邂逅之二
それを何者か、と問う者はいなかった。見れば分かる。激しい怒りに満ちた棠梨の女怪、痩せ女である。
痩せ女を知らないクシの者は、悪い魂を持った霊と思ったに違いない。多くの者が、胸元で小さな守護聖像を握り締め、祈りを捧げている。
唯一、痩せ女を見たことのあるロホンさえ、呆然としている。まして、他の者ともなれば。
(情分は分かるわー……)
あれが父親と分かっている韶華でさえ、恐怖に似た驚きで、見つめることになっている。
窓を開け放ち、枯れた両の手が突き出す痩身。吹き込む風に煽られ、灰色の長い髪は乱れに乱れて、憎しみを滾らせた片目しか見せることはない。狙ではないが、もし視線を合わせれば、百年呪われることだろう。
誰も動けない。なにをして良いのか、分からない。あれがなにを返して欲しいのか、ほとんどの者は知らないのだから。
(お父さん、来るの早すぎるよ!)
攫った瑠璃を、クシの者自らが連れて来なければ、存在を認めさせることはできない。だから、それまでは待てと、決して動くなと言ったのだが。
だが、この事態は考えて然るべきだった。
父親の張望を任とするジャイが家に戻っているのである。残る子どもらに、止められるはずがなかったのだ。
「と、捕えよ……」
声を絞り出したのは、ビアクタだった。誰に言ったのかはともかく、息子であるセレウが、動くことを期待したように聞こえた。
武人が闖入者を捕えるのは当然。
ではあるが、セレウは痩せ女が誰か理解できている。韶華をちらりと見て、アレかと問うていた。
(ええ、アレなんですよ……だけど、誰も分かんないのかな)
史雲が、シウンであることに。痩せ女にしか見えない怪しい男が、かつて、最も高貴なアイシラクトゥの血を引く王族であるという事実に。韶華の髪の色は、すぐに、あるひとを思い出させたというのに。
「捕えよと言っている、セレウ……! 王の御前であるぞ」
セレウは、わざとためらう顏をしてみせた。悪いものを、見なかった振りで厄払いするように。部下たちは祈るまではしなくても、すでに怯えきっている。動かない言い訳は、易しかった。
「瑠璃……瑠璃を……返せ、アンバー!」
痩せ女は、骨ばった指先をひとりに合わせた。
ひとの視線が、ロホンに向く。
それが父親の意図したものだったのか、韶華には分からない。愛しい季児を攫った男を、罵っただけかもしれない。
けれど、ロホンがアンバーと呼ばれる理由は、見つめるひとびとの中に幾つも隠されていた。禁断の婚姻の結果、生まれた王子。母親さえも、セッカによって生まれたかもしれず、父親は碧眼でないばかりに、蔑ろにされた。
悪い魂は悪いものに憑く。侮った覚えのある者は、恨まれる覚えもあったのだ。
「アンバー……!」
「やはり、あれは呪われておるのだ……! ならば、どうして」
ロホンを王位に就けられようか。
伏せられて聞こえないはずの言葉が、韶華の耳に聞こえた。ロホンの苛立ちも、ビアクタの嘲笑、王太子の困惑と王太子妃の震えも見えた。
ヌクトゥベは痩せ女を見ながら、なんの反応も表さない。キアシムはといえば、
(あれ、いない……)
「恐れてはならぬ。あれは、アンバーではない」
ピアグダンが、王らしくひとびとを諌めた。
「なにか……宝玉かなにかを、取りに来たようだが……」
「王よ、きっとあれは、棠梨が招いたのです! あの香りで悪しき魂に憑かれた者を呼び出したに違いない。そんな招魂の術があると、聞いておりますぞ」
「我が香は、天の神が如き芳しさを持つ幼い……ころより美しき女人に捧げられるもの! そのような術を仕込む工具ではないのですッ! 陪席にありながら、礼を欠くような言は慎んで頂きたいッ」
香を貶され、黙っている重明ではなかった。指先をビアクタに向け、クシの言葉で応酬した。悪口なら流利に使えるようだ。
韶華の背後で、静影がいつ飛び出して迷于香を押さえるべきか、悩んでいるのが伝わる。その間にも、痩せ女はロホンだけを見つめ、じりじりと中央に近づいている。
