29.移住者達はともにいる。
「サウロもおいでよ。ほら、こんな感じに転がってみて」
到着したばかりの時よりも陽の光を吸収したベッドは、それだけでポカリと温かかい。
今まで洞穴の中で丸くなって寝ることが普通だったサウロにとっては柔らかい床で寝るのはむしろ慣れず、不自然にも感じられた。
しかし、さっきまで仲良く並んで転がるソーとルベンの姿を少なからず羨ましく見ていた彼が、ソーからの誘いを断れるわけがない。
今朝のように膝から付き、そのままゆっくりと僅かに沈む床で身体をゆだねて倒れれば見かけ以上に重い身体はぎゅっと沈んだ。やはり馬車のように固い床の方が落ち着くと思う。
しかし、同時に自分の身体が沈み柔らかく受け止められる感覚は肩の力を抜けば抜くほどに心地良くなった。足を伸ばしきっても壁にぶつからず、慣れない楽な体勢に少しずつ脱力を覚えさせていく。
一つ向こうではルベンの白い尻尾が揺れ、そして眼前では自分の様子を柔らかな笑顔で見つめてくれるソーがいる。雲の上に乗っているような感触と太陽の温もり、そしてこれ以上ない柔らかな光景にここが天国かと思ってしまう。
「ルベンもこっちおいでよ」
そう言ってソーが背中ごとルベンを抱き上げようとする。だが持ち上げられず「ソーの細腕だけでルベンを持ち上げられるわけねぇだろ」と本人からダメ出しされた。
それから仕方がなさそうに身体を起こしたルベンが眉を目と同じくらい吊り上げながら、ぴょんっと寝転がるソーの身体を越えてサウロとの間に着地した。
そのまま再び俯せで寝転がれば、もう起こすなよと言わんばかりに目を閉じた。
ソーが再びサウロ達の方に身体を向ければ、ルベンはさっきと打って変わり抱きかかえにくい体勢で寝ていた。
せっかく移動までしてくれたのにまたぬいぐるみ抱きする為に体勢を変えさせるのも申し訳ない為、ソーもこれ以上は諦める。
代わりに、陽の光を吸収してベッドと同じように熱を吸収するルベンの白い毛並みをそっと撫でた。柔らかい撫で心地に、それだけで良い夢が見れると思う。
ルベンの白い毛並みに手を埋め、目だけを上げれば横向きに寝転がるサウロと目が合った。転がった直後よりも落ち着いた眼差しに笑みで返し、もう少しで彼もリラックスできそうだなと思う。
「ルベンの毛並み、すごく気持ち良くて落ち着くよ」
ルベンの背中の上で指先だけを上下に動かし、手招きをする。
触ってみなよという誘いだと理解したサウロもゆっくりとその手をルベンの上へと伸ばした。今までも身体を洗ったりと触り慣れてきた筈のルベンの毛並みだが、今の微睡みそうな心地で触れると温かさも相まって余計に上等な毛並みに感じられた。馬車で寝る度にソーが手放せないのも頷けると頭の隅で思う。
ソーだけでなく、自分が手を乗せても重いの苦情一つ言わずに目を閉じ続けるルベンに、もう寝たのかそれともと思ったところで彼が今日、人の視線を気にした自分の為に肩へ乗ってくれたことを思い出す。
手をただ乗せただけの状態から、そっとソーがいつも彼にやっているように毛並みにそって撫でてみればルベンの尻尾が一度だけ横にくるりと揺れた。柔らかく、温かく、そして微かに手のひら越しに感じる心音が心地良い。
すると、手のひらでしか感じなかった温もりが不意に手の甲からも小さく感じられたことにサウロは目を見開いた。目を落とし、自分の手がある場所を見ればソーの小さな手が自分の手にそっと重ねられていた。
川でルベンの身体を洗った時は長い爪や初めてのことにおっかなびっくりだったサウロが、無事に落ち着いて触れているか寛げているかと心配して手を重ねたソーはそのまま指の間を開いては狭めるようにしてそっと大きな手を撫でた。
「落ち着いた?」
震えもない、強ばりも感じられない様子のサウロの手にそっと尋ねてみる。やはりルベンの毛皮の癒やし効果はすごいなと思いながら、見開いた目を再び緩めていくサウロと目を合わす。突然触れたことで驚かせてしまったが、次第に落ち着いた表情に変わっていった。
毛並みの温度と違う、白い肌に反した人肌の熱量にこれはこれで心地良いとサウロは思う。
