背高のっぽの令嬢は恋に臆病です
「アビー、明日はいよいよ入学式だな」
ウエスト男爵はパンをちぎりながらアビゲイルに話し掛けた。
「ええ、そうよ。制服もなんとか仕上がってきて良かったわ」
アビーもパンに手を出しながら答える。バターはごく薄く塗る。本当はたっぷり塗りたいところだけれど。
「この子ったら今年また背が伸びたから、制服の採寸がギリギリになってしまったのよ」
そう言って母は小さく切った肉を優雅に口に運んだ。
「どうせ一年も経ったらまた丈が短くなるって」
兄が愉快そうに笑うのでアビーは脚を伸ばして向こう脛を蹴ってやった。あまり大きくないウエスト家のダイニングテーブルだからこその攻撃である。
「いてっ」
「不吉なこと言うのやめてくれる? もうこれ以上伸びなくていいんだから」
アビーは兄に向ってふくれっ面をしてからパンを思い切りかじった。
「こら、アビー。もっと優雅に食べなさい。そんなんじゃ、家庭教師にはなれないわよ」
「大丈夫。ちゃんと、やる時はやるから」
アビゲイル・ウエストは十五歳。明日から王立学園に入学する。彼女には目標があった。半年前、家族にこう宣言したのだ。
「私、結婚は諦めた」
「アビー? 急にどうしたの」
「身長が伸びすぎたわ。これじゃあ、ほとんどの男性を見下ろしてしまうじゃない。わざわざ、自分よりデカい男爵令嬢を嫁にもらおうと思う人はいないもの」
「そんなことないわよ、アビー。人は見た目だけで結婚するわけではないでしょう」
「もちろんそうだけど、かなり険しい茨の道だわ。結婚もしないままここにずっといるわけにもいかないんだし、職を持とうと思うの」
「職って……。」
「王宮や上位貴族の家庭教師か、パーラーメイドね。家庭教師なら一生働けそうだし、接客担当のメイドなら背が高くても採用ありそうだし」
「いいじゃん、そうしろよ。俺が当主になった時、働かない妹に家でゴロゴロされてたら嫌だもんなあ」
兄の軽口にムッとしながらもアビーは続けた。
「だから、学園で過ごす二年間は勉学に励み、家庭教師になれるよう頑張るわ。そしてあわよくば上位貴族の令嬢と仲良くなって将来雇ってもらうのよ」
「すげえ、こんな野心を持って学園に行く奴もいるんだな」
「兄さま、茶化さないでよね。兄さまは将来が決まってるからいいけれど、私は切実なの。こんな背高のっぽでもいいと言ってくれる人を探すより、一人でも生きていける術を身に付ける方が絶対確実だわ」
「よく言った、アビゲイル。お前は本当に強い子だ。とにかく、幼い頃から体が大きくて力も強かったからなあ。マイクが小さくて弱々しかったから、二人が逆だったらと何度思ったことか」
自分に鉾先が向いてきた兄が反論する。
「なんだよ、ちょっと成長が遅かっただけだろ。今はアビーより高いじゃないか」
「ほんのちょっとだけね」
今度は兄がムッとしていた。
「ほんとにねえ、昔は取っ組み合いの喧嘩でアビーが勝ったりしてたものねえ。三つも年が違うというのに」
「まあ、さすがに今は兄さまの方が力が強いけど、乗馬は私の方が上手いわね」
「くそう。言い返せない……」
乗馬が不得手な兄は悔しがった。
この会話が半年前のこと。あれからまたアビーは身長が伸び、既に成長が止まった兄を追い抜いてしまった。この国の男性の平均身長よりもかなり高い。
(もちろん、貴族の中にも背が高い男性はたくさんいるわ。でも、身分が高いわけでもない大女とわざわざ結婚しようなんて人はいないでしょ)
だからアビーは十五歳にして一人で生きていく決意を固めているのだった。明日からの学園生活、真面目に頑張ろうと改めて心に誓いながら眠りについた。
翌朝、アビーは制服を着て鏡の前で入念にチェックした。
「スカートの丈、良し」
チェックのスカートは上品なミモレ丈で、ペチコートでふんわりとさせている。編み上げブーツを合わせるととても可愛い。ブーツのヒールは低めにしているけれど。
「リボンタイ、良し」
紺色の上着は軽く身体にフィットする形で、大きな白い襟が付いている。胸元に結んだリボンタイは男爵を表す茶色だ。
「髪型、良し」
アビーの髪は地味な茶色ではあるが、艶があり自然なウェーブがお気に入りだ。だが、勉強の邪魔になるからと自慢の髪は下ろさずきっちりと編み込んだ。
「じゃあ、行って参ります」
始業時間より早めに着くように出発したアビーだったが、教室にたどり着いたのはかなり遅くなった。
「まさか馬車止めで渋滞に巻き込まれるとはね。しかも身分の高い人から降ろされるんだもの」
ブツブツ言いながら教室へ向かう。新入生の女子クラス、今年は十人だと聞いている。
ドアの前で一旦深呼吸をした。中から、キャッキャと話す声が聞こえている。
「あら? 最後の方がいらしたみたいよ」
「どんな方かしら。楽しみだわねえ」
注目が集まっているらしい事を感じながらアビーはドアを開けた。すると、教室の前方に女子がひとかたまりになっていて、その全員がこちらを見ていた。
一瞬の沈黙の後、輪の真ん中にいた女子が、甲高い声で言った。
「いやだわ、また大女じゃない」
すると周りにいた女子が一斉に笑った。
「本当ですわ、二人もいるなんて珍しい」
「食べられちゃいそうで怖いわあ」
(何コイツら。人の事を巨人みたいに)
アビーはムカツいてはいたが、
「おはようございます」
とお辞儀をしてから集団の横を通り過ぎた。皆、クスクスと笑いながらアビーの動きを目で追っていた。
「大女はお仲間にするのはやめておきましょうね。ここにいる七人の方に、これから二年間、仲良くしていただきたいわ」
輪の中心にいる女子は公爵家を表す青色のリボンタイを結んでいた。背は小さく、華奢な身体に濃い金色の髪を見事な縦ロールにして下ろしていた。
