黒田昭典という男、ディランという皇子
長い間、時間を忘れる程・・・長い間だ。
黒田の意識は、宙に浮いたような感覚でその場に漂っていた。
そのまま、天国か地獄に連れていかれるものだとそう思っていたのだが。
(まあ地獄だろうな・・・たいしていい事してこなかったし)
両親は既に亡くなっている、俺もその後を追うのだけのこと。
そう思いつつ、ずっと、宙に浮いている。
瞼は開かないし、身体は少しは動くけど。
・・・どこにいるかもわからないし、動けるほど自由が利くわけでもない。
ただ、たまに聞こえてくる声がある。
聞き取りずらいけど・・・こっちを心配するような声。
或いは、励ますような声も。
いろんな人物がそう話しかけてくれている。
(間違って、天国にでもきたのか?)
そんな、優しくされるような人間じゃない。
迷惑ばかりかけていたんだ。
そんなはずがないよな。
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どれくらい漂っていたのか、急に自分の体が動きだした。
勝手に・・・どんどん。
どこかへ流されていく感覚。
水の音が耳に流れる。
・・・水に流されているのか?
そう、冷静に考えていた。
急に狭い道を通ったと思ったら、今度は眩い光が、目を射した。
そして、こう聞こえてきた。
「生まれました!男の子です!」
その言葉と共に。
また、意識が遠のいていった。
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次に意識が戻った時、俺は・・・。
「?」
身体を見る。
自分の手のひらが小さい。
腕も、足も・・・細いし小さい。
顔を触る。
・・・感触が全く違いぷにぷにしている。
「どうした、ディラン」
そう呼ぶ声。
ディラン・・・俺の名前・・・?
俺は昭典だ・・・なんで、俺の名前だって分かる?
声のする方向を見ると、山羊の骸骨が見えた。
一瞬、絶叫しかけたが・・・何故か、その存在は安心できる存在だと認識した。
同時に・・・自分の父親だと何故か心の底からそう思えたのだ。
「・・・おい、ガルディ!医者を呼べ!ディランの様子が変だぞ!!」
慌てたような声だが、威厳のあるような声でそう叫ぶ、
「は、はは!ただいま・・・!」
あれも・・・化け物・・・いや、大臣のガルディ・・・だったはず。
なんだ、記憶が混濁してるのか・・・?
「あなた・・・ディランは寝起きなんですから。ほら、ディラン」
ベッドに寝ている自分を、抱き起こす存在・・・。
圧倒的な安心感と・・・いい香り。
俺の母親・・・?。
「やれやれ、父よりも母の方が好きなのか」
抱かれた自分を見る、父親。
少し不満そうに腕を組んだ。
「あなた・・・この子は将来の皇帝。
この国を背負って立つ、希望の光なんですよ?」
「・・・魔王の子が、光とはな」
「あら・・・ご不満ですか?」
そう言って微笑む母。
・・・父は照れ隠しで頭を掻いていた。
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あれから数年。
自分一人で立てるようになった俺は、色々な場所を見て回った。
その度に
「皇子様!そこは危ないですぞ!」
と、大臣のガルディが諫めに走る。
俺が入ろうとしたのは、倉庫だ。
勝手に扉を開けると、兵士がこちらに槍を向けていた。
「まさか侵入者か!?」
こんな奥地まで攻め入って来たのかと勘違いしたのか、驚いた表情で槍を構える兵士。
だが槍を向けた相手が俺だと分かると青ざめてその場に武器を置いて土下座をしていた。
「も、申し訳ありません・・・!皇子とは・・・!」
「・・・許す!その代わり、そこを退いて」
「は、ははぁ!」
頭を下げたまま、壁の隅へと移動する兵士。
倉庫に入っていくと俺は、モップを一本抜き出した。
「皇子様、何をなさるおつもりですか?」
「マリアの為だよ!」
「マリア・・・?」
呆けているガルディの横を通り過ぎていく。
ガルディが気づいた時には、また追いかける羽目になっていた。
―――――――――
この数年で黒田昭典としての意志は・・・
元からあったディランの意志と混ざり合った。
意識とはほとんどは俺、というよりディラン自体消えてしまっている。
そして・・・俺は今、この国の皇子として生きている。
ディランの意志・・・父親と母親に愛され、愛していた意識は俺の中にある。
それは今も変わらないし、変えるつもりもない。
というより・・・今のこの状況がすごく、居心地がいい。
今まで、味わったことが無いほどに。
両親を早くに亡くし、両親の愛情を知らずに育った俺にとって、この感覚は・・・。
とても新鮮で、嬉しいものだった。
例え見た目が異形だとしてもだ。
それに、ディランが・・・望んでいた事。
この国を・・・平和で皆が安心できる国にする、と。
6歳の子供ながら立派だと思った、そして・・・今も俺もそう思っている。
この国に、平和を、と。
ただ、いい事ばかりじゃない。
子供の考えというか、俺の考え自体も幼くなっていると感じる。
悪戯することも日常茶飯事だ。
モップを持ち、マリア・・・魔道人形の元に走る。
彼女は俺の専属メイドで、身の回りの世話をしてくれている。
彼女には迷惑を掛けていたので、何か恩返しできないかと考えた。
だから、モップを改造することにした。
モップは一度、バケツから水を付けて、掃除をする。
そして、汚れを落とすためにもう一度バケツに付ける・・・を繰り返す。
じゃあ、モップから水を出せたら、その手間が省けないかと思った。
モップの持ち手に覚えたばかりのルーン文字を掘る。
ただルーン文字を掘るだけでは意味はないが、
魔法の結晶で出来たナイフを使えばそれには魔力が帯びる。
魔法なんて、現実には存在してなかったものだ。
だが・・・俺、ディランは魔法が使えた。
いつの間にか、にだ。
まるで、赤ん坊がハイハイを覚えるかのように、そして立ち上がるように自然に覚えた。
そして、使用することに違和感もない・・・まるで、日常の行動の一部。
(異世界って、こういうところなんだろうな)
そう考えふと、手を止める。
異世界・・・そうか。
「俺・・・異世界に来たんだな」
何故かそう、すんなりと納得できた。
ナイフを使う手を止め、じっと自分の手を見る。
ここに来るときに確か俺は。
・・・自分を殺したあの死神の事を思い出した。
あのでかい鎌を持った、死神を。
ああ、そうだ・・・俺はあいつに殺されてここに。
「思い出したんだね」
そう、耳元にささやく声。
後ろを振り向くと・・・あの死神が浮いていた。