(ええ、もう、どうにでもなれ)
韶華は怯える使丁から匳を奪い、王に掲げて見せた。
「これは、棠梨の名望ある香試が智慧を尽くし、作り上げた佳き香です。クシを治める貴い御方が、最愛と思う御方に贈って頂ければ、我が一人の慶びにも、通じましょう」
アレは見なかったことにして、初めからやり直しましょう。
韶華の渾身の重置は、ピアグダンには通じた。王は貴族たちを目で制し、動けないヌクトゥベに、大仰に頷きかけた。執政官として儀を続けるのだ、と。
だがヌクトゥベは、「シウン」と呟くだけだった、
「シウン? いや、まさか」
ピアグダンの目が痩せ女に向こうとした瞬間、女の声が響いた。
「どうしてその香を受け取らないのですか、ロホン」
側面の女たちが通る扉から、華やかに装った女がひとり、入ってきた。長い白髪に白玉を飾り、白い長衣もまた玉で飾りつけてある。王ピアグダンほどの真白さはないが、身に着けた薄い色は、高位にあることを誇るかのようだ。
東側の最も上座にいた王太子妃が息を呑んだ。
「スゥグジェン……!」
韶華も息を呑み、同じように叫びたかった。
老女は、片手に幼い少女を連れていた。
***
韶華たち、棠梨の使節が謁見の間に入る頃、青い目をした幼い少女は、白い花の香りを楽しんでいた。
「瑠璃、知ってる。これ、棠梨の花だよ! 叔叔が咲かせたの?」
刻は夏の盛りである。春の終わりに咲く花が、瑞々しい香りを放っているはずがないのは、子どもだって知っている。
白い花卉をひらひらと幼子の上に捲きながら、男は笑った。
「ここは寒い国だからね。きみの知ってる令より、少し遅れて咲くんだよ」
「そうなんだ。良い匂い……」
懐かしさがあふれ、泣きそうになるが、幼子は匂いを吸い込み、我慢した。もう泣かないと決めているのだ。
男はそれを知っているかのように、瑠璃の頭を撫でた。
「瑠璃、よく聞いて。これから、ぼくでは助けられないことがある。でも、担心はしないでいいよ。みんな、きみの旁にいるから」
「う、ん……?」
男は、幼子の鼻の上の花卉をつまみ、軽い息で吹き飛ばした。
それが一瞬、消えたように見えて、瑠璃は目を瞬かせた。
「さあ、もう迎えがくる。どうしても怖かったら、応えなくていい。けれど忘れないで。きみは、ひとりではないから」
頷くより先、いきなり大きな音がして扉が開いた。
青い目の男かと身をこわばらせた瑠璃が見たのは、白で着飾った老女だった。
いつかの地で会った老太婆ではない。少し似ていると思ったのは、衣装が同じ形だったからだ。
老女は目が悪いのか、忙しく部屋の中を見回している。
椅子にぶつかりながらも、誰かを探す老女の姿を、瑠璃は言葉もなく見ていた。
だが、老女の震える手の細さと、潤んだ目があまりに哀しそうで、瑠璃が姉を探す姿に重なった。
「老大婆、どうしたの?」
小さく呼びかけると、老女ははっとして瑠璃を認めた。
「嗚呼、青い……目だわ。青い目をしている! 貴女が……貴女こそ……」
老女が幼子の頬を両手で抱え込み、空と、碧眼とを幾度も見返す。
瑠璃は彼女の名を知らない。どんな刻を生きてきたかも知らない。生むことを望まれながら、叶わなかった碧眼の幼子を手にした女が、なにを恨んで、こんなことをしているのかも知らない。
背後で男が、憐れなひとだと呟く。
けれどそれは、違うような気がした。
「老大婆は、きっと……」
「さあ、来るのよ。わたくしのあの子が、全てを手にするために!」
老いた女は幼い少女が痛がるのも構わず、腕を掴み、歩き出した。
***
「スゥグジェン……! そなたは廃妃。座るべき椅子など、ここにはない! なにゆえ現れた」
突如、広間に入ってきた老女に、真っ先に応じたのは王太子妃ギリアだった。
スゥグジェンは叫ぶギリアにちらりと視線を走らせ、嘲る笑みを浮かべた。死せる女とも言われる廃妃と見なされようと、本来なら、王太子妃より高位にあるのだという笑いだ。
ギリアを黙り込ませてから、スゥグジェンは、傍らの瑠璃に目を向けた。
(瑠璃……!)
