そして夜を過ごす。
「ほらよ。受付で借りただけだから読み終わったらちゃんと受付に自分で返してくれ」
「受付で??」
突きつけるように差しだしてくれた本を両手で受け取りながら聞き返す。
この宿屋そんなサービスまであったんだ。早速本二冊の表紙を確認すると、どちらも当然ながら人間族の言葉で書かれていた。サイラスさん曰く、こういう旅人用の宿屋だと宿泊客が置いて行った本とかをそのままレンタル用にして貸してくれるところもあるらしい。つまりこの本も元はお客さんの忘れ物だ。
「ソーちゃん、本屋に行きたいって言ってたろ?本好きならこれ読んで部屋で大人しくしててくれ」
「あ、はい!ありがとうございます。この世界の本ってあまり読んだことないから嬉しいです」
そうだろそうだろ、と繰り返すサイラスさんがまるで私を宥めるように声を潜めた。初めて見る本二冊に今から気分が上がってくる私に生暖かい眼差しが送られる。どうみても年相応へ向ける眼差しじゃない気がするけれど、明らかにほっとしたように息を吐かれたことの方が気になった。そんなに馬を触らせたくないのかな。
「……ソーちゃんいないと、あいつら何するかわかったもんじゃないからな……」
え?
ぼそりと一人ごとのように呟かれた言葉に私は声より先に瞬きで返す。一体どういう意味だろうと思った直後、もしかしてまだルベンやサウロを凶暴な動物みたいに思っているのかと考える。もう一緒に旅をして二人の人となりもそれなりにわかってくれているかなと思ったのに。
どういうことですか、と気がついたら我ながらかなり不機嫌な声が出た。そのままムッと唇を結んでしまえば、サイラスさんが不思議そうに眉を上げる。
本を両手で抱えるようにして腕を組んで答えを待てば、サイラスさんからの返答は思ったよりもすぐだった。
「どういうことって……そのまんまだよ。考えても見ろ、目が覚めてソーちゃんが居なくなってたら確実に狐もオークも部屋でじっとしてないぞ。そのまま部屋から出て宿から出て街まで探しに行っちまったらどうするんだ」
「いえ流石にそこまでは……。二人ともちゃんと人間と同じくらい考えることはできますし、ルベンもサウロも私より冷静なくらいですし勝手に外出歩いたりしませんよ」
いやいやいやいやいや……と、直後にはサイラスさんに手を振って全否定されてしまう。
私的には正論をはっきり言い返したつもりなのに、サイラスさんはまったく引かない。口を引き攣らせたまま首まで横に振って全力否定されてしまう。こうなったらこの場で弁論勝負がという気分で肩に力を込めて睨みつければ、サイラスさんは逆に困ったように眉を垂らして頭を掻いた。ハァ~~~と長い溜息まで吐かれてしまい、どんどん私の戦闘気分が釣り上がっていく。けれど怒る私とは対照的にサイラスさんはすごく疲れた声で言い放った。
「わかってねぇなあソーちゃん……。いいかぁ?あの二人にとってどんだけソーちゃんが重要なのかいい加減自覚しろ。あいつらにとって言葉が通じるのも、信用できる味方もソーちゃんしかいないんだ。異種族じゃなくて同族だろうと目が覚めて居なかったら攫われたって思うのが普通なんだよ。ソーちゃん、ずっとサンドラちゃんに世話になってたんだろ?じゃあもしあそこでサンドラちゃんに会えなかった時の生活を想像しろ?ソーちゃんが急に目の前で居なくなるってことは、その倍の不安と恐怖をあの二匹にぶん投げることになるんだからな?」
まるでお説教のように長々と言われ、まさかの一撃目から即殺される。
じくじくと一言一言私に言い聞かせるように言う言葉のどれもがもの凄く説得力がある。正直、大学の教授の長々人生経験よりも納得できてしまった。
確かに、二人にとっては自分達以外言葉が通じない異種族の群れのど真ん中だし、言われてみれば私がいないと困ることが結構あるなと気付く。
もうここ最近リーダー気分の鼻を折られてばかりだから、正直私がいなくても大丈夫くらいに思っていた。しかもサンドラさんまで持ち出されたら敵わない。あそこで私の面倒を見てくれたサンドラさんがいなかったら、完全にホームレスだった。しかもどんな仕事をすれば良いかも、自分の立場も状況もわからないまま絶望一直線だ。
考えるだけで全身の血の気がサーっと引いていく。頭に登りそうになっていた血も完全に引いた。
何が来ても反論するつもりだったのに、むしろ私よりもサイラスさんの方がちゃんとルベンとサウロのことを分かっている気すらしてくる。言葉が通じるのに私の方が理解足りないってどうなの。
言葉も出ず絶句する私に、サイラスさんも目を真っ直ぐ合わせた。わかったな?と念押しのように確認され、無言のまま頷くしかできなくなる。
「わかったなら部屋に戻れ。せっかくここまで完遂できたんだから絶対に騒ぎは起こさないでくれ。ソーちゃんのスキルをどう使うかは任せるけど、頼むから城下を追い出されるような騒動だけはやめてくれ」
良いな?と最後に一言で切られたところで、ふわぁとサイラスさんが欠伸を溢した。
ぐぐぐっと腕を上げて背伸びをしながら、気の抜けた声で「俺もあと二日寝たら街に降りてみようかな」と呟いた。つまりはあと二日は馬の世話の他はお籠もりを続けるつもりかなと思う。
今日もまさかの一日一食な気がするし「ちゃんと食べて下さいね」とだけ言ったら、手を振って返された。また明日も受付のお姉さんにサイラスさんへルームサービスを頼んでおこう。
