表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/117

各色名堂之二

 小さな木の実を割ろうとして、手の中から跳ね飛ぶ。そのまま勢い良く頬に当たり、景景(ケイケイ)は、げっと呻いた。

「当たったの、景景じゃないのに……」

「だから不妙な(ヤベえ)んだよ。晨晨(シンシン)に当たるの、再次(にどめ)じゃん。怒らないとしても、なんにも応じないって古怪(へん)だろ……」

 黙ったままの晨風(シンプウ)を見ながら、景景は永児(エイジ)にささやいた。

 晨風のひどく悩む様子に気づいたのは、意外にも、幼い少年たちだった。

 側に居れば明らか――というより、木の実割りを手伝ってくれるのは良いが、あまりにも虚無に浸っているので、気づかない方が、おかしい。

「なあ、晨晨……悩みがあるならオレたちに話せよ。なんにもできないだろうけどさあ」

「そうだよ。話すと楽になるよ。でも、韶姉(ショウねえ)に怒られるのを延ばしてるなら、早くしたほうが良いよ」

 びく、と晨風の肩が揺れた。

 それだけで事の大きさを思い、嗚呼、と少年らは嘆息した。

真的不成(マジヤバい)……静影(セイエイ)大哥(にいちゃん)商量(そうだん)するか?」

「大兄は、ジャイさんを呼びに行ってるよ。瑠璃(ルリ)をどうやって助けるか、これからみんなで策を立てるみたい」

「えー! じゃあ早くこれ、終わらせようぜ。オレも助けに行きたい」

「きっと追い出されるよ。ぼくらに、なにができるんだよ……」

 少年たちは肩を落とした。

 クシに攫われた瑠璃を助けるため、使節の(にぐるま)の中に(ひそ)んだはいいが、途中で見つかり、騒がせただけになった。

 さらに、かろうじて香試(調香師)の侍童として残ることはできたのに、その任さえ上手くこなせていない。香り好きの変態でさえ、瑠璃を見つけ出したのに、である。

 できるのは、香試の集めた木の実を剥いておくという作業と、通訳のジャイが、大喜びで痩せ女、ではなくて瑠璃の父親に差し出す紙を運ぶことだ。

「ジャイさん、すっごく喜んでるけど……あのひと、クシの出だから棠梨(トウリ)の怪が、珍しいのかな」

「そうなんじゃね? インウって、クシの(ことば)っぽいし」

(イン)うぐっ」

 いきなり晨風が咳込んだ。

「き……きみたちっ……それ、ほかで言わないように。いいねっ?」

「分かった……」

 やっぱりクシの怪なんだ言ったらいけないモノなのかも呪われるんだ、とひそひそ言葉を交わす幼い少年に、真実は明かせなかった。陰羽(インウ)が官能小説家の筆名で、瑠璃の父親のことだとは。

「それにしても……きみたちにとっても、あのひと、邪鬼扱いなんだね」

「オレらも……ってさあ、晨晨も邪鬼と思ってるじゃんよ」

 鋭いなあ、と晨風は笑った。

「晨晨、少しは朝気し(気分あがっ)た?」

 永児の嬉しそうな声が、晨風の背を叩く。それに押されるように、若い武人は伸びをした。

 確かに、落ち込んでいても仕方ない。

「考えたって、答えはでないんだから、訊いてみるしかないんだ……でもまずは、木の実を処理しようか」

 先ほどまで監視していた番兵は、飽きてしまったらしく、側にはいない。庭で木の実割りをする子どもらに、見張るほどの意味は見出(みいだ)せまい。

 しかも多少、武人として気にすべき晨風は、魂の抜けた偶人(でく)だったのだ。

「晨晨。ここって、ひとの往来が多いよね。真的宮城(ホントにお城)? 不妙な(ヤバい)ひとでも、軽易に入れるって、危なくない?」

 棠梨の宮城には、決して入れないと散々聞かされてきた景景としては、クシの城は、ひどく欠けたものに思えた。

 晨風も似たようなことを考えたので、やっぱりきみは鋭いね、と繰り返した。

「穴だらけで、誰でも通れるように思えるけど、回廊には入りにくいよね。クシのひとも屈んでいるくらい扉は小さいし、樓梯(かいだん)も狭い。王たちは、みんな城の上階にいて、なにかあった時は、困守す(たてこも)る戦いを選ぶんだ」

