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バベルの翻訳家〜就活生は異世界で出会ったモフモフと仕事探しの旅を満喫中!〜  作者: 天壱
Ⅳ.着地

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そしてオークはとける。


「うん!格好良い格好良い!!サウロ髪結ぶのも似合うね!!」


自画自賛のように満足げに笑いながら、鏡越しにサウロと目を合わす。

ソーの言葉に丸くなったルビーの瞳をサウロはきらりと一度だけ大きく光らせた。鏡の中で自慢げに笑ってくれるソーと、彼女に髪を結って貰った自分がまるで一枚絵のように移り、記憶の中にその光景をひっかりと焼き付ける。


「??あんま気に入らなかった?」

「いや、……良い」

目を皿にしたまま何も言わないサウロに心配するが、彼は全く気に入らないわけではない。

自分の髪型程度には全く興味も湧いたことのない彼だが、寧ろ今の髪型は気に入ったといっても良いほどだった。自分で切り捨てた時と違い、彼女がその手で作り上げてくれたものなのだから。

返事をした後、やっとサウロの表情が緩んでいく。ふ、と僅かに笑んだ口元をサウロは今度こそ手で掬った水で濯いだ。

顔をまた流し台へと俯け、彼女に教えられた通りに石鹸も使い洗いながらぼんやりと頭には、まだ遠くない記憶が浮かび上がる。


『サウロもソーに洗って欲しかったんだろ?』


川で水浴びをした時、ルベンがそう代弁してくれた。

あの時は代わりに言って貰えて助かったと、サウロは思う。人との会話を長くしてこなかった所為でどうにも上手く話せない。オークの集落に居た頃でさえ、自分の気持ちを話すのは苦手だった。


その上、あの時はどうにもソーにその気持ちを言葉にするのがむず痒く、口が思ったように動かせなかった。

川のせせらぎや風の音、ルベンの眼差しやソーの息遣いや腕の感触こそ今でも鮮明に思い出せるほど妙に鋭く感じたにも関わらず、一番敏感に動いて欲しい口も舌も脳も働かなかった。

今まで、他者に自分の醜い姿を見せる時とはまた違う種類の〝恥〟を確かに感じた。

不快感も恐怖もない、ただただ熱が内側から込み上げるような感覚がサウロの希薄な人生経験では形容しきれないものだった。

言ってしまうことが図々しいと感じただけではない。

自分より身体も小さく女性で、歳も数だけで言えば十の桁以上に違う彼女に髪を洗う程度ができないのだと思われたくなかったわけでもない。

ただそれでも、ソーと共に水浴びをする中で最も気恥ずかしさをサウロが感じたのがあの瞬間だった。


醜いと思っていた顔や身体に触れて貰えた。

一夜明けた後も変わらず自然体で話しかけて笑い掛けてくれた彼女がただただ眩しく、何度瞬きを繰り返しても白昼夢のように思えた。そんな彼女が自らの手でルベンの背中を洗っている姿はサウロの目にはこの上なく親しげに見え、だからこそ自分もそれをして貰えた時はこの上なく幸福だった。

あの時の幸福感は胸が浮き立ち、手足だけでなく全身が軽くなるような感覚は今でも忘れられない。テーブルを埋め尽くすご馳走でも到底叶わない幸福だった。


こうしてる今も、ソーだけでなく獣人族であるルベンまで自分へ親しげに話しかけてくれる。

ソーのように自分と姿形が似てもいない、むしろ正反対の少年が頼んでもいないのに毎日のように自分を褒めて話しかけてくれるのが今でもあまり理解できない。ただ、話せば話すほど彼のことを知れば知るほど本当に自分を慕ってくれているルベンに、二人だけで居るときも居心地の良さを感じることが増えてきた。


格好良いと、ルベンもソーも当然のように自分に言ってくれる言葉に戸惑うことは多い。

醜いと思っていた姿を今まで向けられたことのなかった目で見つめられるのにはまだ慣れない。しかし、それが褒め言葉であると思えば純粋に嬉しい。


今日、人間族の街を初めて闊歩してみれば、思っていた通りに大勢の目に止まった。

自分に対して警戒や驚嘆の眼差しが多い中、特に女性からは好意的な眼差しを受けたことはサウロも五割程度は自覚した。

好奇の目にも思えたが、それでもあのきらきらと輝いた眼差しは今ではかなり見慣れたルベンやソーが自分に向けてくれる時と同じ眼差しだったのだから。

やはり自分と姿や形が似ている人間族であればある程度は受け入れられるのかもしれないとも考えた。オークの集落よりは人間族の集落の方が言葉が通じなくても生きやすいかもしれないとも。だが、それでも。



『一緒に逃げよう』



やはり、あの時にオークである自分から逃げるのではなく、自分〝と〟一緒に逃げることを選択してくれた女性と一緒に居たいとすぐに思い直した。

洞穴の中へ逃げた自分をわざわざ追いかけ、人間族に受け入れられやすい姿を確認する前から旅に誘い、ドラゴンへ斧を振るう暴力的な姿を見ても怯えず、また手を取ってくれた彼女が良い。

そして今では当然のように食事を囲い、笑い掛け、他愛のない会話を重ねる、こんな日々を自分に与えてくれた彼女をずっと守りたいと思う。


「……うん!綺麗に洗えたね。じゃあこれで拭いて。折角だしサウロも少し休みなよ」

口を洗い終えた自分にタオルを差し出してくれる小さな手に視線を落とす。

受け取りながら、細い手の方にどうしても視線がいってしまう。自分よりも遥かに虚弱で小さく壊れやすいその手が、何の怯えもなく自分に触れてくれる度に〝受け入れられている〟と何度も実感できる。

