各色名堂之二
小さな木の実を割ろうとして、手の中から跳ね飛ぶ。そのまま勢い良く頬に当たり、景景は、げっと呻いた。
「当たったの、景景じゃないのに……」
「だから不妙なんだよ。晨晨に当たるの、再次じゃん。怒らないとしても、なんにも応じないって古怪だろ……」
黙ったままの晨風を見ながら、景景は永児にささやいた。
晨風のひどく悩む様子に気づいたのは、意外にも、幼い少年たちだった。
側に居れば明らか――というより、木の実割りを手伝ってくれるのは良いが、あまりにも虚無に浸っているので、気づかない方が、おかしい。
「なあ、晨晨……悩みがあるならオレたちに話せよ。なんにもできないだろうけどさあ」
「そうだよ。話すと楽になるよ。でも、韶姉に怒られるのを延ばしてるなら、早くしたほうが良いよ」
びく、と晨風の肩が揺れた。
それだけで事の大きさを思い、嗚呼、と少年らは嘆息した。
「真的不成……静影大哥に商量するか?」
「大兄は、ジャイさんを呼びに行ってるよ。瑠璃をどうやって助けるか、これからみんなで策を立てるみたい」
「えー! じゃあ早くこれ、終わらせようぜ。オレも助けに行きたい」
「きっと追い出されるよ。ぼくらに、なにができるんだよ……」
少年たちは肩を落とした。
クシに攫われた瑠璃を助けるため、使節の輜の中に潜んだはいいが、途中で見つかり、騒がせただけになった。
さらに、かろうじて香試の侍童として残ることはできたのに、その任さえ上手くこなせていない。香り好きの変態でさえ、瑠璃を見つけ出したのに、である。
できるのは、香試の集めた木の実を剥いておくという作業と、通訳のジャイが、大喜びで痩せ女、ではなくて瑠璃の父親に差し出す紙を運ぶことだ。
「ジャイさん、すっごく喜んでるけど……あのひと、クシの出だから棠梨の怪が、珍しいのかな」
「そうなんじゃね? インウって、クシの言っぽいし」
「陰うぐっ」
いきなり晨風が咳込んだ。
「き……きみたちっ……それ、ほかで言わないように。いいねっ?」
「分かった……」
やっぱりクシの怪なんだ言ったらいけないモノなのかも呪われるんだ、とひそひそ言葉を交わす幼い少年に、真実は明かせなかった。陰羽が官能小説家の筆名で、瑠璃の父親のことだとは。
「それにしても……きみたちにとっても、あのひと、邪鬼扱いなんだね」
「オレらも……ってさあ、晨晨も邪鬼と思ってるじゃんよ」
鋭いなあ、と晨風は笑った。
「晨晨、少しは朝気した?」
永児の嬉しそうな声が、晨風の背を叩く。それに押されるように、若い武人は伸びをした。
確かに、落ち込んでいても仕方ない。
「考えたって、答えはでないんだから、訊いてみるしかないんだ……でもまずは、木の実を処理しようか」
先ほどまで監視していた番兵は、飽きてしまったらしく、側にはいない。庭で木の実割りをする子どもらに、見張るほどの意味は見出せまい。
しかも多少、武人として気にすべき晨風は、魂の抜けた偶人だったのだ。
「晨晨。ここって、ひとの往来が多いよね。真的宮城? 不妙なひとでも、軽易に入れるって、危なくない?」
棠梨の宮城には、決して入れないと散々聞かされてきた景景としては、クシの城は、ひどく欠けたものに思えた。
晨風も似たようなことを考えたので、やっぱりきみは鋭いね、と繰り返した。
「穴だらけで、誰でも通れるように思えるけど、回廊には入りにくいよね。クシのひとも屈んでいるくらい扉は小さいし、樓梯も狭い。王たちは、みんな城の上階にいて、なにかあった時は、困守する戦いを選ぶんだ」
「宮殿っていうより、砦っぽい?」
「そんな感じかな。ぼくも学んだだけだけど、クシはそういう城を空にして、捨てるのを惜しまないそうだよ。だけど、占領したところで休んでいると、いつの間にか囲まれている。すると……」
「あー! 這次は、奪い取った者が、防護しなくちゃいけないんだ。穴だらけの城を」
「賢い子たちだね」
遠くない場所から、軽やかな笑い声が響く。壁際の小さな白い花を咲かせた木の側に、男が立っていた。
永児と景景は、彼を覚えていた。銀色の髪をした背の高い男は、見た時と同じように、手を振っている。
「砦に入ったその時には、開首と異なり、逃路はないんだよ。獣の巣に、久坐するものではない……というわけだ」
「貴公は誰ですか」
