表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/117

必然冷待、偶然遇上

「ねえ、クシの王さまとは、会えなかったって、聞いたけど」

 図片をひらひらさせた韶華(ショウカ)は、香試(調香師)たちの控える客間に入った瞬間、一斉に浮かない顔を向けられた。

 これは不妙(ヤバい)と思う間もなく、王重明(オウ・チョウメイ)はわざとらしく顎を上げ、固い笑いを浮かべた。

「愚か者。棠梨(トウリ)一人(天子)からの使者であろうと、当面(じか)に一国の主に(まみ)えるのは、軽易に為せるものではない。謁見は、我らが坏心(あくい)を持たずして来たことを、清楚に(はっきり)させてからだ」

 それが政治と言われると、まあそんな気にもなる。

 ただし、静影(セイエイ)紫石の(するどい)双眸が曇る様からすると、では、どうやって清楚(クリーン)にするのだ、と問うのは控えなければならないようだ。

「まあ、我々も王の臨席しない理由は、理解しているのだ。だがッ」

「だが?」

「香だけ寄越せと言うのが、気にいらぬッ」

 韶華が驚きを口にする前に、口訳(つうやく)として同行したジャイが、解説を加えた。

「棠梨の使者さまが思う以上に、香が喜ばれたんですよ」

 静影も割って入った。

「おまえの説法(いいかた)下拙(へた)すぎるぞ、重明。口舌(ごかい)するだろう。向こうは、香を寄越せと言ったわけじゃない。妃たちが香を欲しがるだろうと言ったんだ」

「うむ。王太子(ナーアガー)のなんとかがな」

「そこは正しく覚えろ」

 王族の名を覚え損なったのは、重明も分かっているようで、静影から視線を逸した。そして、にやにや笑う韶華と目が合う。

「なんだ?」

王太子(ナーアガー)、フジュニ」

「わ……分かっているッ。覚えてるだけで、自尊(じまん)するなッ! それに、おまえには過ぎたる任が、課せられることになったぞ」

「任って……困ったな。わたしでないと、不成(だめ)ですか?」

「うむ。我らも性別を偽るわけには、いかないのでな」

「性別……?」

 香。妃たち。性別によって、韶華にだけ課せられること。

 ばらまかれた言葉が、ひとつにつながり、韶華は理解した。

「もしかして、後宮に……香試として香を届けろってこと?」

 ジャイと静影が、大きく頷いた。

 北の国、クシにおいて香を最も重んずる者は、王より妃であった。

 もっと正確に言えば、夫より妻である。

 複数の妻を持つことができるクシでは、どうしても女たちは夫の寵を競うことになる。

 そして夜の長い冬を過ごすゆえに、クシの民は直に感覚に訴えるものを好んだ。

 たとえば柔らかな羽枕、暖かな毛毯(もうふ)、甘い食事に誘惑の香――

 このうち、クシで最も手に入れ難いのは香である。やはり香料の豊さは、南方に優るものはない。

 だからクシの女たちは、ひとりの男を(とりこ)にするために、香を得ようとする。後宮であれば、なおさら強く欲しがるだろう。

「後宮に入れる……」

 セレウによれば、攫われた瑠璃(ルリ)は王にもなれる価値がある少女なので、後宮に隠される可能性は高いという。

 クシの後宮は、棠梨と違って男子禁制に徹しているわけではないが、それでも、他国の者が容易に入れる場ではない。

 棠梨の皇帝がクシの使節の返礼として香を選んだのは、自身が好むものというだけでなく、奥まった場に()まい、表に出てこないクシの女たちに、韶華が会う口実を与えるためだったのかもしれない。

(まあ……それは良く考えすぎかな……)

 黙った韶華に、説明したくなさそうな顏で、重明は告げた。

「来てみて分かったが、クシでは、香試というものが珍しいようだな。王太子に、どのような(しごと)であるかを尋ねられた。それを解説しているうちに、棠梨の香試には女人もいるという話になった」

