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疑惑

10話です。主人公、疑念を抱きはじめる


 ヴァナルガンド王国。元の世界では北欧に位置し、神話のフェンリル狼を国教の主神とする、少々異色の国だ。詳しい政治形態などはあまり俺も詳しくないが、立憲君主制と言うことになっており、しかし20世紀~21世紀初頭の王国では珍しく王室の発言力が強いと聴く。何せ、王室は国教である土着のヴァナルガンド教の宗教指導者。指導者の言うことを聴かざるを得ない。そう言う国であるはずだった。あとはロボット開発が主産業になりつつあったか……。

 それと、全く同じ名の国が、この世界にはあるという。俺はそれに疑念を抱いた。抱いたので、イノセントに「ヴァナルガンド王国についての本を貸してくれ」と直球で頼んだ。イノセントは首を傾げながらも快く何冊かの本を選んで貸してくれた。「汚さないでね」と念を押されたがそれだけだ。人が好いにもほどがある。しかし今はそれで助かった。

 そしてさらに驚いた。この世界のヴァナルガンド王国も、さして政治形態も、そして土着の国教の宗教指導者が王室であるということも――それらすべてが同一だった。さすがに北欧神話というものはないらしい。しかしフェンリルという、狼の姿をした旧き神がいたという話になっている。違うことと言えば、元の世界は女王と、女王が未婚で産んだ王女がひとりだけいること。こちらの世界は男性の国王に、王子と王女が複数恵まれているということか。

 そこで気になることがあった。なので、イノセントに本を返しがてら尋ねることにした。本には書かれていなかったことを。

「なぁイノ。この……ヴァナルガンド王国って、独自の国教があるんだろ。でもヘンリーみたいな移民がいるってことは鎖国してるわけでもなさそうだし、近そうだし……それなのにボトム教は『近隣諸国の宗教』として知らしめられている。ヴァナルガンド王国はなんでその影響を受けてないみたいなんだ?」

「あー、これはちょっと事情が複雑でねえ」

 言って、本を書架に戻すイノセントは答える。

「ちょっと説明しづらいんだけど、ヴァナルガンド王国は色々近隣諸国に便宜を図ってくれてるんだよ。ヴァナルガンドは寒冷ながら農作物も豊かに採れる国でね。食糧事情はどこも困ることがある。ヴァナルガンドはかゆいところに手が届くようにそう言う国に融通する。そう言う国だから、どの国も――このユヴェーラントも何も言えないってわけ。特にこの国は、食糧自給率に乏しいからね」

「あぁ……宝石頼りだもんな」

「正確には鉱物全般だけどね。どっちにしろこの国は畑を開拓するより鉱山を開発する方を優先しちゃうから……大事な商売相手、それを無理にボトム教に改宗しろとか無茶は言えないでしょ」

「まぁそれはそうだな。よくわかったよ」

 と、口では言ったものの、俺の心の疑惑は晴れなかった。

 イギリスやイタリア、ドイツなどの雰囲気に似ているもののそれそのものではない国。しかし、人が集まってできた国――それは、元の世界のアメリカに似ている。

 他の国のことはまだわからないが、恐らくアキツシマネは日本に相当する。それ以外の国も、ひょっとして元の世界と似た国々があるのではないか。

 ――異世界の国が、元の世界の国と似ることはままある、と言うことは元の世界の本で学んだ。それらは空想のものだが、外れていないのではないかと思う。しかし、ヴァナルガンド王国という元の世界そのままの名と、酷似した形態の国。それに、今自分たちが話している、英語に似た言語。

 なんとなく、そう、何となく。胸に疑念の陰を落とした。

 それでも、今日も俺はイノセントについていった。


「今回は本屋さんだよ」

 それは、今までの職種の中で最も穏当な仕事に聞こえた。てろてろと街を歩いていく中、それでも自分は尋ねる。

「本屋って、こちらの仕事だと力仕事な上に薄給って聴いたけど」

「そっちだとそうなんだね。こっちは本はそこそこ貴重品だから多分ちょっと違うと思うよ」

 そう言ってから、イノセントは言葉を切った。

「問題は、それよりも」

「万引き死すべし!!」

 かと思えば、斜め前方の店。看板には「Bookstore」とある。本屋だろう。問題は、そこの扉を突き破るように転がり出て来た男だ。男は手に本を持っている。いかにも貴重そうな文献だ。

 そこに、店から出て来る男。眼鏡の奥の緑色の目が理知的だ。問題は、エプロンを身に纏ったその男が明らかな殺意を以て転がり出て来た男の前に立ったことだ。素早くしゃがみ込んで、転がっていた男の胸倉を掴む。

「この間から次々とまぁ……ウチの店から本を万引きしようたぁふてぇ野郎だ。そういう奴には相応なお仕置きが必要だなぁ?」

「ヒェェ」

 と悲鳴を上げたのは、男か、自分か。その間にイノセントは勝手知ったるという様子で店内に入り、ロープを持ってきて、眼鏡の男から引っ剥がして男を縛り上げた。それに眼鏡の男は不満そうだ。