「晨晨。そのひと、オレたちを助けてくれた偉いひとの……目の見えないひとの、友人だよ」
疑うわけではないが、それでひとの善さを信じるほど、晨風は甘くない。確実な間を取って近づかない男の実力は、間違いなく黒風に匹敵する。だいたい、彼らを助けたのは、
「あれ? 目の見えないひと……?」
「そうだよ。あぐあぐじゃーなんとか」
分かるか、それで。とは、言わないのが晨風の甘さである。
「きみの言うのは、アーシムジイ・キアシム?」
「うん、それそ……」
「あ、でもアーグジィ・スゥンかな。それとも、チャリアガ? アンバーかも」
「えっ、えっ、ええっと」
景景には、もうどれなのか判断できなかった。
「子どもを作弄するのは止めて下さい」
「そうだね。悪かった。城内に子どもたちがいるのを見たら、懐かしくなってね。できれば、シウンに会いたかったのだが……彼は出てこないから、きみに言うよ。会って欲しいひとがいる。とても重要な話があるんだ」
一瞬のためらいのあと、晨風は頷いた。
アーシムジィ・キアシム。キアシム師という意味だが、師をつけた呼び名は、ある王族にしか使われない。アイシラクトゥの血を引く高貴なる女主、ソイラクタの息子。そして杜家姉妹の父親であるシウンの、叔父である。
目の前にいる銀髪の男はもちろん、キアシムではないが、無視してはならないと晨風の心が告げていた。
「景景、永児、ふたりだけで戻れるね? ぼくは少し上街するから」
「晨晨……!」
少年たちが不安そうな顏をしたのは、晨風のためだったのかもしれない。ついて行くと、口許が言いかけていた。
「不要担心。アーシムジィ・キアシムは、痩せ女の老舅だから。瑠璃を助けてくれるひとだ。だから、このひとも」
「老舅? そう……なの? でも晨晨、早く戻ってきてね」
永児を安心させるように、晨風は微笑む。
銀髪の男も、困惑を押し隠しつつ、少年たちに微笑みかけた。知己を女妖の親族にされたら、そういう顏しかできない。
「貴公のことは、なんとお呼びすれば良いですか」
「アンダハ、と。では行こうか。晨晨」
「あの」
晨風が小声で男を呼び止めた。
「どうした」
「あの……申し訳ありませんが、晨風です」
男の目が丸くなった。
晨晨としか呼ばれていなかったので、男もそれが名だと思い込んでいた。確かに幼名を通すのかと考えはしたが。
「すまなかった、晨……晨風。謝るに乗じて尋ねるが」
「はい」
「痩せ女ってなんだ」
棠梨国に古くから伝わる、貧しさから子を捨てて逃げた、女の情が凝り固まった怪。
と、よく似ている、とある人物を言うのだが、説明は難しい。
晨風は首を振り、そのうち史雲に会って下さい、と言うのが精いっぱいだった。
***
韶華にあてがわれた部屋の中には、本来居るべきふたりと静影、ジャイ、なぜか香試、王重明もいた。
「王先生がいると、話がもつれそうで困るんだけど」
「天上より顕現せし宝玉、甘美なる源泉を万世に分け与え給う幼女を、拐子されて封口しておれようか! 我が鼻にて見出したことを、地に伏して喜べ!」
「ああ、はいはい」
「韶華……変態をよそにやってくれ……これが瑠璃に触れたらと思うと、呪うだけでは済ませられそうもない……」
「ああ、担心は分かりますが、老師。娃娃がどこにいても嗅ぎ出せる狗は、必要ではありませんか。ここは利に聡くあらねば」
「そうか……でも瑠璃……瑠璃に会いたい」
「嗚呼、私も! 可憐なことよ。令堂を求めておいでだろうに、私ではなんの慰めにもならないのだ。杜韶華よ、早く策を出すが良い、その才能を以って」
「それを話そうというのに、誰も聞かないんじゃない!」
韶華の叫びは、混迷に耽る者たちには、あまり響かなかった。
騒ぎを止めるのを諦め、隣を見上げると、紫石の双眸も無に陥っている。もはや静影も、理性的な話し合いを諦めているらしい。
「もー……晨晨っ、晨風は、まだ戻らないの?」
「そろそろ戻ると思う。まあ……晨風なら、話すだけで理解できるはずだ。あとでセレウ王子とともに、解説すれば良いだろう。しかし、韶華。王を決めるとは、どういうことだ」
「そのままだよ」
あっさりと返され、静影は天弓を歪めた。
「静影は口舌してるみたいだけど、わたしが決めるとは、言ってないよ? 決めるのは、クシのひと。わたしはその条件を、明白にするだけ」
「しかし彼らにとっては、すでに明らかなんじゃないのか」
