四日目・木曜日➂
〈四日目・木曜日 触れ合う心➂〉
昼休みになると、俺は椅子から立ち上がる。
それから、教室を見渡しながら、昨日みたいにルーシーに話しかけようかどうか迷っていると、今度はルーシーの方が俺に声をかけてきた。
これには、俺も心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じる。
「食堂に連れてってください」
ルーシーは抑揚こそないものの、強い意志が籠っているような声で言った。
が、それを聞いたクラスの連中は金縛りにでもあったかのように動きを止める。その顔はまるで亡霊でも見ているかのようだった。
相変わらず、このクラスの連中は露骨な態度を取る奴が多いな。
ま、俺もクラスの連中には、何も期待していない。ルーシーが寄せる期待を背負って立つのは俺の役目なのだ。
これは俺にしかできないことだし、他の誰かを頼みとするわけにもいかない。
そして、俺の対応しだいで今後のルーシーの取る行動が変わるとするなら、責任は重大だと言えるだろう。
「分かったよ」
たぶん、ルーシーは大きな勇気を出して俺に頼んできたのだ。なら、その頼みは断れるものじゃない。
「日本の料理は世界一美味しいと聞いてます。だから、カツ丼とか食べてみたいです」
昨日は焼きそばパンで、今日はカツ丼と来たか。でも、この学校の食堂で食べる料理ならカツ丼は悪くないチョイスだ。
「この学校の食堂のカツ丼は文句なしに美味しいから、食べて置いて損はないよ」
俺はお墨付きを与えるように言った。
「それは良かったです。私、カツ丼を食べることには憧れていましたから」
「憧れね」
「何かおかしいですか?」
ルーシーが憮然としたので、俺はすぐに首を振って笑った。
「そんなことはないよ。人間、食べたいものがあるのは良いことさ」
「ですよね。正直、今の私には食べることしか楽しみがありませんから、それを奪われたら学校に通うのを止めるところでした」
そう言うと、ルーシーは何とも奔放な笑い方をする。
確かに、俺に対する偵察が必要なくなれば、彼女がこの学校に通う理由はなくなるからな。
実際、偵察の必要などもうないはずだ。
にもかかわらず、彼女はこの学校に通い続けている。なら、何か思うところがあるに違いない。
もちろん、その思うところというのは食堂のカツ丼ではないだろう。
ひょっとして、ルーシーは漫画のような楽しい学校生活を送ってみたいと思ったから、無理をしてでも、この学校にいるのではないだろうか。
だとすると、今の状況は彼女にとっては、当てが外れたと言えるのかもしれない。
もし、これが漫画だったら、彼女は転校してきたその日の内にたくさんの生徒から温かい歓迎を受けていたはずだからな。
でも、生憎とそうはならなかった。
どうにかして、ルーシーに楽しい学校生活を送らせてあげることはできないものか。
それには、彼女をこの学校に繋ぎとめられるものを見つけなければならないと思える。
やっぱり、ルーシーには友達が必要なのかもしれないな。
もちろん、俺以外の…。
「じゃあ、立ち話はこれくらいにして食堂に行こうか。食堂なら、もっと落ち着いて話すこともできるからな」
ここで話していても居心地が悪くなるような注目を浴びるだけだ。
「はい」
ルーシーは鈴の音のような返事をした。
その後、俺たちはクラスメイトからの好奇な視線から逃げるように、購買よりは近い場所にある食堂へと向う。
そして、いざ、辿り着いた食堂は広々としたカフェレストランのようになっていた。
ただ広いだけでなく天井も抜けるように高いし、解放感は十分すぎる程ある。また入り口からは食堂全体を見渡せるので壮観さも感じられた。
そんな食堂内はお洒落な丸型のテーブルと椅子が均等に配置され、それが整然さを引き立たせている。
横手は綺麗で緑豊かな中庭が見えるように全面がガラス張りになっていて、太陽の光が遮られることなく空から降り注いでいた。
それを見るに、食堂は景観にも気を遣って作られているようだった。
更に、食堂は全体的に白を基調としているので、床や壁は真っ白だし、それがどこか近未来的な雰囲気を醸し出している。
でも、無機質さは感じないし、そこには良い意味でのモダンさがあった。
とにかく、この食堂は学生にカフェやレストランなどが持つ居心地の良さを感じてもらえるような造りをしていた。
全てにおいて清潔感、溢れる空気を感じられるのも食事を取る場所としては良いことかもしれない。
このリゾートホテル顔負けの内装を誇る食堂を嫌いになれる人間は少ないだろうな。
