マッドサイエンティストならぬマッド女彫り師
7話です。主人公、ちょっと出張
前日の酒場での力仕事が堪えて、見事に筋肉痛を負った。無残にベッドに沈む俺に、湿布を持ってきてくれたイノセントは俺の腰やら脚やらにべたべたとそれを貼りながら言った。
「職場体験についてだけどさ、明日ちょっと遠出する気ない?」
「明日? 多分その頃には筋肉痛も治まってるだろうからいいけど……次はどういう職種だ」
「彫り師の助手、ってところかな」
「彫り師ィ? 彫り師って言うと、刺青を彫る人のことだよな」
「そうそう」
一通り湿布を貼り終えたイノセントは、部屋の片隅に置かれていた机から椅子を持ち出して、俺のベッドの前に背もたれを前にして腰掛ける。手にしている書類は情報でも載っているのだろうか。そう思っていると、イノセントは笑う。
「トモヤの元いた世界がどういう状況かはわからないけど、中々どうしてこの国の実情にそぐわしい仕事なんだよ。見て損はないと思うよ」
「ふぅん……? まぁ、そう言うなら……」
俺はその案件を承諾した。イノセントが笑い含みしていたことには、気付かなかった。
本当に「ちょっとした遠出」だった。既に馴染んだ三輪トラックの狭い助手席。1時間もしないうちに、町並みは変わっていって、白い石造りの家々が見えた。何より特徴的だったのは、堆い山――イノセントに聴いたところ、それは鉱山だという。そう言えば宝石の国とか言っていたような……? 俺が納得しながらも首を傾げていると、「ほら着いたよ」と言う言葉と同時に車が停まった。
「ここはサンデライラ。首都東寄りに外れの鉱山の麓にある村だよ」
イノセントに連れられて先導された先。そこは白い石造りの家の中でも平均的な大きさに見えた。ここが彫り師の店か? そう思っていると、イノセントは開け放たれたままの出入り口から声を張り上げた。
「おーいエヴリン、エヴァ! 職場体験の人連れてきたよー」
「え? 早かったね」
メゾソプラノの声。可憐なその声に反して足音は荒い。顔を覗き込ませたのは、頭にバンダナ、チューブトップと、腰に巻いたツナギの袖のうら若い女性だった。年の頃で言えばイノセントと変わらなそうだ。どうやら労働基準法というものはこの世界にはないらしい。ついでに既にわかっていたことだが、たぶん運転免許に関する法律もゆるゆるだ。推定15才のイノセントが普通に車を乗り回しているので。
俺がそんなことを考えているのを余所に、イノセントは粗方俺についての説明を終えたらしい。出入り口から出て来たうら若い女性は、手を差し伸べてきた。どうやらこの世界では握手が基本的な挨拶らしい。断る理由もなかったので握り替えした。その手は職人らしく硬かった。
「じゃ、俺はちょっと石を採掘してくるから」
とイノセントはヘルメットを被って気軽に鉱山へと歩いていった。そう言えばツルハシとかノミとか持って行ってたな。そう思いながらも彼女――エヴリンと名乗った女性に、微笑まれて先導された。バンダナから覗く浅い金色の髪と、鮮やかな緑の目が清冽で。彼女を美しい、と言うよりも「きれい」という言葉で表現したくなった。涼やかな河原のような印象を受けた。
その印象も、次に彼女が語り出した言葉で吹っ飛ぶのだが。
エヴリンは「はーしかし勿体ない」とぼやく。
「何がです」
俺が思わず問うと、彼女はぐるりとこちらを向いた。びびったのは内緒だ。彼女はセミロングの髪をポニーテールにしている。それが激しく揺れる様は圧巻だった。
「だってさ、イノセント! 勿体なくない?」
「何がでしょう」
「あの全身白粉を塗ってるんじゃないかってほどの白い肌! つやっつやの皮膚! 絶対刺青が映えると思う! 何回も何回も何回も彫らせてって言ってるのに、頑なに彫らせてくれないの。『仮にもジェマーケット家の長男だから彫り物はちょっと』って! でもあの素材は勿体なさ過ぎる! あぁぁ、彫りたくて彫りたくて腕が疼いてきた……」
「お、落ち着いて……」
「おーいエヴァ、続き彫ってくれー」
「あ、すいませーん」
息を荒げるエヴリンを宥めたのは、結果として客からの呼び声だった。そこは商売人らしい。すぐに飛んでいった。
ぽつんと残された俺は、することも思いつかず、とりあえず手近の本棚にあった書籍を読むことにした。
即ち、「ユヴェーラントと刺青の歴史」。
――ユヴェーラントは移民の国である。
各種様々な宝石が発掘されることが発覚したこの国に、あらゆる移民がやって来た。一攫千金を夢見るモノ、出稼ぎのために来たモノ、様々だ。主な人間は鉱山で働く労働者となった。
けれど鉱山で事故に遭うと、ひどいときは体の1部しか出て来ない。もちろん体の1部なので、誰の死体かわからない。