「そうだね。分かっているはずだよ。清楚すぎて正当な王が、いないということがね」
騒いでいたはずの者たちも、黙り込んだ。
王となるのは、碧眼の父親から生まれた碧眼の息子。そして母親は、正妃であることを望む。
それを満たす者は、今のクシにはいない。
ロホンとセレウ、どちらも父親は碧眼ではない。そして父親たちは、ともに生まれに負い目がある。
ロホンの父ヌクトゥベは、生みの母に廃妃という傷をつけられ、一時は王子の位さえ、奪われるところだった。今も位を認めない古い貴族もいるほどで、第一執政官という位にあるのは、母スゥグジェンの実家の力によるものだ。
そしてセレウの父ビアクタは、妾から生まれ、正妃である王太子妃から、ひどく憎まれている。正妃ギリアから子として認められることなしに、その子どもであるセレウも、孫とは認められない。このまま正式に認められなければ、セレウはやがて王子の位を失うことになる。
母親の違いも、碧眼がないことも、棠梨から見れば、なんということもない傷に思えるが、貴族たちからすれば、長いクシの栄光を穢すものだ。廃妃の孫も妾の孫も、次なる王として、認めがたいのである。
「愚かさは、変わらないのだね……」
「お父さん」
「クシの王族は男も女も、掟に因われすぎている。千古においても、揺らぎがあったはずなのに、正しさを盾に変えようとしない。アモアンドラはだから、王というものに固執したんだろう。だけど、女王という位があれば、強い女王になったはずだ……」
クシには存在しない女王を棠梨の言葉で言って、父親は黙り込んだ。
アモアンドラというひとを知らなくても、性格の苛烈さは、容易に想像できた。彼女は碧眼の子を得るために、禁断の婚姻さえ厭わなかった。
そこまでしても、兄弟や異母兄弟だけが次の王位を奪い合い、自身は、王妃の血を引く王女より下に置かれた。
恨みは、深かったに違いない。父親の片書には、事実しか列挙されていなかったが、おそらく韶華の祖父が死ぬことになったのも、アモアンドラの策略である。
先々代の王の死後、次の王を決める際、多くの王族が病で一度に亡くなったが、アモアンドラの碧眼を思い出す者はいなかった。
クシの王族、貴族にとって、王は第二妃の血を引く息子のうち長男、王太子となれる者は、その弟、オクトワしかいなかったのである。
実際には、長男には息子ムドゥールがいたが、幼すぎて貴族たちから反対されたのだ。未だ病の流行は収まらず、幼子も儚くなる可能性が高いから、と。
そうしてなぜか、オクトワではなく、その子のウルドゥルが王太子となった。
「揉めた理由は、いろいろある。ムドゥールが亡くなれば、先王に碧眼の息子は、いなくなる。そうなると、碧眼の息子ウルドゥルを持つ弟オクトワ様に、王位は移る……ならば、初めからウルドゥルを王太子にすれば良いという者たちが、多かったんだ」
なぜならば、ウルドゥルはオクトワの正妃から生まれた碧眼の子。ムドゥールは、もし、廃妃という無理矢理な言い訳がなければ、単なる妃の子となるからだ。
「スゥグジェンは、私が覚えている頃には、後宮を出されていた。王妃がいるのだから、そこにいてはならなかったのだね。逆にそれで、外で貴族たちとつながりを持てたようだ……ウルドゥルを王太子にする決定に力を貸したのは、彼女だと言われているよ」
正妃の座を奪った女の息子より、弟の子に、王太子の位を渡す方を選んだのである。
「アモアンドラは、スゥグジェンの怒りをよく理解していた。蔑ろにされているのは、同じだから。だけど……ずっと顧みられない王子ヌクトゥベを、後宮で守ったのは、アモアンドラの謀の内だった。どこかからチャーグシャーンを連れてきて、ヌクトゥベの妃にさせた。やがて生まれるであろう碧眼の息子を……王にする打算でいたんだよ」
「どこかから連れてきたって……」
「アモアンドラがチャーグシャーンを生んだのは、十六の頃らしい。父親が不明な子どもは、母親の権利をそのまま継ぐので、後宮で王女として隠されて育てられていた……とはいうが、誰も見たことがなかったようだ。ただ、母は」
黙り込む父親を急かす者はいなかった。
高貴なるアイシラクトゥの血を引くソイラクタの娘、イルガ王女は後宮で育っている。束縛から最も遠い高位にある娘が、隠された娘を見つけ出すのは、易しかったのだ。