周りにいる女子達は皆喜んで、
「よろしくお願いいたしますわ、レベッカ様」
と、キャッキャウフフしていた。
(アホらしい。こんな人達とは関わらずに勉強に集中するべきね)
そう思いながら窓際に視線を移すと、一番後ろの席に座った女子がウルウルとした涙目でアビーを見つめていた。
座っていてもわかるその身長。これが、もう一人の大女だとアビーは理解した。
彼女もまた公爵家の青いリボンタイをつけていた。淡い金色の柔らかな巻毛をハーフアップにしてふんわりと下ろしたその姿は、身長さえ高くなければ、守ってあげたい女子ナンバーワンになってもおかしくない可愛らしさだ。
アビーは一礼して隣に座った。身分差ゆえこちらから話し掛けることは出来ないのだ。
「あのう……。私、パトリシア・バイロンと申します。お名前を伺っても?」
おずおずと、彼女の方から声を掛けてくれた。
「私はアビゲイル・ウエストと申します。よろしくお願いいたしますわ、パトリシア様」
すると彼女はにっこりと笑った。
「私と同じくらいの身長の方と出会ったのは初めてですわ。すごく嬉しい。私と、お友達になって下さる?」
「もちろんです、パトリシア様。光栄です」
アビーは心からそう答えた。こんなに感じのいい人に今まで会ったことはない。
それから二人はいつも一緒にいるようになり、いつしか「アビー」「トリシャ」と愛称で呼び合うようになっていた。
トリシャは大きな身体に似合わず大人しくて気が小さい。同じ公爵という身分で対等である筈のレベッカは、何故かパトリシアを敵視していて、常に大女だデカ女だと嫌味を投げつけてくる。
周りの取り巻き達も、レベッカに気に入られようとして一緒になって悪口を言ってくるのだ。
「どうして言い返さないの?」
「だって、怖いんだもの。それに、大きいのは本当だし」
そう言って涙目で耐えているのだ。アビーは代わりに言い返してやりたかったが、トリシャが望んでいないので黙っていた。
入学してそろそろ一カ月経とうという頃、アビーはトリシャの家に招かれ、二人でお喋りをしていた。
一瞬、沈黙が訪れた時、トリシャが意を決した様子でこう打ち明けた。
「あのね、アビー……私、王子様のことが好きなのよ」
驚いたアビーは思わず口から紅茶を吹き出すところだった。
「王子様って、上の学年に在籍しているローレンス殿下のこと?」
コクコクと頷くトリシャ。しかもポッと顔を赤らめて。
……可愛い。
「それはまた、すごい方を好きになったわねえ。でも、入学してひと月経つけど、接点はちっともなかったわよ? いつの間に好きになったの」
「あのね、実は入学前に王宮で一度お会いしているの。私、殿下の婚約者候補に選ばれているのよ」
「ああ……なるほどね。そっか、王子様のお相手は公爵家から選ばれるんだったわね。雲の上の話過ぎて、今まで考えたこともなかったわ」
「その時にね……、とてもお話が弾んだのよ。ほら、私って星を見るのが好きでしょう?殿下もそうだったの。いろんな星座のお話して、私が凝っている星座占いにも興味を持ってくださって」
「うん、それでそれで?」
「殿下がお持ちになっている望遠鏡をいつか見せたいなって言って下さったの。学園に入学したら会えるのを楽しみにしているって」
「すごいじゃないの、脈ありじゃない!」
「でも、まだ一度も学園ではお話できてないのよ。殿下のクラスに押し掛けて行くわけにもいかないし」
「まあそうよね。上の学年とは校舎も違うんだし。あ、でも昼休みのカフェテリアなら会えるんじゃない?」
学園ではお昼の休憩時間はたっぷり一時間取られていて、広いカフェテリアで好きなものを注文して自由に食べることが出来るのだ。ちなみにこれは学費の中に入っているので無料だ。高い学費を払ってるんだからと、アビーは毎日ガッツリとデザートまで食べている。
「それがね……」
トリシャによると、婚約者候補は他にも二人いるらしい。殿下と同じ二年生に一人、そしてもう一人はあのレベッカだ。
アビーは興味がなかったので気が付いていなかったが、レベッカは殿下の話を取り巻き達と大きな声でよく話していたらしい。
「王宮でお会いした時一緒に庭を散策したのだけど、殿下は、私を慈しむような視線で見て下さっていたわ」
「背が高い殿下を見上げると、ちょうど目線が合うの。私達、並ぶとバランスがちょうどいいのよ」
「昨日は殿下の教室まで入学のご挨拶をしに行ったの。殿下は優しく笑って下さったわ」
「ついでに、二年生の婚約者候補を見てきたんだけど、全然たいしたことなかったわ。ねえ?」
「ええ、レベッカ様。身長はレベッカ様と同じくらいだけど、顔は丸いし身体は……まあこう言ってはなんですけど太ってらっしゃって」
「あら、あなた雪ダルマみたいだって言ってたわよね」
取り巻き達が一斉に笑った。
「雪ダルマと大女ではまったくレベッカ様の相手にはなりませんわね」
「殿下の婚約者はレベッカ様に決まりですわ」
と、そんな話を教室でしていたというのだ。
「まったく、ムカつくわね! 何様のつもりよ」
アビーはプンプンしながらお茶菓子に手を伸ばした。トリシャは悲し気な顔でこう言った。
「そういえば私が王宮で殿下とお散歩をした時は、レベッカと違って一度も目が合うことはなかったのよ。私は、時々殿下のお顔を見ていたんだけど」
「でもトリシャ、話は弾んだんでしょう?」
「うん……でも殿下はお優しいから、あの時は私に話を合わせてくれただけなのかも。そう思うとレベッカみたいに殿下のところへ会いに行くのが怖くなってしまって。私より、他の候補者の方がふさわしいと思うし……」
「ええっ、なんでよ? レベッカなんかより、トリシャの方が品があるし綺麗だし賢いし、お妃にふさわしいと思うわよ」
