真的後果之二
愛らしい花兄が深切に麻紐を結ぶ。
その内には、薬包紙にくるまれた『香』が入っている。
后妃を賭けて納める品としては、粗劣に見えるかもしれない。だが、今の杜家としてできる限り飾り立てたつもりである。
香は言うまでもなく韶華の手によるもので、葛布で作られた幃を美しく見せるために、母親が香青蘭の花紋を刺繍した。紐は父親の書帙から引き剥し、今、季児の瑠璃が蝶の形に結んでいる。
「できたよ、韶姉!」
「じゃあ……行ってくる」
韶華は瑠璃の頭を撫でてから、香幃をそっと持ち上げた。
とても軽い。けれど、重い。
顔をこわばらせた韶華へ、柱のそばで子への情以下略な痩せ女ふうの父親が、唇に一束の髪を噛んでささやいた。
「面試に……行ってしまうんだね……韶華……」
「受けるのは蕣姉だから。わたしは届けに行くだけ、だから」
とは言ったものの、韶華にも詳しくは分からない。朱蕣が面試に進むので、府上より杜家に「期日に香を納めよ」という知らせが届いた。だから行く、それだけなのだ。
「すぐ帰されると思うけど……とりあえず宮城の南、芙容門に香幃を持って行けってことだし。ま、そこからは向背に任せるしかないね」
「韶華! 間に合ったわ!」
老早から出かけていた母親が、白屋の片引き戸を両開きにしかねない勢いで入ってきた。
「やっぱりだわ、韶華。北宮に上がるかもしれないんだから、着飾らなくちゃ」
「北宮はないでしょ。後宮のあるところだよ? 使いは女にしろとは言われなかったじゃない」
「そういうことじゃないの! 宮城なのよ、盛装しないでどうするの」
「でも……持ってないものでは、飾れないと思うよ?」
どうせ似合わないし、と続けようとした韶華の腕を瑠璃が引く。そして卓上に置かれた、あからさまに怪しい主張をしている包みを指さした。
父母の目光を受けて韶華は、まあ驚嘆だわ、という顔をしてみせた。姉のお寒い偽装に喜び、胸を張る妹が愛らしい。
「ね! 着てみて、韶姉! お店で売ってるような裙袍は買えないから、お母さんが帛から仕立てたの。ずっとこっそり作ってたんだよ! 帯だとか沓は、お父さんがかんのうぐうぐ」
「瑠璃、それは言わなくて良いから!」
「とにかく着て? いつも脛衣が楽だからって言うけれど、やっぱり小児扱いされるでしょう。わたしもね、桃夭らしく裳裾をひらめかせる韶華を、ひとに見せたいなあって思っていたの」
「お母さん……」
淑英はさっと包みをほどき、淡紅の裙を韶華の身躯に当てた。澄んだ濃淡の清らかさは、杜家どころか西街界隈でも見ないほどである。
「これ……帛だけだったとしても、高かったんじゃないの?」
「ええ、そうね。估買を聞いたらびっくりすると思うわ。でもほら、みんなに頂いた香木を売って、服飾費に充てたから!」
「なにいっ! どうも香木が足りないと思ったら!」
「え……足りなかったの?」
否、作るには足りている。ただ、減りが早すぎると感じていた。作房に入ることを家族に禁じてはいないが、ずっと居座っていたはずの韶華に気づかせずに取るとは、打手侮りがたし。
しかし、いつの間にやら売り払われていたとしても、ぎゅっと小児のように眉を下げる母親をそれ以上怒ることができようか。全ては韶華のためである。
「ごめんなさい……だってね、重重と候補から脱落して、香木が不要となった家が出てきたじゃない? それでまた香木が市に出回り始めて、一気に估買が暴落したの。その前に売り抜けしなくちゃって……」
「うん、まあ廃挙ね……廃挙ってやつだよね。分かってる」
安く買って、高い時に売る。でもそれ善意のもらいものなんですけど、という点を伏せておけば、能干であるといえる。
韶華は大息ひとつで、母親の暴挙を愛とみなすことにした。
「さあ、韶華、急がないと。張夫人から髪油を分けていただいたから、髪も結い直すわよ」
「髪飾りは瑠璃が作ったよ! 笄に綵花をつけてね、可愛いよ。でも環銭とか刀銭の飾りは不妙よって、魯太太が。晴れてて良かった。紙だから雨だと困るもん」
「うんまあ紙銭は困るね……」
それは葬礼のための銭である。
「わたしのために、みんな……ありがとう」
「感謝などいらないよ。でも、これで全てだとは思わないでおくれ。韶華にはいろいろと自制させているから、もっとしてあげたいことがあるんだよ」
「お父さん……」
目を潤ませた韶華を、痩せ女全略とよく言われる父親が手を広げ、抱き締めた。
