真的後果之一
考試が如何なるもので、如何にして進むのか。それは宮城に入った当人にしか、分からないことである。
不久、驚きだけが明らかになった。期日がきて宮城に出向き、さてどうなるかと待っていた家族の許に、次の日には戻ってきた女たちがいたのだ。
一日で戻されてきた女たちは、目許の涙を金蘭の袖で拭い取り、ひとびとの問いになんと難しい考試だったのでしょう、とだけ答えた。
つまるところ誰もなにも言っていないのだが、都城においてはそれで充分に興趣をそそられたわけである。
そして郁李が言い表した通り、納女考試に落ちた女たちは、途中を過ぎるごとに嘉称を増した。皇帝に選ばれなかったとしても、それぞれ求婚者が列を為しているという。
韶華は戻ってこない長姉を誇りに思い、また、早く会いたいとも思っていた。
「そこにあるのは以前に作った香の試作品。可心なら、持って帰る?」
「よく分からんな……」
初めて足を踏み入れた韶華の作房で、静影は硝子の壺を怪しむ顔で覗き込み、映る姿の歪みに眉をひそめた。
「香といえば香だが、煤斗に頭を突っ込んだみたいな匂いだな……器具にしても、古怪なものばかりある」
「その器具は、瑠璃のための薬を配方するやつ。あ、来てくれてありがとう。座って。ここにいるって誰に訊いたの」
「家に行って、痩せ……尊君に伺った。妹はかなり回復したようだな」
「うん! でもまだお父さんが外に出さないから、瑠璃は少し心情不在。わたしもここに居座りっぱなしで、遊んでやれないし」
「そろそろ面試が始まるらしいな」
そうだね、と漠然を装いながら韶華は茶壺を持ってきた。
卓子の上には小さな皿が並び、試香紙を添える。秘方は記得されているから、使わないと判じた香料はすでに退けられていた。必要なものは揃っており、あとは作るだけ――なのだが。
鍋から茶壺に湯を注ぎ、さらに鼎に置く。剛介な做法かもしれないが、思いきり煎じるが良しと芳香要術には書かれていた。
熱しすぎたかと思うあたりで、韶華は静影に茶碗を差し出した。
「どうぞ。桂油と土茴香、それから生姜を発酵させた黒茶で作りました」
「ありがたくもらうよ。良い香りだ……もしかしてこれは、古書市で買ったものにある配方か?」
「そうだよ。あれってさ、香を作るひとには命脈みたいな書籍なの。食についてはまあ……うん……試しにね。お腹に効くとかそういう」
目を逸す韶華に不穏なものを感じる。だからといって拒むという情由にはならないので、静影は黙って呑み込んだ。
しかし喉を潤す芳しさに偽りはない。思わず感嘆の声が出た。
「え。そんなにすごい? 真的で? 可口? あのね、芳香要術って幻の秘伝なん
だけども、それは著者が真訣の章だけ分けて、秘籍にしちゃったのが原由なのね。しかも盗み出されて、下落不明になって……そんなのが一銭で買えたんだよ、すごいよね! そういえば、あの時ついでに買った冊子は面白かった?」
「あれのことは忘れろ」
静影の言い放つ冷たさは、韶華には伝わらない。少女は秘籍への賛美を語りながら、くるくると嬉しそうに回っていた。
それが静まるのを待って、静影は改めて韶華に尋ねた。
「進みはどうなんだ」
「うん……螢惑が使えるのは一次だけだから、全て整えておかないといけないのが怖いだけ。まあ、螢惑の葉について言うと、珍しいだけで、秘することではないんだよね。あれが薬になるのは、ほかの医術書にも出てるし。大概、ふたつ使えとあるけどさ。ひとつで構わないのは、芳香要術だけかな」
「ふたつ?」
「薬にするならってこと。香りについては……千古の秘方、明らかにす。以下なる材、煮しめたる螢惑の赭葉を得て香り究極たらん。しかして詳細を述べるには余白足らざるべし」
「待て、それが真訣か? 説明責任を放棄してないか? それで秘伝と言うつもりか? 俺にだって書けるぞ、それくらい!」
「よねー? そんなだから試すのに気をつかう……ん?」
