36.移住者達は判断し、
「ソーのやつまだ起きねぇな」
むにぃとモフモフの指で爪を立てないようにしてルベンは彼女の頬を突く。
既に化粧騒ぎから数時間が経過している今、ソーは一人ソファーに寄り掛かって寝息を立てていた。両脇ではそれを覗き込むようにしてルベンとサウロが前のめりになっている。今にも涎を垂らしそうなほど気の抜けた顔をする彼女は、背もたれに身体を預けきっていた。
「……気の済むまで、休めば良い」
どちらに傾くでもなく真っ直ぐ眠るソーに少しだけ歯痒く思いながら、サウロは眺める。
今、自分達がどうしてここで座り続けていないといけないのかは理解しているが、そうでなくても彼女が疲れたならゆっくり休んで欲しいと思う。今日一日だけのことでも、サウロには数十年よりも密度の濃い時間だった。それを寿命の短いソーが体験すれば、疲れるのも無理がないと考える。
自分も一緒にまた隣で眠れればとも思ったが、それよりも周囲の視線が気になった。
エルフ族の集落、そしてエルフの店。異種族ばかりに囲まれているその空間で、いつ寝首をかかれるかわからないと山育ちのサウロは思う。そしてまたルベンもいつ騙されるかソーの所持金を知っているこいつらがいつ奪おうとするかはわからないと、互いに目を光らせていた。
結果、払いの良い上客のソーだが、彼ら二人の異常な警戒の眼差しに店員も必要最低限しか近寄ることもしない。
お茶のおかわりはと伺いに行っても、人間族の女性がいないと意思疎通すらできずに威嚇されてしまう。
今もやっとお茶のおかわり以外の要件で歩み寄るエルフは、びくびくと指先を震わせていた。
耳をピンと立てるルベン達へ愛想笑いを浮かべながら、眠るソーの前で腰を落とす。
「お客様、大変お待たせ致しました。衣装の方、完成致しましたので試着の方お願い頂けますでしょうか……?」
「おいソー!起きろよ!またエルフ来たぞ‼︎」
気の済むまで寝かせておきたいサウロを横に遠慮なくルベンはソーの腕を掴み揺さぶる。心地よく眠りが深くなっていたソーはあまりの容赦ない衝撃にびくりと肩を上下した。
ばちりと大きく目が開けば、最初に震源地のルベンへ顔が上がる。目を吊り上げるルベンが肉球の手で一方向を示せば、起こされた理由を考えるよりも先に首ごと視線を向けた。
涎が垂れてないかと手の甲で口元を押さえながら焦点を合わせれば、深々と頭を下げるエルフから改めて同じ要件を繰り返された。
「『あっ、はい行きます。二人とも!衣装出来たって』」
「申し訳ございません。仕上がったのはまだ人間族の衣装のみですので、お嬢様のみ試着室にお願いできますでしょうか」
慌て過ぎてエルフ族への返事のまま二人に呼びかけたソーは、また早口で「すみません!」と早とちりを謝った。ソファーから飛び上がったソーに合わせ腰を浮かす二人に、改めて訂正を告げる。
「ごめん、私だけみたい。二人はそこで待ってて」
「なんでだよ。またさっきみたいにここで済ませれば良いだろ」
「私達もついて行ったら駄目か……?」
いやそれは……!とソーも流石に顔が強張る。
採寸は服の上だったから良いが、試着はそうもいかない。更には二人に着替えを見られるのも考えれば、ここは大人しく待っていて欲しい。ただの試着室で二人に保護者されるのも、いつも一緒にいることとはまた違う恥ずかしさがあった。
すぐ戻ってくるから!と、周囲にまだ目立って客がいないことを見回し確認してから重ねて二人に待機を頼む。ムッと唇を結ぶルベンと、心配そうに眉の間を狭めるサウロに悪いと思いつつ両手を合わせて頭を下げた。
「すぐそこだから大丈夫‼︎」
行きましょうお願いします!とそこでエルフへと案内を促した。
このまま話し合いになれば間違いなく二人が付いてくることを確信し敢えて早めに切り上げる。ソーに背中を向けられ、反射的に前のめりになった二人もそこで仕方なく腰を下ろした。
ゆっくりとした足取りで試着室へ歩むエルフの後ろを無意味に小走りするように小さな歩幅で急ぎ進むソーの姿が店の奥に消えるまで瞬き一つせずに見つめ続けた。
ソーが見えなくなってから、むすっと鼻に皺を寄せるルベンはブラブラと足を揺らす。
さっきまでも寝ていた為に会話に入ってこなかったソーだが、いないのもそれはそれでモヤリと腹の中が落ち着かない。手持ち無沙汰に視線を回せば、店の中よりも今日一日の買い物の山が目に入った。しかもこれからまた増える。