そこで、誰がはじめたかはわからないが、労働者は刺青を彫るようになった。
このユヴェーラントにもある海の漁師が船出して、海難事故にあったとき。どんなに膨れた体だろうとそのセーターの模様でどこの誰かがわかるように、女たちはその家々独自の模様のセーターを夫のために編むという。
刺青はつまり、そのセーターの替わりなのだ。
体の1部しか見つからなくても、それが誰かわかればせめて墓標に名を刻める。場合によっては、その労働者の故郷に手紙を出してやれるのだ。
(つまり、俺の元の世界で言うドッグタグみたいなもんか)
「おーい、えーと名前なんていったっけ」
本を閉じる。恐らく俺のことを呼んでいるのだろう。咄嗟に本棚に差し戻してから彼女の元へと歩いていった。
「トモヤです」
「そう、トモヤ。ちょっと手伝って」
「とは言っても、俺、彫り物の知識なんてありませんよ」
「大丈夫」
そう言って、エヴリンは。緊張した面持ちでベッドに横たわる男性を見遣る。見たところ若そうだ。とりあえず会釈した俺はどういうことか、と目で訴えると、彼女はウィンクで答えた。
「君、まだ若いでしょ。力仕事だよ」
成る程。理解した。
「うあああああああ、いってええええええ」
「ほらほら、忍耐忍耐。私の腕前ならすーぐ終わるからねー」
人間、痛みには反射で手足をばたつかせてしまう。そのために手なり脚なり抑える担当が必要なわけだ。力いっぱい抑えているつもりだが、相手は如何せん若い鉱山労働者(推定)。元気いっぱいに脚がばたつく。それでも俺は必死で抑え続けた。この刺青が、この年若い労働者の死後を保障するものだと既に学習したから。
結局、その日抑えた客の数は3人。暴れる脚を抑えるのは中々重労働だった。
イノセントが迎えに来たのは夜7時過ぎのことだ。
「やあ大漁大漁。やほー、トモヤは元気にやってる?」
「あぁ、イノ。今日は助かった」
エヴリンは彫り道具を片付けながら笑う。
「いつもなら客の暴れる手足を躱しながら彫り物をしていたからね。抑える係がいるのは助かる。今度からバイト募集かけようかな」
「それはよかった。で、トモヤは?」
「そこのベッドを見て」
声がかかる。俺は、客用ベッドのひとつで突っ伏していた。それを見て、イノセントが「あちゃー」と声を上げた。
「もしかして今日も筋肉痛になりそう?」
「……悪いが、明日また休みを挟んでくれ……」
「おっけー。さあ帰ろうか」
言いながら、イノセントは俺に肩を貸してくれた。
「それじゃまた今度ね、エヴァ」
「あぁ」
そうして俺たちは車に戻ろうとした。その途次、イノセントはこっそり耳打ちしてくる。
「頑張ったご褒美に、面白いことを教えてあげようか。あ、でも周りには秘密ね」
「ご褒美……?」
「仕事中に見たと思うけど、エヴァの刺青はとっても繊細だったでしょ」
言われて思い出す。暴れる手足を押さえながらだったが、ちらりと見えた彫り細工はとても緻密だった。それを思い出し、既視感を覚える。
あれ、どこかで見たな。あんなディテールの刺青……。
「君がこの間職場体験した酒処ミシュレ。あそこの主人のラファエルを憶えてる?」
「忘れられないって。長身の強面で刺青があって、……あ?」
「そ」
答えるイノセントの声は短い。
「あいつの刺青は確か全部エヴァの作品。あいつ、趣味が刺青だから」
「へぇ……。……で、どれが面白いって?」
「うん。それでまあよくある話なんだけどね」
イノセントは囁いた。今日1番小さな声で。
「付き合ってんの。ラフとエヴァは」
「……は? あの……エヴリンさんって、その……お前と年が変わらないように見えたけど……」
「違わないよ。俺の1歳下」
「彼の妹さんのエマも、お前と年が変わらないよな……?」
「うん。で、ラフは24」
しばしの沈黙。
「……この世界じゃ犯罪じゃないのか? それは」
「犯罪ではないけど、道徳的にまずいって言うのはある。少なくともラフはエヴァと付き合ってること……って言うか自分の妹と年の変わらない彼女がいること自体隠してる。まあわざわざ刺青を施術してもらうために遠出してるから、何かあるって怪しまれてはいるだろうけどね……」
そう言ってから、イノセントは続けた。
「まあそういうわけで、トモヤ。君もこのことは内緒にね」
「お前が言わなきゃわからなかったことなんですけどね?」
イノセントは笑って誤魔化した。
なおこの後、帰宅後再び湿布を貼る俺に、仕事が終わったらしく部屋を訪ねてきたアダマスが「力仕事、向いてないんじゃないか?」と至極真っ当なことを助言されることになる。
Next......