トリシャはありがとう、と微笑んでからこう言った。
「あのね、殿下は私と身長が同じなのよ……。一番低いヒールでお会いしたんだけど、目線がほぼ一緒だったの」
「なるほど」
つい、納得してしまってから慌ててアビーは手を振った。
「違う違う。つい頷いちゃったじゃないの。だめよトリシャ。身長なんか気にしてたら」
「でも……」
「でも、じゃないの。人は見かけだけで結婚するんじゃないんだから。頑張るのよ」
自分が母に言われたのと同じことをトリシャに言いながら、アビーはトリシャの気持ちはわかる、と考えていた。
誰よりもまず自分自身が、背の高い自分を好きになってくれる人なんていないと思い込んでいるのだ。
(私は身分も低いんだし結婚は難しいわ。でもトリシャは公爵家のご令嬢よ。身分も高い、容姿も美しい、性格も良いんだから恋をためらっているのはもったいないわ)
「トリシャ、任せて。私、全力で応援するわよ」
アビーはトリシャの手を取って約束した。トリシャもやる気を出したのか、神妙な顔で頷いていた。
翌日の昼休み、二人はカフェテリアに来ていた。今日のオススメランチをトレイに乗せてから全体が見渡せる席に座った。
「正直、今まで殿下のことなんてまったく興味がなかったので、どんなお顔なのかも知らないわ」
トリシャはクスクスと笑って
「アビーは、食べ物しか目に入ってなかったものねえ」
「え、ひどーい。私だってたまには素敵な男子くらい……見てません、ごめんなさい」
そう、いつも目の前のランチと、後で食べるデザートのことしか考えていなかった気がする。もう少し周りに目を配らないとな、と考えていたら。
「あっ、いらしたわ、殿下よ」
トリシャが目で合図した方向から、なんだかキラキラしたオーラの塊が歩いて来た。
王族を表す紫色のラインが施された制服を着こなし、美しい姿勢で歩いているその人がローレンス殿下だった。
金の絹糸のような髪は後ろは短く、前は長めに整えられ、深い蒼の瞳が見え隠れしていた。彫りは深いけれどもどちらかというと中性的な美しさを感じさせた。若さゆえの儚い美しさと言おうか。
「ほおお。綺麗な方ねえ」
「でしょう。女子学生は皆夢中になっているらしいわ。むしろ、今までまったく関心がなかったアビーにびっくりしちゃうわよ」
「いやほんとに、興味なかったの、ごめん」
頭を掻きながら殿下を見つめていると、後ろからタタタッと金色の小動物のようなものが寄ってきて殿下に挨拶をした。
「ローレンス様、今からお食事ですか? 私もご一緒してよろしいですか?」
レベッカだ。背が小さいレベッカは殿下の肩くらいまでしかない。だから話す時に自然と上目遣いになる。
「やっぱり、バランスがちょうどいいわよね」
ポツリとトリシャが呟いた。
「こーら、またネガティブ。駄目よ、それ禁止」
アビーはトリシャの頬を人差し指で軽くつついた。
「う、ごめんなさい」
すぐ謝るところがまた可愛い。
「あ、ほら見て、トリシャ。レベッカったら殿下に断られてるわよ」
殿下の後ろから背の高い男子学生が来た。彼の制服のラインは、侯爵家を表す水色だ。
殿下とその男子はトレイにランチを取ると、そのままカフェテリアを出て何処かへ行ってしまった。
レベッカは険しい顔をして取り巻きと共に歩いて来た。大きなテーブルの一角に座ると、取り巻きに命じてランチを持って来させていた。
「殿下は、照れ屋だから困るわ。こんな人の多いところでは話せないんですって」
殿下に断られたのを誤魔化すためか、いつもより大きめの甲高い声でレベッカが喋り始めた。
「そうですわ、レベッカ様。誰が聞いているかわからない所ではお話出来ませんものね」
「殿下にふさわしいのはレベッカ様だけなのですから、他人なんか気にすることないと思うんですけどね。照れてしまうのでは仕方ないですわね」
「他の婚約者候補は雪ダルマと大女ですから、選ばれないに決まってます。レベッカ様は堂々と殿下と一緒にいてもおかしくないですわ」
アビーは立ち上がって文句を言ってやろうとしたが、トリシャに止められた。
「駄目よ、アビー。相手にしちゃいけないわ」
「でも。あんな事言われて悔しくない?」
「私なら大丈夫。喧嘩なんかしたら、あなたの夢である家庭教師が遠のいてしまうわよ」
確かに、学園で問題行動を取った者を教師として雇ってくれる家はないだろう。こんな時まで他人のことを考えてくれるなんてトリシャは本当に性格がいい子だ。アビーは文句を言うのをやめ、気分を変えようとデザートを取りに行くことにした。
「トリシャはどうする?」
「私も今日は食べようかな」
二人で立ち上がり、歩いているとまた甲高い声が聞こえてきた。
「やだ、あれ見てご覧なさい。ツインタワーだわ」
「本当ですわ。遠くから良い目印になりますわね」
「たまには役に立つこともあるのねえ」
取り巻き達が声を上げて笑った。
ああ、ムカつく。アビーはその日デザートを三種類も食べてしまった。
次の日の朝、馬車止めを降りて教室に向かって歩いていたアビーは後ろから声を掛けられた。
「アビゲイル・ウエスト君」
「はい?」
振り向くと、昨日殿下と一緒にいた背の高い男子生徒が立っていた。
「失礼。僕は二年のユージーン・シェラードだ。少し、話したいことがあるんだ。昼休みに、生徒会室に来てもらえないだろうか」
「昼休み、ですか」
「ああ、もちろん昼食は済ませてからで構わない。十二時四十分なら大丈夫だろうか?」
「はい、その時間なら大丈夫です」
「ではよろしく。それと、この事はバイロン嬢には内密に頼む」
「わかりました。失礼いたします」
アビーはユージーンの話の内容を考えながら歩いた。
(これは、いい話なんじゃない? あの人、殿下のお友達だよね。もしかしてもしかすると……?)
