ほつれ、
『ルベンも、こっちの方が好き?』
ふと、先ほどの食事でソーに投げかけられた言葉が頭に過ぎる。
食べさせて貰うのが好きだと語るサウロの言葉に、ソーが自分も同じかと投げかけた時だ。
どっちも一緒だと、それは本心から思う。ソー達に食べさせて貰っても自分で食べても料理の味は変わらない。ただ、毒耐性を持たない自分にとって彼女達が食べさせてくれる料理だけは間違いなく安心できると思う。
サンドラの街に居た頃はなかったが、狐族で気味悪がられた頃は悪意なくそういう〝悪戯〟を同族に受けたことも一度あった。
異種族間であれば危害を加えてはならないという掟があるからまだ良いが、同種族内ではそれも適応されない。そして自分に食事を与えてくれた同種族の狐も、全くの悪気がなかった。あくまで周りが気味悪がっている白い狐を倒そうとしただけなのだから。
結果としては、毒を盛った側の狐の方が狐族の長や大人達に叱られ、自分も治療を受けて助かった。だがそれから正直人から貰った食べ物への苦手意識は自分の中で強い。貰えるものは何度も貰い、飢えて死ぬくらいならと貰った物を食べはする。だが、また毒を盛られてそうという考えは必ず頭に過ぎった。
しかしソーから貰った物だけは不思議と全く抵抗感がないとルベンは思う。
初めて馬車の中で分けて貰った不思議なお菓子の時から、一度も。彼女が自分に毒を盛るという想像が全くつかない。
そしてそれは一緒に食べても、直接食べさせられても全く変わらない。毒を盛られていたとすれば、誰が取るかわからないテーブルの料理よりも直接自分に向けて差し出された料理の方が危険性は高いが、それでも全くソーからは抵抗がない。
……けど、サウロがいてくれりゃあ毒味して貰えるな……。ルベンは匂いでいくらか分かるけど、ソーとか気付かずすぐ食っちまいそうだし。
どちらかといえば、ソーは毒を盛るより盛られる側だとルベンは思う。
ただでさえ異種族の自分達と仲良くしている彼女は異端だ。しかも翻訳というとんでもないスキルを持っている彼女は狙われることもいつかはあると思う。簡単に騙されて簡単に利用されて簡単に殺されそうな彼女は、この先も目が離せない。だからこそこの先も自分とサウロがしっかりと彼女を守らなければいけない。
彼女の手で食べさせて貰える料理よりも、彼女達と囲える料理が一番美味しい彼に取ってはそれは必須条件とも言える。
『〝美味い〟って、言えるのも聞けるのも楽しいよな』
「…………~っ」
ちょっと言い過ぎたよな、と。
口を固く閉じたままルベンは食い縛る歯にだけ力を込める。自分の長い鼻を自分で掴み押さえる。ついちょっと前の発言を今更になって後悔した。
自分の失言については大して反省しないルベンだが、あれは口が滑ったと心から思う。
豪華な部屋で、大量の料理をソーとサウロと囲んで、美味しいものばかりに舌鼓を打って一息ついた時にサウロがあんなことを言うものだからつい釣られてしまった。ソーと二人で居た時には絶対自分が言わなかっただろう台詞に、今更になって身体中がむず痒くなる。
美味いと、言えるのが嬉しい。言われるのも楽しい。
同種族相手にも一度も言い合ったことのない食事での会話が、ただただ嬉しかった。
ソー相手ならまだしも、自分より遥かに格上なサウロ相手にだとつい素直に言えてしまう。ソーもサウロも深く追求してこなかったら良いが、後からこうして考えれば恥ずかしいことを言ってしまったと顔に日光とは関係なく顔に熱が灯る。パフ、パフッとなにか擦れる音がするなと思えば、勝手に自分の尻尾が左右に揺れていた。自分の事ながら浮かれていると、溜息を吐いて呆れてしまう。
特にサウロが仲間になってからは自分もつい引き摺られることが増えたと思う。
川での水浴びをした時も何度も口が滑った。ソーに懐いたのは明らかなのに甘えるのが下手過ぎるサウロと、鈍感なソーを見ていると自分もサウロのように〝ついで〟で甘えたくなってしまう。
