10.転移者は飛び出す。
「いやー……まさか本当に三日で出発するとは思わなかったわ」
早朝、馬車に積み荷を乗せた私にサンドラさんは溜息を吐く。
頭をガシガシ片手で掻きながら肩を落とされて、私も苦笑いしか返せない。隣にはいつもの肩下げのバッグだけ持ったルベンが、サンドラさん達と私を見比べている。
見送りに来てくれたサンドラさんの傍には、サンドラさんのご家族や通訳でお世話になった港の人達も来てくれた。今日が最後だと伝えたら、朝の忙しい時間帯にも関わらず会いに来てくれたらしい。
「嬢ちゃんのお陰で稼げたからな」とウインクしてくれた髭のおじさん達も最初は町を出るのを残念がってくれたけど、快く今日は見送ってくれている。
三日前にルベンの話で可能性を見出した私は、サンドラさんに直談判して王都へ行く為に町を出る許可を貰った。
サンドラさんには色々本当にお世話になったし、仕事も紹介してもらったのに申し訳ないとは思ったけれどやっぱり背に腹は代えられなかった。
最初はすごく驚いた様子のサンドラさんご家族も、翻訳家の仕事がしたい旨を詳しく話したら協力してくれた。
荷造りや旅に必要な装備や水や食糧、石鹸とかの生活用品の買い物や、運転手付きの馬車の契約も付き合ってくれた。前払いで王都までの片道を契約したから、これで長旅には変わりないけれど馬車で移動できることになった。
最悪の場合、徒歩と野宿も覚悟していたからすごく嬉しい。
船で王都に行く方法もあったけど、今まで船に乗ったことがない私は断った。もし万が一にでも船酔いとかしたら地獄を見る。それならいつでも酔ったら降りて休める馬車の方が良い。一緒についてきてくれるルベンだって船が平気かわかんないし。
「本当に申し訳ありませんでした、サンドラさん。突然な上に最後までお世話になってしまって」
「いや、それは良いんだけどさ。どうせ前の爺様以外はみんな転移者は遅かれ早かれ王都に出ちゃったらしいし、ソーのスキルなら絶対出世すると思ったから。でも思い立って本当に三日で出発決めるのはなかなか無いわ」
あはは……と枯れた笑いしか出てこない。
もう決めたらどうしてもいても経ってもいられなかった。前の世界でも就職難で全く見つからなかった翻訳家の仕事が、王都に行けば新ビジネスとして溢れているかもと思えば一分一秒すら惜しかった。多分こんなに待ち遠しかったのは初めて行った海外研修以来だ。
今までの生活もちゃんと気に入ってたし、通訳の仕事も楽しかったしサンドラさんの家もすごく居心地が良かったと改めて伝えると、サンドラさんは「良いからいいから」手を振った。溜息をまた吐き、視線を私の隣に並ぶルベンに投げる。
「本当にそいつ連れてくの?二週間もしない内にどんだけ仲良くなったの貴方達」
「はい。私もやっぱり知ってる人がいる方が安心ですから。ルベンなら信用できますし」
「いやだからって旅のお供にとか、狐も狐で懐き過ぎでしょ……」
まぁ言葉も通じますから、と私は肩を竦める。私に懐いたというより、単にルベンが良い人なだけだと思うけど。
話している間も、私達が何を話しているかわからないルベンは何度も交互に首を向けていた。白い耳がピッと立って少し緊張したようにも見える。
「取り敢えず金だけは気を付けなよ」
そう言ってルべンを顎で指すサンドラさんにとって、ルベンはお金にがめついイメージが強いらしい。……まぁそれは私もわかるけど。
なんでもサンドラさんが子どもの頃からお父さんである町長さんや自分に俺金か仕事をせびってくることしか交流がなかったらしい。
ゴブリンからもらった砂金は、サンドラさんの家にお世話になった分はきちんと譲った。残りは私の手荷物と、どっさり馬車に積んで持っていくことにした。取り敢えずこれで生活には困らない。
「おい、ソー。まだうだうだ話してんのか?ルベンは先に馬車入ってるからな」
「『ごめん、私もすぐ行くね』」
暇に耐えきれなくなったルベンが、私の手を引っ張った後に馬車へと乗り込んでいく。
私よりもずっとこの町にいたのに本当に愛着もないんだなぁと思う。特に町長さんとサンドラさんには関係も長かったはずなのに。
馬車に消えたルベンを見て、サンドラさんが「ほら、貴方もさっさと行きなよ」と私の肩を押した。
「まぁ頑張りなよ。王都でスキル目当ての馬鹿に狙われないようだけ気を付けなね。なんかあったらいつでも戻って来て良いからって狐にも言っといて」
はいはいと軽いノリで追い立てられる。何かあればいつでもとか、本当にサンドラさん優しすぎる。