「母は、その頃後宮にいた子のなかでは、最も年上でね……同い年のヌクトゥベとともに、悪童たちの照料をしていたというよ。私が生まれてからは、プルフェの子どもたちも後宮に来て、みな、兄弟のように育った。オクトワの変が、起こされるまでは」
「プル……? プ……ああ、浦鹿飛ッ! 分かるわけないって、そんなの。確か、もっと前の王の妾の子どもたちだっけ」
「韶華……」
紫石の戸惑う視線を受けて、韶華は慌てて口許を押さえた。
「ああ、話を止めたかったわけじゃなくて……お父さん、ごめん」
「いいんだよ……あれを書いてて、私も分からないだろうなあと思ってたし」
寂しそうに微笑む痩せ女も、心のどこかで、伝えたくなくて奇妙な書き方をした自覚はあった。
そして、言葉にしたくない話題を止められて、ほっとしていた。
オクトワの変――貴族たちが使うその言葉さえ、認めようとは思わない。王太子ウルドゥルの父であるオクトワが、どうして王位のために謀反を企むというのか。
オクトワには、敢えて王位を簒奪する必要などなかった。なのに疑いをかけられたのは、アモアンドラの一言によるものである。
だが、架空の謀反であっても、ひとたび生じた疑いを収めるためには、誰かが犠牲にならねばならなかった。
だから、シウンの父親が、友であったオクトワのために、ひとりで起こしたこととして、ありもしない罪を被ったのだ。
「ヌクトゥベがチャーグシャーンを妻とした時、ムドゥールやウルドゥルは祝福したが、私はできなかった。アモアンドラが、またなにかを企んでいると思った。だから私は、ムドゥールたちのことを声討したのは、彼女だと思っている」
「真に……真に酷い女人でしたね老師、湖氏は!」
いきなりさめざめと泣くジャイを見て、男たちは、どう反応して良いか分からなくなった。
韶華にも分からない。湖氏とは、おそらく父親の書いた官能小説の人物なんだろうなと思うだけである。
吃驚女体化小説が、真実を明かしていると信じるクシネーに驚きを隠せない、とは言ってはいけないのだろう。
「ええっと……公には、どんなふうに亡くなったか知られてないけど、お父さんたちのように、宮城にいたひとは事情を知ってたの?」
「彼らをなんの罪に問うたかは、知っているよ。知らなければ、王太子を殺すことなんかできない。ウルドゥルの死は、オクトワを死に追いやった。子を失って、生きていられなかったんだろうね……私はあのひとの代わりに父親を奪われたから、悲しみはしなかったけれど、今なら……分かるよ」
はらはらと涙を落とす痩せ女が、おまえたちを失ったら生きて行けないと韶華を抱き締めた。ジャイも重明も、感極まったように目許を袖で押さえている。
「うん。分かったから。泣くのはいいから、話を続けて、話を。そのひとたちを死なせて、怖い王女さまは、なにをしたの」
「母を殺した」
「え?」
「アモアンドラは、スゥグジェンを取り込むために、ムドゥールの処刑だけでも公にしたかったらしい。ただ、ムドゥールは……獄中で亡くなった」
「嗚呼、彼は愛する者を失って、天の神に魂魄を奪うよう、頼んだむ!」
静影がジャイの口許を押さえた。もう離さないから続けろ、と紫石の双眸が伝えていた。
「韶華、私はアモアンドラを知っている。己の預定通りに行かないことを、許しはしない……あれは、自身の手で下せる代わりの命を求めた。そして、最も憎んだのは、母だった」
「……同じ王女なのに、下に扱われていたから、だね」
「ああ……それから、後宮にスゥグジェンを呼び戻すためには、チャーグシャーン以外の王女は、いてもらっては困るということも、あっただろうね。私の老太母がアイシラクトゥの領地に移ったあと、王妃が亡くなり、王太子妃に碧眼の子がいない後宮では、母が主となるから」
公式に知られている王女イルガの死因は、病によるものである。毒殺を疑う者はいたが、アモアンドラの報復を恐れ、誰も異を唱えなかった。
しかし、そこまでしても、アモアンドラの求めているものは、最後まで手に入らなかった。
突然死したのである。
「病死とされたが、詳しくは知らない。あのひとが死ぬ前に、私は国を出たから。多半、多くの者が、行刺の首謀と疑われたはず。私などは、筆頭だったろうね。ただ、私は王族としての名を消されたあとだったから……それを行った者たちには、さぞかし遺憾であったろうよ」
