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二日目・火曜日➄

〈二日目・火曜日 謎の転校生➄〉


 俺は事務所に戻って来ると、ソファーに座り、いつもとは違う味を楽しもうと唐辛子をたっぷりかけた牛丼を食べる。

 それは空きっ腹だった俺にとっては至福の一時だった。

 そして、まだ時間があるので、牛丼を食べながらテレビを点ける。

 テレビのニュースでは当選したばかりの市長が塚本市の再開発を図りたいと記者たちの前で演説していた。

 でも、土地の買収が思うように行っていないので市民に協力も呼び掛けていた。やはり、この町の再開発はそう上手くはいかないようだ。

 みんなが一致団結するように取り組まなければ、この町は寂れる一方だと言うのに。


 俺はどのチャンネルに回しても面白味に欠ける番組しかやってなかったので、テレビを見るのを止めると、自分で入れた少し苦めのコーヒーを飲んだ。

 正直、事務所でコーヒーを飲んでいる時間が一番、心が安らぐな。こういう時間はもっと増やしたいと思える。

 今の俺には癒されるような時間が必要な気がするし。

 そして、八時になると事務所のドアがノックされる。ドアを開けるとそこにはいつものように霧崎がいた。


「良い匂いがするな。今日の夕食は牛丼だったのかな」


「ええ」


 俺は鼻が良い人だと思いながら返事をした。

 牛丼の臭いは、事務所の入り口から嗅ぎ取ることができるようなものじゃないはずなんだけどな。

 まあ、霧崎は特殊な力を使って自分の感覚を鋭敏化することができるから、気付けるのも不思議ではないか。

 俺だって似たようなことはできるし。


「だが、店屋物ばかりだと栄養が偏って体に悪いぞ。君も料理くらいは作れるようにならないといかんな」


 霧崎は俺をそう窘めると、ソファーに腰を下ろす。ソファーの前にあるテーブルには既に紅茶とお菓子が用意してある。

 霧崎は英国育ちらしい上品な指使いでティーカップを持ち上げると、紅茶の香りを嗅いだ。


「それが面倒だから、俺も身の回りの世話をしてくれる人をアルバイトとして雇おうとしているんです」


 提示した時給だって悪くはないんだぞ。給料をケチるとろくな人間が来てくれないと思ったから。


「そうだったな。ま、私も料理はしない方だし、人のことは言えんが」


 霧崎は料理が似合わない女性だ。はっきり言ってしまえば、家庭的でないのだ。だから、浮いた話が一つもない。

 もっとも、そんなことを言おうものなら、怖い顔で睨まれかねないが。

 霧崎はいつも平静に振る舞っているが、一旦、機嫌を悪くするとなかなか元に戻ってくれないからな。

 そういう子供じみたところも、霧崎が持つ素の一つだ。


「霧崎さんはいつも何を食べているんですか?」


 長い付き合いだけど、俺は霧崎の食生活についてはほとんど知らなかった。


「色々だ。君も知っての通り、私は色んな場所を飛び回らなければならないから、決まった物を食べるということはない」


「へー」


「ま、色々とは言っても、私が食べるのはほとんど店屋物だが」


「なら、確かに人のことは言えないですね」


 でも、それは色々な場所の料理屋に入ってるってことだから、何だか羨ましく思えてしまうな。

 俺も料理屋で溢れているような都会の町に行った時には食べ歩きをしてみたい。新しい味の開拓をしないと、いつまででも牛丼を食べ続けることになるからな。


「ああ。でも、大人になるまでは健康を考えて作られていた料理を食べていたぞ。大学の食堂はそういう点では親切だったし」


 霧崎は十九歳までいた日本の大学院にあった食堂を高く評価していたっけ。

 イギリスの大学にいた時に食べていた料理も、味の方はともかく栄養は満点だったって言ってたし。

 塚本学園の食堂も健康面までは手が届いてない感じだけど、味とボリュームならそこらの食堂には引けを取らなかった。


「なるほど。だから、そんなにスタイルの良い体を獲得できたんですね」


「そういうことだ。君も格好良くなりたければ、私を見習わなければならんぞ?」


 霧崎はいつものように悠々と笑った。


「じゃあ、もう少し食べる物には気を付けてみます。それで、今日の仕事は何ですか、霧崎さん?」


 俺はたまには大きな仕事をやりたいなと思いながら尋ねた。アルバイトを雇うなら、余分なお金も必要になるし。

 それに、最近の仕事は刺激に欠けている部分があったからな。なので、ここらで退魔師としての腕を証明できるような仕事をやりたかった。


「この町にある建設中のビルで原因不明の怪我人が続出しているらしい。依頼人の現場監督によると、どうも人間の仕業じゃないみたいだから、君に何とかして欲しいそうだ」


 大きくもなければ小さくもない仕事だな。もっとも、怪我人が出ているなら、気を引き締めなければならない仕事ではある。

 悪霊や妖怪の仕業なら、そいつは人に危害を加えていることになるし。昨日のような、家に居座っているだけの悪霊とは違う。


 ちなみに、俺に斡旋される仕事のほとんどが、この塚本市で行うものだ。

 宮代家の人間は代々、退魔師であり、塚本市がある地の霊的な管理人なのだ。それは祖父が死んでからも変わっていない。

 だから、俺もこの塚本市にいる祓い屋たちに対しては、一定の権威を持っていた。


「分かりました。深夜になったらそのビルに行ってみます」


「それは良いが、最近の君は少し肩に力が入り過ぎているのではないか?」


 霧崎の顔が神妙なものになった。


「どういう意味ですか?」


 俺は意味が分からずきょとんとする。一方、それを見た霧崎は間を置かせるように紅茶をすすると、難しい顔で口を開いた。


