28.狐は丸くなり、
「……二人とも、ほんっとによく食べたね~……」
うひゃぁ~と、笑いながらソーはテーブルの惨状を眺める。
遅めの朝食を始めて早一時間。テーブルに並べ埋め尽くしていた料理は、今は彼女が確保した分を残して全て平らげられていた。
それでも、料理が入っていた紙袋や紙箱などが残っていただけまだ残骸がある方だった。オークであるサウロは本来であれば串だけでなくテーブルの上のものならば全て食べ尽くすこともできるのだから。そして今それをしないのは満腹だからというよりも、ソーに「食べたいわけじゃなかったら食べる必要ないからね?!」と止めに入られたからというだけだ。大して味のしない物よりも、ソーやルベンと味を共有できる料理の方が優先的に味わいたかった。
全て食べ終わり、ソーの予想を遥かに上回る量を食べ尽くした彼らは満足げに椅子の背もたれに身体を預けていた。
ぽっこりと妊婦のように腹を膨らませ幸せそうに溜息を吐いているルベンと違い、サウロの方はまだ満腹というほどではない。だが、こんなに大量に食べたのは本人も久々だった。
山で暮らしていた時は飢えさえ凌げれば良かった彼は、滅多にそれ以上を食べることはなかった。そしてルベンに至っては、満腹になるまで美味しいものを食べるのは人生で始めての経験だ。
「う~まかったぁぁ……ルベンもうこれ以上食えねぇ……」
「だから言ったじゃん。今日一日分だって。別に今全部食べなくても良かったのに」
「仕方ねぇだろ~……こんな美味いもん次食えるのいつかわかんねぇし……」
「だから明日も明後日も食べれるってば!!」
もう!と呆れたように腰へ手を当ててソーが立ち上がる。「今日はこれでご飯おしまいだからね!」と強めに言ってみたが、最初からルベンは今日一日これ以上入る気もしない。「お~」と軽く返しながら、椅子の背もたれからずれ落ちていくルベンはもうそのまま眠りに入りそうなほど目を細めていた。
その様子に「まだ寝ちゃだめ!」とソーはルベンの尻尾を軽く引っ張る。
「口の周りも手もベトベトだから洗ってきて!そしたら寝転んでいいから」
きゅっきゅっ、と尻尾を洗面所の方へと引っ張られ、ルベンは小さくグルルッと唸ってから横に転がるようにして椅子を降りた。
こっちねと、ソーも自分が座っていた椅子を抱えながら「サウロもおいで!」で呼びかけた。食事中、殆ど素手で食事をしていた二人の両手はベタベタに汚れていた。しかも食事のマナーも知らず料理に大口で齧り付いた結果、口の周りも汚れきっている。ルベンに至っては口の周りの白い毛がべったりと色が変わって見えるほどに汚れていた。このままソファーやベッドに寝転べば二次被害は間違いない。
ほらほらこっちとソーが促し、流し台に手が届かないルベンの為に椅子を置く。その上にひと跳ねで乗っかるルベンはが蛇口を捻った。
ザブザブと勢いよく出る水で手を擦れば、その横の固形石鹸を使い手を泡立てる。ソーに出逢うまでは固形石鹸の存在意義もあまりわからなかったルベンだが、彼女と旅をしてから自然と身に着けさせられた。馬車の中や野宿でも基本的には許されるが、手が汚れると頻繁に旅途中の貴重な水や川で手洗いを促された。
固形石鹸もソーに差し出され、初めて仕方なく使うようになった。手が汚れてもどうでも良いルベンだが、馬車の中では彼女とくっついて眠ることが多い為どうしてもソーが小うるさくなっていた。
なら自分を抱き締めて寝なきゃ良いのに、サウロと一緒に荷台で寝ても良いのにと、頭では思う。だが、それを口で提案できたことは未だない。
「あと口も洗ってね。鏡見てみなよ、すごいべっちゃべちゃだから」
泡ぶくになった手を濯ごうとした途端、その前にソーから追撃される。
そこでやっと顔を上げた眼前に鏡があったことにルベンも気付く。ムーッと口を閉じて正面から見ると、言われた通りに自分の口の周りが食べかすと油やソースで色が変わっていた。
釣り上がった眉を寄せたルベンは何も言わずに鼻先を突っ込むようにして蛇口で口を濡らす。そのまま洗ったままの泡だらけの手で口の周りを擦り泡立て、最後に水を叩きつけるように浴びた。
自分の毛の重さでじんわりと前のめりになった顔が滴るのも気にせず、ソーへと向ける。
これで良いんだろ、と言ってやろうとしたがそれよりも先にタオルを持ったソーの手に鼻先から顔が掴まってしまった。
わしゃわしゃと交互に動かすようにして顔を拭かれ、文句も言う口も塞がれる。垂れたタオルの先をルベンも手探りで掴み、拭く最中も頭の中ではまた自分が子ども扱いされているなと理解する。
出逢ってから一向に自分への子ども扱いが変わらないソーにいくらか不満はあるが、にこにこと笑い掛けられてしまうと最終的には許してしまう。
「綺麗になったね~。ちょっと湿り気はとれないからあとは自然乾燥でよろしく」
「お前またルベンのこと子ども扱いしたろ」
「だって本当に綺麗になったし。油汚れは特に落ちにくいから気をつけてね」
更にはソー本人も、自分からの文句を今は聞き流してしまう。
そのままサウロに場所を空けてと言われれば、フンッ!と鼻を鳴らしてから椅子を飛び退いた。ついでに片手でソーが持ってきた椅子を元の場所へと掴み運べば「ありがとう!」と機嫌の良さそうな声が背中に掛けられる。
元はといえば自分の為に持ってきてくれた物なのに、それを片付けただけで何故自分が感謝されるのかルベンにはいまいち納得がいかない。
「じゃあサウロ、まず手を濡らして……」
「これは勝手に水が出るのか……?」
水道が始めてのサウロと、水道から一つ一つ丁寧に説明をしていくソーの会話を尖った耳で聞きながら椅子を置く。
そのまま口と両手の湿った感を少し不快に思いながら窓際に寄せられたソファーに飛び込んだ。床にベッドが敷かれている為、ソファーも他の家具と同様に部屋の隅へと配置を変えられていた。
ボフッと顎を乗せて俯せに転がれば、窓際からまだ明るい太陽の光が降り注いだ。ポカポカと全身が毛布でも掛けられたように温められ、このまま寝れそうだとルベンは思う。
……こんな美味いもん食ってのんびりしてても、金には困らねぇでソーとサウロといれるんだよなぁ……。
ポカポカと背中から温められるにつれて、微睡むように幸せな思考がルベンを包む。
つい一年前には、毎日町中を歩き回って少ない駄賃で生活をしていたのが嘘のようだと思う。
ソーと旅を始めてからは食事に困ることもなかったが、満腹というのが存在するのもルベンは今初めて知った。ちょっと苦しいくらいだとは思うが、それ以上に心地良い。
しかも食べながら当然のようにソーやサウロと話すのも、美味しさを共感し合うのも言いようがなく楽しかった。話に夢中で自分の食べる手が止まったのも、一度や二度ではない。
目の前に食べ物があれば、取られる前に完食するのが当然だった彼にとって、本当ならばあり得ないことだった。