罪をなすりつけられる者がいなくて。
呟く父親の枯れた美貌に、薄い侮蔑の笑みが浮かぶ。
韶華はそれを怖いとは思わない。誰かの悪意は、ぎりぎりのところで父親の幸運に変わったのだ。
「アモアンドラっていうひとが亡くなって、最も利を得たのは、後宮に戻れた廃妃スゥグジェンだよね。確か、児女のなんとかっていう王女も、亡くなってるし」
「うおむえおうえいいいえあがあうあんあーあーわ」
「静影……」
話させてあげて、との韶華の視線によって、静影はジャイから手を離した。
「公の場にでるのは、王太子妃のギリア様だけですよ」
はあ、とジャイはため息を吐いた。
「王位を継ぐ者が誰になるのかは、私たちクシネーにも、ずっと心事でした。なにしろ、碧眼の父を持つ碧眼の王子の不在は、私たちだって知っていますから」
「クシネーとしては、王太子妃の孫が、選ばれると思ってる?」
「そうですね……フジュニ様……今の王太子様から引き継がれるなら、その孫であるセレウ王子にすべきだと考えます。クシの民に、妾はいませんから……王族だって、妾も妾妃も、妻として認めるべきだと考える者は多いのです。しかし」
「当然、廃妃なんて、いなかったことになるわけだよね? スゥグジェン様も、王妃のままだと」
「ええ。ですから、ギリア様が、早くセレウ王子を孫と認めて、王太子の位を継げば良いと、多くの貴族たちは考えています」
「ここで開首の話に戻るけど」
一瞬、首を傾げ、男たちは我に返った。
そういえば、幼い少女を取り戻すために、クシの王を決めるという話をしていたのだ。
「あのね、お父さんの話を聞いていて分かるのは、王さまは碧眼だけで決まるものではなくて、後宮や貴族たちの後台あってこそ。でも、ロホンとセレウのそれは、まさに埓。少しでも加強するものがあれば、示さないといけないの。今のロホンにとって、それは瑠璃でしょう。静影、お父さんを押さえていて」
「え、ああ?」
「まずは、瑠璃がここに居ることを、明らかにさせるの」
「それなら、私だって考えたぞ?」
言い切る韶華に、重明が訝しむ声を投げかけた。
「いない者を取り返すことはできない。誰それがいると、クシに言わせなければ、そもそも始められもしない。ただ、クシとてかの愛らしき幼女が稀少なる天の宝玉にも優る重要な人物であると分かっている。明らかにする法子……を考えなければならないぞ」
「そこは王先生の順口の才能に、頼ることになるかなあ。拐かした罪があるから、わたしたちには見せたくないだろうけど、瑠璃は、アモアンドラ王女の児女のように、隠したままでは意思がないんだよ。いずれクシの貴族に知らしめなくてはいけない。ならば、今、そうせざるを得ないようにしてやればいい。瑠璃を妻に迎える男こそ、王になれるって思わせれば」
嗚呼いやだ瑠璃はやらない韶華そんな酷い瑠璃瑠璃と喚く痩せ女を、静影は黙って押さえ込んだ。
「すまぬが、そこの太父と同じ心境だぞ、私は。華英にして妖冶なる棠梨の宝貝というべき幼子を、たかが北の国の王を決めるための工具にされるのは、受け入れがたい!」
「あのね、瑠璃を条件でしかみない男になんか、やるわけないでしょ。思わせるだけでいいんだってば。王先生は謁見の場で、クシの王妃さまという存在の貴さを讃え、今、王妃さまがいらっしゃらないのを嘆いてみせて」
重明の目が、きらりと輝いた。韶華の言いたいことを理解したらしい。彼も頭は悪くないのである。迷于香が全てを精算しているだけで。
「そうか、次の王となるかは分からないにせよ、王太子の妃には、香を届けた! ならば、その次における王妃となるべき幼女にも、精彩なる香をお届けしたいものだと抱怨してみれば良いのだ!」
「幼女とか言わないで。抱怨まではしなくていいし。でもまあ、そういうこと。それで瑠璃を自尊げに連れてきたら、うちの子を迎えに来ました、で取り戻すから」
「よく分かった! しばし待て! そう……天地を治めし神にも似た甘美なる香をまとう幼き少女には、未完成な香ではなく、我らが尽心をもって配方する究極の香を渡すべきなのだ! 嗚呼必ずや当前に顕現させるべく、クシを操ろう!」
香試に任せきりは不安になるが、香に関する情熱だけは信じても良い。
信じるしかない、という事実には蓋をして、韶華はその時を待つことにした。




