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バベルの翻訳家〜就活生は異世界で出会ったモフモフと仕事探しの旅を満喫中!〜  作者: 天壱
Ⅰ.助走

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2.転移者は惑う。


ドサササッ


「っ……、……。…………え?」

目を瞑り、衝撃に向けて強張った身体が予想外に優しい衝撃に包まれた。

ワサワサチクチクと肌を刺す感覚以外何もない。頭も揺れないし、痛くもない。

恐々と薄く目を開けば、最初に太陽の光が射し込んだ。正面から太陽に刺され、思わず手で隠す。逆光に照らされた手の甲は何処にも血が沁みていなかった。……やっぱり生きてる。

身体を起こそうと思えば、思った以上に簡単に身体が動いた。お尻の下に手をついて身を起こせば、ここは夢の中だと理解する。


「…………道路は?」

森。見渡す限りの森。いやおかしい、道路に落ちたのに。

見渡して歩道橋もないし、道路もチェーン店もついでに携帯も落ちていない。本当に別の場所だ。

しかも、着地した先は落ち葉も混ざった茂みの上。あの高さから落ちてこの程度の緩衝材で助かるわけがない。数センチ上から落ちた程度の衝撃しかなかった。しかも確か頭から落ちた筈なのに、なんで着地は背中から? 本当に意味がわからない。


取り敢えず茂みから脱すべく腕に力を入れて、横へ転がるようにして下りた。草と土剥き出しの地面に足を付き、膝から下の葉っぱを払ってやっとストッキングが破けてることに気がつく。

何処からが夢かなと、自分の格好をそのまま確認すれば就活用のスーツと、履きなれないパンプス。肩には鞄が掛かったままだった。

訳も分からないもも鞄の中を漁れば、コンビニ菓子とペンケース、折り畳み傘と企業から渡された書類、手帳に化粧ポーチと携帯用のバッテリー。……携帯は、ない。どう考えても歩道橋から落ちた時のままだ。


「……………………」


どうしよう、どう反応すれば良いかわからない。

夢にしては靴擦れは痛いし、風を吹くし太陽眩しいし、スーツはヨレるし鞄は微妙に重いし携帯無い。夢ならもうちょっと都合良く出来ていて欲しいのだけれど。

ただただ森の中に一人佇んで、呆然と記憶を探る。教授と電話して、歩道橋登って、携帯が鳴って、落として、転けて落ちて、茂みにダイブ。……駄目だやっぱり意味がわからない。


「……誰か〜……」

叫ぶ勇気もなく、か細い声が出る。こんな声じゃ、居酒屋さんで店員にすら気付いて貰えない。

でもとにかく訳がわからないし、何かのドッキリ番組かなと思う。その場合どこからがドッキリなのか、何処から私の醜態が撮影されていたのかが怖いところだけど。

キョロキョロと鞄を肩にかけ直して、誰かー、とまた細い声で呼びかけ、歩く。木々の騒めきと虫の鳴き声しか聞こえない。土の感触がしっかり足の裏に伝わって、履きなれないパンプスが余計に歩きにくい。ドッキリ番組だったらそろそろここで仕掛け人的人が現れてターゲットの反応を見る筈なのだけれど……。

そう思った矢先に、私のではないガサガサと茂みを掻き分ける音がする。あまり大きな音ではないからそこまでびっくりしなかったけれど、それでも意識が向いてしまう。動物か人かと、息も止めて振り向けば


「…………ウサ、ギ……?」


……二足歩行の、白いモフモフがそこにいた。

足の先から指先まで白くてモフモフした生き物。全長は小学校低学年くらいだろうか。アリスの世界にでも入り込んでしまったのかなと思ったけれど、ラッパも懐中時計も持っていない。持っているのは斜めがけした肩提げバッグだけだ。

化け物……というにはボロボロだけどズボンを履いているし、別に息ハァハァもしていないし涎も垂らしてない。何より物凄く可愛い。

吊り上がった大きな目が蒼く水晶みたいに丸く見開かれてキラキラしていた。獣らしく裂けた口に牙を見ると、兎というより犬……だろうか?狼⁇口から鼻まで動物らしい輪郭で尖っているし、一番モフモフな尻尾が彼の顔よりも大きく広がっている。何となく子犬っぽい顔つきだ。


生まれて初めて見た人外に衝撃が強いけれど、なんだかあまりにも人外過ぎて逆に着ぐるみか立体映像かと疑ってしまう。

着ぐるみにしては小さ過ぎるし、立体映像のわりに茂みを押しのけて現れたけれど。……いや、でも最近は小さなキャラクターの着ぐるみ沢山居るし、立体映像も茂みごと出せば騙せるし……。

そんなことを考えている間も、モフモフはじっと私を見たままだった。警戒、というよりも何か考えているような様子で、まさか生贄とか今日の夕食とか思われているのかなと汗が滲む。じーーっとただひたすら見られるのが逆に怖い。


「あのっ……ええと、言葉は、わかる?」

初対面だけど、何となく子どもに話し掛けるような感覚で投げ掛ける。

両膝を追って腰を低くして、なるべく警戒されないようにと気を遣う。モフモフは私からの呼びかけにも反応は無く、じーっと見つめてくるだけだ。

どうしよう、意思の疎通も難しい。仲間を呼ばれて襲われたらどうしようと、恐怖がじわじわ足先から染み込んでくる。でも、ズボン履いているし人らしい生活してる気もするし、このまま置いていかれたくもない。

私から手を小さく振ってみたり、顔を左右に傾けてみて反応を待つと、十秒以上の沈黙の後にモフモフは口を開いた。


「……こんな所まで迷い込むとか馬鹿じゃねぇの?」

……いきなり第一声で暴言吐かれた。

でも言葉話してる!良かった!これなら下手に食べられたりはしないかも!

