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四日目・木曜日➅

〈四日目・木曜日 触れ合う心➅〉


 俺は深夜になると神社の参道の階段を上っていた。

 山の中腹まで続く階段はまるで空にでも届いているかのように高く、そして長い。上っても、上っても、神社に辿り着けない。

 そんな階段の横手には山の木々が鬱蒼と覆い茂っている。今は夜だし、ここは参道なので景観を壊す街灯も立ってはいない。

 故に、唯一の明かりは煌々とした月の光だけだった。

 だから、階段を上っていると濃い闇を作り出している木々の間から何かが飛び出して来そうな気もしてくる。

 ここらでは野生のイノシシやクマも出るという話だし、ひょっとしたら、もっと物騒なものが現れる可能性もある。

 とはいえ、鬼が出ようと蛇が出ようと、鬼神刀を持っている今の俺ならさして恐れることではないが。

 ま、それでも油断は禁物だ。


(強い妖気が漂って来る。間違いなくこの参道の上にある神社には妖怪がいるな。しかも、文句なしの大物だ)


 羅刹に言われなくても、この隠そうともしない妖気は俺の肌を粟立たせていた。


(ハズレなくて良かったよ)


 俺は普通だったら疲れ果ててしまうような階段を苦もなく上って行く。足には妖力を流し込んでいるのだ。

 だから、疲れるどころか、足から伝わって来る感触は軽やかに弾んでいる。


(ああ。だが、良くこの神社に妖怪がいることが分かったな)


(この町のほぼ全ての神社で怪我人が出ている。でも、この神社だけはなぜか怪我人が一人もいなかった)


 怪我人の出た神社のことは霧崎が渡してくれた書類に詳しく書いてあったからな。だから、この神社のこともすぐに浮き彫りになった。


(それだけが理由だというのか?)


(調べてみたら、ここの神社はこの地で一番、最初に建てられた由緒正しき神社だったんだ。だけど、今は誰も寄り付かないくらい寂れてる)


 もちろん、地元民の俺はこの神社の存在くらいはちゃんと知っていたけど。


(それを気に食わないと思っている妖怪がいると睨んだわけか)


(そういうこと)


 妖怪は人間と違って、短絡的な思考を持つことが多い。だから、単純に考えた方が的を得ている場合が多いのだ。


(最近のお前は妖怪の思考も読み取れるようになってきたな。退魔師が板についてきたというか、この調子で成長するが良い)


(何でそんなに上から目線なんだよ…)


 俺はじとっとした目で腰に下げている鬼神刀を見た。


 そして、参道の階段を上り切ると、そこには石畳になっている境内があり、その奥には大きくて歴史を感じさせる神社の本殿があった。

 夜の神社から漂って来る空気を感じると何だか身が引き締まる。

 霊気の通り道に作られているだけあってか、空気中に含まれている霊気の量も多いし、それが俺の体にも活力を与えてくれているのだ。

 とはいえ、もし、この神社の近くにある大霊石が壊されたら、この場所に満ちている霊気も消えてなくなることになる。

 大霊石が壊されるのは誰にも止められないのだろうか。

 もし、この町の霊気の通り道が全て消えたりしたら、益々、妖怪たちの住める場所が少なくなるし。

 ひょっとして、大霊石を壊している奴はそれを狙っているのだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は境内を進んで行く。