髪でも頭でも背中でも手でも、ただ触れてくれるだけで簡単に不安も怯えも消え去ってしまう。ただただ満ちる幸福感に、無数の人の目すらも気にならなくなる。あれほど誰かに受け入れて欲しくて、異種族でも同種族でも他者の目が気になって仕方が無かった自分が、それが好意でも奇異でも敵意でも怯えでもどうでも良いと思えてしまう。

ただ自分に触れてくれるその手の主に受け入れられていれば、もう何も要らないと思えるほどに幸福だった。

食事で彼女の手から直接食べた時も、似たような幸福感はあった。同じ食べ物でも自分の手と彼女やルベンの手では全く違う。

味とも異なる、舌の先から喉までを柔らかく痺れさせるような感覚は極上の〝美味〟だった。


「お前は……休まないのか?」

「休む休む。でも手を洗う前にざっとテーブルの上纏めたいから。すぐ終わるから良いよ。サウロも久々に足伸ばして休みたいでしょ?」

そう言って、サウロから濡れたタオルを受け取ったソーはそそくさと次の行動に移ってしまう。潔癖症ではなく寧ろズボラな方の彼女だが、部屋中に匂いの塊を放置したままではどうにも休まらない。

テーブルの上の一番大きな紙袋に次々と塵を纏めて詰め込んだ彼女は纏めたそれを口だけ丸め、ゴミ箱に放り込んだ。

これで少しはマシになるだろうと、それからやっと自分も手を洗い始める。その間、座るどころか棒立ちで自分の様子を眺め続けていたサウロにソーはもう一度声を掛ける。


「休んで休んで。私ももう休んじゃうよ?あ、もしかして結ったの取って欲しい?普通に千切っちゃってもいいけど」

「いや。……このままが良い」

もしかして結った髪の解き方がわからないのか、髪を洗った時と同じように自分ではできないから外して欲しいのかと思ったソーの言葉にサウロはすぐに首を振った。

結われた髪を守るように片手で押さえ、僅かにソーから身を引いてしまう。無理矢理するような人間でないことはわかっているが、それでも反射的に守りに入った。

折角彼女が髪を結ってくれたのに外すなんてあり得ない。その上、格好良いと褒めて貰えたのはなら自分はずっとこの髪型が良いと思う。こちらの方が髪も邪魔にはならず、今まで以上に気にならない。


サウロの言葉に気に入ってくれたらしいとほっとするソーは手早く洗い終えた手と口を、サウロから回収したタオルで最後に拭き取った。

一仕事終えた感覚と満腹感に両手を上げて大きく伸びをすると、パタパタと今度はサウロを横切ってルベンのソファーへと駆け込む。


「ルベン、起こしたらごめんね」

寝ているかもしれない彼に軽く声を掛けながら、ソファーに膝で乗り上げた彼女は窓を全開に開ききった。

籠もりきった匂いごと空気が入れ替わっていく感覚に深呼吸しながら、また背を伸ばす。「んーーっっ!」と思い切り伸ばしきった後にはそのまま倒れるように転がり、備え付けのクッションのようになっているルベンを背後から抱き締めた。モフッと心地よい感触を引き寄せ、顔を埋めればもう動きたくなくなる。


「……お前、これルベンが普通に寝てても絶対起こすやつだからな」

いっそ一声掛けたソファーの乗り上げよりもこちらの方が、と。呆れたように鼻で溜息を吐いてみせるルベンは寝たふりも諦めた。

膨れた腹が圧迫されて少し苦しかったが、そこは我慢してしまう。しかしその後に自分の毛皮を無遠慮に摩ってくるソーが「ルベンお腹出たね」と言ったときは流石に軽く後ろ足で蹴った。


「っていうかソーも来たら狭いだろ!ソーはソーのベッドで寝ろよ」

「それ言ったらルベンもベッドで寝ようよ。どっちのベッドにする?」

人間用のベッドと、床に敷かれた巨大マットの敷き布団。どちらでもルベンの体格なら寝るのは余裕だった。ルベンとしてはソーにぬいぐるみ扱いされるなら寝心地が変わらない為どっちでも良い。だが、ソーを寝かせるなら人間用のベッドにしようかと身体を捻らせた。すると、……振り返った先でじっとこちらを見つめ続けるサウロの姿が目に入った。

体格の大きなサウロでは人間用のベッドでは横になるのは先ず不可能だった。


「…………床で寝よーぜ。広いし、ソーもそっちで寝るだろ?」

「あ、じゃあ川の字……って言ってもわかんないか。取り敢えず折角だし三人でお昼寝しよっか」

ひなたぼっこ感覚でそれも楽しいかもしれないと、ルベンの言葉にソーも身体を起こす。

一度腕の中からルベンを解放し、すぐそこの床マットへ着地して転がればやはりソファー以上に寝心地の良い広々とした感覚に深く息が零れた。思わず二人がいることも忘れて大の字に広がってから、目を動かし二人を探す。


もっと詰めろよと、足先で自分を蹴ってくるルベンに従い横に広げた手足を戻せば、今度は反対方向に未だ自分の方へ佇んだまま見下ろしてくるサウロと目が合った。

また休む気がないのか、それとも床のマットにまだ抵抗感があるのかと思いながらソーはトントンと自分の隣を軽く叩いてみせた。


「サウロもおいでよ。ほら、こんな感じに転がってみて」


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