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1.神野奏の終了


妥協なんて、したくはありません。


〝私〟としての人生がたった一度きりなのに、妥協するなんておかしいでしょう。

 夢を決めた時から、叶えるために必要な手順もちゃんと踏みました。勉強も優秀な成績を収めました。高校では生徒会にも所属して、陸上部の副部長も務めました。海外留学の経験もあります。

大学では難関国立大学に入学して、必要な資格も授業も全部取得しました。成績だって上位です。体力にだって人並み程度は自身もあります。好印象を持って貰えるように体型だって維持しました。

「黒髪で長すぎると面接で印象が暗いよ」と教授に言われ、ボブショートまですっきり切りました。前髪もぱっつり切って揃えました。化粧だって派手に見えないように顔色が悪く見えないように配慮しています。自分で言うのも何ですが、なかなか理想的な若者だと思います。ねぇ、なのに、どうして。


「どうして就職先が見つからないのぉぉぉお~~!!……」


 神野(じんの) (そう)。某有名国立大学、言語学部の大学院生。

今日も希望を絶たれた私は、一人電柱に向かって拳を叩きつけることになった。力一杯叩きつけた所為で拳の骨の奥までじんじんするし、周囲からの不審者扱いの視線が痛い。先週新調したばかりのパンプスが踵にすれて痛いし、指も圧迫されて辛い。


今月だけで七件目。今日もまた、就職先候補を失った。

……本当は、大学院まで行くつもりはなかった。大学を卒業して、さっさと就職するつもりだった。でも就職先が見つからず波に乗り遅れ、こうしてずるずる大学院まで来てしまった。大学を主席で卒業した私が、就職を乗り遅れてそのまま院生。

同級生だった友達はそれなりに良い仕事について頑張っている中で、私だけが毎日毎日レポート書いて企業の説明会に行って面接受けての繰り返しだ。

 

「もしもし……山崎教授、神野です。また駄目でした。……はい、はい。……。……嫌です。絶対それだけは譲れません……」

泣くのを堪えながらいつものように担当教授に電話する。

最初はメッセージだけにしてたけれど、最近は電話にするように指定された。落ち込む私をその場で諭す為の教授の強硬手段だ。他の生徒と違って、私だけが絶対に言うことを聞かない所為で教授も最近は手段を選ばない。

 

「いえ、ですから嫌です。その為に大学院に進んだと面接の時にもお伝えしたじゃないですか。……「縁が無かった」って……縁が欲しかったから、山崎教授の研究室に入ったんですが??」

今のところ、毎回教授の説得は失敗に終わらせている。

どうにもかくにも私を納得させるほどの説得力がない。力及ばずとか謝られても困るし、このままだと卒業がとか言われても就職先さえ見つかれば今すぐにも自主退学だっていとわないのに!!


「……「妥協」……?そんなことができていればとっくに就職してます」

駄目だ。だんだん苛々して声の抑揚が無くなっていく。

こっちだって必死になっているのに何故心を折らせようとしてくるのか。もし分不相応な目標ならそんな生徒の目を覚まさせるのも教授の仕事だろうけれど私はそうじゃない。別に私の希望は決して高望みではない!


「取りあえず内定一個ぐらい取ってから、って……それ取ったら絶対そこで妥協しろって攻め落とすつもりじゃないですか。加藤先輩がそれで去年一般企業に就職させられたの知ってますよ?ツアーガイドも私がやりたいこととちがうって……一流大手??いえ、そういうのを望んでいる訳でもなくて」

わかる。就職率を学校のアピールポイントに上げている学校で、私がこのまま逃し続けたらまずいのだということも。

教授だって多分大人の事情でどうしても私を就職させたいのだろう。三分の一くらいは本気で私の将来を心配してくれているとも思う。


「……山崎、山崎教授?聞いて下さい。私は本当にやりたい仕事をやりたいだけなんです。高望みとかそういうのではなくて、……いえ彼氏とかいませんし外人の恋人が欲しいとかじゃありませんって前にも言いました。今そういうのセクハラですよ?……で~す~か~ら」

長い教授の話にぷつんっ、と頭の糸が切れる。

携帯を割らんばかりに握りしめながら、最後はガラガラと低い声が出た。鷲づかみ、耳から離した私はスマホの画面に向けて思い切り教授へ怒鳴る。


「私は翻訳関係の仕事しかしたくないんです!!何の為に十カ国語も言語習得した上での分厚いレポート出したと思っているんですか!!!!」


そう叫んだ私は、耐えかねてとうとう一方的に通話を切った。

後で教授に直接怒られるのだろうなと思いながら、携帯を鞄に戻して歩き出す。

……普通の人は。技能があって努力だけじゃ叶わない夢と言われて何を想像するだろう。歌手とか俳優とかスポーツ選手とか。でも私がなりたいのは、そんな華やかで沢山の人の注目を一身に浴びるような仕事じゃない。テレビや映画の世界でも主役にはなることは滅多にない。

それでも今の時代、需要の少ない職業でもある。


子どもの頃、大好きだった本が殆ど外国の作者だったと知った。

それを日本語に書き直してくれる人がいて、そんな仕事があると知ってからずっとずっと憧れた。大人になったら翻訳の仕事について、自分が翻訳した本を沢山の人にも読んで貰うんだと決めていた。なのにいざ大人になってみたら、翻訳関連の仕事は求人が激減。