 ちなみに、この神社が人の手から離れてだいぶ時間が経っていることはすっかり見窄らしくなっている本殿の外観を見れば分かる。

 かなりの広さがある石畳の境内も掃除がされていないのか、小石や砂、木の葉などがたくさん落ちていたし。

 境内と本殿の周りを囲む藪も伸び放題になっていた。

 こんな歴史的にも、文化的にも価値ある神社を放置しておくのは、この町の人間として心が痛むな。

 だれか、この神社を保護してくれる者はいないのだろうか。

 俺にもう少し強い発言権があれば、祓い屋組合にこの神社を何とかするよう頼むこともできるんだけど。

 今回の仕事が終わったら、その辺のことを霧崎に頼んでみようか。彼女なら、いつものように…とまでは言わなくても、何とかしてくれるかもしれない。


 いずれにせよ、今は神社のことを案ずるより、自分の身を案じた方が良いな。既にここはそういう場所になっている。

 俺はこれ以上、前に進みたくなくなるような強烈な妖気の漂って来る神社の本殿の方へと近づいて行く。

 すると、唐突に神社の本殿の障子扉が開く。現れたのは、山伏のような服を着た人型の妖怪だ。

 その顔には天狗の面が付けられていて、それが妖怪の異様さを引き立てている。

 人間にも見えるが、そうでないことは発せられる妖気からも分かる。

 とにかく、視線の先にいるのは妖気だけでなく、強い神気も放っている相当な力を持った妖怪だ。

 一言でいってしまえば、強い。


「やはり来たか、若き退魔師よ」


 妖怪は腰に下げた立派な太刀の柄に手を置いていた。

 あんな太刀は時代劇でも見たことがないし、あれで切りかかられたら、牛の胴ですら真っ二つになりそうだ。


「お前がこの町の神社で人間に怪我をさせて回っている妖怪か?」


「ああ」


 妖怪は天狗の面で頷いて見せる。下手な嘘を吐かないところに、この妖怪が持つ自信の程が伺えた。


「なら、人間に怪我をさせている理由を聞かせてもらおうか」


 この妖怪からは戦意のようなものがビリビリと伝わって来る。かなり、好戦的な妖怪と見た。


「私はこの神社の守り神だ。この神社を立てた僧侶に末代までこの神社を守ってほしいと頼まれてな。それには他の神社の存在は邪魔なのだ」


「それが他の神社で人を怪我させた理由か?」


 俺は慎重に言葉を選ぶ。できれば、自分の身のためにもこの妖怪とは戦いたくない。もし、戦えば俺も妖怪もただでは済まないだろう。


「この神社はこの地で一番、最初に建てられたものだ。この神社を立てた僧侶も心に邪なものは何もなく、清廉そのものだった」


「…」


 俺は妖怪から高潔な意思を感じ、押し黙った。


「だが、後からこの地に神社を立てた者たちはどうだ?人を集めるためには手段を選ばす、挙句の果てには様々な方面の人間に賄賂まで渡して自分の神社を繁栄させようとしている」


