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コール・オブ・スカイ  作者: ひゐ
第六章 向かい風に狙いを定めて
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第六章(02) お前の背中を押してやりたかった

 ――まずい。


 どん、と叩きつけられた。芝生が抉れ、土色が見える。しかし寸前でアークは転がるように避けていた――心臓が爆発しそうだ。振り返ることもできない。

 ドラゴンはもう一度叩き潰そうと、前足を上げようとする。けれどもそこで、顔の前をハレンが飛ぶ。吸い寄せられるようにドラゴンはそちらを見て、牙をむく。


 その隙に、アークはカノフの元へとたどりついた。ふらふらと立ち上がったカノフを支える。


「足を怪我したらしい。うまく立てない……」


 連れて逃げようにも、カノフは左足を浮かせていた。アークは尋ねる。


「翼は?」

「こっちもうまくいかない……全く……」


 カノフの背負った『叡智の書』は、妙な光を発していた。書に例えられるが実際は箱のようになっているそれを見れば、大きな亀裂が入っていた――故障だ、先程壁に叩きつけられた時に壊れてしまったのだろう。


 ドラゴンの咆哮が空気を震わせる。そしてハレンの悲鳴が聞こえ上空を見れば、白い光が煙のように宙で揺らいでいた。ドラゴンの炎。ハレンがその勢いに煽られ、宙でひっくり返りそうになっている。と、ドラゴンは、アークとカノフへと視線を落とす。ぎらつく目が、向けられる。


 とっさにとったアークのその行動は、無意識だった。

 ホルスターから銃を抜けば、アークは引き金を引いていた。唯一持つ武器を手にしていた。けれども放たれた橙色の弾丸は、ドラゴンの鱗を前に砕け散り、それを見て我に返る。


 何故ランクの低い者には、それなりの武器しか渡されないのか。

 それは危険な場所に勝手に入れないようにするためだ。危険な場所に入るには、相応の武器が必要だ。経験や才能も。だからこそ力を認められた者だけが昇格し、強い武器を手にできる。


 ――橙ランクの武器は、ドラゴンと戦うことを考えられた威力の武器ではない。

 何故なら、橙ランクの者はそんな危険な任務を請け負うことがないからだ。

 いまの自分の『叡智の筆』と呼ばれる武器は、ただのペンと同じだった。


「敵わない、逃げるぞ! とにかく安全な場所に隠れるんだ!」


 頭が真っ白になりかけたが、カノフの言葉にアークは翼を広げた。そして兄を肩で支えながら羽ばたく。カノフが言う。


「ドラゴンは基本的に縄張りから出てこないと聞いた、恐らくこの庭園から出れば……」


 だからアークはあの真っ暗な通路を目指した。いま一番近い逃げ道は、そこしかなかった。

 けれども一人を連れて飛ぶのは難しい。時折地面に近づけば蹴ってまた飛ぶ。バランスを取るのも難しく、ふらつく。それでも逃げる。逃げるしかない。


 だがドラゴンは容赦しない。跳ねるように飛んだかと思えば、それこそ猟犬のように二人へと飛びかかってきた。自分達に、巨大な影がかかる。すぐさまアークは横へとそれた。

 ドラゴンの巨体からは逃げることができた。それたアークのすぐ横で、鱗に覆われた硬い身体が地面を割るかの勢いで着地する。

 慌てたために、そしてドラゴンの着地の衝撃で、アークとカノフは絡まったように地面に転がった。と、アークの手から銃が離れ芝生の上を転がっていく。


「しまった……!」


 と、顔を上げられたのも束の間、ドラゴンが大きく口を開けていた。喉の奥では、煮え切ったような白い輝きが見える。そして、放たれる。

 目の前が眩しさに覆われる――覚悟してアークは身構えたが、


「……っ!」


 なんとか身体を起こしたカノフが剣で炎を弾いた。


「おい、しっかりしろ!」


 カノフは間髪入れずアークの襟首を掴む。だからアークはカノフに肩を貸せば、ウサギのように近くの茂みの裏に飛び込んだ。


 心臓が痛いほどに鼓動を打っている。まだ安心はできない、カノフを連れて、急ぎ足で茂みの影の中を動く。と、先程まで隠れていた茂みが白い炎に覆われ、跡形もなく消え去る。

