武功の御酒の段
――武功の御酒の段――
天正八年(1580年) 三月
――播磨の国 姫路城 表――
姫路城、その城主たる『羽柴筑前守 秀吉』は、この日、対面の場である書院にて黒田家中のとある侍に目通りを許していた。
「御尊顔を拝し奉り恐悦至極にございまする!!」
「苦しゅうない、面を上げよ」
「はは!!」
「おう、勇壮な面よ。……官兵衛。そなたは有能な家臣を数多抱えておるのう」
秀吉は歴戦の兵である黒田家臣の侍の顔を確認すると、側に控えている自らの与力たる『黒田官兵衛 考高』を褒める。この侍の主君でもあるからだ。
「羽柴様。小寺の姓を捨てたそれがしではございますが、それ故には黒田の家名を隆盛させねばなりませぬ。そのためには、このような忠義者を抱えなければなりませぬ」
「すまぬのう。儂と半兵衛はそなたの事を信じておった。勿論、上様もじゃ。ただ、荒木摂津や松永弾正の件もあって、家中に疑惑が渦巻いておっての。黒田の者を庇いきれなんだ。……官兵衛、体に差支えはないか?」
去年の十月に有岡城の土牢から救出されたばかりの黒田官兵衛。
一連の『三木合戦』における情勢の変化の結果、黒田家はこの度、元の主君である小寺氏の家臣を脱し、正式に織田家臣となり羽柴秀吉の与力として配される事となった。
黒田官兵衛自身も、元の主君である小寺氏から貰っていた小寺の姓を捨てる事を決定したばかりである。
その為、三木合戦が一段落ついたこの折に、以前とは立場の変わった黒田家の主だった者達と秀吉が面会する運びとなったのである。
黒田家の者達に対する面通しと慰撫を兼ねてのものであった。
「御心配には及びませぬ。この官兵衛、十分に休みもうした。……心残りがあるとすれば、今は亡き竹中殿に直接、御礼言上できない事が気に掛かりまする。この上は竹中殿に負けぬ働きをもって羽柴様に報いる所存でございまする」
「うむ。大儀である」
黒田官兵衛は、今は亡き『竹中半兵衛 重治』によって自らの子息の命を救われていた。
秀吉は官兵衛の返答に満足すると、自らの前に頭を下げている男に視線を戻す。
「……して、その方か? 先だっての英賀城の合戦において功績を挙げた者は。軍監によると、その功績特筆に値する、とある」
「はは!!」
「左様でございます。この者らの働きによって黒田も羽柴軍の一員として、面目が立ち申した」
黒田官兵衛は、秀吉の前に控えている自らの家臣に代わって返答する。
「ふむ、では報わねばなるまい。……その方、酒は好きか?」
「はは!!」
「この者は家中一とは申しませぬが、酒を大層好みまする」
またしても官兵衛が答える。
「では褒美を取らせる。その方の働きに免じて、銀十貫と酒樽を一つ、授けよう」
「有難き幸せにござりまする!!」
「羽柴様。黒田家一同、益々の忠勤に励みまする!!」
「うむ。大儀であった!」
黒田官兵衛とその家臣は、姫路城を辞した。
――姫路城下 黒田家屋敷――
「さて、羽柴様に続いて儂からも礼を述べよう。先だっての英賀城での合戦に置いて黒田の面目は大いに立った。そなた達の働きが無ければ儂の言葉を聞く者など、いまい」
姫路城を辞した黒田官兵衛は、自らの屋敷で改めて家臣を労う。
「過分なる御言葉、益々の忠勤に励みまする!!」
「うむ。……さて、お待ちかねの銀十貫と酒樽じゃ」
「有難き幸せ!」
「それと、これは儂からじゃ。酒だけでは寂しかろうと思うて、肴を付ける事にした。今日はもう帰り、英気を養うが良かろう」
「忝きお言葉、痛み入りまする」
家臣は銀十貫と酒樽一つ、それに酒の肴を持って黒田家屋敷を辞し、そして自らの屋敷への帰途についた。
――黒田家家臣である侍の屋敷――
「帰ったぞ!」
黒田家家臣は、自らが主人である屋敷に帰り着いた。
「これは御主人様。お早い御帰りでございますな。それに何やら上機嫌なご様子」