「でも、それは良くある話だろ」


 現代の神社は商法的でなければ存続はできない。

 この妖怪とて、それだけの口が叩けるのなら、現代の神社を取り巻く状況くらいは知っているはずだ。

 もし、知らなければ、現代になってから横行し始めたという賄賂云々の話だって突き止めることはできなかっただろうし。


「そうだな。それだけなら、私もまだ許せる。だが、他の神社の神主たちは、裏ではこの神社を取り壊してしまおうとさえ画策しているのだ」


 妖怪の言葉に俺もそれは酷いなと言いたくなる。神仏に仕えるもののやることではないし、この妖怪が憤るのも当然か。


「その暴挙はさすがに見過ごせるものではない」


 そう言うと、妖怪は腰の太刀を鞘から引き抜いた。太刀の刃は月の光を浴びて鈍く輝く。

 その輝きを見て、俺の心にも一際、強い緊張が走った。


「刀を抜いたということは話し合いに応じるつもりはないということか?」


 俺はこめかみから冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら言った。


「私は守り神。もとより、血沸き肉躍る戦いは好むところなのだ。お前も私のしていることを止めたかったら、その刀で語れ」


 妖怪の体から闘気のようなものが迸る。

 しかも、この妖怪は俺が腰から下げている鬼神刀の力にも気付いているようだった。まだ鬼神刀の刀身は鞘に収まったままの状態だと言うのに。

 どうやら、この妖怪は洞察力にも長けているようだ。


「良いだろう。そっちがその気ならやってやる」


 俺も気迫を込めて言うと、鬼神刀を鞘から抜き放った。

 すると、刀と刀を交える戦いを何よりも好む羅刹は生き生きとした妖気を鬼神刀の刃から発散させた。

 そして、妖怪の放つ妖気と羅刹の放つ妖気が、空気中でぶつかり合う。どちらの妖気もその勢いの強さでは負けていない。

 俺も戦いは望むところではないが、それでも、十分すぎるほどの歯ごたえがありそうな強敵を前にして、否応なく気分が高揚するのを感じていた。


「その意気や良し。…久しき戦い、存分に楽しませてもらおうか!」


 そう声高に言うと、妖怪は太刀を振り上げて、猛然と俺に斬りかかって来た。

 その動きはあまりにも速く、光の刃を放って遠距離からの攻撃を仕掛ける暇など与えてはくれなかった。

 まずは距離を取って相手の動き方をじっくりと観察しようなどと思っていたことが、裏目に出たか。

 俺は一瞬で間合いを消失させられたことに大きく動揺しながらも、反射的な動きで妖怪の太刀を受け止める。

 すると、よほどの膂力が籠っているのか、俺の腕の筋肉が大きく撓み、刀を握る手がジーンと痺れた。

 でも、何とか押し負けることなくギリギリと鍔迫り合いをする。

 だが、妖怪がフンッと力を入れたように声を発すると、俺は堪えきれなくなって大きく後方へと吹き飛ばされてしまった。

 倒れなくて済んだのは運が良かったにすぎないし、向こうも今の攻め合いは小手調べのようなもので、本気の力など全く出していない感じだった。

 もしも、本気で斬りかかられていたら、勝負はあっという間に付いていたかもしれないな。

 何にせよ、今の状態で力比べをするのは賢明ではない。

 俺は単純な腕力では向こうの方が遥かに勝っていると思い、力を大きく消耗することを覚悟で腕に大量の妖力を流し込む。

 鬼神刀の妖力の後押しがあれば、妖怪との力勝負にも勝つことができるはずだ。

 俺の本領が発揮されるのはここからだ。

 すると、続けて叩きつけられた太刀は、自分が思っていた以上に難なく受け止めることができた。

 やはり、今の俺の増強された腕力なら、ちゃんと対抗できる。

 が、息を吐く暇もなく、妖怪は今度はスピードを見せるように目にも映らないような突きを放って来る。

 しかも、その突きは的確に俺の急所を狙っていた。あの大きな太刀で、ここまでのスピードを見せられるとは…。

 これに対抗するには、俺も別の部分に妖力を流し込む必要があるが、あいにくとその暇がない。

 俺は繰り出される突きを目で見るのではなく、空気の揺れを感じ取って必死に捌く。こういう時は鋭敏化された感覚だけが頼りだ。

 もし、一瞬でも感覚を鈍らせれば命はない。

 俺は体の筋肉が悲鳴を上げるのを感じながらも、とにかく動き続けた。

 そして、俺もだんだん慣れてきたせいか、妖怪の繰り出す突きを確実に叩き落とせるようになった。

 後は反撃の機会を窺うだけだ。

 が、妖怪は俺の気の緩みを見て取ったのか、俺の体の側面に巧みな動きで回り込むと、タイミング的に回避できない斬撃を繰り出してくる。

 俺は本能的な動きを見せると、その斬撃を間一髪のところで弾き返した。だが、背中から気持ちの悪い汗が噴き出すのは止められない。

 今の斬撃は本当に危なかった。もう少し、反応するのが遅かったら、俺の首は撥ね飛ばされていたぞ。

 前の妖怪とは違い、この妖怪は俺を本気で殺そうとしている。好戦的なだけでなく、人を殺める非情さも持ち合わせているようだ。

 なら、俺も相応の覚悟で戦う必要があるな。

 そんなことを冷や冷やしながら思っていると、妖怪は今度は手数で圧倒するような斬撃を繰り出してくる。

