六日目・土曜日➂
〈六日目・土曜日 対決➂〉
俺は三時頃に霧崎からのメールが来たので、倉橋先輩の批難がましい視線を受けつつ、途中で部活を切り上げて事務所に帰ることになった。
でも、締め切りは間近に迫ってるし、帰ったら徹夜になっても構わないから残りの記事を書かないと。
俺は学校を出ると、土曜日ということもあってか学生で賑わう駅前のハンバーガー屋に寄り、好きな照り焼きバーガーとチキンナゲットを買った。
桜井のお弁当は確かに美味しかったけど、その反面、ボリュームには欠けていたのでお腹が減ってしまったのだ。
やっぱり、俺は育ち盛りの少年らしく、お弁当に関しては味より量らしい。
俺は事務所に帰って来ると、足りないエネルギーを補給するように照り焼きバーガーをガツガツと胃に収めていく。
それから、チキンナゲットもあっという間に平らげると、霧崎のために紅茶とお菓子の用意をする。
霧崎は四時に来ると言っていたけど、こんな中途半端な時間に来るということは何かあったという証拠だ。
なら、俺も暢気な学生気分は捨てて、否応なしに気を引き締めざるを得ない。
俺は仕事机の上でデスクトップのパソコンを立ち上げると、新聞の原稿と格闘するようにキーボードを叩く。
それから、少しでも暗い気持ちを紛らわそうと、テレビも点けっ放しにした。
でも、すぐに土曜バラエティーに出て来る芸人の下卑た笑いに耐え切れなくなりチャンネルをニュースに変える。
が、これといって興味を引くようなニュースは流れてはいなかった。
そして、四時になり、俺がポットの紅茶をティーカップに注いでいると、一分の誤差もなく時間きっかりに事務所のドアをノックする音が聞こえてくる。
もちろん、やって来たのは霧崎だが、その顔の表面には焦慮のような感情がありありと浮き出ていた。
「こんな時間に来て悪かったな。だが、どうしても早い内に君に聞かせて置きたい情報があったんだ」
霧崎は大股で事務所の中央にまで来ると、ソファーに座ることも忘れたように立ったまま口を開いた。
「何ですか?」
かなり剣呑な話だということは、霧崎の顔を見れば分かる。立ったままの話なんて、いつもなら絶対にないことだし。
なので、俺も無意識の内に腹筋に力を入れると、いかなる悪い知らせを聞かされても動揺しないように心の中で身構えた。
「ルーシーを裏で操っている黒幕の正体が分かった」
「本当ですか?」
俺の声のトーンが一気に跳ね上がった。
「ああ」
喜ばしいことだと言うのに、霧崎は厳しさを感じさせる表情を崩さない。その様子は何か大きな難問にぶち当たった証拠のように思えた。
「それで黒幕は、一体、誰だったんですか?」
俺も自分の心が今までにないくらい興奮するのを感じたし、霧崎も勿体ぶらずにさっさと教えて欲しい。
「黒幕の正体は、何とこの町の市長だったんだ」
その言葉には俺も自分の顔がサッと青ざめるのを感じる。と、同時に心臓に流れ込んでいた血液が止まったような錯覚も覚えた。
あれほど動揺しないように、心を固めていたつもりなのに…。
「あの市長が黒幕だって?」
そう言われても、どうにも現実味に乏しかった。
お茶の間のテレビで堂々と演説をしているような人間が外国の危険な組織と繋がっているなんて。
これが映画とかドラマだったら良くある話で済むけど、現実に、しかも、身近なところでそういうことがあるとは。
俺はすぐには信じられないといった顔をしながら、霧崎の次の言葉を待つ。
「そうだ。今度の市長が町の再開発を推し進めようとしているのは君も知っているはずだ」
「はい」
「でも、その強引な再開発に反対している人間は少なくない」
俺も立場上、開発には反対を表明しているけど。でも、内心ではこの町が良い方向に進んでくれるなら再開発もアリかなと思っていた。
商店街には悪いけど、この寂れていく町を何とかするには大きなショッピングセンターくらいは必要だと考えていたし。
「それで?」
「特にこの町で暮らす妖怪たちは再開発には断固反対していて、陰で市長に色々と嫌がらせをしていたようだ」
「妖怪たちの嫌がらせですか…」
それはあり得る話だった。妖怪たちが人間に対してやることのほとんどが嫌がらせの類だからな。
現に今週、片付けた仕事でも、問題になっていたのは、やはり妖怪の人間への嫌がらせだったわけだし。
悲しいことに、妖怪が良いことをして話題になるというのは、あまりに少ないことだった。
「ああ」
