18.逃走者は洗浄を試みる。
「じゃあさっさと入っちまおうぜ!」
真っ黒シルエットのルベンが元気よく先頭を行く。
私と違って着替えを持たない彼はずっと身軽だ。綺麗な川を見下ろして嬉しそうに声を上げると、丘を駆け下りていった。
私も置いて行かれまいと慌てて着替えの次にお風呂セットと洗濯セットのバッグも引っ張り出して肩に背負う。そんなに重くないけど、三個だと嵩張って面倒だ。
お目当ての荷物を引っ張り出すのを手伝ってくれたサイラスさんに「急ぐと転ぶぞ」と言われながらもルベンに触発され急いでしまう。
足下だけ注意し、川に早くも飛び込んでいったルベンを追いかける。
「……持つ」
おぉっ⁈と予想外の方向からの声と引力に、顎の角度を変えて見上げる。
いつの間にかずっとルベンを追いかけずに私の背後で俟ってくれていたらしい。斧を持っているのと反対の手でバッグの紐を纏めて鷲掴むと、私ごと釣り上げる勢いで持ち上げてくれた。私一人でも持てるのに、意外と紳士だ。
私にとっては大荷物の筈だったのに、身体が大きいサウロが持つとそんなでもない大きさに見えてしまう。引っ張り上げられるままに手を緩めると、軽々と背負う必要もなく片手で運んでくれた。私が使うばっかりの荷物なのになんか悪い気がする。
「あっ、ありがとう!」
斧を引き摺り、のそのそと歩くサウロの隣に並びながらお礼を言うと、頷きは返してくれた。
身体は引き締まっているものの、オークとしては細身の彼は身体能力はそのまま種族の特性を受け継いでいるらしい。お陰で見かけでは想像できないくらいの怪力だし、脚力そのままで身体が軽いから足も速い。しかもスキルがその特性を引き上げるものだから余計に強い。
元々は一緒に旅して新しい住処見つからなかったら養っちゃおうくらいの感覚でお誘いしたけど、こうしてみると私の方がこの先助けられることが多そうだなと思う。
どう考えても最強の用心棒だ。あのドラゴンを一撃で倒しちゃうんだし。
「……人間族は、水浴びにこんなに荷が居るのか」
足元に気をつけて丘を降りると、サウロが独り言みたいに呟いた。
え?と聞き返してみると、ちらっと私のバッグを見る。洗剤とか色々あるよと説明したけど、あまり納得できないように頷かず無言のままだ。
川では既に服を着たままビシャビシャと水浴びに勤しんでいるルベンを見ても、もしかしたらオークも洗濯とかお風呂とかは縁が遠いのかなと思う。サウロはずっと一人だったみたいだし山奥の洞穴に引きこもっていたから水浴びの機会も少なかったのかも。
髪の毛も顔が見えなくなるくらいボサボサ伸ばしっぱなしにドレッドヘアな彼は、見かけは人間に近い美男子だけどやっぱりオークなんだなぁと思う。
こうやって歩きながら顔を覗いてみても肌荒れ一つない肌でしかも美白以上に白い。これでルベンのクロスボウも効かないとか凄すぎる。ちょっと羨ましいとか言ったら悪いだろうか。
私の視線が直接過ぎたのか、丘を並んで降りるサウロもこっちに目を合わせてきた。ここで「最後に水浴びしたのいつ?」とか言ったら落ち込むかなと、少し言葉を考える。
前の世界でも国によってはお風呂に入らないとか洗わない国なんて普通にあったし、別にそこまで気にしないけど。
「えーっと、……オークには水浴び文化とか服を洗って干すとかあった?サウロはどうしてた?」
「……皆といた時は住処が川に近ければ汲むだけでなく浴びもした。服も汚れたら洗いもしたが、血の汚れならば捨てた」
お、わりと普通。
皆といた時、ということは一人になってからは全然なのかなと思う。よく考えれば水浴びはしなくても水の補給はするか。
血の汚れなら、というところに野性味がある。なら今のドラゴンの血びっしゃりの服も捨てるつもりなのだろうか。……流石に真裸で荷車に乗るのは色々問題あるからやめて欲しい。
あの時は急いでたし見切り発車だったけど、ちゃんと着替えくらい持ってきて貰えば良かったなと反省する。機会があれば服を買ってあげたい。サウロと、あと
