そんなの聴いてない!
3話です。主人公、キレる。
洗車したお陰でぴっかぴかの三輪トラック。「エーデルシュタインまで近道するから」と言ってイノセントは舗装されていない道を走らせている。また土だらけになるな……と洗車した俺は複雑な気持ちを抱きながら、「で」と切り出す。
「俺が殺されるかも知れないって、どういうことなんだ。人のいるところだと話せないって言うからこうして車に乗るまで待ったけど……」
「うーん……君がどこまでこの国、と言うかこの国近隣諸国一帯の事情を知っているかによるんだけど……」
ハンドルを握ったまま、イノセントは濁すように言う。目線は時折こちらに配された。どうやら余程の事情があるらしい。俺は言いしれぬ胸騒ぎを覚えながら、答えた。
「何にも知らない。俺、その、本当に『遠くから』来たから。この辺の事情をまるで知らないんだよ」
「ふうん……」
気のない返事。わかったのかわからないのか。俺が内心ではらはらしていると、イノセントは言う。
「アキツシマネの出身に『しときたい』とか言ってたし、一文無しって言うし。事情はあるんだろうね。まあ深くは追及しないよ」
「そうしてもらえると助かる」
「ただ、追及せざるを得ないことがある。関わった以上ね」
イノセントの赤い目がこちらを一瞬だけ見た。
「――君が言ってた『スキル』とやら。あれ、……魔法?」
「魔法というか……魔法に近い何かだと思う。俺にもよくわからない」
実際よくわからないのだ。女神には「サイコキネシスが欲しい」とは言ったが、現在自分がどういう力が源になってスキルを発動させているのかがわからない。しかし、イノセントの言葉で希望が湧いた。もしかしたらこの世界にも魔女とか超能力者とかエルフとかがいるのかも知れない。なんか初っ端からテロリストに遭遇したり、テロリストは銃火器を持っていたけど。俺が不安と共に希望と高揚感を抱いていると、イノセントは言った。断罪の言葉を。
「その力は、これからは使わない方がいい。と言うか、使うな」
「えっ……」
「言ったでしょ。死ぬって。これは比喩抜きの話」
イノセントはハンドルを切った。
「正確には、殺される」
「だ、誰に……?」
生唾を飲む俺に、イノセントは告げる。
「――騎士修道会」
「騎士修道会……?」
「知ってる? ボトム教、って言う宗教」
「知らない……」
「まあ、だろうと思った」
車が緩やかに停まる。気が付けば山道に入っていたようだ。車の前を、草むらから出て来た鹿によく似た動物の親子が歩いていった。確か鹿の繁殖期は秋だったはずだから、この世界も秋なのだろうか。自分のいた世界も秋だったし。そんなことを考える。現実逃避だった。そんな逃避をしている俺に気付かず、イノセントは話す。
「ボトム教は、現人神と呼ばれる一族を教祖として祀る宗教。現人神は『奇蹟の御業』を起こす。石をパンに変えたり、水をワインにしたり」
「それは――」
石をパンに、水をワインに。待て、それは元の世界のとある宗教の話でも聴いた。世界三大宗教のうちのひとつで。偶然だろうか? 思わず顔を向けたが、イノセントは気にした様子はない。彼は話を続ける。
「ボトム教という名の由来は単に名字から来てるんだ。この一族は分家もいくつもあって……まあそれはともかく、ボトム家の人間は奇蹟を起こす。獣を人にしたり、空を飛んだり、水の上を歩いたり……とにかく様々。当主は複数の奇蹟を起こせる者がなる。大抵ひとりにつきひとつの奇蹟だから、起こせる数が多いほど『価値が高い』」
イノセントは人差し指を立てた。
「そして、そのただひとつの奇蹟でさえ、現人神一族以外のモノは『起こしてはならない』。それは偽物、紛い物。贋物は神を冒涜する存在。
ゆえに、『在ってはならない』」
息を飲む。先程まで聞こえていた鳥の声が止んだ気がした。
奇蹟。恐らくそれは人知を越えた行い全般を指すのだろう。そして、自分のスキル、サイキック。自分はあの女神に何を望んだ?
『――チート能力とか。転移する人間にも何かくれませんか』
「騎士修道会は、ボトム教を信仰し、そして守護する団体。昔は男性だけだったけど、ここ数百年は女性も加入できるようになった――女性も、戦える人は戦えるからね」
「戦う……?」
怪訝そうに見遣ると、イノセントは苦笑した。苦笑するしかない、という様子だった。
「騎士修道会の歴史は虐殺の二文字で彩られてる。魔女、吸血鬼、妖精、竜、巨人、人狼、その他モンスター……昔はそういうのもいたらしいけど、2千年前にはすべて駆逐されている。すべてだ。亜人種はほぼ人間で奇蹟も起こさないのは見逃されたらしいけど……特に魔女は入念に殺されたらしい。ただ、今でも定期的に『浄化』されてるから、今でもいるんだろうね。魔女は」
「魔女や吸血鬼まではともかく、モンスターも? なんで?」
「存在が『奇蹟の紛い物』、と見なされたって話を聴くな。モンスターは魔法を使えたらしいから。まあ、それも本に書かれたことだから本当のところはわからないけど」
言われて、俺が思い出したのは大人になってから買ったゲーム。どう見ても動物の亜種にしか見えない敵モンスターが、呪文を唱えられるとも思えないのに自分たちが使う魔法と同じ魔法を使ってきたことがあった。この世界のモンスターもその類だったのだろうか。そう考えながらも、俺はイノセントを見た。イノセントもこちらを見ている。やはり美少年だな、などと思っている場合ではない。今後の身の振り方が関わっている話なのだから。
「今までの話を聴いてきてわかったと思うけど。つまり、君が使う『スキル』とやらは、君がこの辺りで生きていく上では非常にまずい。……君がアキツシマネの出身と仮定して訊くけど、何で国を出て来ちゃったの? なんでこの辺りのことを調べて来なかったの? そんなに故郷にいられない事情でも……――トモヤ?」
「……あ……」
俺は膝の上で拳を握った。米神の血管が浮く。
ふつふつと、脳裏に浮かぶのはあの女神。
『うーん、まぁ、あげられなくはないんですけどぉ……いいんですかぁ? 次、あなたが行くことになる世界は――』
『いいでしょう。それでどんなスキルが欲しいんです?』
あのとき、あの女神は笑っていた。
嗤っていたのだ。
「あのクソアマァ!」
渾身の叫びが、車内はおろか山中に響いた。イノセントは耳を塞いだし、窓の外から鳥が飛び立つ音がした。
その日、俺は思い知った。チート能力が障害となる異世界があるということを。
Next......