 重明は、おまえは仮の副手(アシスタント)でしかないがな、と小さく付け加えた。

「それを聞いて……女人が配方(ちょうごう)した香なら、妃が喜ぶだろうとかなんとか、王太子だけでなく、相公(だいじん)らしき者たちも言い出したのだ。なにやら、おまえの香だけ要求されている気がしたので、連れて来ているのは、副手だと申し上げた。だがもし、妃たちが可心し(気にいっ)たなら、王の謁見を勧めるだろうと(ほの)めかされてな……」

「あれは、クシの説法(いいかた)でも、わりと清楚に(はっきりと)要求していましたよ」

 ジャイが説明を添える。

 ただ、クシの習俗からすると、男たちが、女の意見で行動を変えるようには思えない。妃によほど政治力があるのか、王が頼りきりなのか。

 韶華の考えを読んだかのように、静影が首を傾げた。

「ジャイ。妃たちを通し、(ボアナイ)になにかを求めるのは、平素(いつも)のことなのか?」

直率(しょうじき)に言えば、否です。ですが、ああもあからさまに言うのであれば、すでに決まっていたことかもしれません」

「ええ……だって、わたしが居るなんて知らなかったわけでしょう。まさか後宮に男を入れて、不義だあー斬首(ざく)ッ、ということは……」

「ないです、ないですよ、いくらなんでもっ。そういう借口(こうじつ)なら、後宮を使わなくても、できるじゃないですかっ」

 それも嫌な話である。回廊を行く女官(じょかん)に話しかけたら、斬首(ざくっ)。女官と目が合ったら、斬首(ざくっ)。とても怖い。

 暗い顏をする香試たちをよそに、静影は眉をひそめた。

「韶華に係わる謀略ではないのか? セレウ王子が、知らせていたかもしれないだろう。後宮とはいえ、韶華ひとりだけを送り込むのは……」

(ジョ)将軍。たとえ貴公(あなた)が同伴できずとも、私が行きますよ。口訳(つうやく)として」

不要担心(しんぱいないよ)。後宮なんて、どこもそう変わらないって……ところで立即(さっそく)、行くべきなの?」

「急ぐべきだろう。行かねば、謁見がないのだからな。香なら、私の準備したものを持って行け」

 重明は(はこ)の鍵を取り出した。

「それは……クシの王さまに贈るものではないの? 香料を使っていいなら、わたしが配方(ちょうごう)するけど」

 香のこととなると、迷于香(香オタク)たちは息を吹き返すらしい。さっと円陣を作り、中央に立つ重明に向けて袖を震わせた。

副手(アシスタント)が作るまでもない! 王香試を侮るなかれ!」

「予め準備した香は、百。順路で(来るまでに)集めた材で試作した香は、五十。これをもって、我らは香之最(さいこうのかおり)を作り上げるのだ!」

「ああ、そう……」

 介士(へいし)たちをどれだけ困らせたのかが、よく分かる。五十も試作できるほど、香材を集めていたとは。

 香之最、香之最と叫び、拳を振る香試たちを残してゆくのは不安だが、女にしかできないことなら、仕方ない。

 韶華は図片を静影に押し付け、香を取りに行った。


***



 韶華とジャイが後宮に向かうと、残された香試たちは、ふたつに分かれた。より正確に言えば、香の配方(ちょうごう)に従事する者たちと、香料を求める王重明である。

 この場に静影が居たなら、そうはならなかったかもしれない。

 だが、武人は己の部下の元に行っていた。武人として使節を守るために、することがあったのだ。

 韶華から渡されたのは、軍事機密ともいえるクシの宮城図。後宮はこれから詳細が書き込まれることになるが、逃路などの確認には充分だった。

 知らぬ者たちの支配する場を、知らぬままうろつく者がいるとは思えない。静影は、香試たちは部屋に閉じこもり、香をつくるのに熱中するものだと思い込んでしまったのである。

