異世界就活はじめます
6話です。主人公、酒場に足を踏み入れる
朝、起こされて饗された朝食は豪華、と言う言葉で表せばいいだろうか。昨晩の夕食も豪華だったし、恐らくこの国の富豪のスタンダードなのだろう。尤も「この国の3つの祖のうちのひとつ」と称されるほどの家柄らしいのでグレードは恐らく段違いだろう。この国の領土面積や人口のほどはまだわからないが。ただ、量が元の世界の欧米基準だったのは勘弁して欲しかった。イノセントもアダマスも平然とすべて平らげていたので尚更肩身が狭い。昨晩の夕食のあとでイノセントにこっそり相談したが、今朝の朝食はハム1枚減ったぐらいだった。俺にとっての食事の適正量の先行きが遠い。これは本当に早々に仕事を決めて家を出ねば。社畜時代もそれなりに努力して自炊はしていたから多少なりとも料理に自信はある。……とは言っても家に帰ってくる頃には常に体力がギリギリだったのであまり自炊、とはっきり断じることのできる料理のレパートリーは少ないが。それに台所がどういう仕組みかもまだわからない。そのうち使用人の人に頼んで厨房を見せてもらおうか、しかし恐らく大富豪の家の厨房など参考になるだろうか――
「トモヤ、足下」
「えっ、うわっ」
イノセントに指摘されて慌てて蹈鞴を踏む。道の端を歩いていたせいか、割れた敷石に躓きそうになっていた。朱色のそれから2、3歩離れると、イノセントは苦笑した。
「この辺ちょっと治安悪いからね、整備が行き届いてないところもあるんだよね。役所に電話しないとなあ」
「えっ……治安悪い……?」
「あー大丈夫、タマ取られるほどじゃないから。それよりほら、ここが俺が連絡つけといた先の――」
「テメェふざけんな!!」
その怒声と共に――どうやら少女の声――、激しい物音。俺は驚いたが、イノセントは平然としている。俺が恐る恐るイノセントの背後から見ると、道路に椅子が複数、テーブルがひとつ転がっていた。ガーデンスタイルの店だろうか。あと、男がひとり。中年で、恰幅が良すぎる。そんな男が「何をするんだ!」と頬を押さえながら地面に座り込んだまま怒鳴った。……もしかしてビンタあるいはパンチひとつでテーブルや椅子を巻き添えにするほど吹っ飛んだのか。男が弱いのか、少女が強いのか――出て来た少女は、栗色の髪の、溌剌とした印象の少女だ。今は怒気に漲っているが。
「あぁ? 女のケツ触っといて『何をするんだ』だぁ? いい度胸してんな、この酒処ミシュレで女にセクハラ働くような奴ァ――」
「エミー、そこまでにしておけ」
そこに、落ち着いた声が降ってくる。俺が見ると、そこには彼女と同じ栗毛の、精悍そうな青年が彼女の肩に手を置いていた。印象的だったのは、190cmは超えていそうな高身長もそうだが、腕や首に覗く細かい刺青だ。恐らく服の下はもっと彫ってあるだろう。その強面と高身長と刺青の三重奏が、見ているだけの俺も怖じ気づかせる。それに気付いた様子もなく、男は顎で中年男を示した。
「そいつを見ろ。足腰立たなくなってる」
「あぁ? ちっ、仕方ねぇな……おい、料金はタダにしといてやる。2度はねぇぞ」
「……くそっ、言われなくても2度とこんな店来ないからな!」
捨て台詞を吐き、中年はふらつく足腰を叱咤するように道向こうへと駆け去っていった。
その姿も見えなくなった頃、ざわめきがやってくる。見ると、このときはじめて遠巻きに客が複数いるのに気付いた。それぞれジョッキと、つまみが乗っていると思しき皿を手にしている。彼らは無事に並んでいるテーブルにそれぞれ席に着きだした。テーブルを戻す、エミーと呼ばれた少女は打って変わった愛想の良い笑顔で客に応対する。
