散花
あの日見た里音の顔を僕は忘れることは出来ないだろう。
「神崎さーん、検査の時間です」
僕は卒業を間近に入院することとなった。
ただの風邪なのだろうが突然体調を崩したことから、念のために検査も含め入院することとなった。
学校には風邪が酷いので2.3日お休みするということになっていた。
いや、実際嘘ではないのだが。
別れを告げたあの夜から里音とは全く連絡を取っていない。
というより、取る資格などない。
一方的に拒む里音の言葉に耳を貸さずに別れを押し通した僕に、今さら何をいう権利があるのだろうか。
正直彼女のことが好きだ。
今も好きでたまらない。
近くに居てくれるなら一生手を離したくない。
しかし、その気持ちが先走れば先走る程、
後々彼女への重荷になることも同時に理解していた。
「里音、受験上手くいったかな…」
窓の外を見ながら一人でボソッとつぶやく。
「比呂、来たわよ〜」
母親がお見舞いに来たようだ。
「ただの検査入院なのにそんなに毎日来なくても大丈夫だよ」
たかだか2.3日のことでこう毎日顔を見に来られると、少し鬱陶しくも思えた。
「はいはい。着替えだけ置いたら帰りますよ。もう少し可愛げがあってもいいのに。そんなんだから彼女の一…」
母親は言葉を止めた。
僕と里音が付き合っていたこと。
あの日病院でたまたま母親が里音に病気の話をしたこと。
そして、僕が里音と別れたこと。
全て母親には話した。
「ごめんね…。あの日母さんが里音ちゃんに話しちゃったから…」
「だからもういいって。遅かれ早かれ、知ることだったし。」
「でも、別れなくても良かったんじゃない?あんたまだ元気でこの先もまだまだあるんだから…」
母親は言葉を選ぶようになだめた。
しかし、それはあくまで理想にすぎない。
僕がいつこの世から居なくなるかなんて神様以外知る由もない。
「正直な話、母さん。不安でしょ?」
「そりゃ不安よ!!あの日あんたの病気の話を聞いてからずっと不安よ。親なんだから心配するわよ。」
「だから別れたんだよ。里音もきっと話を聞いた日からずっと不安だったんだと思う。これから先、母さんが感じてる不安を里音にも隣り合わせにさせたくなかったんだよ。」
母親は涙ぐんだ目をして口を開いた。
「じゃあ。じゃあ、今の里音ちゃんには何も無くなったって言うの?多分、里音ちゃんなりにも心のどこかで病気のことも含めて向き合って行くって決心してたのに、それを一方的に引き離して、今何も無く幸せだって言うの?」
僕は母親がなんの話をしているのか分からなかった。
「どういうこと?」
「たまたま会ったんだよ。あんたの高校に行った時に、里音ちゃんに。そしたら向こうから比呂君は元気ですか?って。多分比呂君なりに悩んだ結果だって。」
そのまま話を続けた。
「だから里音ちゃんにどうしたかったのか聞いたの。そしたら、いつその日が来るか分からなくて今でも怖いけど、そんなことで嫌いになる程の気持ちじゃないって。出来たら一緒に支えたかったってあの子は言ってたよ?」
僕は自分の行動を少し後悔した。
しかし、これから先里音と一緒に居る未来を想像したときに、明るい未来より彼女への負担の方が強く感じた。
この選択は間違いではなかった。
仮に僕が寿命まできちんと生きたとしても、きっとその日までかかることになる不安は比にならないだろう。
「ごめん。でも、やっぱりこの選択を取ったと思う…」
母親はそれ以上何も言わずじゃあ、また来るねと言い残し、帰っていった。
僕はどこかあの日、一人で海を眺めていたときの事を思い出していた。
退院の日、僕は異常な数値が見つかった共に退院も延期となった。
学校にも別のは病気が発症したと説明をし、休む期間を延ばしてもらった。
何故ここまで学校に病気の事をひた隠しにするかと言うと、それは僕の頼みでもあった。
この病気のことを知ったとして、普段は普通だから同じように接したり対応して欲しいとお願いをしても多分、先生たちからすると一線を引いた対応しか出来なくなるだろう。
何がきっかけで発症するかなど分からない限り、
極力ストレスを与えるのを避け、腫れ物に触るような扱いをされるのが目に見えていた。
じゃあ、はなから事実を知らなければ普通に過ごすことが出来ると考えたのだ。
自分勝手な考えだということは100も承知だ。
そう。だからこそ里音にも知られたくはなかった。
しかし、隠し続けたくもなかった。
里音なら受け止め、無理をしてでも僕に笑顔を振りまいてくれる。
そんなことをこれから先何年も続けさせるのは酷な気がした。
でも、今わがままを一つ聞いてもらえるなら。
里音に会いたい。笑顔をみたい。
そして最後にちゃんと謝りたい。
僕の意識はどこか遠くにいくのを徐々に感じていた。
「神崎さん!?聞こえますかー?」
病室から僕はベットごと連れ出されていた。
「聞こえますかー?聞こえたら返事してくださーい!」
涙ぐみながら待合室で座り俯く両親。
僕にもとうとうその時が来たようだ。