叫び出したくなるのを、韶華は必死に耐えた。
久しぶりに見る幼い妹は、鮮やかなクシの子ども用の長衣を着て、頬の色艶も良く、痩せてもいない。
小さな子がひとりでできると言い張って、結ったような髪には、韶華が渡してと頼んだ髪飾りがついている。通訳の男は、きちんと約束を果たしてくれたのだ。
青い目を丸くしているのは怯えているというより、スゥグジェンとともに、注目を浴びるのに、驚いているだけのようだ。
老女は王に向かって微笑み、ゆったりとした一礼をすると、幼い少女の顏を上げさせた。
「見て下さいな、美しい碧眼でしょう。これこそ、高貴な血が為した宝よ」
「スゥグジェン……」
「ピアグダン。この場に、わたくしを呼ぶべきでしたわ。そうなれば、王太子妃を慌てさせることもなかったのですもの。遠い国の帝が、わざわざ、わたくしたちに用意して下さった香……それは、いずれクシの王の妃となる娘に、与えられるものでしょう。つまり、わたくしの血に連なる子の妃となる娘が、受け取るべきなんですから」
「妃……」
誰もが黙る中、ロホンが祖母であるスウグジェンに寄り添った。碧眼の王子が、青い目を持つ少女を妃に迎える意味は重い。
貴族たちは、互いの様子を確かめるように目配せをした。誰がこれを知っていたか、誰がこれに与するか、見極めるために。
ギリアには、貴族たちの姿がよく見えた。意外に多くの臣が、心を動かされている。碧眼の娘の存在は、それだけ大きな影響を及ぼすのだ。
「お……お待ちなさい! その少女が碧眼だとて、高貴な血が為したものとは、言えないのではなくて?」
「あら、この子が、アイシラクトゥの血を引く娘であることを疑うの。王の印を持つ御子を持てなかったにも拘らず、王太子妃に居座る方は、言うことが違うわね。フジュニ様は、そこに別の女を座らせるべきではないかしら。前王が、わたくしにしたように。もしそうなっていれば、ええ、正しく王の印を持つ御子が、得られたでしょうにねえ……!」
「黙りなさい! ロホンに王子の位が与えられたのは、フジュニの許しがあってこそ。ロホンが誰を妃にしようと、次の王太子は……ムングルクトゥの血ではなく、フミエクトゥから選ばれなくてはならないのよ!」
「それは、セレウを認めるということ? ギリア、妾妃の血による男を、孫と認めるのね?」
妃たちの怒りは根深く、激しい。韶華たちが口を挟む隙もない。
瑠璃を表に出すという策が成立したのだから、早く次の策に移らなければならないのに、激昂する女たちの間に入ることが、これほど難しいとは予想外であった。
かつて棠梨の後宮でも、似たようなことはあったに違いない。しかし。
(なんか見てると心が傷む……! いっそ、搏鬥で決めて……!)
その間に、さっさと瑠璃を抱えて逃げるから。もしくは、棠梨から闘士代表として淑英を推そう。
いずれにせよ、瑠璃に触れるには、スゥグジェンが障害となっている。王からも近すぎて、突撃すれば即、クシへの攻撃と取られかねない。静影が動かないのも、セレウが動かないのも同じ理由だ。
(でもとりあえず、喋るだけなら……)
かつん、と音を立てて、匳を床に置く。音に誘われるように、困惑していた瑠璃が、ようやく韶華に目を止めた。
「韶姉……っ!」
韶華の元に声は届かなかったが、側に立つロホンには、聞こえたらしい。瑠璃の声と視線の向きを辿り、韶華に目を止める。
碧眼の王族の幼子が姉と呼ぶ、艶のある焼栗色の髪をした少女。
誰かと尋ねるまでもない。
「そうか……あれと同じく、取り返しに来たのか」
「待ちなさい」
瑠璃に触れようとしたロホンの手を、細い杖が払った。
「キアシム! 王子である私に……武器を向けるか」
「アーシムジィをつけて頂きたいな、ロホン。それにこれは、目の見えない私には手のようなもの。王ピアグダンからも、携行を許されているよ」
だが、韶華は覚えている。キアシムが広間から消える前は、杖など、持っていなかったことを。ひとの注意が外れた隙に、取りに戻ったのである。
「きみとスゥグジェンがなにを決めたにしても、まだ婚約も認められていない少女に、触れる無礼は許さない。彼には認めなかったとしても、私にはそれを言う権利があるのだよ」