「おはようアビー、何かいいことでもあったの? ニコニコして」
席に座るとトリシャが声を掛けてきた。
「おはよう、トリシャ。あのね」
そこまで言ってアビーはユージーンに口止めされていたのを思い出した。
「あ、あのね、今朝の朝食が美味しかったなあって」
「あらやだ、アビーったら。朝から食いしん坊さんみたいなこと言って」
トリシャは可愛らしく微笑んだ。その笑顔にキュンとくる。ああどうか、ユージーンの話が良い話でありますように……。アビーは心の中で祈っていた。
昼休み、トリシャと昼食を済ませたアビーは『先生に呼ばれているから』と言って早目にカフェテリアを出た。
生徒会室は南校舎のニ階にあった。ドアをノックして
「失礼します。アビゲイル・ウエストです」
と言うと返事があり、アビーは中に入った。日当たりのいい窓際に大きなデスク、部屋の真ん中にはソファとテーブルが置かれ居心地が良さそうだ。
「適当に座ってくれ」
部屋の奥からお茶のセットを持ってユージーンが現れた。慣れた手つきでカップにお茶を注ぐ。
アビーは部屋を見回しながら尋ねた。
「もしかして、生徒会長でいらっしゃいますか」
「ああ。そうだ。たいした活動はしていないがな」
勧められるままにお茶をいただく。
「美味しいです」
ユージーンは初めてニコリと笑った。
「ところで、話というのは……」
「うん、単刀直入に言おう。バイロン嬢は、ラリー……殿下のことをどう思っているだろうか?」
やはりそのことか! アビーは内心喜んだが、まだ良い話か悪い話かはわからない。
「あら、それを答えるにはちゃんと理由を聞かせていただかないと。でないとお答え出来ませんわ。プライベートなことですもの」
「確かにそうだな。失礼した。協力を願うならこちらから事情を説明すべきだった」
ユージーンはアビーの目を真っ直ぐに見つめた。
「君は信頼出来そうだな。今から話すことは他言無用だ」
「大丈夫です。私、トリシャ以外に友達いませんから」
「そうか。実は、ローレンス殿下はバイロン嬢のことを気に入っている」
やっぱり! アビーは心の中でガッツポーズをした。
「だが入学してからひと月経ってもまだ彼女と話しが出来ていないのだ。挨拶にも来てくれていないし」
「ああ、それは申し訳ないですわ。トリシャはとても気が小さくて恥ずかしがり屋なのです。殿下の教室に押し掛けてはご迷惑だろうと思っていまして」
「そうなのか? オースティン嬢は、一緒に行こうと誘ったが断られたと言っていたが」
「レベッカ……」
アビーは思わず顔をしかめた。
「ユージーン様、誘われてなどいませんわ。レベッカはトリシャのことをライバル視していますもの」
「では、バイロン嬢が自分より身長の高い人でないと結婚したくないと言っているというのは?」
「そんな事言ってるんですか? デタラメです! むしろトリシャは、背が高すぎることをコンプレックスに思っていて、自分に自信がなさ過ぎる子です。そんな、傲慢なこと思っていません」
ユージーンはしばらく考え込んでいたがこう言った。
「ではもう一度訊こう。バイロン嬢は殿下に好意を持っていると考えていいか?」
「はい。トリシャは殿下のことをお慕いしています。以前お会いした時にした星の話など、また一緒にしたいと思っているのです」
「そうか。良かった。実は殿下も身長のことをコンプレックスに思っていて、自分から言い出せないでいるのだ」
「ええっ、でも殿下は平均より背が高いじゃないですか」
「好きな女性と同じ身長というのは本人にとってはコンプレックスなのだ。やはり背が高い男の方が女性からすると頼り甲斐があるはずと思ってしまっているのだろう。お前は背が高くて羨ましい、としょっちゅう言われる」
そういえば、ユージーンは殿下と並ぶとかなり身長差があったと思い出した。
「ユージーン様は他の方よりもかなり高いですね」
「ああ。伸び過ぎて手足が邪魔なくらいだ」
「わかります。持て余しちゃいますよね」
アビーはクスクスと笑った。ユージーンも笑った。
「でも、殿下と王宮でお散歩した時、ちっとも顔を見てもらえなかったとトリシャは悲しんでいましたよ」
「ああ」
ユージーンはまた笑った。
「それは、照れていたんだよ。身長が同じだから、横を向くとちょうどバイロン嬢の顔がすぐ側にあるだろう? それで、近くで見つめるのが恥ずかしくてあまり見られなかったと言っていた」
「そうだったんですね。トリシャは、気に入ってもらえなかったと勘違いしています」
「そうか。まずその誤解を解かねばならんな。では話を戻すが、殿下とバイロン嬢はお互い好意を持っているということで間違いないな」
「はい。レベッカの言うことは信じないで下さいね」
「わかった。で、今後のことだが、この事を二人には内緒にしつつ、上手く距離を縮めていけるように持っていきたいのだ。協力してくれるか」
「もちろんです! ちゃんと自分達で気持ちを伝え合うようにするんですね」
「ああ。その方が自信に繋がるだろう」
「わかりました。ところで、レベッカやもう一人の候補者の方は放っておいても良いのですか?」
「二年にいる候補者は、実は好意を寄せ合う男子生徒がいるんだ。だから殿下も協力していて、彼女を選ばない約束をしている」
「まあ。それは素敵ですわ」
「オースティン嬢はちょっと鬱陶しくてな。教室にもしょっちゅうやって来るし、昼休みのカフェテリアでもたくさんの女子生徒を引き連れて取り囲んでくるのでラリーも辟易していて、最近はここでランチを食べているんだ」
「そういえば昨日も何処かへ行っていましたね。あれは、ここに向かっていたのですか」
「そう。でもせっかくの二年間だけの学園生活なのに、私と二人きりでいたんじゃあ意味が無い。明日から、カフェテリアで一緒にランチを取ろう」
「ええ、いいですわ! でもどうやって? カフェの入り口にはレベッカと取り巻き達が殿下を待っているでしょう」
「私と君が付き合っていることにすればいい」
「え、ええっ! 私?」
「そうだ。それで一緒にランチを取る名目が出来るだろう。お互いの親友と共に」
それはそうかもしれないが……昨日まで全く男子にも恋にも興味なかった私がいきなり付き合うとか、不自然過ぎないだろうかとアビーは心配した。
「ビビッときた、とか言っておけばいいさ」
「そんなあ」
「とにかく、まず目標は二人の親睦を深めることだ! 頼むぞ」
「はい……」
アビーは観念した。そして明日の昼休みにカフェテリアで会うことを約束して生徒会室を出た。
次の日、アビーはトリシャとカフェテリアに向かい、表のテラス席に座った。ここは生垣があって少し見えにくい場所になっている。
席に座るとすぐに、トリシャに耳打ちした。
「トリシャ、あのね、驚かないでね。私、好きな人が出来たの」
「えっ、アビー! 本当に? いつの間にそんな方を見つけたの?」
「昨日の朝、廊下でぶつかって転んじゃってね、その時に優しく助け起こしてくれて。お話したら気が合って。今日一緒にランチを食べる約束しているの」
昨日、ユージーンと打ち合わせした通りのストーリーを話した。
「まあ、素敵! 良かったわねえ。じゃあ私、お邪魔でしょう? 席を移るわ」
「大丈夫よ、トリシャ。二人じゃ恥ずかしいから彼のお友達も一緒なの。だから四人で食べましょう」
「でもアビー、私、殿下以外の方と食事を一緒にする訳にはいかないわ」
慌てて席を立とうとするトリシャをアビーが止めた。
「心配しないで。だって……」
「待たせてしまったかな、アビー」
その時ユージーンがいいタイミングで現れた。
「ジーン! 大丈夫、今来たところよ」
驚いて目をまん丸にしているトリシャを横目に見ながらアビーは自分の隣の席をジーンに勧めた。もちろん、これでトリシャの隣は殿下が座ることになる。
私の向かいにいるトリシャを見つけた殿下も驚いた顔をしていた。
「驚いたな……ジーンの好きな人というのはパトリシアの友人だったのか」
「アビゲイル・ウエストと申します、殿下」
アビーは丁寧にお辞儀をした。
「私はローレンスだ、よろしく。ジーンは、ぶっきらぼうだが根はいい奴だ。これからも仲良く頼む」
「はい、殿下」
「そしてパトリシア……久しぶりだな。元気にしていたか」
ローレンスはほんのり顔を赤らめてトリシャに声を掛けた。
「はい、殿下。入学のご挨拶にこちらから伺うべきでしたのに、申し訳ございません」
トリシャは深々とお辞儀をしていてローレンスの頬が染まっていることに気がついていない。
(堅い、堅苦しいわトリシャ……。もっとリラックスさせなきゃダメね……)
「立ち話はそれぐらいにして、食事しながら話そう」
ジーンがナイスな助け舟を出してくれた。それからは四人で仲良くお喋りし、楽しい時間を過ごすことが出来た。トリシャもだいぶ緊張がほぐれてきたようで、いつもの可愛らしい笑顔を見せるようになってきた。
「せっかくだからお互い愛称で呼ぶようにしないか?」
昼休みも終わりに近くなった頃、ジーンが皆に提案した。
「そうだな、殿下と呼ばれると私も隔たりを感じてしまう。学園にいる間はラリーと呼んで欲しい」
殿下をラリーと呼ぶなんて! アビーにとってはかなり畏れ多いことだったが、ここで怖気付く訳にはいかない。
「そうね、トリシャ! そうしましょう。ジーンと、ラリーね。トリシャも呼んでみて」
「あ……ええ、そうね……」
トリシャは真っ赤になりながらも、
「ジーンと……ラリー」
か、可愛い! 照れて下を向いてしまっているトリシャに、殿下の顔を見せてあげたいとアビーは思った。ラリーと呼ばれた瞬間の嬉しそうな顔といったら!