一緒の水を浴びてくれるのも、身体や頭を洗ってくれるのも嬉しくて、サウロがまたやって欲しいと言えば自分もそうして欲しくなる。
自分もサウロと同じように誰かとの関わりが希薄に生きてきたのだから。
……サウロは好きだけどルベンまでサウロに似たくねーぞ。
今度は口の中でも呟いたルベンは、声には出さず代わりに横へ寝返りを打って丸くなる。
サウロについつい釣られて自分までソーにべったりと甘えるようになる姿を想像すると、今から恥ずかしい。しかも確実に自分を子ども扱い中のソーなら、自分が甘えても大喜びしそうだと目に浮かぶ。途端にゾワリと温かかった身体に寒気が走った。
絶対男のプライドとしてそこは守り抜くと今決める。
「……ルベンはソーのペットじゃねぇからな」
小さな声で断るように呟いたルベンはそのまま「ぶぅ」と少しだけ頬を膨らませた。
既に結構ソーにほだされていることを自覚しながら眉間に力をいれる。流し台の方から「ルベン寝ちゃった??」と人の気も知らずに投げかけてくる彼女の声に、ペタリと垂れた白い尻尾がわずかに上がった。
「?ま、いっか」
そんなルベンに、ソーは起きてるのか寝ているのか判断でききれないまま首を捻る。
どちらにせよ、食後に寝るの自体は構わない。ただあれだけ食べて転がったルベンが食べ過ぎで気分が悪くなったのか、もしくはもう熟睡してしまうほど疲れていたのかなとだけ思う。少なくとも疲れであればそのまま寝かせてあげたい。
「!そうそう。サウロ上手上手」
改めてサウロの方へと覗けば、指示通りに石鹸で手を洗っている彼にまた声を掛ける。
今日までの旅でもルベンと同様に何度か手洗いの習慣をサウロに教え込んだソーだが、やはり蛇口で洗うのはまた違うんだなと考える。今やっと泡で手を洗うという生活を身に着けた彼に、ソーはルベンの時と同じように口の周りも洗うようにと声を掛けた。
ルベンのように毛に覆われてこそいない分、そこまで苦戦しないだろうと口回りを濯ぐサウロを見守り、そこで気付く。
「?サウロ、もしかしてちょっと髪邪魔??」
パサリ、と。
顔を俯けると、中途半端に短く切った髪束が自身の頬や口の近くにぶつかっている。出逢った時と比べればかなり短く切り去ったサウロだが、刈り上げたわけでもない中途半端な長さが、垂らすと口の近くにまで届いてしまう。それを慣れない手つきで口の周りを濯ごうとすれば、彼の大きな手が髪にぶつかった。
できない、というほどではない。だが髪を避けようと泡のついた手首から下で髪を掻き上げ、首を振る動作をするサウロは傍目から見て明らかに髪に遊ばれていた。
このままだと今度は丸刈りにしそうだなと思いながら、ソーは三歩下がる。ちょっと待ってね、と声を掛け、リュックのポケットから私物を取り出し早足で戻った。
「ちょっと髪纏めるね。痛かったら言って」
サウロの頬や顎に垂れる髪を背後から掬い取るようにして掴み、後ろで纏める。
異世界に転移する直前こそショートヘアの自分には不要だったヘアゴムだが、切るまではロングヘアだったソーには必需品だった。
就活用の鞄の底に入れたままだったそれがまさかここで役立つとはと思いながら、手を動かす。サウロが己で切った髪は中途半端に短い。後ろで纏めれば、ぎりぎり結べるくらいの長さだったがそれでも何とか結えた。尻尾毛のような短い髪束になったが、結ってから鏡越しに彼の顔を見ればすっきりと顎のラインまで輪郭が見られた。背後には届かなかった前髪の束だけが数本残ったが、これくらいなら口や顔を洗うのにも支障はないだろうと思う。
ソーに髪を触れられてから丸めた背中のまま身動ぎ一つしなかったサウロは、その光景を鏡越しに食い入るように見つめ続けた。
まさかこんな所でまた自分の髪に触れて貰えるなど思いもしなかった彼は口を洗うどころではなかった。