振り返れば町長さん達も港のおじさん達も「元気でな」と手を振ってくれて、なんだかあまりにも温か過ぎる見送りに私の方が泣きたくなった。元の世界でもこんな優しさなかなか無い。
「あっ、ありがとうございました本当にっ!向こうで落ち着いたら必ず連絡します!」
バタンと馬車の扉を閉じられたところで窓を開けて顔を出す。手を振ってくれたサンドラさんが「顔出すと危ないよー」と言いながら笑ってくれた。
扉が閉じたことで、馬車がゆっくりと動き出す。ルベンと二人では広すぎるくらいの馬車は、長旅の為ということでサンドラさんが一番過ごしやすい馬車を選んでくれた。
積み荷の方も殆ど私の荷物だけだからガラガラ余裕で、全体的に広々としている。食料や燃料は多すぎるくらい大量に買い込んだけど、旅途中で役に立ちそうな物とか食べ物とか本とか有ったらまだまだ詰めそうだ。
なんだか旅行気分でわくわくしながら、私は見えなくなるまで後ろの窓からサンドラさん達に手を振り続けた。
「本当に別れ惜しんでんのかよ?二週間もしねぇ内にどんだけ仲良くなったんだよお前ら」
ソファーの背もたれに寄りかかりながら、頭に両手を回すルベンはさっきのサンドラさんと同じようなことを言っていて少し面白い。
同じようなこと言われたよと言ったら、寝ていた耳がピンと立った。
「なんかあったらいつでも戻ってきて良いって。まだ面倒をみてくれるってルベンにも言っておいてだって」
最後に自分にも掛けられた言葉だと知った途端、ルベンが転がるように私に背中を向けた。「ふーん」とどうでも良いように言いながら、一回だけモフモフの大きな尻尾が左右に揺れた。
「……ヘソ出し女とそのおっさんって良い奴だったのか?」
「サンドラさんだってば。皆すっごい良い人達だよ。ルベンも知ってるでしょ?」
「ルベンは知らねぇよ。何言ってるかわかんねぇし。でも……」
背中を向けたまま返してくるルベンの言葉はすごくツンケンしてる。
子どもが親にしかられた後のような尖り具合がなんだか可愛く思えてしまう。初めて座るソファーの感触を味わうようにぐらぐらと揺れながら、ルベンは最後にぼそっと小さく呟いた。
「ソーが良いやつって言うなら、やっぱりそうだったんだろうな」
やっぱり、と。そう言っている時点で自分も良い人だと思っていたと認めることになるんだけど。
そう思いながらも、敢えて飲み込んだ。「そうだよ」と言いながら私も振り返った態勢から背もたれにまっすぐ座り直す。肩に背負っていた手荷物を膝に下ろした。
前の世界の少ない所持品も一応積み荷に入れたけど、今はサンドラさんが一緒に選んでくれたこの世界のリュックを膝の上に中を漁る。砂金のお陰で値段を気にせず買えた革製のリュックは、軽くて長持ちで水にも強いらしい。
リュックの中には、お金と一つ包み分の砂金。あとは水と食料、緊急用の薬とペンとハンカチそしてサンドラさんが丁寧に書いてくれた地図。取り敢えず必要最低限の物だけ身軽に詰め込んだ。
背後の荷物が服とかかさばる物で多いし重いから最初は減らしていこうかと思ったけど、サンドラさんに「狐がいるなら余裕でしょ」と言われた。獣人族であるルベンはなかなか力持ちでもあるらしい。……見かけによらず。
取り出した地図を大きく広げながら、一つ一つ確認する。
人間族の地図だからルベンには地形以外はきっとさっぱりだろう。ルベンの背中をつついてこっちに振り向いてもらった後、地図の一点を指す。
「王都までは馬車でひと月は掛かるらしいから。まずは一週間ぐらい馬車で行った先に宿屋のある町があるから、ここに向かうって。基本的に運転手さんと同じ人間族の集落ばっかりだけど平気?」
「狐族以外ならどこでも良い」
まぁ今までも人間族の集落を渡り歩いてたもんね。相変わらず意見のはっきりしているルベンの頭を撫でた後、水と食料は大事に使おうと改めて伝える。
大量に買ったから大丈夫だとは思うけど、いつ遭難するかもわからない。ルベンも水と食料の大事さは同意らしく、即答してくれた。
そういえばルベンの肩に下げているバッグには何が入っているんだろう。お金を入れる時以外、一度も中を見せてもらったことがない。気になって試しに聞いてみたら「必要なもんだけ」らしい。……明言されないのが余計気になる。
だからといって私も砂金のことをまだ言ってないし、お互い手荷物のことは探り合いはしないことにする。どうせ一緒に生活すれば自然とわかる。
地図をリュックに仕舞い、代わりに今度は前の鞄に放り込んでいた前世界の一品を取り出す。
