二日目・火曜日➃
〈二日目・火曜日 謎の転校生➃〉
俺は一人でとぼとぼと夕日の見える帰り道を歩いていた。
倉橋先輩と桜井は町に出て聞き込みをするらしい。新聞の内容を真剣に討議し合った後だというのに、大したバイタリティーだ。
でも、俺は町での聞き込みには付き合えないと言っていたので、こうして事務所に帰ろうとしていたのだ。
何だか綺麗な夕陽が目に染みるな。
俺が夕日の光を横顔に浴びながら歩いていると、スマホが振動し、メールが届く。メールは霧崎からのもので、八時に事務所に来ると書いてあった。
今日はいつも通りの時間だな。
ま、八時ならゆっくりする時間は幾らでもある。
俺は帰る途中で耐えがたい空腹を感じたので、駅前まで来ると牛丼屋で大盛りの牛丼をテイクアウトで買った。
あと、無料のショウガと唐辛子もたくさん貰う。
ちなみに、店で食べないのは、何だか心が落ち着かないからだ。店の中では耳障りなBGMも流れているし。
やっぱり、夕食くらいは静かなところで食べたい。
そういう意味では、あの事務所は良い場所だ。事務所の中で食べる牛丼と言うのは、何だか雰囲気的にも似合っている気がするから。
そんなことを考えていると、牛丼屋に昨日、路地で合った金髪の男の子が入って来た。
これには俺も目を見開いてしまった。
まさか、もう二度と会うことはないだろうと思っていた男の子の顔をこんなところで目にするとは思わなかったからだ。
一方、男の子の方も俺を見ると大きく口を開ける。
「あ、昨日のお兄さんじゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だね」
男の子は俺と目が合うと、昨日と同じ無邪気な笑みを浮かべながら駆け寄って来た。こういう人懐っこさは素直に好感が持てるな。
俺がこの男の子と同じくらいの年齢だった時は、可愛げのない態度ばかりを取っていたので余計にそう思える。
「そうだな」
確かに、学校帰りに二度も会うなんて奇遇だ。
「僕も一仕事、終えてきたところだから、何だかお腹が減っちゃったんだ」
まだ小学生くらいの子供なのに、もう何かの仕事をしているのか。
もっとも、この歳の子供がやる仕事なら、ボランティア活動とかだろうけど。でなければ、家の仕事か。
ま、赤の他人の事情に首を突っ込むつもりはない。
「へー」
俺は棒読みのような声を出す。
でも、内心ではどんな話題を振れば、この歳の男の子が喜んでくれるのか考えあぐねていた。
正直、子供を喜ばすというのが一番、難しいと思えるな。子供は気まぐれで、飽きっぽいとも言うし。
「お兄さんも、お腹が減っちゃったから、ここに居るんでしょ?」
「まあな。お腹が減ってない奴が、牛丼屋にいるのはおかしいだろう」
もっとも、お腹も減ってないのに牛丼だけを頼んで何時間も店に居座り続ける迷惑な暇人もいるみたいだけど。
「その通りだね。でも、昨日も会ったし、お兄さんってこの近くに住んでいるの?」
男の子は会話を繋げるように尋ねて来た。なので、俺も無理に隠す必要もないと思いながら口を開く。
「そうだよ。だから、この牛丼屋にも良く来るんだ」
「そっか。僕はこの店に来たのは今日が初めてなんだ。近くのハンバーガー屋にならもう行ったけど」
「ハンバーガーも悪くないな」
俺も土日の昼はハンバーガーを食べる時がある。
やっぱり、普通のハンバーガーが一個百円というのは学生の懐には優しいと言えるだろう。
「でしょ。僕もしばらくはこの町にいるし、お兄さんとはまた会えそうだね」
「かもしれないな。二度あることは三度あるって言うし」
でも、三度続いたら、それは偶然と見るべきではないという言葉もある。
ま、例え三度目があっても、俺はこの男の子がわざわざ自分と会おうとしているなんて思わないけど。
「うん」
そう頷いた男の子の笑顔はまるで向日葵のようだった。外国人の子供の笑顔って、本当に魅了されるものがあるよな。
この男の子のように器量が良ければ尚更だ。
とはいえ、俺は職業柄、人の言動や行動を良く観察してしまう質だ。なので、この男の子の笑みからは、どことなく嘘を感じた。