ほのかに笑んでくれている彼女の姿に目が離せない。そして
「嗚呼……」
この上なく、幸福だとまた思う。
「……ソー」
「あっ私の手邪魔?」
いや、と。呟きのような息で答える。彼女の名を呼んだその口で。
自分の手が寝るのに邪魔だったかと手を引っ込めようとしたソーだが、否定されまた戻す。どうかしたのかと眉を上げ、優しく大きな手を包んだ。柔らかなルビーの瞳を覗けば、僅かに揺れているようにも見えた。安心するように笑ってみせながらサウロを待つ。
じっと一分近くは互いに見つめ合い続けた。何も言わず、サウロの言いやすいタイミングを待つソーと、そして自分なりの言葉を選ぶサウロは一瞬も目を離さない。長い沈黙を最初にサウロの呼吸音が破った。
短い息遣いで吸い上げ、そして放つ。
「私と番になって、最後まで傍にいさせてくれないか?」
「?オークの集落は?住処は探さないの⁇それとも私もオークの集落にとか⁇」
「探さない。……このままが良い。駄目か?」
きょとんと小首を傾げ尋ねるソーと真剣な表情のサウロを前にルベンは耳を立て、大きく目を見開く。奇しくもこの場で状況を正しく理解するのはルベンだけだった。尖った耳を立て、しかし敢えて口も目も開かない。
訴えかける眼差しのサウロに、ソーは少しだけ思考に及ぶ。
番の意味は知っている。夫婦のようなものだろうと、本でも読んだ。しかしサウロの場合は男女のパートナーという意味くらいにしか思っていないのだろうと考える。こんな寝っ転がりながらプロポーズされるわけもないと思う。
「ん〜〜っ……」
もともとサウロの住処が見つからなければと覚悟は決めていた。
まさか自分もオークの集落に来いという意味だったら少し悩んだが、あくまでこのままならばそこまで悩むことでもない。
長い旅の間にルベンとも仲良くなったしなぁと思えばサウロが離れたくない理由も納得できた。
うん!と自己完結し頷くソーは、包む手へ無意識にも力を込める。
「番にならなくても良いよ!ずっと一緒にいよっ」
「ならない……のに、良いのか」
「うん!私もサウロと一緒の方が心強いし楽しいし!」
「……そうか」
あっさりと断りと快諾を重ねるソーと、落ち着いた声で返すサウロにルベンは一人心の中で頭を抱えた。
「もし番になるなら手続きとか儀式とか必要でしょ?そんなことしなくてもちゃんと一緒だよ」
「手続き……?……オークの集落にいた時は、口付けぐらいだったと思うが……」
「えっ、結婚式とかしないの?」
やっぱり番は夫婦とは違うなと思いながら、ソーは一度上げた顔をまたボフンとマットに沈める。
いまいちわからないと首を傾げながら、やっぱり異世界には独自の文化があると思う。
自分にとっても番の意味があまり伝わっていないとサウロはその様子からなんとなく受け取りつつ、しかしもう充分と思う。
「番は、共に生きる。……どちらかが死ぬまで、男は女を守り、女は住処を守る。……そうして、永遠に共に生きる為の約束だ……」
「私もサウロ守りたいし、サウロが家守ってくれても嬉しいよ。それにルベンもいるし」
「…………そう、だな」
ただ微笑み、そこで口を閉じた。
自然と呼吸が深くなったと思えば、瞼が沈んでいく。まだ語らいも、目の前の光景も毛並みの柔らかさも彼女の手の温度も味わい続けていたいサウロだが、自分の心音がゆっくり遅くなっていく感覚に飲まれていった。
視界が狭まり、ぼやけ、気がつけば閉じてしまう。五感全てを温かさに包まれ、力の抜けた表情を露わにする。
馬車の中や野宿で彼女達と共に居るときも、目が覚めたらまた子どもの頃のように置いていかれているのではないかと眠りが浅くなってしまう彼が、今だけは深く眠りに落ちる。
すー……と寝息まで零す彼は、もう置いて行かれないと安心しきった身体で柔らかさに沈んでいく。
自分より早く眠ってしまった彼に、ソーはやはり疲れていたんだなと笑み、自分も追うように目を閉じた。
ルベンの毛皮にもう数センチだけ身を寄せ、顔を埋め、サウロに重ねた手のまま微睡みに身を任せた。




