征服王黄色
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
そういえば、こーらくんはリコーダーをまだ持っているかい? 自分の部屋か実家かは問わないけれどさ。
鍵盤ハーモニカと並んで、まず誰もが一度は触れる楽器だよねえ、リコーダー。はじめて手にしたときは、よくあれだけの穴の数で演奏ができると思ったものだ。
学校の実技系の授業で、いろいろと用意するものは他にもある。
習字道具だったり、裁縫セットだったり、ポスターカラーだったり……人によっては、それこそ手垢がつくくらい使い込み、今なお家の一角で眠っていることだってあるだろう。
よくお世話になるこのグッズ。たとえ手入れをろくにせずとも、観察してみたことはあるかい? そこに何かしらの異状を見出したことは?
私の昔の話なんだが、聞いてみないか?
私の学校で採用されたソプラノリコーダーは、アイボリーカラー。
その名の通り、象牙を思わせる黄色みを帯びた白色を指している。これ一色で全体が統一されているものだから、はためには木製のそれのように見えるだろうプラスチック製。
白に近いとなると、汚れも気になるもの。たとえそれが落とせるものであったとしても、黒をはじめとして目立っちゃう色が多すぎる。
私は見た目にかんしては、自分の手が届く範囲で気になるタチでね。かのリコーダーに関しても、外側の拭き掃除は日々行っていたんだよ。
おかげで購入から一年あまり、目だった汚れを長居させ続けはしなかったのだけど。
忘れもしない、あの音楽の授業の日だ。
授業の終わり際に、さてしまおうと本体を見て、足部管に汚れが引っ付いているのが見て取れた。
外側からは見えづらい裏側。ホールの真反対にあたる箇所に黄色いものが浮かんでいる。
授業と自主的な練習以外、ケースから出したことがない楽器。いたずらをのぞいて汚す恐れがあるとしたら、私自身の不手際くらいのもの。
しかし、どこで汚したのか見当がつかない。リコーダーに限らず、ものを持ち運ぶときにはどこへもぶつけないよう、細心の注意を払っているつもりだったからだ。
リコーダーのケース内で、せいぜい汚す可能性があるとしたら、手入れ用のクリームくらい。それがこうも、大胆な自己主張をしてくるなど考え難かった。
そもそもこの黄色、クリームのものというより、マスタードといった方がいいような濃い色合いなんだ。
その日の空き時間を、すべてリコーダー拭きに費やす私だったが、こいつには歯が立たなかった。
水に油に、いずれでも落とせそうな手を取ったのに、いささかも薄れる様子なし。
あたかもここが、昔からの我が家でござい、と言わんばかりに、でんと居座る図々しさと頑固ぶり。
しかし汚れに懐柔策を取ろうにも、いったいどうすればいいものか。
結局、家に帰ってからもぽちゃぽちゃ水につけて、洗剤使った退去命令と参るくらいしか考えられない。
その科学の結晶でさえも、不動の石頭を解きほぐすには至らなかった。
が、人体の神秘こそが、その交渉を想像外の上首尾へと持っていく。
だ液だ。
いろいろ試したあと、ダメもとでハンカチをなめて、その黄色にあてがったところ、これまでの苦労がウソのような、効果のてきめんぶりをみせた。
たちまち布地へ移しとられていく黄色。それを見て「得たり」と思った私は、まだ無事なハンカチ部分を湿らせて、どんどんと黄色を落としていったんだ。
ちょいとばっちい印象はあったが、リコーダーがきれいになるのは切望していたこと。ハンカチにはこの際、尊い犠牲となってもらう。
そして、ハンカチは犠牲になった。
リコーダーにひっついていたのは、面積でいうならリコーダーの裏側におさまるくらいの広さ。10円玉ほどかどうかという、狭い範囲だったんだ。
それがハンカチに舞台をうつすや、好き勝手にその色を広げていく。すべてをリコーダーから取り去ったときには、10センチ四方はあるハンカチの半分以上が黄色に染まっているという始末だった。
――まるで金か何かのような、伸びぐあいだな。
そんなことを思いながらも、当初の予定通りハンカチに別れを告げる私。
この時間帯、まだ誰もいない台所のゴミ箱。その奥近くへハンカチを突っ込んだんだ。
リコーダーを汚し、自分を手こずらせたにっくき相手でもある。ちょっとでも意趣返しをしてやろうと、汚いものの底へほうりこんでやったつもりだった。
明日は燃せるゴミの日でもある。「貴様の最期ももう近い」と、ほくそ笑んでやったのだけれど。
翌朝。
ゴミ出しは家族でローテーションになっており、その日はたまたま私の番だったのだけど、いざ戸口前へ出された透明のビニール袋を見て。
底に近い部分が、やたら黄色く染まっているんだ。
ハンカチを捨てた後、母がうっかり、生卵を盛大に割り落としたから印象が上書きされて、てっきり台無しになった黄身が、顔をのぞかせているのかと、そのときは思ってしまったんだ。
それが、ゴミ捨て場までの数十メートルほど。運んでいる最中にも、どんどんと面積を広げていく。
四方のみならず、袋そのものさえも。
白みを基調とした透明な表面に、色濃い黄色の浸食汚染。その広がりかたを見て、ようやく私はハンカチの黄色に思い至る。
――こいつ、まさか今になっても自分の領地を広げ続けているのか?
生き物のごとき振る舞いに、私の足運びは急激にせわしくなり、すでに山となっている他の袋たちの上へ、ぽんとドロップ。そそくさと、その場を後にした。
後はもう、知らぬ存ぜぬ。
いつも通りのご飯を食べて、いつも通りのテレビを見、いつも通りに学校へ行くだけだ。
当時、小学生な私の登校時間は午前8時20分。
それに間に合うように出た場合、熱心なゴミ収集車の回収とタイミングが重なることもしばしばあった。
その日もそこで、収集員の人の回収ぶりを見ることになる。
すれ違いざま、私の持っていった袋が回収車に放り込まれていくのも目にした。
すでに袋は半分近くまで黄色く隠されていたが、他の袋の同類とばかりに、淡々と投げ込まれていき、二度と私の手元へ戻ることない一方通行ロードへ乗せられていく。
これでお前とは永遠におさらば……できると信じたいところだったんだけどなあ。
しばらくバス通り沿いに歩いて、いよいよ学校へ着くかというとき。
真横の車道を、あの回収車が快調に飛ばしていくところだった。青一色のボディは、見間違えるはずがない。
ただ一点、ゴミを巻き込み式で奥へ追いやる部分のフタだ。
持ち上げるあたりに、紅一点ならぬ黄一点がくっついている。しかもそれは、青信号に乗ってどんどん遠ざかるのを見送るわずかな間でも、なお広がっているのがじかに見られるほどだったんだ。
きっといずこかで収集員も気づき、何かしらの処理はしてくれたのかもしれない。
いまもこうして、世界を黄色に染め上げてしまうような事態は起こっていないのだから。
でも、いつまたあの征服が始まるのか……と、ちょっと不安にはなるけどね。