数奇な運命の社畜の物語
むかしむかしあるところに、会社ではこき使われ、家では一緒に暮らす妻の尻に敷かれる典型的なサラリーマン……もとい社畜が居たそうです。
今でこそ名の知れた、ブラック企業で働く彼は一日を苦の塊として捉えていました。
朝は早い時間から罵声と共に家を送り出され。
昼は常に叱責を受けて休む暇もないほどに働き。
夕もまた法外な残業時間の中で働かされ続け。
夜はとうに冷たくなってしまった茶碗一杯分の白米を箸でつつき。
子供も居らず、大きないびきが反響する家の中で寂しく一人、別の部屋にて眠りにつく。
楽になりたい。この苦労から解放されたい。
何度願ったことかは男本人にも分かりません。
しかし、願いは虚しいものであるとはよく聞く話です。
男の生きる、一切の幻想を受け入れない世界では何も変わらず日は過ぎていくのでした。
そのような一日を何日、何ヶ月、何年と続けているうちに彼の心は壊れていきました。
そんなある日、夢枕に男が幼い頃から思い描く神様の姿をした、女性とも男性とも言えないような人の形をしたものが現れました。
神様の姿をしたものが言います。
「お前の願いを一つだけ、“なんでも”叶えてあげよう」
願いこそ虚しくはあったものの、届いていない訳ではなかったのです。
男は潤んだ目で答えます。
「僕を……僕の人生を、もっと僕としてふさわしいものに変えてください!」
その瞬間、神様らしきものの背後から光が射し、男を包み込んでいきます。
その光はまるで、男に母の胎に帰ってきたかのような錯覚をもたらし、同時に夢を見ているはずなのに現実で起きているかのような感覚を与えました。
「願いは叶えた。ではさらばだ」
そこから先の夢の記憶は男にはありませんでした。
翌朝、男は妻の悲鳴で目を覚ますことになります。
いつもならば半ばDVが行われているのかと勘違いしてしまうほどの起こされ方をされるはずなのですが、その日に限っては違いました。
男は疑問に感じ、目の前にいた妻に何があったのかと尋ねようとします。
が、出来ませんでした。
声が出せません。
それどころか、妻の姿を視界に入れることも叶いませんでした。
困惑する男をよそに、妻が口を開きます。
「な、な、なんでうちに豚がいるのよ……っ!?」
どうやら、昨晩見た夢はただの夢ではなかったようです。
フゴ? と耳に入る豚の鳴き声。
それはまさしく男――いえ、かつて男だった生き物が発した鳴き声でした。
男の記憶はそこで途切れました。
■
さて、男はなぜ豚へと変わってしまったのでしょうか。
男は自分自身で「自分に最も相応しい生き方」を望んだはずです。
ええ、そうです。男に対して一番適している生き方です。
もしかしたらの話ではありますが、判断基準は男が関係するものではなく、男が人間であるか否かだったのやもしれません。
全く、“現実”と“理想や幻想や夢”の違いというのは恐ろしいものですね。
ちなみにその日の男の家の夜の食卓に並んだのは、茶碗いっぱいに盛られた炊けたばかりの白米と、子供が大喜びしそうなトンカツだったそうです。
2020/1/2 久々に見返したところ違和感のある部分があったため修正