そう返事をすると、霧崎は俺が入れた紅茶を酒でも呷るようにして飲む。
それを見た俺も喉がカラカラするのを感じたので、飲みかけだったコーヒーに口を付けた。
そして、冷めたコーヒーの苦みを感じながら考えに耽る。
まあ、再開発なんてしたら妖怪の住む場所は益々、少なくなるからな。特に妖怪は昔ながらの町並みや自然を愛する者が多いし。
特に何百年も生きている妖怪たちからすれば、自分たちの住んでいた土地に後からやってきた人間たちが好き勝手をしているようにしか見えないはずだ。
もちろん、俺だって人間の味方をしなければならない退魔師である以上、妖怪たちのやっている嫌がらせを簡単に擁護するつもりはない。
でも、そういうことをされるだけの原因を作っているのも間違いなく人間なのだ。それは、どう言葉を弄しても否定することはできない。
人間が妖怪を追い詰めるようなことをし続ける限り、妖怪たちの人間に対する悪事が根絶される日は来ないだろう。
とにかく、最近になってこの町で不思議なことが多く起こるようになったのは、妖怪たちの市長への嫌がらせが原因かもしれない。
再開発の防止なら、嫌がらせのターゲットが市長だけで収まるってことはないだろうし。
妖怪たちは多方面で嫌がらせをしていたと考えた方が良いな。
ちなみに、前の市長は祓い屋組合との関係も強かったので、妖怪に反感を持たれるような政策は絶対にしなかった。
むしろ、妖怪には敬意すら払っていたし。
でも、前の市長はかなりの高齢だったので、市長職だけでなく政界からも身を退かざるを得なかったのだ。
妖怪の理解者を務めている人たちの高齢化は解決しなければならない問題の一つだった。
「でも、組合は妖怪たちが市長に嫌からせしていることなんて、とっくに把握していたんじゃないんですか?」
そんな動きがあれば、組合のアンテナに引っかからない方がおかしい。
「それは…」
俺の言葉が的を得ていたのか、霧崎は渋面になる。
「なのに、末端の人間である俺にまで情報が回ってこなかったのは、その事実を隠したかったからですよね?」
他の祓い屋はどうかは知らないけど、俺は妖怪たちが市長に嫌がらせをしている片鱗すら感じ取れていなかった。
それは、いかに情報収集の面で組合の構成員である霧崎に頼り切っていたかの証明だろう。
俺は子供だということで、事実を教える必要はないと組合に侮られていたのだろうか。
だとしたら、馬鹿にするにも程がある。
「そういうことになるな…。組合が妖怪を操って、再開発を妨害してる…なんて誤解のされ方をしたら大変なことになるし。それだけに、私もこの事に関しては、君に話すべきかどうか計りかねていたんだ」
霧崎も俺に対しては情報の出し惜しみをしていたわけか。それを考えると、何とも複雑な気分になってしまうな。
霧崎はいつだって俺の側に寄り添ってくれていたし、大切な情報なら必ず明かしてくれとも信じていた。
なのに、今回の霧崎はそうではなかった。これには俺もただ、ただ寂莫としたものを感じるしかない。
いずれにせよ、組合は妖怪たちのやっていることを知ってて、黙認していたということだ。
自分たちに都合の良い妖怪は野放しにして、都合の悪い妖怪は懲らしめようとする。そのやり方ははっきり言って汚い。
「そうですか。たぶん、今度の市長はそういう背景を掴んでいたからこそ、組合と妖怪に対抗するために外国の組織の力を借りたんでしょう」
今回の件に関しては、どちらのやり方も褒められたものではない…、ということだ。
「だろうよ」
霧崎は苦虫を噛み潰したように言った。
「霧崎さんはルーシーを裏で操っている黒幕が市長だと、今日の今日まで気づけなかったんですか?」
「可能性の一つとしては考えていたよ。だが、確固たる証拠が掴めるまでは、誰にも話したくなかったんだ」
「俺にも…ですか?」
霧崎はもう少し俺を信頼してくれていると思ってたんだけどな。
「ああ。特に君はルーシーと仲良くしていたし、君を通して黒幕の側に情報が漏れるのは、どうしても避けたかった」
「…」
まあ、そう言われてしまうと、俺も簡単には霧崎を責められなくなるけど。でも、不信感が募るのは止められない。
「それに、私は潔癖な主義で知られる宮代家に近い祓い屋だし、今回の件では組合の幹部からも鬱陶しがられていてね」
霧崎は大きな溜息を吐きながら言葉を続ける。
「だから、私に情報を回してくれる人間も少なかったし、そのせいで調査も思うようにはいかなかったんだよ」