「宮殿っていうより、砦っぽい?」

「そんな感じかな。ぼくも学んだだけだけど、クシはそういう城を空にして、捨てるのを惜しまないそうだよ。だけど、占領したところで休んでいると、いつの間にか囲まれている。すると……」

「あー! 這次(こんど)は、奪い取った者が、防護しなくちゃいけないんだ。穴だらけの城を」

「賢い子たちだね」

 遠くない場所から、軽やかな笑い声が響く。壁際の小さな白い花を咲かせた木の側に、男が立っていた。

 永児と景景は、彼を覚えていた。銀色の髪をした背の高い男は、見た時と同じように、手を振っている。

「砦に入ったその時には、開首(はじめ)と異なり、逃路はないんだよ。獣の巣(キュウ)に、久坐す(いすわ)るものではない……というわけだ」

貴公(あなた)は誰ですか」

「晨晨。そのひと、オレたちを助けてくれた偉いひとの……目の見えないひとの、友人だよ」

 疑うわけではないが、それでひとの()さを信じるほど、晨風は甘くない。確実な()を取って近づかない男の実力は、間違いなく黒風に匹敵する。だいたい、彼らを助けたのは、

「あれ? 目の見えないひと……?」

「そうだよ。あぐあぐじゃーなんとか」

 分かるか、それで。とは、言わないのが晨風の甘さである。

「きみの言うのは、アーシムジイ・キアシム?」

「うん、それそ……」

「あ、でもアーグジィ・スゥンかな。それとも、チャリアガ? アンバーかも」

「えっ、えっ、ええっと」

 景景には、もうどれなのか判断できなかった。

「子どもを作弄する(からかう)のは止めて下さい」

「そうだね。悪かった。城内に子どもたちがいるのを見たら、懐かしくなってね。できれば、シウンに会いたかったのだが……彼は出てこないから、きみに言うよ。会って欲しいひとがいる。とても重要な話があるんだ」

 一瞬のためらいのあと、晨風は頷いた。

 アーシムジィ・キアシム。キアシム師という意味だが、師をつけた呼び名は、ある王族にしか使われない。アイシラクトゥの血を引く高貴なる女主、ソイラクタの息子。そして()家姉妹の父親であるシウンの、叔父である。

 目の前にいる銀髪の男はもちろん、キアシムではないが、無視してはならないと晨風の心が告げていた。

「景景、永児、ふたりだけで戻れるね? ぼくは少し上街す(でかけ)るから」

「晨晨……!」

 少年たちが不安そうな顏をしたのは、晨風のためだったのかもしれない。ついて行くと、口許が言いかけていた。

不要担心(だいじょうぶ)。アーシムジィ・キアシムは、痩せ女の老舅(叔父)だから。瑠璃を助けてくれるひとだ。だから、このひとも」

老舅(叔父さん)? そう……なの? でも晨晨、早く戻ってきてね」

 永児を安心させるように、晨風は微笑む。

 銀髪の男も、困惑を押し隠しつつ、少年たちに微笑みかけた。知己を女妖の親族にされたら、そういう顏しかできない。

「貴公のことは、なんとお呼びすれば良いですか」

「アンダハ、と。では行こうか。晨晨」

「あの」

 晨風が小声で男を呼び止めた。

「どうした」

「あの……申し訳ありませんが、晨風です」

 男の目が丸くなった。

 晨晨(ハヤブサくん)としか呼ばれていなかったので、男もそれが名だと思い込んでいた。確かに幼名を通すのかと考えはしたが。

「すまなかった、晨……晨風。謝るに乗じて尋ねるが」

「はい」

「痩せ女ってなんだ」

 棠梨国に古くから伝わる、貧しさから子を捨てて逃げた、女の情が凝り固まった怪。

 と、よく似ている、とある人物を言うのだが、説明は難しい。

 晨風は首を振り、そのうち史雲(シウン)に会って下さい、と言うのが精いっぱいだった。


***



 韶華(ショウカ)にあてがわれた部屋の中には、本来居るべきふたりと静影、ジャイ、なぜか香試、王重明(オウ・チョウメイ)もいた。

「王先生(さん)がいると、話がもつれそうで困るんだけど」

「天上より顕現せし宝玉、甘美なる源泉を万世(たみ)に分け与え給う幼女を、拐子(ゆうかい)されて封口し(だまっ)ておれようか! 我が鼻にて見出したことを、地に伏して喜べ!」