「朱蕣が嫁いでしまったら、次はおまえかと思うと……天を呪うのも捗るよ!」
「停!」
そして韶華は、宮城の南門に向かった。
***
実を言えば黄道橋を渡り、皇城の閣門を過ぎたあたりから、韶華は嫌な預感がしていた。
風聞では、考試の候補も今や百を切るかどうかと言われている。ところが宮城に向かっているのは、それ以上。端門を過ぎて宮城内に入ったあとも、使者と思しき者たちが、列を為しているのである。
使者と随従、さらに守侯。これをひとつと数えても、百は越えてしまうだろう。使丁の捧げ持つ匣だけ見ると、確かに少なくなるのだが、韶華のように口袋に突っ込んでいる者だって、いるかもしれない。
「候補って、あんまり絞られてないのかな」
首を傾げつつ、韶華はひとの並びの後ろについた。
ここまで来れば、悩んでも無法。香を届けなければならない。秘伝の通りであれば、天地あらゆる生者を虜にする香である。
列が動かない代わりに、官方がやってきて「百八」と告げる。陰にいたもうひとり男が『百八』の符節を差し出した。
「あれえ、香具師だ」
「香試だ! その字は止めろ!」
間違ってないでしょうと呟く韶華に、王重明は厭そうに符節を渡した。
「このまま進み、芙容門の辺門から入れ。そこで監門校尉が報数と言うから、数を答えろ。貴賓が可行と認めたら、小給使が匣を出す。それに符と香を入れて、太監について行け。面試が始まるまで、御苑で待っていてもらうからな」
「もう面試になるの? 届けるだけだと思ってたのに、今天?」
「東西に百年はないのだ。というか……面試より先に、我ら香試が拝謁の候補を決めるはずだったのだが……一人が」
重明のごにょごにょと言を濁す姿に憐れみを覚え、敢えて韶華は訊かないことにした。官人であれば、皇上の横逸を放過せざるを得ないこともあるのだろう。
(それに、貴賓かあ……もう候補っていうだけじゃ、ないんだ)
着飾ってきて良かったと少しだけ思う。宮城に入るどころか、面試に臨席することになるとは驚きである。帖子になにかを書き込んでいる重明も府上で見た時とは異なり、正装をしていた、
「ふ……そうしていると、少しは見られるな。不細工も細工するものだなッ」
「その面に呪いを施そうかな。ああでも、静影に掴まれた耳は許してあげる!」
「止めろよせ仗! 仗!」
いきなり筆を奪おうとする韶華から逃げ、重明が一丈先で振り返る。頬に墨の長い斜が入って無頼のようだ。
しかし兵はふたりを止めず、門に行けと槍を振った。芙容門での騒ぎに気を取られていたのだ。
「え……なにあれ」
「五ですか、五! はい第五号、第五号通って! 第十七号入りました! こちらにどうぞ! 十二は……第十二号は不行! なんで来たんですか、貴男」
騒ぎは拍売によく似ていた。というより、そのものに思える。監門校尉に尋ねるといった条理は、ほとんど守られていなかった。
韶華も負けじと符を掲げ、
「百八! 第百八号、来了!」
すぐに招来を得た。辺門の小窓から女たちがのぞいており、使者を確かめているようだ。
つるりとした面貌の太監に付き添われ、韶華は宮城内を進んだ。
宮城は沙棠宮と呼ばれ、内にいくつもの宮殿を配している。政道を為す正殿などは芙容門からも見えたが、住むところとしての宮殿は奥まって見えない。
太監は東に向かって進み、韶華は賓客を迎えるための宮殿に連れて行かれるのだと分かった。西は皇后と皇帝の住む宮があるところなので、庶人が行けるはずもないのだが。
重明が御苑と呼んだ場は、東の突き当たりにある宮殿の北にあった。頑強な岩壁に阻まれているが、これより北は後宮である。
客のためにあるとはいえ、槐が植えられた、どちらかというと地味な苑だった。南に三段の壇が準備され、おそらくそこに姉たち、候補が座す。対して北、玉帳に囲まれているのは皇帝の席だろう。
広坐は香を届けた者のために置かれているようだ。草席の作りでも、西にあるので香合の師という扱いなのかもしれない。
しかし、韶華と同じようにそぞろ歩きをしているひとを見た限り、来ているのは管家が多かった。数えてみれば風聞通り、残された候補は百に満たないように思われた。
渡すべき候補もいないのに香を持ってきた者がいたが、あれは皇帝が香好きと聞いての討好のつもりか、納賄だったのだろう。
やがてひとりの文官がやってきた。
「刻限となりました。どうぞ、広坐に」
待つひとびとの顔色が、さっと変わった。