 足取りも軽く、フレイ城を行く重明に気づいたのは、彼の見張り役を兼ねた侍童の幼い少年たちだった。

「待って、景景(ケイケイ)……消えちゃったよ、あのひと。どこ行ったの」

 あと少し、というところで見失い、永児(エイジ)は傍らの友へと視線を移した。

 景景は答えず、難しい顏をしたまま、回廊の先を見つめていた。

不妙(ヤバ)……あの迷于香(香オタク)どころじゃないかも……」

「どういうこと?」

「ここがどこか……分からない……」

「えっ?」

 永児は急いで辺りを見回し、ひとのいないことを確かめた。

 たとえ子どもであっても、他国の宮殿の中をうろついていれば、咎められることくらい分かる。見つからないうちに、分かるところまで戻らなければならない。

 ただ、いつも平然としている悪童は、永児が思うより困った目をしていた。

不妙(マズい)な……外かと思って、下りて来たけど、違うのかも……ここの樓道(ろうか)、匂いがしないし」

「景景……まさか、鼻で探してるのっ?」

「ち、違うって! でもあれ……香試だけあって、珍しい匂いがしてるじゃん」

 言って景景は沈黙した。永児もまた、口を閉じた。

 クシの宮殿は、棠梨とは異なる空気で満たされている。その中で、少しでも()い香り、知った香りというものを辿(たご)るのが、最も手早い探索法であることは、間違いない。