「ああ、はいはい」

「韶華……変態をよそにやってくれ……これが瑠璃に触れたらと思うと、呪うだけでは済ませられそうもない……」

「ああ、担心(しんぱい)は分かりますが、老師(せんせい)娃娃(おじょうちゃん)がどこにいても嗅ぎ出せる狗は、必要ではありませんか。ここは()に聡くあらねば」

「そうか……でも瑠璃……瑠璃に会いたい」

「嗚呼、私も! 可憐な(かわいそう)ことよ。令堂(ははぎみ)を求めておいでだろうに、私ではなんの慰めにもならないのだ。杜韶華よ、早く策を出すが良い、その才能を()って」

「それを話そうというのに、誰も聞かないんじゃない!」

 韶華の叫びは、混迷に耽る者たちには、あまり響かなかった。

 騒ぎを止めるのを諦め、隣を見上げると、紫石の(するどい)双眸も無に陥っている。もはや静影も、理性的な話し合いを諦めているらしい。

「もー……晨晨(ハヤブサくん)っ、晨風は、まだ戻らないの?」

「そろそろ戻ると思う。まあ……晨風なら、話すだけで理解できるはずだ。あとでセレウ王子とともに、解説(せつめい)すれば良いだろう。しかし、韶華。王を決めるとは、どういうことだ」

「そのままだよ」

 あっさりと返され、静影は天弓(まゆ)を歪めた。

「静影は口舌(ごかい)してるみたいだけど、わたしが決めるとは、言ってないよ? 決めるのは、クシのひと(クシネー)。わたしはその条件を、明白にするだけ」

「しかし彼らにとっては、すでに明らかなんじゃないのか」

「そうだね。分かっているはずだよ。清楚(あきらか)すぎて正当な(ボアナイ)が、いないということがね」

 騒いでいたはずの者たちも、黙り込んだ。

 (ボアナイ)となるのは、碧眼の父親から生まれた碧眼の息子。そして母親は、正妃(バイエクトゥ)であることを望む。

 それを満たす者は、今のクシにはいない。

 ロホンとセレウ、どちらも父親は碧眼ではない。そして父親たちは、ともに生まれに負い目がある。

 ロホンの父ヌクトゥベは、生みの母に廃妃(ブルエクトゥ)という傷をつけられ、一時は王子(ナーニー)の位さえ、奪われるところだった。今も位を認めない古い貴族もいるほどで、第一執政官という位にあるのは、母スゥグジェンの実家の力によるものだ。

 そしてセレウの父ビアクタは、(ククウェ)から生まれ、正妃(バイエクトゥ)である王太子妃(ナーエクトゥ)から、ひどく憎まれている。正妃ギリアから子として認められることなしに、その子どもであるセレウも、孫とは認められない。このまま正式に認められなければ、セレウはやがて王子の位を失うことになる。

 母親の違いも、碧眼がないことも、棠梨から見れば、なんということもない傷に思えるが、貴族たちからすれば、長いクシの栄光を穢すものだ。廃妃の孫も妾の孫も、次なる王として、認めがたいのである。

「愚かさは、変わらないのだね……」

「お父さん」

「クシの王族は男も女も、掟に因われすぎている。千古(おおむかし)においても、揺らぎがあったはずなのに、正しさを盾に変えようとしない。アモアンドラはだから、王というものに固執したんだろう。だけど、女王という位があれば、強い女王になったはずだ……」

