
慌てて離れようと足をバタつかせても一言もくれず奥へと引きずられ、手早くもう一人に足まで掴み持ち上げられた。
バタつかせた足のまま二回は顎を蹴り上げられたけど、その後掴まれたらもう駄目だった。いくら力を込めてもがっしりと膝下を纏められ動かせない。……怖いくらい、手慣れてる。いや怖い!物凄く怖い無理‼︎‼︎
そう思った瞬間、遅れてやっと危機感が湧いてくる。んー!んー!と塞がれた口で叫んでも殆ど音が漏れない。塞がれてるより前に声自体が上手く出ない。怖いと声が出ないってこんなとこで思い知る。
ぱたんと静かに扉が閉じられたのが視界の隅に映った途端息が止まった。
「こっちだ急げ飼い主共にバレる‼︎‼︎」
出た扉とは別方向から声がして、顎と目を無理やり向けても口を覆うエルフの影で見えない。でもなんか聞いたことのある声だ。エルフ語だからエルフであることは間違いない。
服屋の裏側なんてどうなってるかわからない。運ばれる速度が上がっていく感覚に血の気が引く。丸めた絨毯みたいな運ばれ方でどうしようもない。
頭頂部から風が吹き込んできたと思えば裏口だろうか。そこまで運ばれたところで今の状況が少しだけ、掴めた。
「よーしこの女だ。そのまま積み込め」
ニヤァと笑うエルフ。第二ボタンまで開けたワイシャツにズボンとシンプルな装いで、その笑みはもう好青年感の欠片もない。首にかかっている金色の派手なペンダントが視界に揺れた。
私を見下ろして白い布を手に構えたエルフに、目を限界まで見開く。暴れ出したいくらいの後悔が競り上がる。ああそうだ
ここ王都で、エルフの街で、私はこのエルフに何をやった上でこの服飾店を誰から聞いたか。
調子に、乗っていた。
馬鹿だった。二人が居て、ルベンがずっと傍にいてサウロが強くて大きくて武器まで買えて無敵になれたような気がしてた。私自身は武器も持ってないし力もない、サンドラさんみたいな闘うスキルだって持っていないのに思い上がってた。いつの間にこんな調子に乗ってたの⁈あんな口も性格も悪いエルフに自分のスキルひけらかして何もされないと思ってた?!!今までだってサンドラさんやルベン達に守られたから見逃されてただけなのに!!!!
『王都でスキル目当ての馬鹿に狙われないようだけ気を付けなね』
馬鹿大バカ私の馬鹿今まで上手くいってたからって思い上がってた。
─ごめん、二人とも
今更過ぎる、自分の立場を舐めきった報いに全身の血が凍る。
つんとする匂いの白い布に息を塞がれたまま遠のいた。
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