大物
瀬戸内海を望む港町に僕は住んでいる。交通の便は悪くて、世間一般で言う田舎町だから、都会に夢見る若者たちの流出が社会問題になっている。道行く人の半分は高齢者だ。
だから大学生になってもこの町を離れていない僕のような若者は珍しい。
電車で二時間もかかる学校に、毎日通い続けてもう2年が経つ。
僕には彼女がいる。僕より二つ下の後輩で、高校三年生。綺麗な子だ。
僕なんかには勿体ない、と思うことも多々ある自慢の彼女だ。
僕がこの町を離れない理由は、彼女と、住む距離を空けたくないからだった。
一限の通学は五時起きなので辛いが、それ以上に遠距離になって、彼女と別れる羽目にはなりたくない。
そんな五時起きの一限から、みっちりと授業が有った日の夕方。帰って来た町は丁度夕凪の時間帯だった。魚の香りが辺りに漂っていた。
夏も終わり、この時間はもう薄暗い。
濃い紫色に染まる商店街を歩く。
活気はなくシャッター街に近い場所だが、この中の一軒、何の変哲もない鮮魚店が彼女の家だった。
そこには、店じまいを始めていた彼女の父親がいた。
「……徹じゃねぇか。娘ならまだ帰ってねえぞ?」
「あ、そうなんですか。じゃあ待たしてもらっても良いですかね?」
「構わねえけどよ。あいつまた遅くなるかもしれないぜ?」
そう言いつつも、店の奥の入り口を開けてくれる。
僕が彼女の帰りを待つことは多いから、彼も知っているのだ。
僕が毎回、どんなに遅くなっても彼女の帰りを待つことを。
「いつものことですよ」
僕は苦笑しながら家にお邪魔した。
いつものごとく、畳敷きの居間に通された。
ちゃぶ台に着くと、目の前にドゴッと湯呑が置かれる。
相変わらず荒々しいお父さんだ。
彼は俺の目の前にそのまま座ると、テレビを付けて野球観戦を始めた。
一旦お茶を出すと、これで十分もてなしただろうとばかりに、娘の彼氏を空気扱いするのがこの人だ。
しかしこれにも随分慣れた。
最初は居ても立っても居られなくなったものだが。
と、思っていると、唐突に話しかけられた。
「娘と別れようとか思わねえのか?」
「え?」
「大学だと、綺麗な女は沢山いるだろうが」
「お嬢さん、目移りしない程には綺麗ですよ」
「そうかよ」
へっ、と自慢げに鼻を鳴らしながらも彼は不満げだった。
「……やはりまだ、僕と彼女が付き合っていることに反対なんですか」
「当り前だ。徹が良い奴ってのは俺でも知ってるけどよ」
「じゃあどうして」
「あいつは、お前とは合わねえ…………あんなんだからな。お前は頭もいいんだしよ、あいつの為に、こんな町で道草食ってもよ」
目線はテレビに向けながら、その横顔は影を落としていた。
「あんなんだからな」と言われて、ピンとこないことは無かった。
丁度そのタイミングで、外が騒がしくなった。
廃棄量の多いエンジンから発される、低い重低音の共鳴。
改造バイクの音だ。
何台居るのか分からないが、三や四台どころじゃない事は分かった。
あのバカがっ、と声を上げて彼女の親父が表へ出た。僕はそれを追った。
店の前に、恐らく十台以上の改造バイクが集まっていた。
カラフルなライトを救急車両のように光らすスポーツバイクから、無駄に座高を低くしたアメリカンバイクまで多種多様。
それを乗りこなす男女は、これまたカラフルな衣装を着こんでいる。
初めて彼らを見かけようものなら、時代錯誤も甚だしいと思うだろう。
しかし、ここは古き良き田舎町。
未だ若き暴走族達が日々抗争を繰り広げているのだ。
「くおらぁぁっ!! この馬鹿がっっ!! またそんなダセえもんここ持ってきやがって!!」
彼が怒鳴る。その集団が彼を見る目は冷たい。
集団の中心のバカでかいバイクから降り立った、当の娘も含めて。
「うっせ――! あたし達は好きでやってんだよ! ほっとけ!!」
「何だとコラ、いい加減止めろっつってんだこんなアホなことはよ!!」
「アホだって?!」
濃い目の化粧と、限りなく金に近い髪色。
けばけばしいが、美しい女性。僕の彼女だ。
親子二人は、バイクの爆音が鳴り響く中喧嘩をおっぱじめる。
途中からは、彼女を擁護するように暴走族の仲間がお父さんを非難し始めたものだから、彼はキレながらも少し押され気味になってしまった。
両者の罵倒が止まらない。これ以上汚い言葉は出ないだろうと思えるほど、過激な発言の応酬が止まらない。
そしてとうとう、お父さんの方が彼女に手を上げそうになったタイミングで、僕は前に出た。
怒気で空気がピリついた中、彼女の前に立ち、
「この、クソ親父がっ――――って、徹!? 今日も来てたの?!」
「うん、おかえり」
彼女を抱きしめた。
「むっ、むぐぐ!」
胸元で、彼女が苦しそうに喘ぐのを感じた。
強烈なエンジン音が地面を揺らす中、そのまま何秒彼女を抱きしめていただろうか。
僕が彼女を離した時、すっかり周囲は毒気を抜かれていた。
「ぷはっ! ま、毎回これするのホントに止めろよな!!」
「あ、そ。じゃあもうしない」
「ふ、ふん。別に、そ、それは……しなくていいわけじゃないけどよ」
かぁ、と顔を赤らめる僕の彼女は死ぬほどかわいかったので、もう一度抱き締めておいた。
そしてまた時間をかけて彼女を堪能し、開放する。
彼女の顔は、爆発しそうなボム兵よろしく真っ赤になってしまう。
毎度のごとく、その頃にはすっかり棘のとれた暴走仲間が「帰るか」と言い始めていた。
しばらくすると、バイクは去り、辺りは静かになった。
そこには、僕と彼女、そして釈然としない面持ちで僕らを見る父親だけが残った。
彼は俺と目線が会うと言った。
「毎回思うんだけどよ。お前よくできるよな……」
「僕は彼女が好きなんで。周りがどうだろうとどうでもいいってだけですよ」
「そうか、大物だな」