 俺はあらゆる角度から迫る斬撃を必死に捌く。まるで剣の舞のような斬撃だし、とても防ぎきれるものではない。

 俺は腕や足を浅くだが切られてしまった。

 体から生暖かい血が流れ落ちるのを感じるし、久しく味わっていなかったような痛みも脳に伝わって来た。

 でも、この痛みが俺の心に良い刺激を与える。

 相手を是が非でも倒そうとする闘志が心の奥底から湧きあがって来たのだ。なので、何かが覚醒したのを感じるし、鬼神刀を握る手にもより一層の力が入る。

 とにかく、妖怪との戦いでここまでの傷を負ったのは久しぶりだ。今までの戦いでは、自分の血を見ることすらほとんどなかったから。

 正直なところ、これほどの剣の腕が立つ妖怪がいたとは思わなかった。これが剣を振るってきた年月の差かとも思う。

 いずれにせよ、この妖怪はもう妖怪ではなく神の域にいる者だ。なら、俺の方も本気にならざるを得ない。

 そう思った俺は不敵に笑った。

 相手を殺す気で戦うなんていつ以来だろうな。ま、実際には殺しはしないけど、もう自分の力をセーブしたりはしない。

 明日は学校に行けなくなることを覚悟で戦ってやる。

 俺は妖怪が攻撃の手を休ませている隙に、全身に大量の妖力を流し込んだ。

 それから、反撃に打って出るよう、相手の意表を突くようなタイミングで妖怪に迫った。

 そして、妖怪の反応を凌駕するような動きで、斬撃を放つ。今の鬼神刀の刀身は輝いていて、それが美しい光の帯も作っていた。

 それに対し、妖怪はその斬撃をさすがの反応で受け止め切ったが、力負けして足が後ろに下がった。

 その際、妖怪は面の下からグッと呻くような声を漏らす。

 剣を扱う技量で俺の方が劣っているというのなら、単純に身体能力で上回って見せるしか勝ち目はない。

 ま、理屈としては簡単なことだ。

 俺は全ての身体能力が格段に上がったおかげで、今の自分の動きがまるで躍動しているようにも感じられた。

 この動きについて来れる者はそうはいないだろう。

 俺は那由他の如き手数の突きを妖怪に浴びせる。

 刀身が光を帯びているせいか、その突きはまるでたくさんの箒星が流れているかのようだ。

 そして、妖怪は自らの卓越した剣技をもってしても、俺の突きを捌ききることができずに腕や脇腹に刺し傷を負う。

 今度は立場が逆になったな。

 でも、まだまだ致命傷になるような傷ではない。やはり、そう簡単には戦えなくなるほどのダメージは受けてくれないか。

 とはいえ、小さな傷も塵と積もれば大きな傷と同じダメージになるし、この調子で攻撃あるのみだ。

 俺はひたすら閃光のような速さの突きをお見舞いする。闇を食らうような光を帯びた突きは、妖怪の衣服を削り取った。

 それを受け、妖怪の方もやられてばかりではいられないと思ったのか、俺の刀を大きく弾くと、反撃するように怒涛のごとき連撃を俺の体に叩き込んできた。

 だが、その残像すら生む体から繰り出される連撃を俺は軽やかに捌く。

 動体視力も底上げされている今の俺なら、畳みかけるような熾烈な連撃も見切るのは容易いことだ。

 なので、俺は相手の戦意を挫くために、迫り来る太刀を的確かつ鮮やかに叩き落として見せた。

 そして、妖怪に疲労の色が見え始めてくると、俺は獅子奮迅の如き気合で渾身の力を込めた斬撃を放った。

 それは妖怪の太刀に激突し、その刀身に罅を入れた。

 妖怪は太刀で受け止める愚を理解したのか、俺の斬撃を舞うようにしてかわす。だが、かわしきれずに腕や肩に浅からぬ裂傷を負った。

 今の俺が繰り出す神風のような斬撃をかわしきることは、どんなに素早い動きができる妖怪であっても不可能だ。

 あと、もう一押しだな。

 そして、妖怪の動きが明らかに鈍って来たのを見て取った俺は全身全霊の力を込めた振り下ろしを妖怪の太刀にお見舞いした。

 結果、妖怪の太刀は根元から砕け散る。その破片はキラキラとスローモーションのように宙を舞った。

 そして、太刀の柄も妖怪の手からもぎ取られ、地面にガランと落ちた。


「ここまでだ」


 俺は鈍色に輝く刀の切っ先を妖怪に突き付けながら大きく息を吐き出す。

 全力を出した反動で、体の節々が痛む。でも、体が痛むのを恐れていたら絶対に勝てなかった相手だった。

 現に少しでも力の出し惜しみをしていたら、俺は死んでいたはずだし。だから、全力を出した後悔のようなものは全くない。


「強い。さすがこの町を霊的に管理している退魔師か。六郎は良い後継者を得たようだな」


 武器を失い、丸腰となった妖怪は脇腹の傷を抑えながらも、穏やかに言った。

 その顔には面が付けられているので表情は分からなかったが、何となく笑っている顔を想像することができた。

 なので、俺も戦いが終わったことを示すように鬼神刀の刃を下ろす。


「爺さんを知っているのか?」


 俺は妖怪の面の奥にある顔を見据えているような目で尋ねる。


「この地に長く住む妖怪で、六郎を知らない者などおらんよ」


「そうか」


 祖父はこの町の人間だけでなく、妖怪たちにとっても有名人だったんだな。

 だから、この妖怪も祖父の孫である俺のことを最初から知っているような口振りで話していた。


