そして決定する。
「そういえばルベン。この世界って色んな種族がいるのに、全部村とか町とかばっかだけどそういう〝国〟とかはないの?」
前々から少し気になっていたことだ。
港で貿易する種族の人達も皆、自分の村とか町とか集落とかばかりで。異国から来たとは全く聞かない。
違う言語とか話していたら、どっちかというと異国の人みたいなイメージがあるけど今のところそういうのはない。
ルベンは「は?」と私に聞き返した後に、今度は横向きに振り向いた。
顔が回り切らず、やっぱり目だけでこちらを見たルベンは私と目を合わせた後に「何言ってんだよ?」と一度上げた両眉を狭めた。
「異種族が共存してる国なんかここぐらいだ。他の国は全部同種族の為だけの国だからな」
「ここだけ?」
つまり、他の国ではこんなに異種族の関わりはないということか。
私が聞き返すと、ルベンは「ったくさぁ」と零しながら私を正面に向き直した。そんなこともまだ知らなかったのかと言わんばかりの低い口調のまま、再び開く。
「この国は〝バベル〟で、世界唯一の異種族共生国家だ。ここは国内でもずっと端の田舎だけど、バベル自体はすげぇ大国だし他の種族の文明とか色々入ってくるから王都は最先端の技術もあるし、すげぇ栄えてるんだぞ」
「最先端……」
なんかもう国名だけでも言語がバラバラ感がすごいけど、知らないだけで凄い国に転移していたんだなと思う。
ルベンの話だと、何でも〝バベル〟という言葉だけはどの種族も共通して聞き取り発音もできる言葉らしく、だからその国名になったらしい。
「バベルっていうのが神様が言葉分けた時の言葉とかで、その証にどの種族も聞き取れるんだと。ソーが今読んでくれてたその話も、大昔から狐族にも似たような伝承あったぞ。バベルができるより前の、世界創造の話だって」
さっきまで読んでた古い本をモフモフの手で指すルベンの話を聞くと、ちょっと感嘆の声が漏れてしまう。
バベルが私の世界にもあったような伝承と何か関係があるのなら、世界創造なんて言葉が分けられる前の歴史だから人間族も狐族も似たような話なのかもとか想像が膨らんでしまう。
そのバベルって名前を冠したこの国は、そういう意味でもすごいところなのかもしれない。
そんなことを紋々と考えていたら、せっかく説明をしてくれたルベンに相槌を打つのを忘れてしまった。
暫くすると少し大きく見開く青い目をルベンが私に向けた。
「…………行きてぇの?」
さっきの不満いっぱいの声じゃなくって、本当に純粋に投げかけるようだった。
行きたいのか、という問いに私は少し悩む。もし王都に、元の世界に帰る方法があるのなら興味はないと言えば嘘になる。でもサンドラさんの話からしても望み薄だし、何より王都なんかに行って前回転移者だったお爺さんみたいに王宮に就職しろと言われたら面倒だ。
私としては慣れない異世界ではあまり厄介に巻き込まれず平和に過ごしたい。それになんだかんだで、前の世界よりもこっちの世界の方が私の夢に近い仕事に就けているところを考えると、この暮らしの方が良いかもとまで思う。家族や友達にはそりゃあ会いたいけど、……どぉ〜〜!
前の世界に戻って妥協して翻訳と全く関係ない仕事に就くか、夢の為に周りへ永久に迷惑かけ続けるくらいなら。
「……うーん、気にはなるけど……ルベンは行ったことある?」
「ルベンがあるわけないだろ。ここからだと結構長旅になるし、王都まで行くと色んな異種族の連中がぞろぞろいるんだぜ?人間族も獣人族も混ざって生活してるし、狐族なんか会いたくねぇよ」
確かに。そういえばルベンは自分と違う色で迫害する同種族の狐族が一番嫌いなんだった。
だよねぇ……と自分でも返しながらルベンを抱き締め直す。そのまま顎をルベンのモフモフな頭の上に乗せようとしたら、まだこっちに顔を向けていたルベンの鼻先に当たった。
ごめん、とすぐに顔を上げて謝ったけれどルベンから今回は苦情が来なかった。代わりに返されたのは
「……でも、ソーが行きたいならついて行ってやってもいいぞ。ルベンなら旅も慣れてるし、お前よりずっと強いからな」
ちょっとむくれたような声で、でも目はまっすぐだった。
腕を組んだまま私に返すルベンは、一度も私から目を逸らさない。まさかついてきてくれるなんて提案が来るとは思わなくて、自分の目がどんどん丸くなるのを感じる。ルベンも結構ここでの生活が慣れて気に入ってきている筈なのに。
抱き締める腕が緩んで、私からも彼の顔を正面から見れるように傾ける。
「どうして?」
「そうじゃないとお前、その内ルベンを置いて王都に行っちまうだろ」
いやなんで王都行くの前提⁈
そうは思ったけれど、結構真面目に断定するルベンに何も言えない。取り敢えず置いていくとはどういう意味だろう。
えええええええ……と私が返事に困って一音だけを漏らしていると、ルベンは開き直ったみたいに足を私の上で軽くばたつかせた。また正面を向き直して、明るい声と長い鼻先で空を仰ぐ。
「王都はすっげーんだってよ。狐族の村でもよく聞いたけど、食い物も色々あるし、船もでけぇし、人間族の服もアクセサリーも色々あるだろうし、ソーだったらここよりもっといい生活できんじゃねぇの?」
いや品はもう港の貿易船見るだけで足りてるし、食べ物も服もアクセサリーも正直そんなに興味ない。一回観光で見に行ってみたいとは思うけど、今すぐ旅にという気分には……
「ソーなら玉の輿とかもできるだろ?あと、どんな種族の店でも働けるし、どうせいつかは王宮とか行くんだろ?偉くなりたいとか、転移者なのにそうじゃねぇならソーは何したいんだよ?」
むしろ王宮とか行きたくないし関わりたくない。権力者関連に関わるともう闇に葬られるか「秘書がやりました」と犠牲に遭う気しかしない。
なんだかルベンの話を聞いていたら余計に行きたくなくなってきた。もうゴブリンさん達にお金は貰ったし、あとはニートにならない程度にこの仕事を
「それにソーは前の世界でも本とか外国の話が好きだったんだろ?なら王都に行けば異種族の本屋も腐るほどあるだろうし」
…………ん??????????