「凄い食堂ですね。こんなに立派な食堂は私も見たことがありません」
ルーシーは感嘆したような顔をした。初めてこの食堂に来た奴はみんな同じ反応をする。
現に俺もそうだった。
「俺も同じだよ。この学校に通うことになって、一番、驚かされたのはこの食堂の広さだし」
「そうですか。でも、何だか学校の食堂にしておくのは勿体ない気がしますね。この食堂なら一流のホテルでも十分、通用しますよ」
とはいえ、もし、ホテルだったら、料理の値段も十倍くらいに跳ね上がっちゃうんじゃないかな。
「かもね。もっとも、昔は生徒たちが、ぎゅうぎゅう詰めになるような古臭い食堂だったらしいんだ。今はその面影は全くないけど」
その頃の食堂は郷土研究会の写真でしか見たことがない。でも、俺はああいう昔ながらの大衆食堂のような感じの食堂も嫌いじゃないんだよな。
ま、女子なんかにとっては、余裕を持って食事と話ができる今のカフェスタイルの食堂の方が良いんだろうけど。
実際、この食堂では狭くて誰かと肩がぶつかるなんてことはないし、料理を取りに行く間に席を取られないよう、注意する必要もない。
味の方も昔と全く変わってないみたいだし。
「そうですか。こんな食堂で食べるならパスタとかピザの方が良いかもしれませんね」
当然、パスタやピザもメニューにはある。
「それはあるね。この食堂にカツ丼はちょっと似合わないかもしれない」
天ぷらそばとかも似合わない料理だろう。
「でも、どんな料理でも美味しいんでしょ?」
「その通り。食堂の雰囲気と出される料理の味は関係ないよ」
ま、この食堂の料理はどれも当たり外れなく美味しいから、似合う、似合わないで判断するのは止めた方が良いな。
食わず嫌いは損するだけだ。
「なら、私はやっぱりカツ丼を頼みます。パスタやピザなら日本に居なくても食べれますから」
「それが良いな」
そう言って笑うと、俺はさっそくルーシーと一緒にカウンターに行って、料理を注文する。
すると、番号が付いたプラスチックの食券を渡された。それから、席に戻って番号が呼ばれるのを待つ。
五分ほど経つと食堂全体に響き渡るアナウンスの声で番号を呼ばれた。なので、カウンターまで料理を取りに行く。
ちなみに、席はテーブルの中央のボタンを押せば使用中のランプが付く。これで席を取られる心配はなくなる。
機械化されたシステム、万歳と言いたくなるな。
「カツ丼って、こんなに美味しかったんですね。勇気を出して、この食堂に来た甲斐がありました」
ルーシーはボリューム満点のカツ丼を食べながら言った。
食堂の料理はどれも学生の懐には優しいリーズナブルな値段で提供されている。にもかかわらず、味やボリュームは普通の店よりずっと良いので本当にありがたい。
大盛りのカツ丼が二百八十円で食べられる店なんて、どこを探してもないだろうし。
もしも、この食堂が一般人にも開放されたりしたら、この町にある料理屋は全て潰れかねないな。
「そう言ってもらえて良かったよ」
こういう言葉を聞くと、ルーシー以外の外国人にも自信を持って日本の食べ物を勧めることができるな。
ルーシーには次はどんなものを食べてもらおうか。
「購買の焼きそばパンも美味しかったですけど、カツ丼もそれに負けないくらい美味しいです。さすが食の大国ですね」
そう流れるように語るルーシーの笑顔は輝いていた。
やっぱり、美味しい物を食べると人間は良い顔ができるものなんだな。食べるという行為は侮れないものがある。
「ルーシーは他に何か食べたいものはある?」
ルーシーにはもっと日本の料理を好きになってもらいたいので、そのためにできることは何でもしたい。
「…あんこ物が食べたいです」
確かにあんこ物は日本でしか食べられないものだな。
あんこというものには日本の歴史と伝統が詰まっていると言っても過言ではないだろうし。
もちろん、俺もあんこ物は大好きだ。
「あんこ物か。さすがにあんこ物はこの食堂にもないかな。ケーキ類ならけっこうあるんだけど」
「そうですか。それは残念です」
「じゃあ、良かったらだけど、放課後になったら商店街に連れて行ってあげようか。商店街にはどら焼きを売っている店があるし」
商店街は潰れてしまった店も多いけど、通りに面した店頭で売るどら焼き屋は繁盛していたはずだ。
あそこのどら焼きなら、ルーシーを満足させることもできるに違いない。
「どら焼きなら私も知ってますし、お願いして良いですか?」
「もちろん」
俺は胸が透くような気持ちで了承していた。