 クシには存在しない女王を棠梨の言葉で言って、父親は黙り込んだ。

 アモアンドラというひとを知らなくても、性格の苛烈さは、容易に想像できた。彼女は碧眼の子を得るために、禁断の婚姻(セッカ)さえ(いと)わなかった。

 そこまでしても、兄弟や異母兄弟だけが次の王位を奪い合い、自身は、王妃(ボアエクトゥ)の血を引く王女(ナーネウ)より下に置かれた。

 恨みは、深かったに違いない。父親の片書(メモ)には、事実しか列挙されていなかったが、おそらく韶華の祖父が死ぬことになったのも、アモアンドラの策略である。

 先々代の(ボアナイ)の死後、次の王を決める際、多くの王族が病で一度に亡くなったが、アモアンドラの碧眼を思い出す者はいなかった。

 クシの王族、貴族にとって、王は第二妃(ウルゥエクトゥ)の血を引く息子のうち長男、王太子(ナーアガー)となれる者は、その弟、オクトワしかいなかったのである。

 実際には、長男には息子ムドゥールがいたが、幼すぎて貴族たちから反対されたのだ。(いま)だ病の流行は収まらず、幼子も儚くなる可能性が高いから、と。

 そうしてなぜか、オクトワではなく、その子のウルドゥルが王太子となった。

「揉めた理由は、いろいろある。ムドゥールが亡くなれば、先王に碧眼の息子は、いなくなる。そうなると、碧眼の息子ウルドゥルを持つ弟オクトワ様に、王位は移る……ならば、初めからウルドゥルを王太子にすれば良いという者たちが、多かったんだ」

 なぜならば、ウルドゥルはオクトワの正妃(バイエクトゥ)から生まれた碧眼の子。ムドゥールは、もし、廃妃(ブルエクトゥ)という無理矢理な言い訳がなければ、単なる(ウルゥエクトゥ)の子となるからだ。

「スゥグジェンは、私が覚えている頃には、後宮を出されていた。王妃がいるのだから、そこにいてはならなかったのだね。逆にそれで、外で貴族たちとつながりを持てたようだ……ウルドゥルを王太子(ナーアガー)にする決定に力を貸したのは、彼女だと言われているよ」

 正妃の座を奪った女の息子より、弟の子に、王太子の位を渡す方を選んだのである。

「アモアンドラは、スゥグジェンの怒りをよく理解していた。(ないがし)ろにされているのは、同じだから。だけど……ずっと(かえり)みられない王子ヌクトゥベを、後宮で守ったのは、アモアンドラの(はかりごと)の内だった。どこかからチャーグシャーンを連れてきて、ヌクトゥベの妃にさせた。やがて生まれるであろう碧眼の息子を……王にする打算(つもり)でいたんだよ」

「どこかから連れてきたって……」

「アモアンドラがチャーグシャーンを生んだのは、十六の頃らしい。父親が不明な子どもは、母親の権利をそのまま継ぐので、後宮で王女(ナーネウ)として隠されて育てられていた……とはいうが、誰も見たことがなかったようだ。ただ、母は」

 黙り込む父親を急かす者はいなかった。

 高貴なるアイシラクトゥの血を引くソイラクタの娘、イルガ王女は後宮で育っている。束縛から最も遠い高位にある娘が、隠された娘を見つけ出すのは、易しかったのだ。

「母は、その頃後宮にいた子のなかでは、最も年上でね……同い年のヌクトゥベとともに、悪童たちの照料(せわ)をしていたというよ。私が生まれてからは、プルフェの子どもたちも後宮に来て、みな、兄弟のように育った。オクトワの変が、起こされるまでは」

「プル……? プ……ああ、浦鹿飛(プールーフェイ)ッ! 分かるわけないって、そんなの。確か、もっと前の王の(ククウェ)の子どもたちだっけ」

「韶華……」

 紫石の戸惑う視線を受けて、韶華は慌てて口許を押さえた。

「ああ、話を止めたかったわけじゃなくて……お父さん、ごめん」

「いいんだよ……あれを書いてて、私も分からないだろうなあと思ってたし」

 寂しそうに微笑む痩せ女も、心のどこかで、伝えたくなくて奇妙な書き方をした自覚はあった。

 そして、言葉にしたくない話題を止められて、ほっとしていた。

 オクトワの変――貴族たちが使うその言葉さえ、認めようとは思わない。王太子ウルドゥルの父であるオクトワが、どうして王位のために謀反を企むというのか。

 オクトワには、敢えて王位を簒奪する必要などなかった。なのに疑いをかけられたのは、アモアンドラの一言によるものである。

 だが、架空の謀反であっても、ひとたび生じた疑いを収めるためには、誰かが犠牲にならねばならなかった。

 だから、シウンの父親が、友であったオクトワのために、ひとりで起こしたこととして、ありもしない罪を被ったのだ。

「ヌクトゥベがチャーグシャーンを妻とした時、ムドゥールやウルドゥルは祝福したが、私はできなかった。アモアンドラが、またなにかを企んでいると思った。だから私は、ムドゥールたちのことを声討(糾弾)したのは、彼女だと思っている」

