潜る。
「髪切ったのいつぶり?」
「……わからない。切った記憶すらない」
まさか人生初の断髪だったんじゃないのと、ちょっと怖くなる。
願掛けとか何か強い想い入れがあったんじゃないかとたまらずサウロへ歩み寄る。岸に上がらず、彼の目の前で立ち止まって正面から顔を見上げた。長さこそバラバラとしてるけど、やっぱり元の顔が整っているからこのままでもアリと思うくらいにはオシャレに見える。多分、本当に丸坊主にしてもこの人は似合うんだろう。
シュッとした顎のラインがはっきりわかって、首筋もはっきり見えるから男前度が上がった気もする。
「そんな伸ばしていた髪をいきなり切っちゃって良かったの……?」
改めてサウロの美男子っぷりを確かめながら恐る恐る尋ねてみる。
摩った手のまま動きを止めるサウロは少しだけ眉を寄せた。
「…………必要だから切った。お前は短い方が良いのではなかったのか……?」
待ってやっぱり責任百パーセント私なの。
わかってたけど、さらっと言われると思わず怯んで肩が上がってしまう。
ただ「思い入れは?」と尋ねてみたら「無い」の一言だったから、本当に今までただ放置してただけみたいだ。取り敢えず私の就活と同じくらいの感覚でバッサリ切ったのだと思い込むことにする。これ以上深読みすると、私の方が落ち込む。
どちらにせよ、シャンプー大量消費を避ける為の犠牲は無駄にできない。ここは私が責任もって全力でばっちり洗ってあげようと心に決める。
「……わかった。任せて」
気分はリレーのバトンを受け取ったアンカーだ。
我ながら神妙な顔になっちゃっていないかなと思いながらサウロの赤い瞳と目を合わせる。彼の行動に報いてみせると、サウロの背中に軽くタッチした後に岸へと上った。
バッグの中から結構奮発して買ったシャンプーを選び、サウロの元へ戻る。この場でやっても良かったけど、サウロの頭先まで濡らせるようにまたルベンのいる水深のあるところまで戻った。
サウロに手を引かれ、泳がずに楽々と運ばれた私はとうとう本気を出す。取り敢えずまたサウロにはルベンの背面洗いを任せるとして、背中を洗ってあげた時と同じように私もサウロの背後に回る。
「サウロ、一回川に頭まで潜れる?ちゃんと濡らさないと」
今のこの深さならサウロでもしゃがみ込めばギリギリ水に浸れる筈だ。
そう思ってお願いすると、すぐにサウロはザブンと頭の先まで川の中に潜ってくれた。短髪でもドレッドみたいになってるし、流石にビシャビシャには染み込まないだろうけどシャンプーの出番だ。……と、思えば。
「………………。…………。……あれ?……おーい。……サウロ??」
てっきりすぐに水飛沫を上げて上がってくると思ったサウロが上がってこない。
水が透き通っているから姿は見えるけど、水面の下から一行に上がってこない。
泡がへたり込んでしまったルベンと、岩の上から長い鼻先がついてしまいそうなほどに覗き込む。……あれ、溺れてない⁇⁇
「サウロ?!ちょっ、……生きてる?!サウロ?!サウロ!!」
まさか泳げないとかそういう?!
水の冷たさが急に氷に感じるほど血の気が引きながら、ボトルをルベンに預ける。慌ててサウロの肩を上から掴んだ。
どうしようこんな身体の大きい人私とルベンで引き上げられる⁈
肩を掴んだ指に力を込めて上へと持ち上げる。それこそ岩のようにビクともしないサウロに本格的に肝が冷える。取り敢えず普通に立てば溺れる深さじゃないんだからと彼の首に腕を回す。そのまま頭だけでも私の身長くらいまで上がれと力を込めれば、……急激にサウロが浮上した。
「?……もう終わったのか」
ザッパァァアッ、と今度こそ水飛沫を上げて立ち上がったサウロに、乗り上げた体勢になる。まるでおんぶされるような状態で持ち上げられた。
首に回した腕のままの私を乗せたサウロは、背中を丸くしたまま立ち上がった。水の音と同時に、濡れたことでボリュームのなくした髪の下からルビーのような目が私へと振り返った。てっきり溺れたんじゃないかと思ったのに、あまりにも平然としていたサウロにぽっかり口が開いたままになる。
言葉の出ない私に代わり、ルベンが岩の上から足を組んでサウロを見上げ口を開く。
「ソーがサウロが溺れたと思って心配したんだよ」
「心配…………?」
何それ、と言わんばかりに難しく眉を寄せるサウロに何だか落ち込む。だって私はオークの水耐性とか知らないし。
心配されたこと自体が不満かのように表情を曇らせるサウロの背中で、私はむぎゅっと首に回す腕に力を少し込める。「そうよ!」と気付けば喧嘩腰に言葉を返してしまう。私だって早とちりしたのが恥ずかしいんだからそんな怪訝な顔しないで!!