翻訳アプリ、翻訳家を仕事にしている古株大御所様が世代交代をしてくれないとかの所為でいつまで経っても新しい席が空かない。頼む方も最近現れた若者より昔から翻訳に慣れたプロを使いたいに決まっている。

私は、自分で言うのもなんだけどそれなりに優秀だ。普通の一般企業ならいくらかは受かる自信もある。それでも、最終的には研修や説明会、インターンの時点で全て縁を切ってしまった。



翻訳の仕事じゃなかったから。



「嘘つき嘘つき嘘つき……」

今日行った説明会の企業に向かい、呪いの言葉をぶつぶつ吐く。完全に不審者だ。

靴擦ればかりで履きなれないパンプスでコンクリートの地面を擦り、歩道橋の階段を一人でゆらゆら歩く。

今日だって教授が勧めてくれた求人で、相手は大型出版社だし職務内容に海外書類の〝翻訳〟が含まれていたから意気揚々と挑んだのに実際はただの秘書業務だった。

面接で仕事内容の翻訳について確認したら「まぁ今時はネットで翻訳できるから」の一言で気楽にどうぞと流された。私はネット翻訳と会話する為に就活を頑張っているわけじゃない‼︎

もっと自分の言語力をフル活用して役立って!私だからできる翻訳をして!あわよくばたくさんの人に読んで貰いたいのに‼︎


カン、カンカン、と早足に階段を登りきる。俯いたまま、肩も背中も丸くなる。大分作り込まれて錆びて塗装も剥げた歩道橋は大道路を跨いで一本の橋だった。

踵を引きずりながら歩き、道半ばで立ち止まる。まるで御役御免にされたサラリーマンのように、歩道橋の端で手摺にもたれかかって前のめる。

私の下をいくつもの車が走り去っていて、道路の両脇にはいくつものチェーン店が喧嘩するようにズラズラ並んでいる。

こんなに仕事があって、仕事に向かう人がいて、……でも私と同じ仕事に就きたい人も就いている人もきっと居ないと思う。

ハァ〜〜〜と長いため息が溢れる。そのまま息をその分吸い上げるついでに深呼吸へと切り替えた。高い所だから空気が良い、と思ったら排気ガスの匂いがして途中で息を止める。本当に何をやってもすっきり決まらない。

そう思っていると鞄がブルブル震え出した。中に入っている携帯だ。教授かな、と既に取り出す前から嫌になりながら鞄に手を入れる。手探りで手帳やペンケースを間違えて握った後に、やっとスマホに辿り着く。画面を見れば進路指導課からだった。


「……教授が何か言ったのかな」

やっぱり出るのを止めよう、と思ったけれどでももしかしたら今度こそ本命の仕事紹介かもしれない。どうしようと考えながら、取り敢えず震える携帯片手に手摺から離れ

「あっ⁈」

……ようとした拍子に、携帯の角が手摺にぶつかって手から零れ落ちた。

ぽろりと宙に飛び込んでいく携帯を追って手を伸ばし、無我夢中で身を乗り出す。届かせようと踏み込む足に力を込めたら



ずるり、と。

履きなれないパンプスがコンクリートの地面を滑った。



上半身から全て、橋の向こうに飛び出した。

肩に掛けていた重い鞄と頭と重力に引っ張られ、悲鳴を上げる間もなくあっという間に全身が歩道橋から零れ落ちた。浮遊感に息が止まり、携帯に伸びた手が空を切る。携帯はもう私より先に地へと向かっていく。


嘘。死ぬの? おかしいでしょ、どうして、こんな。

短文ばかりが頭に過って走馬灯すら出てこない。こんな筈じゃなかった、こんな風に死ぬ為に勉強してきた訳じゃない。就活中の女子大生なんて、そんなのになる為に就職先を選んできたわけじゃない。


夢を、決めた。叶えるために手順も踏んで勉強もして優秀な成績を収めて生徒会もテニス部の副部長も海外留学も大学院に進んだ努力した誰よりも絶対努力した!ここで死ぬならどうして何故何の為に今日まで努力して必死になって多国語を覚えたの⁈

地上が、近付く。道路より前に走っている車の上に落ちそうだと思った瞬間、瞬きを忘れていた目の中が真っ暗になった。



…………私の努力、何だったの?



そう思った瞬間、衝撃より先に意識が遠退いた。

あまりの絶望に涙も出なかった。




……









── スキル該当項目検索中……


………………あれ?


── 容姿、特質能力該当無し。


……暗い。…………何処、ここ。


── 身体能力、機能、特質能力該当無し。


身体に自由が効かない。さっき……私、歩道橋から…………。……夢⁇


── 知能、特質能力該当一件有り。


水の底に沈むような感覚で重くて、苦しい。……どっちが夢⁇


── 想像力、思考力、特質能力該当無し。


……病院…………?


── 日常習慣能力、特質能力該当無し。


さっきからブツブツ聞こえるけど、上手く頭に入らない。

声が出ない。頭が上手く働かない。目を開いているのか閉じているのかもわからない。訳がわからないのに、何にも湧いてこない。


── 最も高い特質能力〝言語翻訳能力〟十件分をスキルに適合、引き継ぎを行います。


…………翻訳⁇


── 〝言語翻訳能力〟十件分を変換、増幅。

スキル〝万族翻訳〟に変換します。


いま、翻訳って……え、どういうこと⁇どうしていまそんな





── 引継完了。問題なく〝神野奏〟を終了致します。






ぷつん、と。……テレビを切ったような音が、聞こえた。


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