(ほんとう)に……(ほんとうっ)に酷い女人でしたね老師(センセイ)()氏は!」

 いきなりさめざめと泣くジャイを見て、男たちは、どう反応して良いか分からなくなった。

 韶華にも分からない。湖氏とは、おそらく父親の書いた官能小説の人物なんだろうなと思うだけである。

 吃驚(どっきり)女体化小説が、真実を明かしていると信じるクシネーに驚きを隠せない、とは言ってはいけないのだろう。

「ええっと……公には、どんなふうに亡くなったか知られてないけど、お父さんたちのように、宮城にいたひとは事情を知ってたの?」

「彼らをなんの罪に問うたかは、知っているよ。知らなければ、王太子(ナーアガー)を殺すことなんかできない。ウルドゥルの死は、オクトワを死に追いやった。子を失って、生きていられなかったんだろうね……私はあのひとの代わりに父親を奪われたから、悲しみはしなかったけれど、今なら……分かるよ」

 はらはらと涙を落とす痩せ女が、おまえたちを失ったら生きて行けないと韶華を抱き締めた。ジャイも重明も、感極まったように目許を袖で押さえている。

「うん。分かったから。泣くのはいいから、話を続けて、話を。そのひとたちを死なせて、怖い王女さまは、なにをしたの」

「母を殺した」

「え?」

「アモアンドラは、スゥグジェンを取り込むために、ムドゥールの処刑だけでも公にしたかったらしい。ただ、ムドゥールは……獄中で亡くなった」

「嗚呼、彼は愛する者を失って、天の神(エジェン)に魂魄を奪うよう、頼んだむ!」

 静影がジャイの口許を押さえた。もう離さないから続けろ、と紫石の双眸が伝えていた。

「韶華、私はアモアンドラを知っている。己の預定通りに行かないことを、許しはしない……あれは、自身の手で下せる代わりの命を求めた。そして、最も憎んだのは、母だった」

「……同じ王女(ナーネウ)なのに、下に扱われていたから、だね」

「ああ……それから、後宮にスゥグジェンを呼び戻すためには、チャーグシャーン以外の王女は、いてもらっては困るということも、あっただろうね。私の老太母(祖母)がアイシラクトゥの領地に移ったあと、王妃(ボアエクトゥ)が亡くなり、王太子妃(ナーエクトゥ)に碧眼の子がいない後宮では、母が主となるから」

 公式に知られている王女イルガの死因は、病によるものである。毒殺を疑う者はいたが、アモアンドラの報復を恐れ、誰も異を唱えなかった。

 しかし、そこまでしても、アモアンドラの求めているものは、最後まで手に入らなかった。

 突然死したのである。

「病死とされたが、詳しくは知らない。あのひとが死ぬ前に、私は国を出たから。多半(たぶん)、多くの者が、行刺(あんさつ)首謀(はんにん)と疑われたはず。私などは、筆頭だったろうね。ただ、私は王族としての名を消されたあとだったから……それを行った者たちには、さぞかし遺憾であったろうよ」

 罪をなすりつけられる者がいなくて。

 呟く父親の枯れた美貌に、薄い侮蔑の笑みが浮かぶ。

 韶華はそれを怖いとは思わない。誰かの悪意は、ぎりぎりのところで父親の幸運に変わったのだ。

「アモアンドラっていうひとが亡くなって、最も利を得たのは、後宮に戻れた廃妃スゥグジェンだよね。確か、児女(むすめ)のなんとかっていう王女も、亡くなってるし」

うおむえ(それでも)おうえいい(王太子妃)いえあが(ギリアが)あうあんあー(主なんです)あーわ(正しくは)