また明日も四人でランチしましょう、と約束して昼休みを終えたアビーとトリシャは、幸せな気分で教室に戻ってきた。
すると、教室の雰囲気がなんとも冷たかった。いつもは八人からほぼ無視されている二人だったが、今日は完全に全員から睨みつけられていた。
トリシャの身体がこわばるのを感じたアビーは
「気にしない、気にしない」
と口パクで伝え、席に座った。
するとレベッカが近付いてきてアビーの机をバンと叩いた。
「あなた、いったいどういうことなの」
「何ですか? レベッカ様」
「あなたとユージーン様が好き合っているって本当なの?」
アビーは身体をモジモジさせて照れている雰囲気を出そうとした。上手くいっているかはわからないけれど。
「はい、お恥ずかしいですわ」
すると『チッ』という令嬢にはあるまじき舌打ちが聞こえ、
「男爵家ごときが侯爵家のご長男に取り入ろうとはいい度胸ね。どんな手を使ったのかしら」
「そんな……。ひどいですわ、レベッカ様」
アビーはよよと泣き真似をしてみた。我ながら酷い演技だと思いながら。
「泣いてみたってちっともかわいくないわよ。あなた、自分の身体の大きさわかってるの? むしろ滑稽だわ」
それは確かに。さっきから自分でも笑いそうになっている。
「とにかく、目障りだからこれ以上殿下とユージーン様の周りをうろつかないでちょうだい。デカ女は邪魔なんだから隅っこで過ごしていればいいのよ」
そうよそうよ、と取り巻きから声が上がっていた。何か反論しようかと思ったが、ちょうど午後の授業が始まり教師が入ってきたので皆大人しく席に戻った。
「大丈夫? アビー」
トリシャが心配そうに小声で訊いてきた。
「平気よ、このくらい」
アビーは平気な顔でウインクして見せた。このくらいでへこたれていては、トリシャの恋を実らせることは出来ない。自分が矢面に立って、トリシャを守らないと。また決意を新たにするアビーだった。
翌朝、教室へ向かう廊下でまたジーンに呼び止められたアビーは、昨日レベッカと何か会話をしたか聞いてみた。
「いつものようにカフェテリアの入り口でラリーに声を掛けてきたな。だから、今日は私が好きな女性と一緒に座るからと答えたのだが」
「嫌味言われちゃいましたよ。デカ女は隅っこにいろって」
ジーンは思わず吹き出してしまい、アビーに軽く睨まれた。
「すまんすまん。逆に面白いな、オースティン嬢は。典型的な悪役じゃないか」
「笑い事じゃないですよー。トリシャのためじゃなかったら私もブチ切れてます」
「悪いな、もう少し我慢してくれ。ところであの後、ラリーの方は手応えがあったぞ。随分と機嫌が良かった。そちらは?」
「トリシャもすごく嬉しそうでした。二人とももうちょっと気軽にお話し出来るようになるといいですよね」
「そうだな。では今日も昼休みにあの席で」
「はい。お待ちしております」
そして昼休み、再び四人でテラス席に座った。殿下もトリシャも昨日よりは打ち解けた様子で、楽しく食事をすることが出来ている。
ちょうど食べ終わった頃を見計らってジーンが席を立った。
「生徒会の方で資料まとめがあるから先に失礼するよ」
「あらジーン、だったら私も手伝うわ」
打ち合わせ通りアビーも席を立つ。
「私も手伝いますわ」
そう言うトリシャをジーンが手で制してこう言った。
「ありがとう、トリシャ。でも、できればアビーと二人きりでやりたいと思っているのでね」
「あらっ……ごめんなさい、私ったら気が利かなくて」
アビーはトリシャににっこり笑ってから殿下に話し掛けた。
「ラリー、トリシャをお願いしますね。教室まで送って下さい」
「ああ、わかった。ジーン、よからぬ事をするんじゃないぞ」
ラリーがからかうように言った。
「当たり前だ。私もちゃんとアビーを教室まで送り届けるよ」
そうしてアビーとジーンは見つめ合う演技をしながら席を離れた。
声が聞こえない所まで離れてから、二人はこそこそと話した。
「結構、自然に振舞えていますよね、私達」
「そうだな、ちゃんとカップルに見えているんじゃないかな」
あの二人がどんな風に話しているか気になるところではあるが、一気に距離を縮めるためにも今は二人きりにした方がいいだろうと判断したのだ。
「さて、アリバイ作りのためにも本当に生徒会室に行こうか」
「そうですね。あそこはソファもあるし寛げるし」
「何言ってる。資料作り、手伝ってもらうぞ」
「ええ! そこは本当だったんですか」
「当たり前だ。せっかくの時間と働き手、無駄にしないぞ」
「ひどいー」
そうして、本当に残り時間みっちり働かされた。時間ギリギリに教室に戻る羽目になったぐらいだ。
「あー、ギリギリセーフ!」
「ゆっくりだったわね、アビー」
「ああトリシャ、ジーンは人遣いが荒いわあ。結構大変だったわよ」
トリシャはクスクスと笑った。
「トリシャの方はどうだったの?」
するとトリシャは顔を赤らめて言った。
「ええ、ありがとうアビー。おかげでとても楽しい時間を過ごせたわ」
「良かった。また今度詳しく聞かせてね。ところでレベッカ達に嫌なこと言われなかった? 大丈夫?」
するとトリシャの顔が少し曇ったが、
「大丈夫よ。心配しないで」
ああ、これは何か嫌味を言われたんだな、早めに教室に帰ってあげればよかった、とアビーは後悔した。ジーンにちゃんと言っておかなくては!