「サウロいつまで経っても上がってこないし!沈んだままだし‼︎オークが泳げるかどうか知らないし‼︎‼︎」
「⁇す、すまない……?」
逆ギレする私にサウロが僅かに顔を反らす。
サウロにおんぶされている私はぴったり彼にくっついたままで、まるで子どもに戻った気分でそのまま睨む。
サウロは目をぱちくりさせて、私が怒っている理由もしっくりきてないようだった。
怒り気味の声のままどうしてすぐに上がってこなかったのか尋ねてみると、サウロは親に怒られた子どもみたいにぼそぼそとした声で答える。
「てっきり……水中でそのまま洗うのかと。終わるまで待とうと思ったのだが」
「何分水中にいるつもりだったの⁈」
あまりの予想斜め上にいく発言に思いっきり突っ込んでしまう。
まさかの。そりゃあ頭の洗い方わからないとか言ってたけど、そんな拷問みたいな洗い方だと思ってたなんて。
しかもサウロ本人は私の全力突っ込みにキョトンとしたままだ。
それが何か?みたいな反応に、私も毒気を抜かれてしまう。肩の力が抜け、一体どれだけオークは水の中で息を止められるのかを改めて聞いてみる。まさか水中でも息ができるとか。
「水場では漁をすることもあった……。魚が漁れるまでは潜り続けたが、限界を迎えたことは滅多にない」
限界、ということはやっぱり息を止めてはいるらしい。
どうやらオークは身体表面だけでなく肺も丈夫らしい。それを聞いた途端、ルベンが嬉しそうに「すげーー‼︎‼︎」と声を上げたけど、私は苦笑いしか出ない。
私も元運動部だからそれなりに肺は鍛えられている筈だけど、全く勝てる気がしない。試しにルベンにも水陸両用がどれくらいか尋ねてみたら、……惨敗だった。
「ルベンは長くて二十分くらいだな。狐族は泳ぎは得意だけど、そんな水底までは潜らねぇし」
充分凄いですルベンさん。
獣人族は人間族より身体能力が優れてるとは前にも聞いたけど、なんかもう私一人の最弱感すごい。話の流れのまま今度は「ソーは?」とルベンに尋ねられるけど、答える前に深い溜息が溢れてしまった。
頑張っても一分くらいと返すと「すぐ死ぬじゃん」と一刀両断された。もうぐうの音も出ない。文化系友達の中ではわりと長い方だった筈なのに。
言い返しても勝てる気がしない私は、代わりに話の軌道をねじ戻すことにする。
「サウロはザブンと入って上がってきてくれれば良かったんだよ。心配するから次は呼んだらすぐ上がって来てね……」
「心配……?」
ぐったりと項垂れ低い声を掛ける私にサウロが納得いかないような曇った声で返した。
おんぶ状態のままサウロの顔を覗き込めば、僅かに眉を寄せて見返してきた。まさかスキルの効果とかが切れたのかなと思うほど、意味が理解できないような顔だ。
まぁサウロからすれば三分も経たずで心配されるのかとか思うのかもしれないけれど。……もしかして虚弱だと言われたと思ったのかな。サウロが激強なのは私もわかってるけど‼︎
誤解を解くべく、慌てて至近距離のサウロへ喉を張って弁明する。
「サウロが水の中そんなに長い間平気って知らなかったし!それで上がってこなかったら溺れたかなとか思うでしょ⁈サウロが死んじゃったら嫌だし!ちょっと過剰なくらいはしょうがないから‼︎」
我ながら苦しい。
そう思いながら舌を必死に回す私にサウロは目を少し見開いたまま固まった。この人大丈夫かとか思われてそうだ。
しかも最後は無理矢理締めちゃったしと思えば、やっぱりサウロの目が逸れた。
「……そうか」
その一言と共に。
あまりにもそっけない言葉に呆れられたかと唇をむむむと結んでしまう。もう何言っても聞き入れてくれなさそうだと思うくらい無感情な声だった。まさかこんなことでサウロを落ち込ますとは思わなかった。
サウロ?と声を掛ける。ここは思い切ってベタ褒めでもしてみようか。昨日のドラゴン退治は本当に強くて格好良かったと言えばサウロの自信も取り戻せるかもしれない。
今度こそちゃんと言い間違いしないように安易には言葉にせず、順序立てて褒める言葉を探す。……けど。
「私が死んだら嫌か……。そうか……」
ぼそ、ぼそとこれだけ近くじゃないと聞こえないくらいの小さな声だった。
ルベンも大きな尖った耳でちゃんと聞こえたらしく、私とサウロを見比べては蒼い目をぱちくりさせた。耳を澄ませる為か耳がピクピク動いて可愛い。
サウロの方は独り言みたいなぼやきのままこっちには返事をしてくれないし、おんぶ状態の私も首を曲げて覗き込まないと見えない。
首に回す手に力を込めて前のめりに頑張ってサウロを覗く。首が締まらないか少し心配だったけど、全然平気そうでウグッとすら言わない。
サ、ウ、ロ!と呼び掛けながらぐりんと頭を広い肩から溢して覗く。
「…………そうか」
また同じ言葉を繰り返すだけのサウロは、すっごい綺麗な微笑を浮かべていた。
うわっ‼︎と声に出したくなるくらいの美男子の微笑みに目が一瞬眩んだ。真っ赤な目が心なしか柔らかい気がするのと口元が緩んでるだけなのに、恐ろしく絵になる。魔性と言ってもいいかもしれない。
同種族とはいえ見かけが違うオークはどうかわからないけど、少なくとも人間族の女の子だったら確実にときめく。現に私もかなりドキッとした。
誰に向けてるわけじゃなく一人で微笑んでいるから余計に儚げで格好良い。
ぐぅっと背中ごと喉を反らした私はそのまま手の力も抜けてしまって、次の瞬間にはドボンと垂直に川へと落ちた。
足が着くとは言え結構深かったせいで思いっきり水が顔にもかかった。
体勢を取り直す前にサウロがすぐ腕を引っ張って大魚釣りみたいに持ち上げてくれたけど、ルベンには「ほんと間抜けだよな」と言われてしまう。サウロがイケメン過ぎるのが悪い。
ぐったりと力が抜けた私は自分の足で立った後もなんだか動く気力が湧かなかった。もうこのまま水に浸かって同化していたい心境になっていると、サウロが腰を曲げて覗き込んできた。
さっきの微笑とは打って変わって眉を顰めたサウロは、もしかして慰めようとしてくれてるのかなと
「髪……」
……はい。やります。