馬鹿にされたことよりも、今は事情を聞ける相手がいることにほっとする。迷う、とはちょっと色々違う気がするけれど、取り敢えず勢いに任せて今度こそはっきり呼びかける。


「わ、私、気が付いたらここに居てっ…!ここって何処?他に言葉を話せる人居る?出来れば私と同じ感じの人がいると嬉しい……です。」

聞く立場で敬語なしは悪いかな、と最後に慌てて言葉を整える。

必死に訴える私にモフモフはまた裂けた口を閉じた。声からしてやっぱり幼さも感じるし、少年だろうか。彼は私が話すのを止めるのを待ってから、自分の方にちょいちょいと肉球の手で手招きしてくれた。その手をもぎゅもぎゅさせて下さいと言いたくなったけれど、今は我慢する。

それよりも今は安全を確保する方が先決だ。


「こっちこっち。さっさと来いよノロマ」

可愛い顔で淡々と悪口を言われて凹む。

普通に名前呼ぶくらいの感覚で悪口言うやめて欲しい。中学からはこんな風に言われたこと一度もなかったのに。

落ち込む私を置いて、モフモフはスタスタと獣道もない森の奥を真っ直ぐ進む。何とか歩きにくい足でその背後を付いていきながら、必死に事情も問い掛けも訴えたけれど一つもモフモフは答えてくれなかった。

それどころか「変な格好」「細いしヒョロヒョロだし」「よくこんな所まで辿り着けたよな」「うるせー」と悪意八割以上で返された。道案内して貰っているのは私だし、文句は言えないけれどそれでもちょっと酷い。


小さい身体と短い手足でひょいひょいと軽やかに茂みや木の根を飛び込え、迷いなく進んでいく彼の背後に追い縋る。

こうやって飛び跳ねている姿を見るとやっぱり兎っぽい。でも耳は長くないし三角に尖っているし、顔も肉食獣の輪郭だ。

時々私が付いてきているか振り返っては立ち止まり、追い付いたらまた進んでいく。ちゃんと道案内してくれる気はあるようだった。何度聞いても名前も教えてくれない彼を追いかけ続け、三十分も歩けば足がフラついてきた。

靴擦れが酷くなって、もともとストッキングの下に貼っていた絆創膏も擦れて剥がれて赤く染まっていた。いっそ靴を脱ぎすてて素足で歩こうかとも思ったけれど、この世界に靴があるかどうかもわからない。カバンに靴は入らないし両手は空けとかないと怖いし、なけなしの自分の装備はなるべく大事にしたい。


「ごめっ……ちょっと待って……!」

だけどもう辛い。擦れが当たるのが痛くて歩けない。

モフモフに声を上げ、とうとう立ち止まる。鞄の中に絆創膏新しいのあったかなと思いながら、近くの倒木に腰を下ろしてしまう。

私の声に気が付いてモフモフもこちらを振り返ったまま止まってくれた。

どうせこんな事になるなら、いつもの履き慣れた靴と服だったら良かったのに。……いや、そもそも履き慣れた靴だったら歩道橋から落ちてはいなかった気がする。

膝の上に下ろした鞄を探り、絆創膏を探す。見れば、化粧ポーチの中に数枚だけ入っていた。ああでもそしたらまずストッキングを脱がないと。本当にもうどうして女性の正装って面倒くさいのか。


「怪我……?なんだよいつ怪我したんだ⁇」

モフモフが驚いたように呼びかける。

靴なんかと縁がない彼には理解できないだろうけれど、就活生には職業病レベルのものなのよと心の中で思う。「ちょっと靴が擦れただけ」と言いながら、彼の前でストッキングを脱いでも良いか考えた。

早足で歩み寄ってきたモフモフは自分の肩提げバッグの中から包帯を取り出した。そのまま肉球の手で器用に私の靴擦れをストッキングの上から止血してくれた。一緒にパンプスも固定してくれて、ずれなくなったお陰で大分歩きやすくなる。

「ありがとう……?」

殆ど無言でそこまでやってくれた彼にお礼を伝える。だけど、変わらず彼から返事はなかった。

代わりに立ち上がって見せれば、再びモフモフへ私に背中を向けて歩き出した。


「遅い、鈍い、弱い。こういう奴に限って反省しねぇでまた迷うんだよなぁ……すっげぇ迷惑」

……あの、聞こえてますけど。

私から二メートルくらいは距離取ってるけれど、独り言がわりと大きい。

優しいわりに口が悪い彼を、私は再び追いかけた。体力と根性なら人並み程度には自信もある。

それから更に一時間近く歩き続け、やっと私はモフモフの案内の元に森を抜けることができた。

典型的な〝町〟という響きが似合うそこは、間違いなく人の縮尺に合わせた建物だった。


人が、いる。


19時にまた更新致します。

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