翌朝、打ち合わせのためにアビーを待っていたジーンに、開口一番文句を言った。
「昨日、先に教室に戻ったトリシャがレベッカ達に嫌味を言われてしまったじゃないですか! 資料作り手伝うのはいいけれど、早めに解放して下さい!」
「そうか。すまん。君があんまり優秀なものだから、ついついあれこれ頼んでしまって……すまなかった」
すぐに謝られて、アビーはそれ以上怒る気持ちは無くなってしまった。
「いえ、別に、お手伝い自体は楽しかったですし全然いいんですけど……」
「そうだな。トリシャを一人にするのは極力やめておこう。次から気を付けるよ」
「わかってくれたらいいんです」
「ところで、ラリーはもうトリシャを婚約者に選ぶつもりでいるぞ」
アビーはパッと顔を輝かせた。
「ええっ! 本当ですか?」
「ああ。昨日の放課後、私にそう言ってきた。やはり、彼女以外考えられないと。いずれ早いうちに告白するつもりだ」
「良かったあ。ついに、決断して下さったんですね」
「話せない期間は悪い想像ばかりしてしまっていたんろうが、実際に話してみると背の高さなど些末なことだと思ったらしい。それよりも気が合い、お互い楽しく過ごせる仲でいられることが重要だと」
「嬉しいです。いつ頃告白して下さるのかしら?」
「まあ、そう焦らずとも近いうちだろう。他の婚約者候補たちのことも考えれば、早いうちに発表した方がいいからな」
「わかりました。それでは私たちは引き続き、二人を応援していけばいいですね」
「そうだな。これからも頼むぞ」
「はい!」
アビーはすっかり満足していい気分で教室へ向かった。その時の会話を陰で聞いている人物がいたことには気が付いていなかった。
それから一週間ほど、毎日四人は昼休みを楽しく過ごした。時々は生徒会を口実に席を外して二人きりにしていたので、学園内ではすでに殿下とトリシャは噂の的になっていた。(アビーとジーンもだが)
そんなある日の昼休み、アビーとトリシャがカフェテリアに向かっていると、同じクラスの女子生徒が話しかけてきた。
「アビゲイルさん、先生がお呼びです」
「あら、今なの? 先生も食事の時間じゃないのかしら」
「いえ、今すぐ来てほしいと仰っていて」
アビーはトリシャを見た。
「何か急ぎの用事なのね。行ってらっしゃいな、アビー。私、先に行って席を取っておくわ」
「そう? わかった、終わったらすぐ行くわね」
そうしてアビーは女子生徒と一緒に反対方向へ歩き出した。
「どこへ行けばいいの? 職員室?」
ふと見下ろした女子生徒の顔は異様に青ざめていた。
「あなた、どうしたの? すごく顔色が悪いわ。体調が悪いんじゃないの?」
そう言って屈んで顔を覗き込むと、彼女は唇を震わせてどもり始めた。
「あ、あの、わ、私……」
「一体どうしたの? 何か心配事でも?」
「わ、私、ごめんなさいっ! 無理です、怖くって……!」
「何? 何のことを言っているの?」
「私、無理やり強制されて……でも公爵令嬢様にこんな恐ろしいこと、出来ないっ……!」
「あなたまさか、トリシャに何かしようとしているの?」
すると女子生徒はわっと泣き始めた。
「二人を引き離せって……その間に、パトリシア様を襲って、辱めるって……!」
アビーは頭にカっと血が上った。わんわん泣いている女子生徒の右頬をパシッと引っぱたき、
「しっかりしなさい! 後悔しているなら今すぐ言うのよ! 手遅れになる前に!」
彼女はえぐえぐと泣きながら話し始めた。
「裏庭の誰も来ない茂みにパトリシア様を連れて行って、殿下と結婚できないようにするって……!」
アビーは左の頬も叩き、肩を持って揺すぶった。
「今すぐ、殿下とユージーンを呼んできなさい。すぐに!」
そして彼女を二年の校舎の方へ向かって押し出すと、裏庭に向かって走り出した。
(お願い、間に合って……!)
その少し前、トリシャはアビーと別れて一人で渡り廊下を歩いていた。すると突然、後ろから布で口を塞がれ、そのまま二人の男に抱えられて連れ去られてしまった。
(誰……? なぜ学園内でこんなことが……?)
とにかく、逃げなければ。手足をばたつかせて逃げ出そうとするが、がっしりと掴まれていて出来ない。声を出したくても布で猿ぐつわをされていて叫ぶことが出来ない。
(助けて、誰か……! ラリー……!)
人気のない裏庭まで来ると、乱暴に地面に放り出された。そして手を縛られ、ニヤニヤとした男たちに上から見下ろされた。
「へええ、デカ女だって聞いていたけど上玉じゃん」
「ノーラよりか全然綺麗だよな、出るとこ出てていい身体だし」
「制服を切り裂くだけでいいって言われたけどなー、それだけじゃ勿体ないな」
「せっかくだから頂いちゃおうぜ」
そうして二人が手を伸ばしてきた。
(やめて! 私に触らないで……!)