「なんだよイノ、俺は今日こそ万引き犯に鉄槌を下そうとな」

「お前の鉄槌は脳挫傷ものだから。それより本を回収しなくていいの?」

「おっと」

 言いながら眼鏡の男は、男の下敷きになっていた本を滑り取る。埃を払うと、大事そうに掲げた。

「うん、傷はなし。これでこの子のおうちも決まるね」

「その本に対する愛情を他者にも向けて」

「失礼な。そんなもの、万引き犯にくれてやる気がないだけだよ。それより騎士修道会呼んで。こいつを連れてってもらう」

「もう連絡したよ」

 と、中年女性の声がした。見ると、扉の向こうからひとりの女性が出て来ていた。恰幅の良い彼女は、眼鏡の男と同じ緑色の目をしていた。親子だろうか。そう思いながらも、俺は一連の流れを見て、ああ……と察しつつあった。

 やがて連絡を受けたらしい騎士修道会の面々が駆けつけてくる。この辺りの担当なのか、1番偉そうな壮年の男性が「毎度のことながら、程々にしてくださいよ」と眼鏡の男に苦言を呈している。それに男は憤慨した。

「なんでですか。万引きは窃盗罪、つまり我々本屋の財産権を侵害する存在。ひいては我々の死活問題。それに対して抵抗したまでです。違いますか」

「あーもう本屋は無駄に弁が立つから相手してられない。とにかくこいつは引っ捕らえますから」

 そう言って、彼らは万引き犯を引っ張っていく。それを見送ったのち、イノセントが切り出した。

「それで、サン。この人が俺が連絡した職場体験希望者なんだけど」

「もう帰って良い?」

「そう言わんと」

「1日手伝ってくれるんだっけ? 助かるよ。俺はサン・スーシィ。サンでいいよ」

「話を聴いて」

 俺の話は誰にも聴いてもらえなかった。


 結局、この万引き犯を殴り飛ばした男――サンの店で1日職場体験をすることになった。あの万引き犯が転がり出て来た光景を思い出すと非常に帰りたかったが、先日の銀行でも即座に辞退したし連続で仕事を辞退するのはな……と気が引けたのもあって、結局エプロンを借りた。

 少なくともこの国に消防法というものはないらしい。店内は薄暗く、通路は狭い。何より本棚が天井にまで達しており、本棚が壁となって店内を仕切っているようだった。少し埃っぽい。本屋というより古本屋の雰囲気を感じ取ったが、「午後には新刊が来るから荷分け手伝ってね」と言われたので恐らく新書を扱う店なのだろう。そこで俺は疑問を覚えたので質問してみることにした。

「このせか……国って本が貴重品なんじゃないですか? 早々新刊とか来るんですか」

「今日は特別。1ヶ月に1度新刊が取次から送られてくるんだよ。その度に返本したりとかする」

「へぇ……」

 頷きながら、本棚を見遣る。

 見たところ、こちらで言う英語やドイツ語のタイトルが散見された。スペルからしてフランス語だろうか? というものもある。見上げると「政治経済」と英語で記されたプレートが貼られていた。つまりこのジャンルの本なら無国籍に並べているらしい。いい加減なのか几帳面なのかがわからない。とりあえず1冊手にとってみようか、と手を伸ばしたところで頭を軽く叩かれた。

「こら。就業時間中は商品の本を読まない」

「えー」

「買った本なら休み時間にでも読んでいいから。それじゃまずは仕事――埃叩き! はいハタキ」

「はぁい……」

 ハタキをくれるぐらいならマスクもくれないだろうか、と思いながら俺は「向こうの端から叩いてきて」という指示通り、ハタキを片手に店の奥へと移動した。そして、本棚の数の多さにうんざりした。

(これを半分とはいえハタキをかけろと……?)

 俺は軽く絶望しながら、しかし社畜精神が発揮され、「ひたすらやっていればいつかは終わる」と念仏を唱えながらハタキをかけたのだった。

 30分後、そこには本棚を見上げながらハタキをかけたためにやや腰を傷め、目に埃が入った俺と、慣れた様子のサンがいた。ぐしぐしと目元を擦っている中、サンは感動した様子でこちらを見ていた。何かやらかしただろうか。そう思っていると、サンは嬉しそうに言う。

「何度かバイト入れたけど、こんなに丁寧に仕事をしてくれたのは君がはじめてだよ。アキツシマネの人って仕事が丁寧なのかな?」

「あぁ、ある意味国民性ではありますね……1部、『社畜』と言う偏った国民性ではありますが」

 後半の台詞は口の中で消えた。ハタキをサンに渡しながらもごもごと口籠もる。サンはよくわかっていなさそうな様子ながらも、笑った。先程阿修羅の如く万引き犯を追い詰めた男と同一人物とは思えないほど爽やかな笑顔だった。

「国民性ってさ、その国の人が余所の国で取った行動の証みたいなもんじゃん。仕事が丁寧って言うのは、誇って良いことだと思うよ」

 ――それは、元の世界では決して言われなかった台詞。少なくとも、俺には。

 それで、何となく。何となく、少しだけ救われた気がした。元の世界で、無為なほどに頑張っていた自分が。

「……有り難う御座います」

 俺は、その言葉に、ただ礼を言うことしかできなかった。


 それで、俺は決めたのだ。この世界に定住しようと。

 人が人を救う言葉を与えてくれる、優しさのあるこの世界に。


 たとえ疑念があったとしても。


 その後、怒濤の量の新刊が入荷し、荷分け(本の内容の分野ごとに仕分ける作業だと聴いた)に一苦労して再び腰を傷めそうになり、本屋に就職することは諦めたが。






Next......

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