ちょっと待って。
ルベンの話に一気に私の思考が変わる。今なんて言った?
「ルベン、今なんて言った??」
「?異種族の本屋も腐るほどあるって。王都は異種族の連中がごろごろ住んでるっつったろ?でもソーみたいに言語はわかんねぇから、その種族専用の店がすげぇある。そしたら絶対本屋もあるし、ソーならどの本も読めるだろ?」
「………………………………」
私の問いに適格にピンポイントを突いてきたルベンに息が止まる。
衝撃的事実に気付いてしまった私の頭に一気に血が回り出す。目の前に餌を垂らされたみたいに一つの欲求しか考えられなくなる。心臓が一拍分の沈黙の後にバクバクいって、指先まで血の巡りがよくなって背中まで震えながら熱くなる。
ぞわぞわぞわぞわっと考えれば考えるほどに身体はすごく正直で、もう元の世界に帰る方法とか王宮とかすらどうでも良くなってくる。
本が、ある。
そうだ、当然だ。スキル鑑定に行った時だってお姉さんが分厚い本を持っていた。
サンドラさんの家や市場でも本は何度か見たし、存在は当たり前のように認識していた。でも、もっと大切なことに気付いていなかった。
ずっとこの世界での生活とか現状についていくのに精いっぱいでそこまで考える余裕がなくなっていた。本がある、そして異種族にも本の文化があるというのならそれも素敵に各種族ごとの本がある。この世界で翻訳の概念がなくて、しかもスキルを持っているのが私だけだということは
この世界で翻訳できるのは私だけだ。
競争相手もいない。翻訳できる本も言語も山のようにある。
言語が理解できないだけで、皆他種族の文化に興味がないわけじゃない。なら、異種族の本を翻訳すれば読む人もいるんじゃないの⁇しかも王都には異種族の本屋があるということは出版社だってあるだろうし、異種族の本を翻訳しますといったら物珍しさもあって採用してくれる可能性も高い。この世界なら翻訳の競争相手もいない。そして王都なら翻訳できる本も売ってくれる本屋も出版社もたくさんある!
王都に行けば、翻訳家の仕事もできるんじゃない??
「行く。絶対行く、すぐ行く、今行く、速攻行く、お金全部使っても絶対絶対王都に行く!!」
決まった。
もう衝動のままに行くことを何度も宣言すれば、自然と声まで大きくなってルベンが少し引いた。振り返った顔で口が少し引き攣っているのが見えた。丸く見開いた目が、瞬きもしないまま私を見た。
むぎゅうううとルベンを抱き締めたら「ぐえ」と小さく呻きが聞こえた。でも今は深くは気にせず心に決める。
異世界とかもうそんなのどうでも良い。この世界でなら翻訳家の仕事ができる可能性があるならそれしかない。
通訳の仕事も好きだし楽しいけれど、私があくまでやりたいのは翻訳だ。もうその可能性を1%でも知った以上、妥協なんかできるもんか。
折角スキルも翻訳家向きなんだからもうこれが天啓で良い。少しのリスクを負ってでもいいから私はこの仕事がしたい。前の就職活動と一緒だ。
その仕事がしたいなら自分を売り込むしか道はない。そして王都ならその可能性が種族の数ほど広がっている。もう行く以外の選択肢は私に残されていない。
今日中にサンドラさんに話して土下座してでも王都に行かせてもらう。ゴブリンから貰った予算もあるし、最悪徒歩でも道案内のルベンがついてきてくれるならきっと行けるはず。たとえ何年の長旅でも絶対絶対王都に行く。
妥協なんか許さない。
翻訳三昧な人生の為なら、旅でも冒険でもなんでもやってやる。
勢いよく立ち上がった拍子に背表紙から本が落ち、パラパラと風に捲られた。
〝神を討たんと醜い心を剥き出しに矛を掲げる彼らに、神は嘆き悲しみそして奪った〟
〝もう二度と悪しき野望を共有しあうことがないように〟
〝もう二度と彼らが自分の元へ訪れることがないように〟