トリシャは足を伸ばして男を蹴ろうとしたが、あっさり両足を掴まれてしまった。
「じゃあ俺からだ」
男の顔が近づいてきた時、バタバタと足音が聞こえた。
振り向いた男の顔面に、思いっきり飛んで蹴り上げたアビーの編み上げブーツが命中した。
「痛えっ」
思わずふらついた男の頭にすかさず頭突きを食らわすと、もう一人の男の股間を蹴り上げた。
「ぐわっ」
腹を抱えてうずくまった男の肩をブーツで蹴り倒し、トリシャを助け起こした。
「トリシャ!」
すぐに猿ぐつわと手を縛っていた紐をほどく。
「アビー!」
トリシャが泣きながら縋り付いてきた。どんなに恐ろしかったことだろう。アビーはトリシャを背後に回し、男達からかばうように立ちはだかった。
「くそう、このデカ女。喧嘩慣れしてやがる」
「ふん、所詮は女だ。痛い目見せてやる」
そう言って一人の男が折り畳みナイフを取り出し、パチンと開いた。
(まずいわ、ナイフなんて兄さまとのケンカでは出てこなかった……)
アビーは急いでジャケットを脱ぎ、これを振り回して防御しようと決めた。
「服と一緒に顔も切り刻んでやるぜ」
男が向かって来たその時。
「そこまでだ!」
「う、うわっ」
突然現れたジーンが男の腕をねじり上げ、男はたまらずナイフを取り落とした。
もう一人の男は、ものすごい勢いで走ってきた殿下の、体重が乗ったパンチを顔に受けて地面に倒れ込んだ。
「この野郎! トリシャに何をした!」
既に気を失った男を、殿下は殴り続けている。そこへ殿下の護衛が到着し、二人の男の身柄を拘束した。
「トリシャ!」
殿下はトリシャの元へ走ってきた。
「ラリー!」
殿下はトリシャを固く抱きしめた。
「すまない、トリシャ。私のせいでこんな怖い思いをさせてしまった」
「大丈夫です、ラリー。こうして助けていただいて嬉しい……! それに、アビーが来てくれました」
殿下はハッとしてアビーを見た。
「アビー、ありがとう。どんなに感謝しても足りない。トリシャを守ってくれてありがとう……!」
アビーは慌てて言った。
「ラリー、頭を上げて下さい。私なら大丈夫です。兄としょっちゅうケンカしていたのが役に立ちました。トリシャを守ることが出来て本当に良かった」
「アビー、ありがとう……!」
トリシャも涙に濡れた顔でアビーに抱きついてきて感謝した。
「トリシャ、医務室へ行こう。私が連れて行く」
そう言って殿下はトリシャを抱き上げた。
「ラリー! 私、重いですわ。歩いて行けます……!」
「ダメだ。どこを怪我しているかわからないだろう。それに全然重くない」
「でも……」
「いいから。私はそれほどやわじゃないぞ。安心して抱かれてくれ」
「ラリー……」
トリシャはついに恥ずかしさを捨てて殿下に身体を預けた。殿下は微笑むと、
「ジーン、先に行っている。お前もすぐ来い」
そう言って医務室に向かった。
アビーは二人を見届けるとホッとして、脚の力が抜けてしまった。
「おっと」
倒れる寸前でジーンが受け止めた。
「よく頑張ったな」
ジーンはアビーを抱き上げてそう言ってくれた。
「ジーン、私は重いですよ」
「何言ってる。軽いもんだ。もう少し肉を付けなきゃいけないくらいだ」
「そんな。それこそ巨人になってしまうわ」
「私のそばにいれば巨人には見えないさ」
そんなことを言ってくれた気がしたが、安堵したアビーはそのまま気を失ってしまっていた。
目を覚ますと、トリシャが横で寝ていた。
「トリシャ」
声を掛けるとトリシャはアビーの方を向いた。
「アビー、目が覚めたのね」
アビーは頷いた。
「アビー、見たところ怪我は無さそうだと医務室の先生は仰っていたわ。でも痛いところ、無い?」
「私は本当に大丈夫。それよりトリシャ、あなたこそ」
トリシャの手首には包帯が巻かれていた。乱暴に縛られていたからだろう。顔にも擦り傷があった。
「大丈夫、大した事ないわ。アビーに怪我が無くてよかった。私のためにアビーが怪我してしまったら辛いわ」
「トリシャ、泣かないで! 私はあなたを守れて嬉しいの。兄さまとたくさんケンカしておいて良かったわ」
二人はふふっと笑った。
「アビー、トリシャ。入ってもいいか?」
カーテンの向こうから殿下の声がした。
「はい、どうぞ」
慌ててベッドに座り、髪を整えてから返事をした。
殿下はジーンと共に入ってくると、椅子に腰掛けた。
「護衛の者に取り調べをさせた。犯人は、一年のノーラ・アイザックだ」
それは同じクラスの男爵令嬢だ。レベッカの取り巻きの中でも、いつも率先してトリシャの悪口を言っている生徒だ。
「なぜノーラはこんな過激なことを?」
「レベッカの派閥に入ったことにより、どうしてもレベッカを王太子妃にしたかったのだと自供した。レベッカは、自分が婚約者に選ばれた暁には取り巻き達に便宜を図ることを約束していたらしい。商売をやりやすくするとか、いい縁談を持ってくるとか」
「ノーラの家は男爵といえどかなり困窮していた。高い学費を払って学園に入ったのは、上位貴族とのパイプを作る目的があったという。そして、レベッカに気に入ってもらえたら王宮とのパイプも出来ると思ったのだ」
「そして、私とトリシャが仲良くなったことに焦りを感じ、商売上の馴染みのゴロツキに声を掛けてトリシャを襲わせたのだ」
トリシャは思い詰めた表情で聞いていた。クラスメイトが黒幕だったことに少なからずショックを受けていたのだ。
「ノーラは他の男爵令嬢たちに言いつけて渡り廊下の人払いをし、アビーをトリシャから引き離させた。だがその生徒が良心の呵責に耐えかねてアビーに犯行をばらしてくれたのだ。その後、必死で私とジーンを探しに来たよ」
「改心してくれて良かったです。そうでないと、私達ナイフで切られていたかもしれない」
アビーはぞっとした。ナイフのことは思い出しただけで恐ろしい。
「これからは、トリシャに護衛をつけるつもりだ。今日早速、父に婚約者を決めたことを報告するよ」
えっ、とアビーはトリシャの方を振り向いた。こんなとこで告白? ムード無くない? と思ったが、どうやら医務室に向かう途中でちゃんと二人は両想いになったようだ。
「おめでとう、トリシャ! 二人は本当にお似合いだわ」
「ありがとう、アビー。あなた達もとってもお似合いよ」
思わずジーンの方を見上げると、シーっと指を口に当ててウインクしていた。
「そ、そうね。ありがとう」
まだしばらくこの演技は続けるつもりなのだと理解した。それもそうだ、二人を結びつけるための演技だったなんて今は言えない。
「それで、処分なんだが」
殿下が言った。
「どうやら、ノーラが勝手にやったことでレベッカはこの計画を知らなかったらしい。だから退園処分をするのはノーラだけで、協力した生徒とレベッカは厳重注意ということになりそうなんだが、どうだろうか? 二人の気が済まないのであれば、もう少し厳しい処分にするが」
二人は顔を見合わせた。そしてトリシャが口を開いた。