「六郎が死んだと聞いて、多くの妖怪たちが涙した。お前の祖父は本当に立派な人物だったよ」


 妖怪はドスンと腰を落として胡坐を掻くと、開き直ったように口を開く。


「とにかく、私の負けだし、止めを刺すが良い」


 妖怪は首を切り落としてくれても構わないというような口調で言った。


「止めておくよ」


 俺は服の袖で額の汗を拭う。

 神の域に達した者を殺すことなんて、俺にはできない。神を殺すことの怖さは俺も熟知しているし、他の祓い屋だってそれは同じだろう。

 神の力は死して残ることがあるからな。

その怨念のような力は自分を殺した相手に取り付くこともあるし、それは大抵、悲惨な結果を招く。

 とにかく、祖父のことを良く思ってくれている妖怪なら、尚更、殺すことなんてできない。

 しかも、今回のことに関しては情状酌量の余地があるし、勝敗が決したのなら、後は話し合いで解決したかった。


「妖怪を簡単には殺せぬところはやはり六郎の孫か…。だが、その甘さはいつか命取りになるぞ」


 妖怪の声には、まるで大太刀を振り上げている時のような力強さがあった。


「でも、その甘さを捨てて、妖怪の命を奪ってしまうよりは良い」


 厳しさしか持ち合わせていないような人間は、得てして、自らの厳しさで身を亡ぼすことになると祖父も言っていたからな。

 人間にはどうしたって甘さが必要なのだ。


「言ってくれるな。だが、その甘さは自分の命を危険に晒してでも、持たなければならないものなのか?」


 妖怪の声には俺の覚悟がどれ程のものなのか、確かめているような響きがあった。


「ああ。誰がなんて言おうと、この甘さは捨ててはいけないものなんだ。爺さんのことなんて関係ない!」


 何度も思っていることだけど、この信念はもう受け売りなんかじゃない。とっくに、俺自身の信念になっているのだ。

 それは誰にも変えることはできない。


「…」


 妖怪は俺の発した言葉に胸を打たれたのか、夜の星空を見上げて沈黙した。境内がしんとした静けさに包まれる。

 俺も黙ってその場に立ち、妖怪の心の整理が付くのを待つ。煌々と輝く月の光は、いつになく幻想的に見えた。

 が、突如として澄み切っていた夜の空気に異質な殺気のようなものが混じる。その瞬間、スパークする光の球が高速で飛来した。

 すかさず、俺は妖怪に命中しようとしていた光の球を鬼神刀で弾き返す。

 そして、心の痛みに歯を噛み締めながら、俺は光の球が飛んできた方向を見る。そこには見覚えのある二つの影が生まれていた。


「やっぱり、来たか…。ルーシーにサタナキア」


 俺は途轍もないプレッシャーを全身に浴びて、体中が総毛立つのを感じながら言った。


「また人に危害を加えていた妖怪を逃がそうとしていたんですか。懲りない人ですね」


 月明りに照らされたルーシーは冷たい表情で言った。

 まさに氷の魔女。

 その横には巨大な翼の生えた蛇がいる。

 もちろん、その蛇はサタナキアだが、前よりも体が大きく、力も増しているように見えた。

 おそらく、俺の知らないところで妖怪の持つ妖力を食らってきたに違いない。それを考えると、俺も心が軋むのを感じた。

 自分の目の前で殺されなければ、それで良いのかと言われているような気がしたからだ。

 でも、サタナキアを止める力は、たぶん、今の俺にはないだろう。

 それくらいは推し量れる。


「昼間とは別人のような顔をしているな」


 できることなら、ルーシーのこんな顔は見たくなかった。

 夕日で赤く染まった商店街で別れた時には、もう、こんな顔を見ることはないかもしれないという淡い期待も寄せていたし。

 けれど、現実はどこまでも辛辣だった。人はそう簡単には変われない。その程度のことは当たり前のように理解していたはずなのに…。


「仕事の時間とプライベートの時間は完全に分けて考えていると言ったはずです。今の私に甘さはありません」


 ルーシーは俺の気持ちなどお構いなしに冷然と言葉を紡ぐ。そんな風に割り切られると俺も自分の心が引き千切られるような思いに苛まれてしまう。

 昼間見たルーシーの輝くような笑顔が俺の脳裏にはまだ焼き付いているのだ。だからこそ、余計に辛い。


「そういうことだ、小僧。殺されなくなかったら、そこを退け」


 サタナキアが威圧感たっぷりの野太い声を発する。

 やはり、サタナキアの声には、前には感じられなかったような力が籠っている。なので、俺の心胆も寒からしめられた。


「断る」


 俺は今、サタナキアと戦ったら間違いなく負けるなと思っていたが、それでも刀を構えて見せる。

 ここで逃げるのは、退魔師としての誇りにかけてできなかった。


「どうやら、本当に殺されたいらしいな。まあ、良い機会だし、悪魔の恐ろしさをその体にしっかりと刻み込んでやろう」


 そう言うと、サタナキアは禍々しい翼を大きく広げて見せた。俺もサタナキアから津波のように押し寄せて来るエネルギーに慄然とする。

 やはり、悪魔の力の強大さには、屈するしかないのか。


「待ってください、サタナキア」