「すいませんね、お騒がせしました。クソ客は追い出したんでどうぞゆっくり飲んでってください」
「はは、エマは相変わらず血の気が多いね」
「え? あぁ、なんだ。イノか」
「イノだって?」
栗毛の少女と青年が顔を出してくる。そんな彼らに、イノセントは言った。
「電話したでしょ。とりあえず職場体験させたい奴がいるって。とりあえず今日1日働かせて欲しい奴がいるの。ほら、トモヤ。挨拶して」
「あぁ、電話で言ってた奴か」
とは青年の方だ。強面にやや怯えながらも、俺は自己紹介した。
「どうも、トモヤ・マツシタです。アキツシマネ出身です。この辺の常識はさっぱりなんで、教えてもらえると助かります」
「酒場で働いた経験は?」
「あー、昔、似たような店を一時期だけ」
昔というのは大学生時代、社会経験としてアルバイトをしていたときのことだ。その後就活がはじまったので居酒屋は辞めてしまったが……そんなことを思い出していると、男とエマと呼ばれた少女はこちらを見る。
そして「いい」とほぼ同時に答えた。
「2人じゃ最近回らなくなったところだしな」
「エシーは合唱団の方に行っていることが多いし、そもそもあいつ酒場で働いた経験がなかったしな。少しでも経験がある方が嬉しい」
エシーとは誰だろう。そう思っていると、彼らはこちらを見て手を差し伸べてくれた。
「まぁそれじゃ宜しく。トモヤ。俺はラファエル・ミシュレ。ラフと呼んでくれ」
「私はエミリア。エマでもエミーでもいいよ」
「宜しくお願いします」
俺はそれぞれの手を握った。
そこまではよかったのだ。
「3番テーブル! 大ジョッキ3つ! ポテト大皿3つ!」
「5番テーブル! 中ジョッキ2つ! 枝豆中皿5つ!」
「6番! レモン酎ハイ3つ! バタピー小皿1つ!」」
「唐揚げまだー!?」
「えっこの世界焼酎あるの?」
「トモヤ! 何か言ったか?!」
「いえ何でも! 1番テーブル空きましたのでお待ちのお客様どうぞ!」
正直に言おう。クソ忙しい。
システムは一通り教わったところ、元の世界の居酒屋とあまり変わらなかった。ビールサーバーが樽から直接、というところは違ったが。
そこからは目の回る忙しさだ。昼間なのに酒を飲む客が多いこと多いこと。さらに太陽が西に沈みかけてくるに従って客が増えていく。地獄だ。
店の構造は室内の席と、テラス席。秋なので店内と店外の温度差はさしてひどくないが、出るのに地味に時間を食う。店の構造に問題がないか、と思ったが今言ってもすぐに店が改装できるわけでなし。なので声だけは元気に、しかし黙りながら配膳をする。「よっ新入り?」と客が気さくに声をかけてくれることが救いだ。
あと、推定看板娘のエミリアがかわいいこと。これも救いだ。
27才の自分が、どう見てもイノセントと変わらない年頃の少女に抱く感想としては犯罪でしかない。しかしここは異世界。どうにかならないだろうか。多分無理だな。なんかこの世界は元の世界と倫理観や法の基準が変わらないところがある。そう諦めつつも、まぁやっていけそうかな? とうっすら思いはじめたときだった。
聞き覚えのある声が届いた。
「やっほーエマ! 席空いてる?」
「マリーア、それにルーデにスヴァル。来やがったか」
その声にエミリアが渋面を作る。先程セクハラ親父を殴ったときよりもひどい渋面だ。
見れば、アッシュブロンドの女性が2人。ハニーブロンドの男性がひとり。前者の女性に見覚えがあった。確か、彼女は――
「えーと、マリーアさん、でしたっけ」
「え? あんた誰だっけ。――あぁ、この間またイノが攫われたときに一緒にいた奴!」
「え、あぁ彼がそうなのか」
「またイノセントは攫われたのか」