その話が本当なら、組合も一枚岩ではないということか。
ま、霧崎も組合という組織の中で、肩身の狭い思いをしていたということだろう。今回の件で彼女を責めるのはお門違いな気がする。
責められるべきは現在の組合の体質だ。
そして、彼女が俺に事情を話すことができなかったのも、俺自身の甘さと未熟さが原因だと思った方が良いだろうな。
何でもかんでも他人のせいにするのは俺の性分ではない。
「とにかく、話を戻すが、今度の市長は町の再開発の妨害をしている妖怪たちを全て抹殺したいと考えている」
「抹殺ですか」
これには俺も自分の身内に訃報があった時のような悪寒を感じる。邪魔な者たちは抹殺すれば良いなんて、平和な日本で生きる人間の考え方ではないな。
ま、そのくらいでなければ、外国の魔術師に妖怪退治を頼んだりなんてしないか…。
「そうだよ。もちろん、祓い屋組合もそれを許すつもりはない。妖怪だけでなく、祓い屋組合も再開発には強く反対しているからな。組合が掲げるのは人間と妖怪が共存できる町。だが、市長がやろうとしているのはそれとは正反対のことだ」
組合は昔から妖怪と共存できるような町造りを目指してきたし、市長に反対するのも無理からぬことだ。
だからこそ、俺も再開発に諸手を上げての賛成なんてできなかったわけだし。そして、その立ち位置は結果として正しかったと言える。
もし、この地の霊的な管理人である宮代家の人間が開発に賛成していたら、もっとややこしい事態になっていたかもしれないから。
「対立は避けようがなかったわけですね…」
俺は両者の歩み寄りは本当にできなかったのかなと思いながら言った。
「そういうことだ。だから、妖怪と祓い屋組合に対抗するべく市長は外国の魔導組織、ダークエイジと手を結んだんだよ」
霧崎の顔には事の深刻さが滲み出ていた。
そして、これまで決定的な危機感を持てずにいた俺も、ここに来てようやく焦りの感情が追い付いてくる。
「それは本当に厄介なことですよ。ダークエイジは祓い屋組合なんかとは攻撃性が違うと思いますし」
妖怪どころか、人間ですら簡単に殺せる組織であるダークエイジの危険性を市長は認識しているのだろうか。
そんな組織と手を結んだら、落ちるところまで落ちてしまうぞ。
日本人は犯罪組織の怖さを今一つ認識していないところがあるし、用済みになったら市長ですら秘密裏に消されかねない。
それほどの過激な物騒さが外国の犯罪組織にはある。
「ああ。祓い屋組合としても、ダークエイジと衝突することは絶対に避けなればならないと思っている。もし、衝突したら大きな殺し合いにも発展しかねないからな」
組織同士の抗争なんて、まるでヤクザの世界だし、笑い話にもならない。事実、俺や霧崎のような人間にとっては、笑ってはいられない状況だ。
血を流すことになるのは、得てして現場で動いている俺や末端の祓い屋たちだろうし。
それを考えると、安全な場所で指示をしているだけの組合のトップたちは良い気なものだなと思える。
「だから、組合もルーシーには迂闊に手を出せないわけですか」
「その通り。何とかするなら、まず市長の方だろう。幸いにも市長が黒幕だということは、はっきりと突き止められたし、後はどうにでもなる」
ルーシーに殺された妖怪のためにも、市長には痛い目に遭ってもらいたいな。
「俺はどうすれば良いんですか?」
刀を振るうだけしか能がない俺では、危険な組織の後ろ盾を得ている市長の相手はできそうにない。
となれば、俺ができることも必然的に限られてくる。
「ルーシーのやることを君なりのやり方で止めて欲しい。こちらとしても市長の方はできるだけ早く何とかするつもりだから」
ルーシーを止めることに異存はない。それだけは誰かに強制されなくてもやるつもりだったからな。
とにかく、市長の方は霧崎の言葉を信じて任せるしかない。適材適所というやつだ。
「分かりました」
ルーシーの動きは俺では掴めないけど、本当に彼女を止めなければならない時は、霧崎も隠し立てすることなく情報を持ってきてくれるはずだ。
でなければ、ルーシーの方から俺の前に現れてくれることだろう。
いずれにせよ、俺は何がなんでも、もう一度、ルーシーと会わなければならない。例え、命をかけた戦いになろうとも…。
俺はこれ以上、事態が悪い方向に転がらないことを祈りながら、まるで戦場に赴くような表情を形作って霧崎の顔を見た。