「……アイツさー、俺らに散財し過ぎだよな。いくら金あるからって馬鹿みてぇ」
服とか武器とか飯とか、と。思いつく限りを並べ立てるルベンに、そこでサウロは小さく笑んだ。
他の相手ならば返答も変わったが、ルベンの場合はそれが彼女への侮辱ではないこともサウロは何となくわかった。
今もぶらぶらと足を揺らすルベンは、片方だけの頬を膨らませながら尻尾を揺らしている。その様子を眺めていれば、独り言のように「自分のもんだけ買えば良いのに」と皮肉が溢れる。
実際はルベン本人も食べ物や武器、そして目の化粧などをソーに強請っていたことをサウロはぼんやり考えた。しかしそこの彼の言葉の裏を読むまでは思考が届かない。代わりに彼女からの資金提供により叶ったルベンの横顔に目が行った。
「……その目、よく似合っている」
自分の目の色を真似た、赤の化粧。
それを眺めたサウロの口元は少し笑んでいた。ルベンも予想をしなかったサウロからの褒め言葉にピクンと尻尾が立つ。丸く開かれた吊り目が瞬きをするより先に、尻尾の方が左右に揺れた。
彼にとって憧れにも近いサウロに褒められたことに二拍遅れてからルベンはヘヘッと笑う。
「だろ⁈」
にぃぃと、そのまま大きい口を満面に広げながら、胸を張る。
彼がそれを最初にやりたいと思ったのも、元はといえばサウロとお揃いにしたかった意図が強い。身体や眼の色は変えられなくても、ドラゴンを一撃で倒してしまうような強いサウロにちょっとでも近づきたくなった。そして今は
『白い狐は幸運の象徴』
ソーが口にした、その言葉が強く胸に残っていた。
気持ち悪いと言われていた自分の姿を、幸運に変えてくれた彼女の価値観の方が今のルベンには周囲からの視線よりも大事だった。
彼女の語る幸運の狐を実際に見たことはないが、今の自分がそれに似るならそうなりたいと思う。
彼女の〝幸福〟に。
「……いーよなぁ!サウロはすっげぇ強くって!」
そう思えば、今度はサウロへ自然と目が止まった。
ちぇーっとふてくされるように声を上げると、そのままソーの座っていた席へうつ伏せに倒れ込む。ぼふっと自身の毛皮が音をたてながら彼女のいた場所を意図せず温めた。本来彼女の膝があった場所だ。
普段が彼女の膝で寛ぐことが増えた為に、だんだんと彼にとって定位置のような間隔になってきた。
突然の羨みの眼差しに、にわかに目を開けたサウロだったがすぐにまたいつもの眼差しまで目蓋が落ちる。
「……私は、お前の方が遥かに羨ましいが」
「ハァ?!なんでルベンの方なんだよ??」
バタバタと軽く泳ぐように足を交互に動かするルベンの尻尾が一度だけ大きく左右に振られ、倒れる。
ゆっくりとした口調のサウロに反し、ルベンの口調は早かった。わっかんねぇ!と言わんばかりの声を店内に響かせる。
ルベンからすれば自分より身体も大きくて強いサウロは格好良さの象徴である。自分では絶対に倒せない敵を片手で倒してしまったサウロの姿は今でも憧れとして目に焼き付いている。
羨ましい、という言葉に一瞬だけ自分のスキルのことかなと思ったが、それを言えばサウロは強化系の凄まじいスキルを持っている。ルベンからすれば、やはりそっちのスキルの方がずっと羨ましい。
ぶー、と閉じた口が歯の隙間から息を吐き出した。
その様子にサウロはただじっと彼とそしてソーが消えていった方向を見比べた。いまだに彼女からの手すら受け取るのに躊躇いそして歩み寄ってみたところで逆に赤い顔で拒まれてしまうこともある自分と違い、ルベンと彼女との距離の近さは馬車の中だけではないと思う。自分より出会ったのが早いからと言われれば仕方がないが、しかしそれでも
「……私などと違い、ソーに慕われ……頼られている。それが、私は……羨ましい」
ぽつりぽつりと、一言一言自分の中で言語化しながら口にする。
羨みの眼差しと、そして力のない微笑みにピクンとルベンの耳が立った。べったりと落としていた顎も上げ、鼻先を向ける。獣らしい目が大きく開かれれば、蒼色の目が真っ直ぐにサウロを映した。
ルベンの目から見ればサウロも自分と同じ程度には彼女に慕われ頼られている。ただ単に彼の挙動の問題だろうと考えながら、それを指摘するよりも先に首を捻って彼を見返した。
「やっぱさー、さっきのもそういう意味なのか?」
「…………そういう……?」




