8.狐は尋ね、
─変な女が、居た。
「話って何?サンドラさんじゃなくて良いの?」
手招きする俺に、女は殆ど疑いもなくひょいひょい近付いてきた。
玄関の扉を閉じる直前に家の奥に何か呼び掛けてたから多分一緒に馬車から出てきたヘソ出し女にだろ。
敷居の前に立つ俺に歩み寄る女は、膝を折って覗き込んあっきた。目をぱちくりさせて、本当に俺からの用事がわからねぇって顔だった。
─ 最初から妙だった。
「…………昨日のこと、よくわかんねぇんだけど。」
昨日、俺はコイツに二度も会った。
一度目は森で拾った。町の連中とは違う格好して真っ黒だった女をヘソ出し女に届けて金を貰った。今までもよくあった迷子の届けだ。
取り敢えず見つけて届ければ、本人かヘソ出し女から金が貰えた。時々結構な額をくれる時があって稼げるから、定期的に奥の奥まで見回るようにしている森は良い稼ぎ場所だった。
すごく鈍臭くて鈍間で面倒な女だったけど、大人しくついてきた分まだ楽だった。一番嫌いなのは泣くか怯えるかベタベタにくっついてくるか、案内も無視して森の更に奥まで入っていこうとする馬鹿だ。
─ けど、興味はなかった。
「えっ、あ⁈……あれ?ごめん財布の誤解はまだ解けてなかった⁇えっと、どこまで説明したっけ?」
そっちじゃねぇよ。
そう思いながら女を睨む。慌てた女は流暢にペラペラと昨日のことを話し始めた。男が俺が拾った財布をくすねようとしてたとか、俺を泥棒に仕立て上げようとしたとか、……そっちはどうでも良いってのに。そんなことよりも俺が知りたいのは
─ 細い身体で庇われた、その時までは。
「…………それでなんで、急にお前が出てくるんだよ」
意味が、わからなかった。
今までも人間にボコられたことは何度もあったし、わけわかんねぇままふん縛られたこともある。それでも人間は獣人族よりもずっと払いが良かったから、何度でもここに来た。
ちょっとしたことですぐに金を寄越すから、獣人族の村で働くよりずっと稼げたし楽だった。迷子の案内とか落とし物を拾ってヘソ出し女に渡せば一日分の飯金を稼げた。それに、村と違ってここの人間は──……、……。
「?だってみんなが寄ってたかって無理やり縛ろうとしてたから。ああいうの嫌でしょ?」
そりゃあ嫌だ。
でも、慣れてたし最後にはいつもグルグル巻きにされて町の外に捨てられるだけだった。また金をせびる場所さえ変えるか、最悪別の町に移れば良い。
どうせ人間は俺達を歩く動物としか見てないから大して気にしない。なのに
『貴方は財布を拾っただけでしょ⁈』
……初めて、庇われた。
会うのも二回目で、へそ出し女よりも会ったこともねぇのに。
へそ出し女だって誰も俺を庇ったことねぇのに。意味わかんねぇし、わけわかんねぇし、……あの人間の男にいきなり掴み掛られた方がずっと驚かなかった。
小さい婆さんが財布落としたまま気付かずに通りを抜けていった。拾って渡せば分け前貰えると思って走って拾って、……そこでいきなり後ろ首を掴まれた。
意味のわかんねぇ言葉でぎゃあぎゃあ喚いて俺が掴んだ財布を反対の手で奪おうとしやがって。てっきりこいつも婆さんからのお礼目当てに横取りしようとしているんだと思った。
喧嘩している間に婆さんは見逃すし、匂いで追おうにもいつまでたっても男は手を離さねぇし。次第に表通りまで引きずられて、他にも人間がどいつもこいつも俺の財布を狙うから。
ムカついて、絶対譲ってやんねぇって決めたし、何度もぶっ殺してやりたくなった。同じ狐だったら殺してた。でも、……ああいう目に遭うのも慣れていた。
なのにこの女はいきなり叫んで飛び出してきて、キーキー喚きながら人間達を掻き分けて俺にしがみついてきた。
首を絞められるのかと思ったけど、そうじゃなくて。むしろ抱き締めてくるような感触が、後ろ首掴まれるよりずっと慣れなくて、息も止まって動けなくなった。
男から手も離されて逃げられるようになって、てっきり道案内の礼に逃がしてくれんのかと思ったらそれも違った。俺が慌てて逃げようとしたらそのまま引き留めてくるし。じゃあこいつも財布が欲しいのかと思ったけど、キーキー叫ぶだけで一回も俺の財布へ手を伸ばさなかった。
俺に引きずられるくらい力もねぇくせに、ずるずる引きずられながら騒ぐからキモかった。
「それに子どもが大人に寄ってたかって虐められてたら助けるのは当然だし」
は?