「おう、太郎冠者。分かるか! そうじゃ。羽柴様と黒田の殿から褒美を頂いたぞ!!」
黒田家臣である屋敷の主人は、上機嫌に自らの手柄を下人に誇る。
「それは、ようござりましたな」
「これも武功の賜物じゃ。これより酒盛りを致す。太郎冠者、用意せよ!」
「畏まってござる」
屋敷の主人は着替え、太郎冠者は酒盛りの準備を始めた。
「御主人様、酒盛りの御用意、整いましてござりまする」
屋敷の主人は、褒美の酒樽と太郎冠者が調理した酒の肴の前に座する。
「左様か。……しかし一人酒と言うのも、つまらんな。しかし、他の黒田家中の者は皆、まだ働いているであろう。近々、姫路城も改修の運びになると聞くからのう。……これ、太郎冠者!」
「御主人様、お呼びでございますか?」
「如何なる銘酒であろうとも、一人酒はつまらぬものよ。誰か、良き相手は居らぬか?」
「一人、居りまする」
「ほう。それはどなたじゃ?」
「この太郎冠者にござりまする!」
太郎冠者は自信満々に答えた。
主人は少し頭の中が真っ白になる。
「いや! いやいやいや! 何故じゃ! 何が悲しくて、そなたなのじゃ!!」
「御主人様の下人である、この太郎冠者ほどの心安き者は居りますまい!」
太郎冠者はなおも食い下がった。自らも馳走にありつきたいと思う故であった。
しかし主人はそれを嫌がった。
「これは武功の酒じゃ! 誰か武功のあるものと一献酌み交わしたいのじゃ!!」
「私も先の合戦ではお供いたしておりまする!」
「ただ付いてきただけであろう!!」
「草履は持ち申した!!」
太郎冠者は自信満々に答える。
「……兎に角、そなたではいかぬ。太郎冠者、そなたの才覚でもって誰か連れてまいれ!!」
「……畏まってござる」
太郎冠者は屋敷の外へと向かい、主人の酒の相手を探すことになった。
ご機嫌が斜めでければ高評価、ブックマークをよろしくお願いいたしまする。
もう全部書き上げておりますので、今日中には全て投稿いたしまする。
二次創作のガイドラインに対する備考――
――『和泉流狂言大成 山脇和泉 著 (わんや江島伊兵衛, 1919) 』全4巻の詳細――
著作者は4巻とも『山脇 和泉』と奥付に記載されております。
当時の能楽狂言方和泉流の宗家の方です。
この『山脇和泉』とは和泉流宗家の名跡であり、御本名は『山脇 元照』氏(没年1916年“大正5年” 2月25日『新選 芸能人物事典 明治~平成 日外アソシエーツ[編]』)となります。
何代目の宗家かは数え方に二つの説があり、10代目か17代目です。
なぜこの方と言えるかというと、理由は第1巻においての目次前の前書きに相当する部分において著作者の他界直後の大正5年3月にて著作者の死を悼む記述がある事。
第4巻の著作者の名前の上に故の字が付されている事。
和泉流はこの後しばらく宗家不在となるため次代の可能性がない事となります。
また、なんとこの時代の著作者の部分には、著作者の住所が記されており、その住所がすべて同一であるため、これをもって全4巻の作者が同一であると言えるはずです。
よって底本の著作者の没年は1916年。著作権の起算点は翌年の1月1日。
著作権法に記載された没後70年を余裕でクリアしています。
また公開年に関しても
第1巻 大正6年 3月25日発行
第2巻 大正6年 5月18日発行
第3巻 大正7年 10月25日発行
第4巻 大正8年 5月5日発行
と奥付にて記載されております。
著作者の死後に刊行された著作物であるものの、一応公開70年もクリアしていることをここに示しておきます。
ここに記したことは国立国会図書館デジタルアーカイブにおいてどなたでも確認することができます。
以上の理由により、二次創作のガイドラインにある『童話、古典文学など著作権の保護期間が終了している作品を原作とした小説』に当たると判断できるはずです。