「君は昨日の深夜に前の仕事を片付けたばかりではないか。私が斡旋する仕事は必ずしもその日の内に解決しなければならないものではないはずだが」


 そういうことね。

 ま、霧崎が言いたいことは分かったよ。要するに、もっと気を楽に持って仕事をしろと言いたいんだろ。

 確かに、俺も自分が根を詰めるように仕事をしていることは自覚している。それでいて、自分の仕事に対する姿勢を変えようとしていないのだ。

 もちろん、そこには俺なりの理由がある。


「期日までに四、五日の余裕があるのはちゃんと理解しています」


 実際、前は期日ギリギリまで仕事に手を付けないこともあった。

 もっとも、仕事が解決できなかったことは一度もないし、それが霧崎から寄せられる信頼を強固なものにしている。


「なら、そう急がなくても良いはずだろう?」


「でも、その日の内に解決しないと、何というか安心できないんです」


 俺がまごまごしている内に悪霊や妖怪がもっと大きな悪さをするとも限らないからな。

 それに、善は急げとも言う。

 だから、妖怪が殺さなければならなくなるような悪事を働く前に、俺も迅速な対応を心掛けるようにしているのだ。


「それでは無駄に疲れるだけだ。君はもっと自分を大切にするべきだな」


 俺は自分の仕事のやり方から来る疲れを無駄と思ったことは一度もないんだけどな…。


「大切にしてますよ。むしろ、我が身が可愛いくらいです」


 その証拠に、俺はいつも自分の心が傷つかないような態度や物言いをしている。それでは、いつまで経っても人として進歩しないと分かってはいるんだけど。

 もっとも、自分を大切にできない人間は他の人間も大切にできないと言うし、その辺はやはり折り合いだろう。

 でも、その折り合いが何よりも難しかったりする。


「だが、私には君が余命僅かの病人のように生き急いでいるように見える。それは退魔師としても、人としても危ういよ」


「そうですか…」


 俺は焦っているのだろうか。早く祖父のような退魔師になろうと。でも、生き急いでいるような自覚はさすがにないんだが。

 …まあ、俺もプロの退魔師になってから一年が過ぎたからな。

 そのせいか、昨日の羅刹の言葉を聞くより前から、俺も自分の仕事には強い責任感を持ち始めていたのだ。

 その感情は別に否定するようなものではない。


「前にも言ったが、この業界の仕事は幾ら解決しても、世間から褒め称えられることは決してない。だから、無理をしても何も得るものはないぞ」


 もし、退魔師が表の世界の仕事だったら俺はとっくに偉い人から表彰されていたはずだ。


「分かってます。世間からの称賛なんて端から期待してません」


 世間からの称賛を浴びたいなら、別の仕事をした方が良いだろう。今なら闇の世界の仕事からも足を洗うことができるはずだし。

 この若さなら、人生のやり直しは幾らでも利くからな。大切なのは何が自分にとって一番、相応しい生き方なのか、見極めることだと思う。

 その見極めができないと、年を取ってからどうにもならないような状況に陥ることになる。

 それは、自分の人生ではあってはならないことだろう。


 一方、俺の言葉を聞いた霧崎も苦笑いをする。


「なら、良い。君も退魔師が正義のヒーローみたいな職業でないことはいい加減、分かったはずだ。だから、無理と無茶はするな。君に何かあったら、私はあの世にいる六郎さんに合わせる顔がない」


 霧崎はやんわりと諭す。これには俺も自分の中にある意固地さが和らぐのを感じた。


「はい」


 その言葉は真摯に受け止めておかなければならないだろう。ここで茶化すほど、俺も空気の読めない人間ではない。

 だからこそ、自分に与えられた忠告に従って、もう少し柔らかい考え方を持てるようにならないとな。

 でないと、思わぬところで致命的なミスをしそうだし。

 それに、俺のことは霧崎だけでなく、あの慎太郎も心配していたからな。何の関係性もない二人の人間が俺の精神的な無理に気付いたのだ。

 なら、その事実は差し置くべきではない。


「よし。まだ時間もあることだし、久しぶりに将棋でもやらないか?」


 霧崎は将棋が好きなのだ。

 でも、イギリスの大学にいた頃はルームメイトとチェスばかりしていたらしい。チェスの腕前は、得意なフェンシングにも負けていないと言う。


「構いませんよ」


 俺も将棋の腕は祖父にみっちりと鍛えられたからな。だから、文句なしに強い。


「私も腕を上げたつもりだし、今日こそは勝たせてもらう」


 最近の霧崎は本当に将棋が強くなったからな。

 幾ら将棋に近いチェスをやっていたとはいえ、ここまで早く腕を上げられると、俺も追いつかれるのは時間の問題だなと思い、焦りを感じてしまう。

 ちょっと悔しいけど、やっぱり、霧崎は何をやらせても優秀だ。


「望むところです」


 俺は不敵に笑った。


 その後、将棋の最中に霧崎は強い懸念を滲ませながら二個目の大霊石が破壊されたことを俺に教えた。

 これには俺も言い知れぬ不安を感じる。

 霧崎はこの件には関わらなくて良いと言ったけれど、俺はこの地の霊的な管理人だし、何かできることはないのかなとも思った。

 でも、この業界は仕事間における縄張り意識が強いし、無闇に同業者の仕事に関わろうとしてはいけないという暗黙のルールもある。

 そのルールを破れば業界から爪はじきになるだけだ。

 俺もこの地の霊的な管理人だからこそ、模範を示すようにルールを順守する必要がある。

 何とも、もどかしい話ではあるけれど。

 俺は他の祓い屋が既に動いている仕事なら、手を出すわけにはいかないと思い、憂慮しつつも大霊石のことは、できるだけ気にしないよう努めた。



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