女性――アッシュブロンドのベリーショート。こうして落ち着いてみると、明るい青の双眸が印象的だ。仕事帰りなのかスーツのままで、それは同じアッシュブロンドで長髪の女性も一緒だ。髪も目の色も一緒だし顔も似ているから恐らく姉妹かなにかだろう。そして連れだって歩いてきた青年も同様だ。同じような顔が3つ。たぶん姉弟かなにかだろう。そう勝手に判断していると、3人は席に着いた。そして、マリーアが代表して俺に言う。
「それじゃ、とりあえず樽3つ」
「はっ?」
「いつも通りの注文だからエマかラフに聴いて。それで通じるから。あとポテト大皿で3つ、唐揚げ小皿で3つ、枝豆小皿で3つ。以上」
「は、はぁ……」
言われたままに俺は店の奥に引っ込んだ。そして調理場にいたラファエルに言う。
「すいません、なんかビール樽3つとか言われたんですけど」
「あぁ……マリーアたちか……」
何かを察したらしいラファエルが、げんなりとした顔で言う。そして、どこかに行ったかと思うと、何かを転がしてきた。……3つほど。
それが大きな樽だと気付いたのは、足下にまで来たときだ。
呆ける俺に、ラファエルは「お前も運がなかったな」と溜息を吐いた。
「あいつらはマグダレーナ家の人間でな……」
「えーっと、確か、この国の騎士団団長の家系とかって言う……」
それは憶えていた。ちょっと待て、そんな家の人間が警備員なんてやっているのか? そう思った疑問を余所に、ラファエルは深々と息を吐いた。
「マグダレーナ家は代々酒好き、それも麦酒好きでな……しかも酒豪なんだ……」
「……つまり、彼らにとって『樽3つ』というのは」
「とりあえず生、という挨拶と一緒だな。さて、これを持っていってくれ……重いだろうから腰に気を付けろよ……あと注文はなんだった?」
「あ、えーとポテト大皿で3つ、唐揚げ小皿で3つ、枝豆小皿で3つだそうです」
「それ以上にまた喰うんだろうな……あぁ……あいつらが来ると儲かるんだが、儲かるんだ、が……」
ラファエルの悲哀が、俺には痛いほどわかった。
儲かるって、仕事が増えるってことだもんな。俺の会社はブラックで経営自体が行き詰まってたけど、普通は儲かった結果仕事が増えるもんらしいし。
しかしそれは口に出さず、俺は黙って重い重いビール樽を運ぶことに専念した。
夜10時。閉店時間である。そこに、イノセントが迎えに来た。
「やっほー、トモヤは元気にやってた?」
「あぁ、イノ」
店終いをしていたエミリアが、イノセントの言葉に俺を示してくる。
俺は空いた机に突っ伏していた。
近付いてきたイノセントは、「どうだった? 職場体験1日目」と尋ねてくる。
俺は言った。
「……麦酒樽11個は、もう運びたくないかな……」
「ああー、マリーアたちに当たっちゃったかー。まあいいんじゃない? この店マリーアたち行きつけだから、ここで働いてたらいつかは経験してたことだよ」
「それもそうなんだが……だが……」
「トモヤ、そのテーブル拭きたい」
「すいません……」
エミリアに言われるがままにテーブルから離れる。そして床にしゃがみ込んだ俺は、イノセントにぼやいた。
「とりあえず、明日は1日休みを挟んでくれないか……多分明日筋肉痛になってるから……」
「はいはい。話はつけとくから。今夜はもう帰ろうね」
そしてイノセントは、俺の手を取ると、夜道を聴いたことのない童謡を歌いながら先導していった。
俺は知らない。残された兄妹2人の会話を。
「イノ、随分親切だったね」
「あいつが親切なのは昔からだろう」
「あいつのあの親切さが仇になったことなんて、いくらでもあるだろうに」
「それでも懲りないんだよ、あいつは」
Next......