 前に進み出ようとするサタナキアを手にしていた杖で制したのはルーシーだった。これにはサタナキアも水晶のような瞳を瞬かせる。


「なぜ、止める。まさか、こいつに情が移ったから戦うなとか言うんじゃないんだろうな?」


 そういうサタナキアには少しも情がないのか。


「そうではありません」


 ルーシーは能面のような表情をして言った。


「なら、この私のやることを止めるな。私はこういう生意気な正義感を振りかざす小僧が一番嫌いなのだ」


 サタナキアは殺気を瞳に漲らせながら言うと、俺の方ににじり寄ろうとする。それを受け、俺もまるで追い詰められた小動物のように、後ろへと下がった。


「止めてください!」


 ルーシーがそう叫ぶと、その指がいきなり閃光を放った。その瞬間、サタナキアの体からバチバチと青白い光が迸る。


「グ、グァー!」


 サタナキアは相当な痛みを感じたのか絶叫した。それから、倒れることすらなかったが、悶え苦しむような顔で蛇の体をくねらせる。

 そんなサタナキアの体からは白煙が噴き上がっていた。


「…」


 俺は二人のやり取りを見て呆気に取られる。


「る、ルーシー、貴様!」


 サタナキアは激昂したような声を上げる。その持っていた余裕をかなぐり捨てたような顔は猛禽類を彷彿させた。


「落ち着きなさい、サタナキア。私もあなたと同じ気持ちなんですから。だからこそ、彼とは私が戦うと言っているんです」


 ルーシーは杖の先端を俺の方に突き付けて言った。


「お前が?」


 サタナキアはルーシーをギロリと睨みつける。

 今のサタナキアは、下手な言葉を口にしようものなら、例え相手がルーシーであっても八つ裂きにしかねないような目をしていた。

 だが、そんな目で睨まれつつも、ルーシーに怯んだ様子は少しもない。


「はい」


「お前は人間と戦ったことは、まだ一度もなかったはずだ。本当に戦えるのか?」


 サタナキアは疑問を差し挟む。

 俺もルーシーが人を傷つけて来なかったことを知って、ほっとした。

 でも、今から俺はルーシーに傷つけられる側に回るのだ。それを考えれば、安心などしてはいられない。


「もちろんです」


 ルーシーは自分の甘い感情を断ち切るような声で言った。


「良いだろう、それも一興だ」


 サタナキアは暗い愉悦を滲ませるように笑った。


「…」


 黙るルーシーの目にはまだ微かに人間らしい感情が宿っていた。だが、それもすぐに掻き消える。


「ただし、この小僧とは殺す気で戦ってもらうぞ。もし、それができなければ、やはり、私が小僧をバラバラに引き裂いてくれる」


 そう言うと、サタナキアは今度は逆らうことなく、後退して見せた。

 そして、ルーシーは俺と向き合うと、まるで感情というものが抜け落ちた人形のような顔で口を開く。


「宮代君、私に勝つことができたら、そこにいる妖怪の命は助けてあげますよ」


 そう言われても、ルーシーからも人の身で持ちえないような力を感じるのだ。正直、勝てる自信は全くない。

 でも、これは絶対に退くことができない戦いだ。それはサタナキアを説得したルーシーも同じだろう。


「分かった…。なら、戦おう」


 俺は正念場だなと思いながら刀の切っ先をルーシーに突き付けた。


「…では、行きますよ」


 そう言うと、ルーシーは杖の先端からスパークする光の球を放って来た。それは俺の方へと電光石火のごとき速さで飛来する。

 しかも、これは前に力ある妖怪を一撃で粉々にしたエネルギーの球と同じだった。人間が食らったら一溜りもないだろう。

 俺は光の球をギリギリのところで避ける。動体視力を増していた俺でも肉眼で捉えきれないような速さだった。

 が、ルーシーはそんな光の球をまるでマシンガンのように連続して放って来る。

 俺はそれを鬼神刀で弾き返したが、如何せん数が多すぎる。弾き返せなかった光の球は俺の肩や脇腹を掠めて、境内の床に大きな穴を穿った。

 神社の本殿に当たらなかったのは、僥倖だったが。

 俺はとにかくルーシーを殺さずに屈服させるには、まず接近しなければと思う。なので、牽制するように鬼神刀の刀身から光の刃を放った。

 ルーシーも迫る光の刃を光の球で迎撃する。だが、光の刃は貫通するように、光の球を突き破ってルーシーの肩を掠めた。

 ルーシーは肩に傷を負ってグッと顔をしかめる。

 それを見た俺は本来なら続けざまに光の刃を放つべきところなのに、あろうことか攻撃の手を止めてしまった。

 戦いの最中に相手のことを必要以上に気遣ってしまったのだ。

 そして、その甘さを後悔した時にはルーシーも俺の隙を突くように今度は炎の球を放つ。

 それは俺ではなく、俺の足元の石畳にぶつかり、空間が爆ぜ割れたかのような大爆発を引き起こした。

 俺は体に焼けるような熱さを感じながらも、バックステップで爆炎から飛び出した。もう少し反応が遅かったら、爆発をまともに食らって体がバラバラになっていた。

 何という恐ろしい攻撃を繰り出して来るんだ。

 こっちは思い切った攻撃ができないというのに、相手は容赦なく自分を殺そうとしてくる。

 これに対抗するには俺もルーシーを殺す気で戦うしかない。でも、今の俺にそれができるのか?