 それではまるで(いぬ)、とは、言ってはいけない。

「まあ……狗だっていいか。探せるなら……」

「……だね」

 少年たちは、さっと視線を交わし、頷き合った。

 ここで言う探すは、香試を指しているのではない。彼らが罪を覚悟してまで、ついてきた理由、大事な幼い少女を見つけ出すことである。

「オレたちが見つけたら、韶姉(ショウねえ)だって、褒めてくれるよな」

「見つけるだけじゃないよ、取り戻すんだから!」

 自分たちの位置さえ分からずにいて、取り戻すもなにもないのだが、少年たちは本気だった。

 しかし心意気だけで進むのは、あまり上策とはいえない。行き止まりまで来て、揉めることになった。

「上に行こうよ。攫われた公主(おひめさま)っていうのは、塔の上にいるものらしいし」

「もっと下を見てからでいいだろ。隠したければ、地下にある牢に閉じ込めるものだし……瑠璃(ルリ)にそんなひどいことしてるって、思いたくないけど」

 口論は小さな声で為されていた。が、クシの宮殿に存在しない少年たちの声は、よく響いた。

 重い金具の擦れる足音は、すぐにふたりの元に来た。

「何者かッ」

 槍を突き付けられ、景景は番兵を睨みつつ、永児を背に庇った。

「生意気な。おまえら、どうやって入り込んだ」

 兵の槍が軽く上がる。叩かれる、と景景は身を固くした。

「止めなさい。その子ども(プリル)は、棠梨の者だ」

「こ、これはアーシムジィ・キアシム……」

 大きな兵の背後から、すらりとした影が現れた。即座に兵が姿勢を正したのだから、かなりの高位にある者だ。

(おど)かさないでやりなさい。彼らも、初めての城に迷ったのだろう。務めを果たすのは良いが、傷つければ、おまえたちが罪に問われよう」

「では……」

「私が西回廊まで連れて行こう。さあ……」

 なにを言われているのか、全く分からないものの、男の口気(くちょう)は優しい。

 差し伸べられた手に応じて、近づいたふたりが明るさの中で見たのは、声と同じく、身のこなしも優美な、壮年の男だった。

 白いものの混じった金色の長髪を緩く、ひとつに編み、クシの国に入ってからよく見る長衣に、袖のない韋巾(なめしがわ)の短衣を重ねている。

 そこここに居た民と少し違うのは、衣装の豪華さだろうか。長衣には金糸の刺繍が入っており、韋巾にも、さまざまな紋様が刻まれている。

 柔らかな女性的な容貌は、()家の父親を思わせた。あるいは、男の開かない目が薄い灰色をしていれば、似ていると言い切れたのかもしれない。

「もしかして令令(おじさん)の目は……見えないの?」

「景景ッ! 第一(まず)は、お礼だよっ。なんて言うんだっけ……」

 焦る子どもらは、クシの言葉を思い出すのに失敗した。

 代わりに男が微笑み、言葉を変えた。

「少しだけ……棠梨の(ことば)は知っているよ。(わたし)の目は見えないが、ここに慣れているから向導(あんない)はできる。ついておいで」

謝謝(ありがとう)……」

「クシの宮殿に侍童(ボーイ)はいないんだ。だから、声だけで……客と分かる。不久前(すこしまえ)に、瑠璃と言っていたのも、きみたちかな」

「令令、瑠璃を知……」

「そうです。香だけでなく、宝玉も贈れば良かったのに、って思ったので」

 永児は景景を遮り、肘で小突いた。瑠璃を(かどわ)かしたのはクシである。その国の男に瑠璃について尋ねるのは、あまりにも危険だと教えたつもりだった。

 小突き返されたので、景景は分かってくれなかったらしい。

「痛ッ、もう……」

 男の目が見えないのをいいことに、少年たちの小突き合いが始まる。推して小突いて手甲や背に字を書いてみる。なにが言いたいのか、分からなくて怒る。

 背後で繰り返される気配は、目が見えなくても内容が明らかで、男は忍び笑いを洩らした。

 笑われてるぞ、露見し(ばれ)てないか。そんなはずは。いやそうかも静かにしよう。

 そういったやり取りの後、少年たちが急いで足並みを揃えるのも、男には楽しく感じ取れた。

 内門のひとつを抜け、西回廊の下まで来て、男は立ち止まった。

 だが景景には、男より僅かに早く、止まる理由が見えた。

「どうしたの、景景」

 永児の問いに、友が黙って遠くを指し示す。彼方で手を振る人影があった。

「知らないひとだよ……?」

「オレたちに、じゃないよ」

 景景に分かっていることが分からず、永児は首を傾げた。

 男の知り合いならば、目の見えないことくらい、知っているはず。手を振って、どうしようというのか。

「きみたちには、なにが見える?」

「手を振るひとたち……」

 男の問いに、景景が答えた。

「ああ、ひとりじゃない……? どんなひとだろうか?」

令令(おじさん)より長輩(としうえ)に思える。どっちも武人かなあ……銀色の髪の身高(せたけ)のあるひとと、褐色っぽいの髪で壮実な(がっしり)……」

「あっちの大きい武人って……痩せ女を矯健に(たくましく)した感じだねえ?」

「そうかあ? 似てるの灰色っぽい髪だけじゃん。長くもないし。武人のが、もっと帥気(かっこいい)だろ」

「そうだけど」

 痩せ女、と男が困ったように呟いた。

 クシに伝わる妖怪ではないので、分からなくて当然である。言葉通りに、痩せた女性と解釈すると、棠梨では女性が矯健に(たくましく)なれば、武人も()くやという姿になるのかと誤解しそうである。

「あ、痩せ女ってね、瑠璃の太君(お父さん)

「父……女」

 永児の解説では、混乱が増すだけになった。

「なんだかさあ……あのひとたち、令令(おじさん)を呼んでるんじゃないかなあ。手を振ってみたら?」

 永児が止めるより先、景景は男の手を取り、振り返した。予想は当たり、嬉しそうに男たちが大きく手招く。

 景景がそれを伝えるために振り仰ぐと、男はすでに微笑んでいた。目で見なくとも、彼らが持つ懐かしさは、感じられるらしい。

向導(あんない)は……いらないかな。オレたちより、詳しいもんな」

「きみたちの労心(きづかい)には、感謝するよ。でも、早く戻らないと、使者人士(使いの方々)担心(しんぱい)するだろうね」

 言われて少年たちは、はっとした。自分たちがしたのは、瑠璃を探すことでも、重明を見つけ出すことでもなく、ただ迷っていただけ。

 戻らなければという焦りとは裏腹に、少年たちは歩き出す男が、待つひとの元に辿りつくまで、見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