 しばらく必死で進んだところで、アークは止まった。茂みの中からドラゴンを見れば、どうやらこちらを見失ったらしく、辺りをきょろきょろとしている。うまく逃げられたらしい。ハレンの姿もない、どこかへうまく隠れたのだろう。


 けれども問題は、どうやってこの庭園から脱出するか、だ。真っ暗な通路からは遠のいてしまったし、入ってきた扉も遠い。ほかにこの庭園から出る道はなさそうだ。その上、カノフは足を怪我し、翼も故障してしまった。どうやって脱出するべきか。


「……俺をおいて先に逃げろ。荷物になってるだろ?」


 と、唐突に言われたその言葉に、アークは耳を疑い兄へ振り返った。カノフは、


「お前とハレンで先に外に出て、救援を呼ぶんだ。大丈夫、うまく隠れてるさ」

「そんなことできるか!」


 あんなドラゴンがいるここに、兄を残して外に行くなんて、できない。

 もしかしたら――死んでしまうかもしれないから。

 ドラゴンはまだ二人を探しているようだった。侵入者は徹底的に潰しておきたいらしい。


「……隙を見て、一緒にここから出るぞ」


 アークはそう提案した。ここに隠れ続けて、ドラゴンの隙を伺えば。機会はあるはずだ。

 けれどもカノフはひどく苦い顔をした。


「正直……無理だろうな。相手はあのドラゴンだ……冒険譚や英雄譚に出てくるドラゴン……」


 そこで唐突にカノフが笑い出した。

 それは唐突に。最初は湧いてきたものを抑えるように。だが徐々に堪えきれなくなって声を漏らして。


「もう……笑うしかねぇな。あんなのがいるなんて」


 決して楽しそうなものではない。それは後悔や諦めの笑みだった。


「やめとくべきだったな……でもここでお前を止めたら、お前はもう二度と前に進もうとしないんじゃないかって思ったんだ……こんなところで、無駄死にさせるつもりじゃなかったんだ」


 突然何を言い出すのだろうか。まだ誰も死んではいないのに。

 この緊迫した空気の中、おかしくなったような兄にアークは戸惑うしかなかった。


「何言ってんだよ……どうしたんだよ……」

「――俺はただ、お前の背中を押してやりたかっただけさ」


 ――その時だった。

 二人に大きな影が覆い被さり、咆哮が頭上で轟いたのは。

 いつの間にかこちらまで来ていたドラゴンが、上から二人を覗きこんでいた。


「――見つかった!」


 驚いている暇もない。ドラゴンの口からは白い揺らめきが溢れ出ている。すぐさまアークはカノフを連れて翼を開こうとしたが、その前にドラゴンの口がかっと開いた。

 だが次の瞬間、鈴のような発砲音が聞こえた。どこからともなく駆けてきた紫色の流れ星が、ドラゴンの頭上間近を通って壁にぶち当たる。


 まさに炎を吐こうとしていたドラゴンが顔を上げる。離れた空中には、翼を広げ紫の銃を構えたハレンがいた。険しい顔をしているものの、しっかりと銃口をドラゴンに向けている。

 その隙にアークは、カノフを連れてその場から離れる。ほかに隠れられる場所を探す。


 宙にいるハレンは、ドラゴンに向かって、再び銃の引き金を引いた。だがその銃弾は、標的から大きく上に逸れて、天井に当たる。紫色の光が爆発し、ガラスが割れるような音がして、天井には穴が開く。夜空が顔を出す。