「ラリー、それでかまいません。きっと、ノーラがあんな悪い人たちを雇っているなんて想像もつかなかったはずですわ。今後、私達と仲良くしてくれるならそれで充分です」
「そうか」
ラリーはにっこり笑った。
「レベッカ、トリシャはこう言っている」
するとカーテンの向こうからレベッカと取り巻き達が入ってきた。皆、目を真っ赤に泣き腫らしている。
「ごめんなさい、パトリシア」
レベッカが震える声で話し始めた。
「私の考え無しの言葉がノーラの暴走を招いたのだわ。まさか、ここまでひどい事をするとは思っていなかったのよ……でも、それは言い訳にしかならないわ。本当にごめんなさい」
「パトリシア様、ごめんなさい」
取り巻き達も皆、謝罪の言葉を口にした。
「それなのに、あなたは私達を許して下さるのね。やっとわかりました。私は殿下に相応しくない、馬鹿な子供でした。あなたこそが本当に殿下の妃になるべき方です。どうか、これからも私たちを良い方向に導いて下さい」
レベッカと取り巻き達は泣きながら頭を深く深く下げた。トリシャはレベッカの肩を持ってそっと身体を起こし、優しく言った。
「レベッカ、もう頭を上げて下さい。過ぎたことは水に流して、私達これから仲良くしていきましょう」
「ありがとう、パトリシア……そしてアビゲイル、パトリシアを助けてくれてありがとう。取り返しのつかない事にならなかったのはあなたのおかげよ」
レベッカはアビーの手を取り、しっかりと目を見つめて礼を言った。
「レベッカ様、大事に至らなくて本当に良かったですわ。これからは、同じクラスメイトとして仲良くして下さいませ」
レベッカも取り巻き達も、そしてアビーもトリシャも皆泣きながら笑顔を見せた。
ラリーとジーンは満足した様子でこの和解劇を見ていた。
その後、ノーラの実家、アイザック男爵家は貴族籍をはく奪された。ゴロツキとの関係を調査していく中で、武器取引や、街の闇集団との関係が明らかになったのだ。もちろん、あの時トリシャを襲った男たちはとっくに牢屋に入っている。今後、男爵始めお仲間がどんどん監獄に入ることになるだろう。
そして、殿下とトリシャの婚約が正式に発表された。美しい二人を国民は皆祝福した。
「本当に良かったわ、トリシャ。王宮でのお披露目は残念ながら私は見られなかったけど、ラリーの卒業パーティーで二人のドレスアップした姿が見られるわね」
王族の輝くティアラをつけたトリシャはどんなに美しいことだろう。
「何他人事みたいに言ってるの、アビー。あなたもジーンと出るんでしょう」
うっ、痛いところを突かれてしまった。
あれから、変わらず四人で仲良くしているが、トリシャと二人になりたがるラリーのおかげでアビーはしょっちゅうジーンと二人きりで昼休みを過ごした。生徒会室で手伝わされるのも相変わらずである。
ジーンといるのは居心地が良く、出来ればずっと一緒にいたい……などと思ったりするけれど。
ジーンはアビーのことをどう思っているのかまったくわからない。友達とか、同志のように思われている気がしてならない。
「ねえ、アビー」
「なあに? トリシャ」
「臆病になっては駄目よ。ちゃんと、自分の気持ちを伝えなきゃ」
そう言ってトリシャはふふっと笑った。もしかして、バレているのだろうか?
「素直になってね。じゃあ私、今日はラリーと帰るから」
王家の馬車が馬車止めに現れ、中から殿下が顔を覗かせた。
「ジーンは、まだ生徒会室にいるぞ」
そしてトリシャは馬車に乗り込み、手を振りながら遠ざかって行った。
アビーは、意を決して生徒会室に向かって歩いて行った。どうしよう、何て言おう? 私みたいなのが告白したら、迷惑じゃないのかな? 悩むうちに部屋の前まで来てしまった。
深呼吸して、ドアをノックする。
「どうぞ」
ジーンの声だ。アビーはノブを回して部屋に入った。
「やあ、アビー」
「ジーン、まだお仕事なのね」
「引継ぎがあと少し残っているからな。まあ、来年は優秀なスタッフがいるから心配ないが」
アビーは、来年度の生徒会役員に選ばれているのだ。
ペンをさらさらと走らせているジーンを見ながら、こうしてゆっくり話せるのはもう最後かもしれないと思い、寂しさがあふれてきた。
やっぱり、自分の気持ちを伝えたい……! そう思った時。
「アビー、話があるんだ」
ジーンに言われて心臓がドキッと跳ねた。
「君は一生の仕事を持ちたいと言っていただろう?」
「え、ええ」
「実は我が侯爵家の事業に、服飾関係の商会があるんだ。卒業後、私はその事業を主にやっていくことになっている。できれば、海外にも販路を広げていきたいと思っているんだ」
「すごいわ! ジーンならきっと幅広く事業を展開出来ると思うわ」
「それを、君に手伝ってもらいたい」
「えっ?」
「君の実務能力もさることながら、その身長、すらりとしたスタイルでうちのドレスの広告塔になってもらいたいんだ」
え、えーと……これは、スカウトですかね? 就職のための。
するとジーンは、急に頭を掻きむしり、独り言のように言い始めた。
「ああ、くそっ! こんなビジネス的なこと言ってどうする。まったく私ときたら……!」
ジーンは顔を赤くしながらアビーの顔を見つめた。
「私は、君が好きだ。結婚してくれないか」
「ジーン! 本当に?」
「当たり前だ。私が嘘を言ったことがあるか?」
「こんなに大きい私を?」
「私より小さい」
「胸もぺったんこよ?」
「私はその方が好みだ」
「可愛げもないわ?」
「そんなことは知ってる」
ジーンは呆れたように笑って、アビーを抱きしめた。
「何にでも一生懸命な君が好きだ。一生、そばにいてくれ」
優しく抱きしめられ、アビーは泣きそうになった。
「ジーン、私もあなたが大好きよ。前からずっと。今日はあなたに告白するつもりでここへ来たの」
ジーンはアビーの顔を覗き込んだ。
「本当に?」
「本当よ」
「誓って?」
「ええ、誓うわ」
ジーンはゆっくりと顔を近付け、優しく口づけた。アビーはとても幸せな気持ちで、ジーンの肩に頭を預けた。
その後、卒業パーティーには美しい二つのカップルが最新流行のドレスをまとって現れた。皆が感嘆して二組を見つめ、称賛した。
コンプレックスの塊だったアビーとトリシャの姿はどこにも無く、背筋を伸ばし自信に満ち溢れた二人は美しかった。
翌日から、商会にはドレスの注文が殺到したのは言うまでもない。背の高い人も低い人も、太めの人も細めの人も、それぞれを輝かせる商会のドレスは海外でも評判を呼んだ。
一年後のアビーとトリシャの卒業を待って二組は結婚した。ウエディングドレスももちろん、商会の品だ。
この二組の友情は、ずっと続いていったという。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作品に出てくるレベッカの後日談、「改心した悪役令嬢の恋物語」もシリーズまとめしております。よろしければそちらもお読み下さい!