机の上に置いていた携帯電話が鳴っていた。
母親が携帯を手に取るとそこには里音の名前が表示されていた。
「もしもし?里音ちゃん?」
「あっ、こんばんは。青島です。比呂君もしかして外してました?私学校で比呂君の入院が伸びたって先生から聞いて、もしかしたらって心配になって、迷惑かもとは思ったんですが…」
「里音ちゃん、ごめんね。いきなりで本当に申し訳ないんだけど。今から中央病院に来てもらえる?」
「何かあったんですか…?」
「もしかしたら…比呂と会えるのが最後になるかもしれないの」
里音は言葉を失ったまま数秒間時間が止まったように会話が途切れた。
「今すぐ行きます」
そう言ってすぐに電話を切った。
里音が病院に駆けつけると既に治療は終わっており、病室に案内された。
「比呂…?」
「里音ちゃん、来てくれたのね。」
「あの、比呂は…どうなっちゃうんですか?」
「今朝まで元気だったんだけど。急にね。もしかしたらその時が来たのかもしれない。」
「やだ!まだちゃんと比呂と話せてない。まだ言いたいこと全部言えてない!やだ、やだよ!」
「さ、さ…と…ね?」
声にもならない声が聞こえた。
「比呂!?」
里音は驚いた顔で声を上げた。
「何で…来たんだよ…」
「そんなの心配してに決まってるじゃん!!比呂大丈夫なの?」
「ふふ…ごめんね。最後まで…辛い思いさせて。だから…だか…ら、これからは幸せに…生きて」
「そんなこと言わないで…。比呂が死んだら一生幸せになんてなれないから!!」
里音は涙を流しながら訴えかけた。
「僕は幸せだった…。だから今になって…死にたく…ないんだ…。」
「私も、比呂とまた一緒に旅行行きたい」
「思い出が全部消えたら楽になれるかな?」
「どうしたの?」
「里音のこと…全部忘れれたら楽になれるかな?」
僕は言葉を続けた。
「里音…」
「それ以上言わないで!また良くなるよね?」
「嘘ついて…ごめんね…」
僕は最後の力を振り絞って声を出した。
「君のそういうところが嫌いでした。」
ゆっくりと瞼が降りてくるのが分かる。
最後に聞こえた言葉は余りにも辛い言葉だった。
「君はすぐに嘘をつく…。今も出会った時も。ずっと、ずっと。でも、ずっと寂しそうで。その嘘も人を気遣ってついてるって丸わかりで。」
里音は反応しない比呂に対してひたすら語りかけた。
「いつもどこか上の空。でも、私といる時はずっと笑ってて、まさかそんな病気だなんて知らなかった。私のこと一方的に突き放して、正直傷付いた。」
医者が心臓マッサージを始めた。
「でも、すぐに分かった。私のために選んだ選択なんだって。私が重荷に感じるって思って突き放したんだって。もう、手遅れだよ。比呂のことこんなにも好きなんだもん。今頃もう他人事みたいに放っておけないよ…」
比呂の両親も涙を流しながらただ見守っていた。
「思い出なんて全部無くなればいい…。比呂のことなんて全部忘れちゃえばいい…。そんなこと出来たとしても絶対にしたくない。私はこの思い出も君の事も全部大切だから。だからね…君の分まで幸せになるよ。この出会いも出来事も全部一緒に持ったまま。」
そう話し終えると同時に比呂はこの世を旅立った。
比呂の両親は泣き崩れながらずっと比呂の名前を呼び続けた。
里音もどこか覚悟はしていたものの、現実を知ったかのようにその場に崩れ落ちた。
もう比呂に会えない?
今になって感情や思いが逆流するかのように身体中が熱くなる。
もう一度会いたいよ。
最後に比呂の顔を見ると。
亡くなった人間とは思えないほど綺麗で、でもどこか悲しそうな顔をしていた。
そのとき同時に決意した。
比呂の分まで笑っていようと。
季節も変わり暖かくなってきた。
4月になって私は大学生になった。
同じ高校から一緒に進学した友達はおらず、
また1からのスタートとなった。
入学式も終わり一人帰路に着いた。
途中、最寄駅ではないが電車を降り、ある場所へ向かった。
まだ少し肌寒く、海辺に人は全然いなかった。
少し西に進んだ所へ向かい一人海を眺めていた。
「里音、おめでとう!」
ふと後ろから声が聞こえた。
振り返るとそこには誰も居なかった。
急に涙が溢れてきた。
「私、まだまだ弱っちいな。」
どこか比呂に声をかけられた気がした。
今は辛い思い出だが、これから何年、何十年かかったとしても。
きっと、幸せだった思い出になる日が来ると信じて。
「昔私に言ってくれた"何にでも一生懸命に取り組む姿がカッコいい"って言葉。私も君の一生懸命に何かにしがみつくそんな姿にずっと憧れてました。」
海に向かって一人語りかけていた。
「だから、私もこれから先。何があっても目の前のものにしがみついて、絶対死ぬときに"幸せだった"って言えるようになるからね。」
これまで二人が作ってきた砂の城はもう今はもうそれ以上、綺麗に積み上がるものはなくなった。
しかし、これからはその隣に違う砂の城をもっと高く、もっと綺麗に積み上げていこうと思う。
それ以上、それ以外の思い出は無いだろう。