 やはりハレンは、銃の扱いに慣れていないのだ。アークは壊れた天井から夜空を見上げた。


「――これじゃあ当たらない」


 と、ついにハレンは苛立ったように銃をしまえば、自分のナイフを取り出そうとした。

 けれどもその隙を狙われた。その瞬間、ドラゴンは炎を吐いた。白い輝きは波のようで、勢いよく高くに伸び、驚いたハレンを押しつぶそうとするかのように包み込む。


「ハレン!」


 ハレンが墜落していくのを、アークは見た。どさりとハレンは茂みに落ちる。


「まずいぞ!」


 カノフに言われなくてもわかっている。

 まずい。ハレンが危ない。ドラゴンは墜落したハレンを探し、茂みを睨む。

 ――しかし、どうしたら。でも、このままでは。


 と、ドラゴンは突然、アークとカノフへ向いた。まだ十分に距離をとれていないというのに。

 同時に、身体の左側から叩きつけられたかのような衝撃にアークは襲われた。勢いのまま、打ち上げられるように薙ぎ払われ、宙から地面へと転がり落ちる。


 突然のことに何が起きたのかわからなかった。

 全身に痛みが走る。だが苦痛に目を閉じている暇はない。

 アークが目を開ければ、ドラゴンの長い尾が揺れていた。あれにやられたらしい。


 ――勝てない。


 痛みと恐怖に、身体と思考が支配される。震える身体は起こせなかった。


 ――あんなのに、勝てるわけがない。


 もう逃げることもできなかった。目を閉じることもできず、アークは目の前の強大な敵を見つめていた。

 カノフも、ハレンも、やられてしまった。自分よりも『探求者』として上である二人が。

 太刀打ちできる相手ではない。自分ももう、武器もないのだ。しかしいま持っていたところで、あの銃では、ドラゴンの前ではおもちゃ同然だった。


 ――何もできない。


 完全に無力な存在だった。あとは殺される時を震えて待つだけの、何もできない自分。

 ……だがドラゴンはアークへ向かってくることはなかった。別の場所へと向かっている。

 ――その先の草地に転がっていたのは、カノフだった。


 尾に払われた時に、カノフはあちらへと飛ばされてしまったらしい。起き上がろうとしているが、うまくいかないようだ――ドラゴンの目は、そんなカノフだけを見ている。

 カノフが危ない。このままでは殺されてしまう。

 名前を呼ぼうとしたが、アークは声を出せなかった。


 ――怖い。あんな存在、戦えるわけがない。見つかってしまったら。

 ……そもそも自分は、何もできない『探求者』。無力な『探求者』。

 こんな状況でも、兄のために走れない。

 ――何もできない。


 悔しさに掴んだのは、緑色の芝生だった。全身が痛んだ。

 ……怯えてばかりの自分が、情けなかった。

 こんな自分は――嫌いだった。

 だが――土で汚れた手を見て、ふと、アークは思い出した。


 ――俺はただ、お前の背中を押してやりたかっただけさ。


 それは先程のカノフの言葉だった。

 カノフ。危険な場所かもしれないとわかっていたのに、また幽霊が怖いのに、一緒にここへ来た。ハレンのことを、止めなかった。


 ……背中を押してやりたかった。

 ――カノフは。

 ここで弟の自分が、何か成し遂げられたのなら、と思ったのではないだろうか。

 だから、危険があっても自分がどうにかする覚悟で、そして幽霊のような存在がいても我慢してついてきたのでは。否、自分を引っ張ってきてくれたのではないだろうか。


 ――失敗するのが怖いんだね。


 次に思い出したのは、ハレンの言葉。

 失敗が怖い。それで全てを否定されてしまう気がするから。

 ――もう二度と、失敗したくないと思ったから。

 やらなきゃよかったと、後悔するだろうから。


 ――けれども、俺は……。


 手の土を払う。まだ土を掴むことはできたのだ。その手で、アークは身体をゆっくり起こす。


 ……本当に、何もできないのだろうか。


 それは初めての疑問だった。

 ――怖いことが、あった。

 それは――ここで失敗することだった。

 ここで何もできなかったら。ここで何もしなかったら。

 自分は一生、後悔する。何もできなかったことを。何もしなかったことを。


 ――やってみようって思わないと、まずできないもの。


 「……そんなのは、わかってる」


 震えは、止まらなかったけれども、それでも身体は起こせた。もう無理だと思ったが、しっかり地面に立つことができた――。

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