「おーい!なにグズグズしてんだよ!早くソーとサウロも来いよ‼︎」
気持ち良ーぞ‼︎とバシャバシャ元気に川で泳ぐルベンの分も。
丘を降り切ったところで待ちくたびれたように私達に呼びかけるルベンに私も返事する。サウロにも河原で荷物を降ろして貰って、私はどこで着替えようかなと考えたところで……気付く。
「……あれ?」
何してんだよ!とバシャバシャするルベンに顔が引き攣ったまま固まった。おかしい、絶対これは。
目の前の衝撃的事実に棒立ちになっていると私達が入ってこないことに痺れを切らしたのか、ルベンがむくれたような顔で川から上がってきた。ビッショリの毛で激痩せしたように見えるルベンはそれはそれで可愛かったけど、鋭い目を釣り上げて私を見上げる。
「なんだよ!ルベンと一緒の水は嫌とか言うんじゃねぇだろうな⁈さっさと入れよ!ルベンはもう終わったから良い!」
「いやいやいや駄目でしょ‼︎‼︎」
いやいやいやいやいやいや‼︎‼︎
ちょっとちょっと待って‼︎ まさかのこのまま水浴び終了しようとするルベンを、濡れるのも構わず捕まえる。
返答が意外だったように目をまん丸に見開いたルベンは「何が?」と首を捻ってくるけど、何もこうもないし‼︎
「ルベン‼︎全ッ然真っ黒のままじゃん‼︎‼︎あんなに川でバシャバシャやったのになんでこんなに落ちてないの⁈」
嘘でしょ⁈と、私は目の前の白狐ならぬ黒狐と化したルベンに絶叫する。
むしろなんでルベン本人が気にしないのか教えて欲しい。確かにルベンは自分が他の狐と違って白いの嫌みたいだけど、流石に黒になっても嬉しくないでしょ⁈完全にシルエット状態から戻ってない‼︎‼︎
私の全力ツッコミにルベンはきょとんとした顔で見返してきた。自分の腕とか服とかをみて、真っ黒なのを確認するけど「それが?」くらいの反応をされる。待ってまさかこの汚れ一生落ちないとかじゃないよね⁈
服だけならまだしも身体中塗ったくったのに一生真っ黒人間とか嫌すぎる‼︎
泣きそうになりながら今度はサウロに振り返ると、サウロもサウロで「何か問題か?」くらいのキョトン顔だ。待って、私がおかしいの⁈
言葉もなく二人を何度も見返す私に、今度は二人が順々に追い討ちをかけてくる。
「血の汚れなどそのうち剥げ落ちる。ドラゴンの血は私も浴びるのは初めてだが」
「大丈夫だって。川で洗えば臭いは大概落ちるし」
全然大丈夫じゃない‼︎‼︎
心の中で総突っ込みを二人にいれながら、私はブンブンと首を横に振る。今まで大して気にしなかったけれど、本当に二人とも野生児だったんだと思い知る。汚れていても気にしません派にも程がある!!
確かに臭いだけでも水で落ちるのは私としても万々歳だけど、それだけじゃ足りない。
サウロの剥げ落ちるの「いつか」も一体何週間か何ヶ月か何年後のことなのか‼︎やっぱオークだし肌が丈夫だからそういうの気にしたことがないのかもしれない。
でもオークはさておきルベンはこれで落ちる気が全くしない。だって肌じゃなくて彼の場合は毛だ。折角の真っ白モフモフが台無しで、真っ黒バリバリになっている。水を浴びて今は萎れているけど、使ったまま放置した習字の筆に水を掛けたくらいの萎れ具合だ。もうこれは乾いたらまた固まるに決まってる。
試しにルベンの毛先を突いてみたら、やっぱり予想通りチクチクした。一本の毛じゃなくて毛の束が固まってコーティングされちゃっていた。モフモフ排除駄目、絶対。
「ちょっ、ちょっと待ってね。ルベンもまだ身体拭いちゃ駄目だから」
二人に待ったを掛け、私はサウロが降ろしてくれたバッグをガサゴソ探る。
サンドラさんの町で色々と良い品を買い付けておいて良かった。自分用のものだけならと安物だけで済ませようとした時にサンドラさんがアドバイスをくれたお陰だ。
『金はあるんだし、最初だけでも良い品揃えときなよ。何が役立つかなんてわかんないんだしさ』
ありがとう姐さん!!