「獣人族って人間族と同じもの食べれるんだよね?」
「狐は食わねぇけどな」
それは人間族も滅多に食べないと思うけど。思わず声に出して笑ってしまいながら、リュックから取り出した物を見せてみる。
見たことがある筈もないそれに、ルベンは獣らしく目がくわりと開いた。一度も封を開けていないし賞味期限も問題ない。
「前の世界から持ってきたお菓子。食べてみる?」
殆どは口臭とか眠気覚まし用のものだけど、それ以外のお菓子も軽食代わりにも買っていた。
パッキングされた袋を開けて、中身のグミを数個手のひらに出して差し出した。果物味だし、口に合うと良いけど。
ルベンは珍しそうにお菓子の袋をまじまじと見た後、くんくんと鼻を近づけた。人工物だけどオレンジの香りがしたそれを自分から一粒摘んだ。
「グミ、っていうやつ。ちゃんと噛んで食べてね」
飲み込まないように、とうっかりまたルベンを子ども扱いしてしまいながら私も一粒口に放り込む。
ルベンも合わせるように大きな口の中にぽいっと放り込んで、むにゅむにゅと小さな粒を噛み締めた。小さいから味がわかるかと心配だったけど、すぐに「あの橙色の果物ってこんな味なのか」と言って私の手のひらから今度は纏めて三粒口に放り込んだ。どうやら気に入ったらしい。
「甘いの好き?それとも果物⁇」
「……両方」
あんま食ったことなかったけど、と言いながらルベンは味わうように口の中を動かしていた。
ずっと外にいたらしいし、甘いものとかお菓子とか嗜好品はあまり食べた事がないのかもしれない。栄養価として考えたらやっぱり炭水化物とか肉魚だろうし。
残り全部どうぞと袋ごとルベンの胸に押し付ければ、肉球のついたモコモコの手で素直に受け取った。吊り上がった目が丸く、更にはきらっと光った。
平然としたふりをしてるけど、多分喜んでくれてる。一瞬だけ私を見上げた後、またグミをおかわりする。袋の中にモコモコの手が上手く入らず、私が手のひらに出したのを真似して袋を自分の手へと傾けた。
オレンジ色のグミを手のひらにごと口にバクンッと放り込む様子に、よっぽど気に入ったのだと見てわかった。
小さな粒を大きな口で夢中で食べ続けるルベンに思わず笑い声な小さく溢れてしまう。
その途端、ムムッと少しだけ怒るように睨まれたけれど、その顔もやっぱり私の目には可愛い。
くすくすと声を漏らしてから、頬杖をついて前のめりにルベンの蒼い目を覗き込んだ。
まだ、この世界についてわかっていることは少ない。きっと私よりルベンの方が詳しい。だけど折角なら
「これから一緒に色々美味しいもの食べようよ」
キョトンとルベンが目を見開いた。もにょもにょする口が止まって、少し驚いたようにこちらを見返す。
私に顔を正面から向けるルベンはまた目を輝かせた。やっぱり美味しいもの食べたいんだな。
稼いだお金の他にもゴブリンの砂金のお陰で懐は潤っている。旅の道のりも王都での生活も、一緒に楽しめればいいなと思う。折角なら美味しいものとかたくさん食べたいし、ルベンにも沢山食べさせてあげたい。
慣れていた町を離れてまで私の旅に付き合ってくれた人だもん。
暫くは笑いかけてもルベンは無言だった。やっと口がグミを噛むのを思い出したようにむにゅむにゅすると、俯くように目を逸らされる。なんだか照れてるみたいで可愛い。顔色はわからないけど、ソファーから下ろしたモフモフの足が少しだけ落ち着きがなく揺れていた。
「……ソーがどうしても食いたいっていうなら、ルベンも付き合ってやる」
素直じゃない。でも、その返事はすごく嬉しい。
ポツポツと独り言のように言うルベンに私からも「じゃあどうしても」と即答すれば、そっぽを向いてから「良いけど」と返された。
やっぱり心は子どもなんだなぁと思う。言い方からして、食べ物につられている感じが恥ずかしくて認めたくないのかもしれない。私にも自分の方が年齢的には年上だと何度も言っていたし。
でも、今は気づかないふりをしてあげよう。だってこうして王都に着くまでの道のりを楽しいと思えるのもきっとルベンのお陰だ。
一緒の仲間がいた方が、旅行も引っ越しも新天地もずっとずっと楽しめる。
《狐族、ルベン。眷属に追加します》
取り敢えず暫くの楽しみはルベンの好物探しにしよう。
そう思いながらリュックの中を軽く覗く。他にもある軽食代わりのお菓子をもう少しだけ勿体ぶろうとこっそり決めた。
まさか、この先に食べ物以外の出会いがあるなんて予想もせずに。