 やろうとしていることは正真正銘の人殺しだぞ。

 すると、今度はルーシーは俺の頭上から雷を落として見せた。俺は咄嗟に自分の体を妖力のバリアで包み込む。

 落雷は俺の真横に落ちたが、電撃は俺の体をも伝おうとする。でも、それは妖力のバリアが防いでくれた。

 だが、電撃がもろに体に伝わっていたら、俺はショック死していたはずだ。だから、冷や汗も出る。

 ルーシーは何度も執拗に俺に雷を落とそうとする。たぶん、直撃したらバリアは破られてしまうだろうな。

 でも、俺は俊敏に落ちてくる雷を避けた。

 やはり攻撃の一つ一つが、俺の命を確実に奪いに来ているな。なのに、俺はルーシーを傷つけることさえ躊躇っているのだ。

 その甘さは如何ともしがたい。

 ルーシーは攻撃がかわされることに業を煮やしたのか、いきなり俺の足元から氷の刃を飛び出させた。

 氷の刃は俺のバリアを破って、太腿を浅く切り裂いた。

 これには俺も激痛に顔を歪ませる。足元からの攻撃はさすがに予想していなかったので、反応が遅れてしまった。

 ルーシーは実に多彩な攻撃を仕掛けて来る。俺なんて光の刃を放つことしか、攻撃のバリエーションがないのに。

 そして、こちらが休む暇もなく、ルーシーは氷の刃を境内の床から無数に突き出させて俺を串刺しにしようとした。

 俺は避けるのがやっとで何の反撃もできない。

 もし、ルーシーに傷を負わせた時に、攻撃の手を止めることなく光の刃を放っていたらここまで不利な状況に陥らなかったかもしれない。

 妖怪の言った通り、俺の甘さが命取りになったか。

 そんな俺の心中を他所に、ルーシーは竜巻のようなものを作り出した。それは境内の石畳をバリバリと砕きながら俺の方に迫る。

 あんな竜巻に巻き込まれたら、どこまで吹き飛ばされるか分からないぞ。

 俺は今度は風の力かと舌を巻きながら、迫り来る竜巻に備える。その際、飛んで来る石の破片が俺の頬を掠めて切り傷を作った。

 俺は不規則な動きをする竜巻を何とか避ける。だが、竜巻は意志を持っているかのようにしつこく俺を追いかけて来る。

 なので、俺は残された妖力が少なくなりつつあることを理解しながらも、光の刃を放ち竜巻を真っ二つにした。

 すると、竜巻は力を失ったように霧散する。

 俺は肩で息をしながら、頬から流れる血を拭う。

 これが魔術の力か…。

 あらゆる属性の力を自由自在に操るのは見事としか言いようがない。

 これを打ち破るには小細工のない一撃をルーシーの体に直接、叩きつけるしかないだろう。

 もっとも、それは口で言うほど簡単なことじゃない。相手を殺さないようにするというハードルがあっては尚更だ。

 俺は考えていてもしょうがないと思い、足に妖力を流し込む。

 距離を置いての戦いでは向こうに圧倒的な部があるので、接近戦に持ち込むしか勝つ方法はない。

 そう思った俺は境内の床を蹴って疾駆していた。

 それに対し、ルーシーは俺を近づけさせないように、スパークする光の球を放って来た。

 やはり、今の俺の速さに対応できる魔術はエネルギーの球だけだ。エネルギーの球なら鬼神刀で弾き飛ばせる。

 しかも、先ほどまでの連続して使用した魔術でかなりの力を消耗したのか、攻撃のキレも失われていた。

 俺は光の球を弾き飛ばしながら、吹き抜ける風のように走る。光の球も風と同化したような俺の体を捉えることはできない。

 そして、走り切った俺はルーシーの前に躍り出る。

 ルーシーは激突すれば全てを破壊し尽くすような特大の光の球を放とうとしていた。あれが放たれたら、この境内に大きなクレーターでも出来かねない。

 だが、光の球を練り上げる作業は、俺の接近には間に合わなかった。

 俺は心を鬼にすると、今度は攻撃の手を止めることなく、乾坤一擲とも言える斬撃を叩きこんだ。

 その斬撃はルーシーの杖を叩き折り、彼女のお腹の部分に裂傷を刻んだ。その瞬間、血飛沫が舞ったし、これにはルーシーも苦しげな顔をして膝を突く。

 展開していた、特大の光の球も力を失ったように霧散した。


「俺の勝ちだ」


 そう言って、俺はルーシーの喉元に刀の切っ先を突きつける。

 でも、今の俺は肩を震わせて息をしていたし、酷使しすぎた足は痛くてもうピクリとも動かせそうになかった。

 一方、ルーシーもお腹の部分からダラダラと痛々しく血を流している。

 まあ、この程度の傷なら命の危険はないし、回復の魔術が使えるなら、すぐにでも癒すことができるだろう。

 とにかく、殺さずに相手を屈服させようとする戦いの苦しさをここまで味わったのは初めてだ。


「そのようですね…」


 ルーシーは戦意を喪失したように下を向く。俺も薄氷とも言える勝利だったので、高揚感のようなものは全くなかった。


「約束通り、退いてもらうぞ」


 俺は刀を動かすことなく言った。心の中では「頼む、退いてくれ…」と念じながら。


「分かりました、約束はちゃんと守ります…」


 ルーシーのポツリとした言葉を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろす。これ以上戦ったら、負けていたのは間違いなく俺の方だったからな。