「じゃあなおやすみ。戸締まりをしっかりとな」
そういって再び階段の下へ降りていくサイラスさんを、お休みなさいだけして見送った。
足音が聞こえなくなってからそっと扉に手をかけて閉じる。鍵を閉めたことを確認してから、また抜き足差し足で窓際のソファーへ戻った。
月明かりと外の明かりで充分に明るいそこで本の表紙を確認する。ちょっと目に悪い明るさかもしれないけれど、充分に本は読める。
タイトルからして一冊はラブロマンス物語。もう一冊は推理物らしい。流石サイラスさん、ちゃんと二種類好みも考えて選んでくれている。両方とも表紙の絵から見ても人間族の話だから私にも馴染みやすい。
本はあまり種類は問わないけれど、今回は推理ものを読んでみようかなと思う。ラブロマンスは人間族同士の恋愛みたいだし、推理物の方が異種族が出てきそうだ。
初めて読む本と、開いた瞬間の紙の匂いにそれだけで気分が高揚する。一頁ずつ飛ばさないように注意して読み進め、窓の向こうのうっすらとしたざわめきとルベン達の寝息が丁度良く集中力を上げさせた。
一冊目から当たりだった本に、気がつけばみるみる内にのめり込んだ。
トリックの説明もわかりやすいし、人間ドラマもしっかりしている。これは一区切りいくまでは止められないと思い続けていたら、あっさりと最後まで読み終えてしまった。
後書きまでしっかりと堪能し、最後に裏表紙をパタリと閉じて深呼吸する。全身から息を吐ききれば、凄く充実した時間だったなと夢見心地になってしまう。これだから本や止められない。
「…………あ、時間……」
ふと気がついて時計を見ると、もう完全に深夜だった。
結構分厚い本だったし、もしかしてと思ったらかなり時間が過ぎていた。確実にサイラスさんが部屋に戻っている筈なのに帰ってきた音にすら気がつかなかった。
窓の外も月明かりで問題なかったから気にしなかったけど、結構な数の店がもう明かりを消して暗くなっている。まずい、これだと明日起きたら完全に私だけお寝坊だ。
慌てて寝ないとと、本を二冊ソファーに重ねてカーテンを閉じる。慌てた所為で結構な音量でカーテンが鳴ったけれど二人はまだ起きなかった。うっすらと滲む月明かりだけを頼りに私はそっと自分のベッドに……
「…………」
……戻ろうと思って、躊躇った。
視線を向ければ、未だにぐっすりと眠っている二人の影がマットに転がっている。さっきのサイラスさんの言葉がぐるぐると回って離れない。さっきまでは部屋から出ようとまで思っていたのに、今はベッドに戻ることすら躊躇われる。
まぁいいや、今日はマットで寝よう。
ベッドの毛布だけ掴んで、そうっと息を潜めながら私はまた最初と同じルベンの横に転がる。毛布の中でぐっすり眠っている二人の寝顔を眺めていると、不意にさっきまで身動き一つしなかったルベンが顔をこちらにコテリと向けてきた。起きたのかなと思って目を見たけれど、しっかりと閉じたままだ。長い鼻だけが小さく動いている。
毛布越しに手を潜らせてそっとルベンの毛並みを撫でる。
モフモフとした触り心地と毛布の中で体温と一緒に温かくなった毛皮の温度にほっとした。するりと毛の流れにそって撫でると、途中で何かに手がぶつかる。
一瞬びっくりして肩が跳ねたけど、よくよく思い出してみれば私が置かしたサウロの手だ。まだ寝たままルベンの背中に置いたままだったんだなと思う。サウロの指に触れてから、起こしてないことを確認してそっと手を降ろそうとした時。
くっ、と手を掴まれた。
「……サウロ?」
私の手を辿るように動いた大きな手が、そのままするりと私の手首を掴んだ。
やっぱり起こしちゃったかなと思って呼んだけど、掴まれたまま返事はない。代わりにゆっくりと引き寄せられたと思えば、私の腕が伸びるだけでなくそのまま身体ごと引き寄せられていく。
寝ぼけているのだろうか。まずい、間にルベンがいるのにとは思ったけれど力でサウロに勝てるわけもない。みるみるうちに距離が狭まって、ルベンを間に挟んだまま三人でぎゅっと密着する。
私の片腕だけがルベンを越えて引き寄せられるままサウロの顔にまで伸びてしまった。そのまま手を離されずに何も言ってくれないサウロにちょっとだけ身体を起こして覗けば、……ぐっすりと眠ったままだった。
私の手を鼻に当たりそうなほど近くに引き寄せて、ばっちり熟睡している。
一瞬寝ぼけて囓られないかなと思ったけど、そうするようには見えないくらい僅かに開いた口で幼い寝顔をしていた。手を抜こうにも力で叶わないし起こすのも可哀想だと思った結果、もうこのまま寝ることで諦める。
体勢的にはさっき寝ていたときとそんなに変わらないし、二人とも熟睡のままだ。
ただ、引き寄せられた手の平にサウロの息の感覚が直接伝わってそれだけが妙に緊張する。
私の方に顔を向けたまま密着してしまったルベンも、今は完全に私に顔を埋めている状態だった。息ができなくないか心配になったけど、鼻息が断続的に首に当たるからちゃんと呼吸はできていそうだと確認する。
「……大丈夫だよ。ちゃんと一緒にいるから」
掴まれたままの手首を動かし、サウロの頬を撫でる。
反対の手を少し伸ばしてみれば、簡単にルベンの顔の毛並みに届いた。私の呼びかけに寝息しか返さない二人の力の抜けた寝顔を薄目で眺めながら、私は二度目の眠りについた。
明日になったら一番に二人の目覚めに私が映ればいいなと思いながら。




