朝•森の緑のトンネル抜けて
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程よく繁る枝葉から零れ落ちる夜明けの太陽は、カーラの柔らかな薄茶色の毛をまるで宝石のように飾っていた。
夏の始まりを告げる鳥のピチクリと騒ぐ声が、もうすぐ抜ける森の向こうから聞こえてくる。
カーラは柔らかな短靴を軽やかに運びながら、曲がりくねった木の根を越えてゆく。
頬がうっすら上気しているのは、道を急ぐからだけではないだろう。
♪あなたはどうしているかしら
♪仔ウサギ捌いているかしら
♪小麦粉丸めているかしら
♪それとも蝋の塊を
♪花の形にしているかしら
カーラの歌声は、透き通った高い声だけれども、柔らかで優しい表情がある。
遠くの小川のせせらぎや、梢を渡る風の音と連れ立って、カーラの歌は森を駆ける。
複雑に並んだ大木の枝が差し交わされた、天然のトンネルに差しかかる。もうすぐ森の出口だ。
森の側に広がる草原が、カーラが森から出てくるのを待ち侘びているようだ。
草原は茜に染まり、朝露が虹色に輝く。カーラの靴は朽葉を踏み越え、柔らかな草葉を蹴る。
避けきれないほどびっしり生えた、青や白や紫の小さな花たちが、眠りから覚めて首をもたげる。
色とりどりの草花に埋もれた古びた木のフェンスが見えて来た。古いなりに手入れをされて曲がりのない庭木戸が、花の間でお行儀良く閉まっている。
カーラの健康に日焼けした指先が、しなやかに木戸を開く。戸につけられた真鍮のカウベルは、陽気な音を立てる。
「カーラ!」
庭の奥で、藤に囲まれた青い扉が勢いよく開き、銀髪の青年が明るい笑顔で出迎える。
カーラは庭木戸から小路に導かれ、ハーブと蔓バラの小ぢんまりした前庭の奥、板葺き屋根の青い小屋に向かう。煙突はゆったりと煙を吐き出して、朝のコーヒーが深い香りを預けている。
「ブライ!」
程なく扉に着いたカーラは、ブライの広げた腕に飛び込む。
2人は一度ぎゅっとしてから身を離し、微笑みあってキスをする。
「おはようカーラ」
「おはようブライ」
朝の挨拶を交わして、もう一度キスをしたら、手を繋いで扉を潜る。
小屋に入ると、小さな暖炉と棚、そして簡素な木のテーブルに椅子が二脚ある。床には地下への跳ね戸があり、右手には寝室への扉があった。
テーブルの上には、朝ごはんが美味しそうに並ぶ。赤いギンガムチェックのランチョンマットの上には、可愛らしい丸い黒パンが。その隣には緑鮮やかなハーブと豆とじゃがいものスープが湯気を立てている。
「鹿肉のベーコンを持って来たのよ」
「ほんとかい?すぐに焼こう」
手にした籠からベーコンを取り出して、カーラはブライに薄紙で包んだ塊を渡す。
ブライは包みを受け取ると、棚からまな板を持ってきた。よく研いだ反り刃の小さなナイフで、赤い鹿肉のベーコンを手際よく削いでゆく。
ある程度削ぐと、今度は暖炉にセットした鉄の網にフライパンを乗せる。放り込まれたベーコンたちは、すぐにじゅうじゅうパチパチ歌いだす。
♪あなたはどうしているかしら
♪ベーコン焼いているかしら
♪コーヒー沸かしているかしら
♪それとも蝋の塊を
♪素敵なレースにしているかしら
カーラがベーコンの焼ける音に合わせて歌い出す。ブライはクスクス笑っている。
「さあ、焼けた」
「うーん、美味しそう」
2人は木皿に移したベーコンを持ってテーブルに戻る。
「いただきまーす」
テーブルの中央には、繊細な花飾りが施された蜜蝋がある。ブライは飾り蝋燭職人なのだ。
華やかな飾り蝋燭は、お祭りや結婚式などのお祝い事で使われる。出産祝いにも贈られる、人気の伝統工芸品だ。
「ああ、美味しかった」
「よかった」
食後にコーヒーを飲みながら、2人はそっと指先を絡める。
「今日も間に合ったわ」
「うん。嬉しい」
2人の視線が絡み合う。向かい合わせに座った小さなテーブル越しに、2人は身を乗り出してキスをする。
「そろそろ行くわ」
「また明日」
「ええ、きっと」
「待ってるよ」
テーブルを片付けて、2人並んで庭の井戸で食器を洗うと、カーラは庭木戸へ向かった。
ブライは食器の入った大盥をその場に置いてついてゆく。
「カーラ」
ブライは名残り推しそうにカーラを抱きしめる。
「ブライ、もう行かないと」
言いながらもカーラは、幸せそうに微笑む。
日が高くなり始めている。
遠くで鹿が鳴いている。
2人はさっき食べたベーコンを思って、クスリと笑う。
それから優しいキスを交わして、カーラはとうとう木戸を出た。ブライはその背中を見送っている。
カーラの姿が、初夏の陽を浴びてキラキラと揺れる。足元の草は深く、花の湖を渡る妖精のようだ。
「ああ」
ブライの零した哀しみと愛しさを込めた吐息が、霞んで溶けるカーラの姿を追って消えた。
そこにはもう、明るい笑顔の優しい娘の姿はなかった。カーラの歩いていた場所には、吹き渡る風に柔らかな茶色の毛を靡かせて優雅に走る、不思議な森のオオカミがいた。
「また明日ー!」
ブライが愛を込めて叫ぶと、茶色い毛をした魔法のオオカミは、嬉しそうに振り返る。
はにかむように瞬きをして、カーラであったオオカミは、澄んでいるうえに柔らかな声の、優しい遠吠えで応えるのだった。
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