 ルーシーが潔く自らの敗北を認めてくれて良かった。


「一つ訊いて良いか?」


 俺はルーシーに早く去ってもらいたいと思いつつも、どうしても尋ねずにはいられないことがあった。


「何ですか?」


「君は悪霊や妖怪に対して、ただ冷酷なだけでなく特別な憎しみを持っているように思える。ひょっとして、過去に何かあったのか?」


 ルーシーの目には昼間には決して見られなかった憎悪の光が宿っていた。それも尋常ではない憎悪が。


「…私の父と母は昔、日本に住んでいたんです。でも、西洋人を嫌う妖怪に殺されました」


 ルーシーの言葉に俺は背筋がゾクッとした。


「本当なのか?」


「はい。ですが、赤ん坊だった私は、かろうじて殺されずに済んだんです。それからは、魔術の世界では名門として知られていた祖父の家に引き取られました」


 ルーシーは暗い感情を瞳に込めながら言った。


「…」


 俺はルーシーの告白に何も言えなかった。

 まさか、そんな悲惨な過去があったとは思わなかったし。なので、安易な慰めの言葉をかけることなどできるはずもなかった。


「私は日本にいる妖怪を一人残らず殺したいと思う憎しみを糧にこれまで生きてきました。だから、お爺さまから課せられた厳しい修練にも耐えられたんです」


「そうだったのか…」


 ルーシーは壮絶とも言える人生を送って来たのかもしれない。

 西洋の魔術師は一般人には考えられないような非人道的なことも修行としてすると聞いているからな。

 そのせいで、廃人になってしまう魔術師も少なくないらしい。

 魔術師のおぞましい修行方法は俺も少しだけど文献で読んだことがある。あんなことをやらされたら、毎日が地獄だ。

 日本のお寺の修行とはわけが違う。

 まあ、だからこそ、ルーシーも人の身では持ちえないような大きな力を得られたのだろう。

 まさに、厳しさを通り越した地獄のような修練の賜物だ。


「お爺さまはいつも言っていました。人外の存在には信頼も友情も愛情も持ってはならぬ。彼らを利用するなら、ただ道具として使えと。今でも、その言葉は正しいと思っています」


 となると、ルーシーにとってはサタナキアも道具に過ぎないということなのか。

 でも、俺は羅刹を道具と思ったことなんてないけど。

 羅刹は共に戦う相棒だが、それだけでなく、俺にとっては気心の知れた友人であり、良き理解者でもあるからな。

 実際、俺も羅刹と親友のような関係を築けていなければ、退魔師の仕事はとても務まらなかっただろう。

 だからこそ、互いに信頼することで生まれる力もあると思っている。


「でも…」


 俺はどうしても二の句が継げない。

 ここでルーシーの心を光で照らし出せなければ、きっと後悔するようなことが待っていると悟りながらも。

 ここが今の俺の心の限界か…。


「話はこれまでです。次に私の仕事の邪魔をした時はサタナキアの力を借りてでもあなたを殺します。覚悟しておいてください」


 そう毅然とした態度で言うと、ルーシーはよろよろと立ち上がろうとする。その時には、折れた杖は手品のように元に戻っていた。

 なので、杖を支えにルーシーはその場に立つ。

 ここでルーシーを殺せば、俺の知らない場所で妖怪が殺されるのを防げる。でも、俺にとっては人殺しなんて絶対できないことだった。

 人間も妖怪もどっちも平等に大切にするなんてことは現実には不可能だからな。そして、プロの退魔師なら大切にするべきは妖怪よりも人間だと答えは出ている。

 その答えを無視することはできない。


 いずれにせよ、ルーシーを殺すことはサタナキアが許さないだろう。なら、サタナキアをどうにかできるだけの力がなければ、ルーシーは止められない。


「命拾いしたな、小僧。だが、私は益々、貴様のことが気に入らなくなった。だから、いつか必ず貴様は私の手で殺してやる…」


 サタナキアはそう押し殺したような声で言うと、ルーシーの体を包み込むようにして絡みついた。

 それから、翼をはばたかせて空高く飛翔する。

 こうして、二人の姿はまたしても夜の闇に消えて行った。


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