「静影……」

 話させてあげて、との韶華の視線によって、静影はジャイから手を離した。

「公の場にでるのは、王太子妃(ナーエクトゥ)のギリア様だけですよ」

 はあ、とジャイはため息を吐いた。

「王位を継ぐ者が誰になるのかは、私たちクシネーにも、ずっと心事(なやみごと)でした。なにしろ、碧眼の父を持つ碧眼の王子の不在は、私たちだって知っていますから」

「クシネーとしては、王太子妃の孫が、選ばれると思ってる?」

「そうですね……フジュニ様……今の王太子(ナーアガー)様から引き継がれるなら、その孫であるセレウ王子にすべきだと考えます。クシの民に、(ククウェ)はいませんから……王族だって、妾も妾妃も、妻として認めるべきだと考える者は多いのです。しかし」

「当然、廃妃(ブルエクトゥ)なんて、いなかったことになるわけだよね? スゥグジェン様も、王妃(ボアエクトゥ)のままだと」

「ええ。ですから、ギリア様が、早くセレウ王子を孫と認めて、王太子の位を継げば良いと、多くの貴族たちは考えています」

「ここで開首(はじめ)の話に戻るけど」

 一瞬、首を傾げ、男たちは我に返った。

 そういえば、幼い少女を取り戻すために、クシの王を決めるという話をしていたのだ。

「あのね、お父さんの話を聞いていて分かるのは、王さまは碧眼だけで決まるものではなくて、後宮や貴族たちの後台(うしろだて)あってこそ。でも、ロホンとセレウのそれは、まさに(イーブン)。少しでも加強(ほきょう)するものがあれば、示さないといけないの。今のロホンにとって、それは瑠璃でしょう。静影、お父さんを押さえていて」

「え、ああ?」

「まずは、瑠璃がここに居ることを、明らかにさせるの」

「それなら、私だって考えたぞ?」

 言い切る韶華に、重明が(いぶか)しむ声を投げかけた。

「いない者を取り返すことはできない。誰それがいると、クシに言わせなければ、そもそも始められもしない。ただ、クシとてかの愛らしき幼女が稀少なる天の宝玉にも優る重要な人物であると分かっている。明らかにする法子(ほうほう)……を考えなければならないぞ」

「そこは王先生の順口(でまかせ)の才能に、頼ることになるかなあ。(かどわ)かした罪があるから、わたしたちには見せたくないだろうけど、瑠璃は、アモアンドラ王女の児女(むすめ)のように、隠したままでは意思(いみ)がないんだよ。いずれクシの貴族に知らしめなくてはいけない。ならば、今、そうせざるを得ないようにしてやればいい。瑠璃を妻に迎える男こそ、王になれるって思わせれば」

 嗚呼いやだ瑠璃はやらない韶華そんな酷い瑠璃瑠璃と喚く痩せ女を、静影は黙って押さえ込んだ。

「すまぬが、そこの太父(ちちぎみ)と同じ心境だぞ、私は。華英にして妖冶(ようや)なる棠梨の宝貝(たからもの)というべき幼子を、たかが北の国の王を決めるための工具(どうぐ)にされるのは、受け入れがたい!」

「あのね、瑠璃を条件でしかみない男になんか、やるわけないでしょ。思わせるだけでいいんだってば。王先生は謁見の場で、クシの王妃(ボアエクトゥ)さまという存在の貴さを讃え、今、王妃さまがいらっしゃらないのを嘆いてみせて」

 重明の目が、きらりと輝いた。韶華の言いたいことを理解したらしい。彼も頭は悪くないのである。迷于香(香フェチ)が全てを精算(チャラに)しているだけで。

「そうか、次の王となるかは分からないにせよ、王太子の妃には、香を届けた! ならば、その次における王妃となるべき幼女にも、精彩なる(すばらしき)香をお届けしたいものだと抱怨し(ごね)てみれば良いのだ!」

「幼女とか言わないで。抱怨(ゴネる)まではしなくていいし。でもまあ、そういうこと。それで瑠璃を自尊(じまん)げに連れてきたら、うちの子を迎えに来ました、で取り戻すから」

「よく分かった! しばし待て! そう……天地を治めし神にも似た甘美なる香をまとう幼き少女には、未完成な香ではなく、我らが尽心をもって配方(しょほう)する究極の香を渡すべきなのだ! 嗚呼必ずや当前(めのまえ)に顕現させるべく、クシを操ろう!」

 香試に任せきりは不安になるが、香に関する情熱だけは信じても良い。

 信じるしかない、という事実には(ふた)をして、韶華はその時を待つことにした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