心の中でサンドラ姐さんに感謝を叫びながら、次々とバッグの中からボトルを取りだしていく。全部同じ系統のものばかりだけど、種類や精度が違う。安物から高級品、そして洗う対象も違う。
次々と並べられていくボトルにビチョビチョルベンが「なんだこれ」と鼻を近づけた。
バッグから最後の一個を取り出しながらサウロの方にも顔を上げれば、彼も興味深そうにボトルの陳列を眺めていた。「何か魔術でも使うのか」と言われ、笑ってしまう。気分は中世の魔女だ。
よっし!と私は気合いを入れると早速川に入る前にと靴を脱ぐ。パッと見、周囲も裸足で大丈夫そうだ。
川に入る前にと短パンより下に掛かる服の袖はねじって縛る。腕につけているものも全部外し、濡れるの上等になった私は取り敢えず手近なボトルから蓋を開けて中身を手にとった。
ぶにゅぅと出た液体を手のひらで擦り合わせて泡立てる。なんとこの世界では珍しい、液状石鹸だ。そのまま青い目を丸くするルベンの手を掴まえた。ぬめぬめの手に捕まったことに驚いたのか、「うえっ?!」とルベンが珍しい声を上げる。
「なんだよそれ!あれだろ!?服洗う時のやつだろ?!ルベンの毛は服じゃないぞ!!」
「それも使うか悩んでるけど、今使ってるのは違うよ」
どうやら獣人族も洗濯文化はあるらしい。でも、今の言い方だと身体を石鹸で洗うという習慣はないのだろうか。まぁ、ルベンが一人で生きてきたからそういう習慣がなかっただけかもしれないけれど。
もにゅもにゅと揉み込むようにしてルベンの毛を泡立てれば、湿った彼の毛から段々と泡が黒くなってきた。良かった落ちてる!
「ほら、汚れが浮き出てるでしょ?取り敢えずルベンはこれで身体洗って!」
こんな感じね!と、ルベンの毛の汚れが落ちてきたことに安心した私はお試しの量から倍量を手のひらに広げ、今度はルベンの頭にベチャリとつけた。「おえ⁈」とさっきまで腕の泡ばかり凝視していたルベンがまた声を上げる。
構わずわしゃわしゃと交互に泡立てればまた汚れが浮き出てきた。……〝ペット用石鹸〟恐るべし。
もともとルベンが旅に付き合ってくれると言ってたから一応と思って買った石鹸だけど、本当にルベンに使えるようで良かった。やっぱり獣人族の毛は動物の毛と同じ性質らしい。
これで落ちなかったら人間用とか衣服用とか絨毯用とか食器用とか劇薬系とか色々試してみようかと思ったけど、取り敢えず一発目で当たったから必要なさそうだ。ラベルは人間族の文字だし、ルベンにはペット用ということは隠しておけば問題ない。
汚れが落ちて来てるとわかったからか、最初は気持ち悪がっていたルベンも自分からも泡だった腕を反対の手でわしゃわしゃと擦り出した。
もにゅもにゅと細かい泡立ちで毛を逆立てていくのが面白くなったのか、揉み込むようにして石鹸部分の腕を洗う。私も何だか楽しくなってきて、ルベンの灰色になった毛を逆立てたりアフロにして遊んだ後、背中を洗う。洗剤を多めに手のひらにべった~と広げてから、毛と一緒に泡立てればみるみるうちに黒い血が泡と一緒に浮かんでいった。
ぽよぽよとシャボン玉まで飛び出して、気分は川というよりお風呂だ。
「うわ、目に入った」
真っ黒だったルベンの毛がみるみるうちに白くなっていくのが楽しくて、無我夢中で泡立てる。
私が背中を洗っている間、自分の手の届く範囲は泡立てていたルベンがわりと冷静にピンチを告げてくれたところで一度洗い流すことにする。
泡が目に入って前が見えなくなったルベンの背中を押しながら、私も一緒に川に入る。
ピチャピチャと足下が濡れる感触から次第に深くなって、膝まで浸かりそうなところで足を止めた。ルベンが溺れない水深でまた今度は泡を洗い流すべく水の中でわしゃわしゃ擦ってゆすぐ。
そこでふと視線を感じて川岸の方を振り返ると、……真っ黒サウロがさっきと全く同じ位置でじっと佇んでこっちを見ていた。しまった、ルベンを洗うのが楽しすぎて夢中になって忘れていた。
心なしか羨ましそうに見えるし、サウロもルベンを洗いたかったのかもしれない。