アイシラクトゥの正統な後継者は、アイシラクトゥの血を引く娘の保護者でもある。主が認めなければ、婚約さえも成り立たない。クシの婚姻の習わしを引き合いに出すまでもない。
「キアシムよ……その碧眼の子は、真実、おまえの……」
「私のだ、ピアグダン!」
「お父さん!」
父親に応え、瑠璃が叫ぶ。スゥグジェンに手を掴まれ、動けなくても声だけは届く。
幼い少女が必死に手を延ばす先を見て、ひとの間に困惑を表すざわめきが、波のように広がった。たとえシウンという名を覚えていても、灰色の男の姿に、存在を消された王族を重ねた者はいなかった。
怒りを滾らせた灰色の目、痩躯ばかりが目立つ、元美貌の闖入者。女官の扮装が無用に似合うために、クシネーたちを混乱に陥れている。棠梨の民ならば、ああ痩せ女が出たなあ、と思うところである。
スウグジェンなどは、瑠璃がお父さんと繰り返し呼ぶ声を聞いても、理解しがたい顏をしていた。
ピアグダンは、痩せた女の如き男と、キアシムを見比べた。
「父……? この子がアイシラクトゥの血を持つなら、あれは……あれはシウン、なのか」
「娘を攫っておいて、妃だの勝手なことを言うな、下衆どもが! 暗い穴で互いに身を喰み、呪われるがいい」
「等一下、猛然と息事寧人的解決を捨てないでー!」
ひとりだけ全てを振り切った父親に対して、韶華のできることは、あまり残されていない。
騒ぎを覚悟することと、ため息を吐くこと。クシの言葉で為される聞くに耐えない悪罵は、とりあえず瑠璃に意味が分からなければ良いという判断だろうが、止めて欲しいものである。
「シウン……なの?」
小さな呻きが、王太子妃の口から洩れた。
応じたのは、杖を収めたキアシムだった。
「ええ、ギリア。彼こそ我が姉イルガの息子……もうクシを祖国とはしない、あの娘たちの父親です」
「娘……たち、ですって?」
ギリアとスウグジェンの驚きが重なる。この場には、瑠璃のほかに娘はひとりしかいない。
視線を集めるのも構わず、韶華は次の動きのために、長い上衣を投げ捨てた。
しなやかな少女の肢体と、濃い栗色の結い髪が軽やかに跳ねる。剣舞のよう動きが、ある遠いひとの面影を写し出した。
「私には見えませんが、王よ、見覚えがあるのではありませんか」
「ああ……そうだ。シャーン・アルース……!」
感嘆と同時に、糾弾が起こった。
「王、それは罪人です! 王位簒奪を謀った大罪人。ために、息子であるシウンはクシから逃げたのだ! キアシム、あれを呼んだのは、おまえか。今度こそ王位を奪うつもりでいるのか!」
「ビアクタ、控えよ」
王太子が慌てて止めるが、ギリアは夫を遮った。
「フジュニ様、これは陰謀です。王の血をフミエクトゥから奪い、ムングルクトゥへ移すつもりなのです。そしてアイシラクトゥは……キアシムはロホンに碧眼の娘を妃として与え、堕ちた名誉を、なかったことにする気です! これが叛意でなくて、なんだというの」
ギリアの後押しを待って、ビアクタはわざと大きく腕を振った。広間に、セレウの率いる将兵ではなく、兵士たちが駆け込んできた。
「シウンとキアシムを捕えよ!」
「ええっ? ちょっとロホンはいいの、ロホンは抛っといて? ギリア様のお言葉によれば、直に王位を取ろうと思ってるのは、そこのムングルクトゥの王子のようですけど!」
韶華の指摘に、ビアクタは敵意を持って応じた。
「あれも捕えろ。この謀略に、棠梨の皇帝も加担している可能性がある」
「ビアクタ殿、なんという誤解を!」
静影の鋭い声が飛ぶ。
「言っても無用だよ、静影。これがきっと、そのひとの打算だったんだね」
動き出す兵たちから間を取り、韶華は走り出した。
「俺が行くまで待て、韶華!」
静影の悲痛な声が響いた。近づこうにも、悲鳴を上げる香試たちに集られ、動くことができないでいた。
「不要担心! とりあえず瑠璃を返してもらうから! そうすれば、もう棠梨は係わらないって言えるしね」
「韶華、伏せなさい!」
屈んだ韶華の上に、一閃がある。真横から殴られた兵士が、昏倒した。
呪いでこんなことが、とちらりと横を見ると、父親の手には杖があった。どうやらキアシムから、投げてもらったらしい。
唇が小さく動いている。キミノチチノモノダカラナレテイルダロウ。