「お兄さん、今、ちょっと怖い顔をしたね。何を考えたのかなー」
男の子はにやけ面で言った。
その瞳には俺の内心を見透かしているかのような光がある。なので、この男の子はやっぱり侮れないなと思った。
「ええっと…」
俺はどういう言葉を返すべきかと視線を泳がせる。
一方、男の子の方は、余裕綽々といった感じの笑みを浮かべている。まるで俺を手玉に取っているかのようだ。
何だか、急にこの男の子が苦手に思えるようになってきたな。事実、男の子の吸い込まれそうな瞳を見ていると、ちょっと本能的な怖さを感じるし。
俺は様々な力を感じ取ることができるので、こういう感覚を軽く見たりはしない。
でも、男の子からは、これと言って特別な力は感じない。あの、ルーシーのようにその筋の人間なら、すぐに分かるような魔力もない。
外国人と言うことを差し引けば、良くも悪くもこの男の子は普通の人間だ。
「ま、良いや。ところで、お兄さん、この店でお勧めの料理って何かな?」
男の子は純美な目をキラキラさせながら尋ねてきた。こういう目には弱いし、俺も無難な言葉を返す。
「俺は普通の牛丼が好きだけど、子供なら豚丼の方が美味しいかもな」
豚丼の方がボリュームもあるし、あの甘辛いタレは悪くない。
他にも色んなメニューがあるんだけど、どれも値段が少し高めなんだよな。
やっぱり、牛丼屋に来たからには牛丼を食べるのが一番、良いし、少し横道に逸れても頼むのは豚丼くらいだろう。
「残念だけど、僕は豚肉が食べられないんだ」
男の子は急に曇ったような顔をした。
俺も男の子にこんな顔をさせてしまったことには、何だか心がズキリとするもの感じた。
「何で?」
「お父さんから、豚の肉は食べたらいけないって、厳しく言われてるんだよ」
「そいつは奇妙だな」
豚肉が食べられないなんて、何かのアレルギーだろうか。
「そんなことはないよ。お父さんの言葉は、いつだって絶対に正しいんだから」
いつも絶対に正しいなんて、人間にとっては最高の評価ではないだろうか。とはいえ、そんな完璧な人間がいるはずがない。
いたとしたら、そんなのはキリストくらいなものだろう。
でも、そのキリストでさえ、良い方は天におられる神一人しかいないと言っているからな。
つまり、良い人間なんて、この世には一人もいないと言うことだ。
まあ、いささか極論すぎる考えだとは思うけど。
「そりゃ、立派なお父さんだな」
「うん。僕のお父さんは世界で一番、偉いと言っても過言じゃないんだ」
「そうなのか?」
ひょっとして、この男の子の父親はどこかの国の大統領か。…なんて、馬鹿なことがあるわけがないか。
「そうだよ。少なくとも、僕はそう信じてる」
男の子は自分の父親に対して、強い尊敬の念を感じさせながら言った。自分の父親を尊敬できる心は俺も大切だと思う。
俺は自分の父親より祖父を尊敬してきた人間だからな。
そのせいで、父親との関係には大きな罅を入れてしまったし、その点については後悔している。
でも、自分の父親を世界一、偉いと言ってしまう心はどうなんだろうな。
「そんなお父さんなら、俺も会ってみたいね」
「お兄さんなら、いつか会えるかもしれないなぁ。とにかく、牛の肉なら普通に食べられるから牛丼にするね」
「そっか」
やっぱり、初めてこの店を利用するなら、普通の牛丼を頼むのが妥当だろう。
「お兄さんも、神に喜ばれたいと思うなら豚肉は食べちゃダメだよ」
そう言うと、男の子は俺から離れて、店にあるレジの前に行ってしまった。
俺はおかしなことを言う奴だなと思った。
でも、昨日は聖書の言葉を引用して見せたし、男の子は外国人でもあるから、敬虔なユダヤ教徒の子供だろうか。
ユダヤ教徒は豚肉を食べないって聞いてるし。それなら、父親から豚肉を食べてはいけないと言われても何ら不思議ではない。
ま、外国人はどんな風習を持っているか分からないということだな。そういうしがらみの少ない日本にいると特にそう思える。
俺は男の子の育った環境について、益体のない想像をしながら、牛丼屋を出た。