女の言葉に、思わず伏せかかっていた目を上げる。見れば当然のように俺を見下ろしていた。
人間の年齢はよくわかんねぇけど、少なくとも見かけからして若かったし貧弱だ。それをむしろ今良いこと言ったみたいな顔で自信満々の笑顔を俺に向けてきた。
冗談か馬鹿にしてんのかと思ったけど、この顔は多分本気だ。試しにうまく力の入らねぇ口で「お前いくつだよ」と聞いたらやっぱり思った通りの年齢だった。なんかすげぇむかつく。
「俺、お前よりずっと年上だからな」
そういってやった瞬間、目を真ん丸に見開いた女が絶叫した。
「ええええっ⁈」って叫んで、俺を上から下まで見る。人間っていうのはもしかして身長だけで年齢を判断してんのか?
試しにそう聞いたら今度は「ごごごごめん!」と返事にならない答えだけが返ってきた。
そりゃあ獣人族は人間族より寿命も倍以上長いけど、単純な年齢なら俺の方が上に決まってる。
「わ、私実はその、異世界転移したばかりで、だからあまりこの世界のこと知らなくて!だから人間以外の人のこととかわからなくて、さっきも初めてゴブリンに会ったし……あ、転移者ってわかる?」
「知ってるに決まってんだろ。人間にもいるのは初耳だけど」
数十年に一度、異世界転移した奴が現れて色々すげぇスキルとか持って生活を良くしてくれる。
獣人族でそういう奴がいて、わりと有名だと話すと「獣人族にもいるの?!」とまた叫ばれた。やっぱりこいつ言葉わかってもうるせぇ。
そのまま「サンドラさんも知ってるのかな」とへそ出し女の家を振り返った。昨日もそういえば言ってた気がするけど、へそ出し女の名前はサンドラっていうらしい。わりと普通の名前だ。
初めて会った時は俺より小さいガキだったけど、その時からずっとへそだした格好ばっかだし、昨日会ったらすげぇ蹴りだし変な奴だと思ったから、名前も変だと思ったのに。わりと名前も獣人族と変わらんねぇセンスなんだなと思う。
そこまで考えた時、ふと目の前でぐるぐる目を回している女のことが気になった。そういえばこいつの名前を知らない。……別に知らなくても絶対困らねぇけど。
「……そういえばお前って名前は?俺、まだ知んねぇんだけど」
でも、やっぱり聞く。
今まで人間族の名前なんて聞き取れるわけもねぇし、知りたいと思ったこともない。でもやっぱりこいつの名前は知りたかった。
女は慌てたように俺に目を向けた後、すんなり名前を教えた。
〝ソー〟……やっぱりわりと普通だ。もっと変な名前だったら転移者っぽいのに。
そう言ったらソーは「前の世界だと〝アイ〟とか〝カオリ〟とか〝メグミ〟の方が多かったかな」と思い出すように説明してくれた。そっちの方がずっと転移者っぽい。
「モフ……狐さんの名前は?」
「…………きつ、ね……」
その呼び名に、すげぇ違和感がする。
俺が思わず黙り込むと、ソーは「え、違った?」と首を傾けた。
すぐには答えたくなくて、顔ごと目を逸らす。何も言わない俺にソーは「サンドラさん達がみんなそう呼んでたから」と続けた。
俺の知らねぇところで狐って呼ばれていたことがなんだか嬉しくて、でも……胸に引っ掛かる。
「人間には、ちゃんと俺は狐なんだよな」
確認するように声を低めれば、ソーは戸惑いながらすぐに返してきた。正面を向く俺の顔を覗き込むように座ったまま、背中を丸めて小さな顔と黒目がちらちら視界に入る。
そうだ、間違いなく俺は獣人族で、狐族で、あっちの村の連中と変わらない。なのに
「…………白くても、……狐だよな…………?」
白いだけで、嫌われる。