「韶華、瑠璃を……」
「分かってる! 瑠璃、引くんじゃないの、押すの!」
はっとした瑠璃は、スゥグジェンから引き離そうとしていた腕を押し返した。
体勢を崩し、倒れる老女。幼子は、ごめんなさいと泣きそうな顏をするが、帰りたいという気持ちが勝った。
「連れて行くのは許さん」
ロホンが長剣を抜く。王のために置かれた飾りに近い細さでも、姉に駆け寄ろう
とする瑠璃の足を止めるには充分だった。
韶華は少し考え、爪杵的木棒を構えた。どうしてそんなものを持っているのだ、という静影の視線を感じるが、準備というものである。
「連れては行かないですよ。迎えに来ただけなので」
「憎まれ口を叩く……しかも棠梨の民であるおまえが、異国の王子に刃向かうというのか」
「刃じゃないんだけどね、これ。ってまあ、怒らせてもなんだから、率直に言うけど、わたしが誰か分かってないのは、王子でしょう。瑠璃を正統なアイシラクトゥの血と言うなら、忘れないで欲しいなあ? ふたりいる姉も、間違いなくお父さんと、正妃であるお母さんの子だってこと」
正妃の言葉を聞いて、ロホンの顔色が変わった。言わなければ良かったと思っても、もう遅い。
廃妃となった祖母の恨みは、彼にも深く根付いている。傷つけるつもりはなかったが、韶華も苛立っていたのだ。
ロホンの持つ細い光が、韶華に向かう。
長剣、対するは爪杵的木棒。質量としては、韶華に分があるはずなのだが。
一閃、そして木棒の削れる音がした。
「韶姉!」
「だよねー。木じゃあ、不成かなーって思ってたんだけど」
少なくとも、不意打ちであるべきだ。韶華は匪賊を模倣したことはあるが、武人ではない。
剣先は鋭く、避けるだけで必死。ロホンの武人としての腕前は、悪くない。場所の狭さと、剣の長さの不調和に、助けられているだけだ。
爪杵的木棒を捨てて、速さを選ぶこともできるが、防御を手放すわけにはいかなかった。瑠璃を怯えさせないために、一滴の血さえ流してはならない。
(それに……このひとは)
韶華の目にあるのは、静影の花招を撲面から受けた時のこと。それに比べると、なにかが緩い。
ロホンは王子らしい、礼に則った正しい武術を使う。戦いを重ね、練り上げられた武術とは違う。だから。
「ほらね」
木棒を足許に投げ込む。武人が倒れまいとする。
それは体幹の強さにだけ頼る、鍛えられた者の習い。その間は決して、攻撃されないという驕り。柄を握る集中が、一瞬だけ途切れた。
剣と幼子と、どちらかなら、取れる。
「おまえは子どもを助けろ」
「セレウ! なにを考えている!」
ロホンの怒声の横をすり抜け、韶華は瑠璃を抱え、兵士に向かって飛んだ。
「さあ、瑠璃。家に帰ろうね」
「待ていがはッ」
少女とはいえ、ふたりの勢いを腹に受けて、兵士が転がる。失われる意識が最後に聞いたのは、謝る気のないごめんなさあいという声だった。
「待て……」
背後からロホンの声が韶華を追う。けれど、本体まではついてこない。
ちらりと振り返ると、ふたつの冷たい刃の輝きが、ぶつかり合っていた。
「ロホン、諦めろ。碧眼の娘は、おまえが真実、得たいものじゃない。分かっているだろう!」
「分かりたくもない! おまえも考えたはずだ、揃ってさえいれば、こうも蔑まれずに済んだのに、母親の呪いを受けることもなかったと!」
クシの継承問題は、さまざまひとを傷つけている。
だが、韶華に彼らを止める方法はない。彼らの取り決めは、彼らにしか、変えられないのだ。
「韶華!」
静影の声が、韶華を現に引き戻した。騒ぎになったら収拾は静影に任せ、韶華たちは、晨風の待つ場まで逃げる歩繁になっている。
「瑠璃、走れるね?」
幼い妹を下ろした韶華に、誰かが体当りした。
「この子は渡さないわ!」
「韶姉!」
逆さになった世界を韶華の目が映す。スゥグジェンに抱えられ、遠くなる瑠璃の姿と、槍を構える兵士。
韶華は起き上がろうとした。
間に合うか分からない。けれど、もう一度世界を逆転させなければ、なにも為せない。
飛び込んでくる灰色の影より先、兵士が韶華の前から真横に飛んで行った。
「あ?」
「ごめん下さい、わたしの愛児を返してもらいに来ました」
兵士が左右に弾かれた間、ひとりの女が恥ずかしそうに言葉を発した。