ぺし、と卓子を叩く音に韶華が振り返ると、静影の紫石が怒ったように横を向いた。卓子の上、見間違いようもない赤い葉がひとつ、置かれている。
「これは……」
「お前にやる。これでやり直しができ……」
「また毟ってきたの! 弱い木なのに、ひどい!」
「またじゃない、あの時だ! それに陰のを取った! なんか盗人に怒られた!」
「うん、ごめん嘘です……初めから、もうひとつ……取ってくれるつもりだったんだね」
韶華はそっと葉をつまみ、守るように手の平で包み込んだ。
その時なぜか静影には、少女の手の柔らかさというものが、全てを優しく許すためにあるように思えた。
それは許してもらいたい、という思いが静影にあったからかもしれない。少女が渡された葉をしまい、よれたほうの螢惑を鍋に入れるのを見て、少しだけ許された気がした。
「韶華」
「な、なにっ?」
いきなり頭を下げる静影に、韶華は茶碗を取り落としそうになった。
「おまえに謝ることがある。あの時、俺は……妹のために葉を使おうとしないおまえを、ひどいと思ったんだ。姉を后妃にしたいから、ためらっているのか、死ぬかもしれない妹より、姉を取るのかと。でもおまえには分かっていたんだな。薬にするには煎じなくてはならず、そもそも、ふたつなければ使えないことを。なにかしたくても、できなかったんだ。そうと知らずにおまえを責めた。悪かった、許してくれ」
韶華は少しばかり迷ったあと、牀子に山と盛られた芸草を退け、静影の隣に座った。
「謝ってくれるんだね。言ったわけでもないのに。黙っていれば、分からなかったのに」
頭を下げているから紫石の双眸は見えないと思っていたが、逆に少し視線を上げるだけで近くなる。韶華はそっと静影の顔を前に向けさせた。
「静影はひどくないよ。あの一瞬、わたしが瑠璃を諦めかけたのは、嘘ではないから……だから、わたしをひどいと思うのは間違いじゃない。わたしはもう……瑠璃を亡くしてしまう日を怖がらなくて良いんだって……思って」
「韶華、泣くな」
「泣いてなんかない」
「嘘だ。瑠璃が悪童の欺負を訴えた時と、同じ声じゃないか」
泣きそうになるのを見せないために顔を上げさせたのに、声で分かってしまうのなら、しなければ良かった。韶華は口許だけで笑ってみせた。
「その細やかさをもっと使えば良いのに。膠固とか狷介とか言われて、振られることもなくなるよ」
「振ら……だからなんでそんなこと」
「い、いえいえなにか言いましたか? 気のせいでありましょう?」
怪しむ紫石から逃れるために、韶華は鍋をかき混ぜた。
葉はゆるやかに広がり、端を溶かし始めている。いずれ全てが崩れ、赤くなった湯が煮詰まれば、飴のようなものができあがる。
「これをね、沈香と混ぜるつもりなんだけど……弄月大人が皇帝って、未だ信じられないんだけど。お姉ちゃん、あれでいいのかねえ」
「信じてもらえないだろうことは……よく分かるよ……」
暗い口気が、静影にとっての弄月がどんな人物であるのかを示した。しかし武人とはいえ、主君をアレ呼ばわりに、見ればああと思うなど、よくぞ言ったものである。
「だって、あんな不見識で馬馬虎虎で、お姉ちゃんの管教に耐えられると思う?」
「おまえも尖刻よな」
「それに、もし面試にお姉ちゃんがいなかったら、どうするのかな」
「考試には落ちないんだろう?」
「そうじゃなくて、中途でやっぱりアレの妃は止めたーで、帰って来ちゃったら」
さあてと面試に向かい、皇帝があれという顔をしている図。
同じものをふたりは思い浮かべ、可憐さが漂った。そんな冷たいこと言うなよ、とだけ静影は呟いた。
「ところでだな、韶華。おまえ、隠してることがあるだろう。不時、俺のことでなにかを仄めかすし、俺の字も見ていないはずなのに、知っているような言をとる。なぜだ?」
「そうですかあ? そんなことはないと思うなあ」
慌てて牀子から立ち上がる韶華を、静影は逃すかとばかりに腕を掴む。
「かなり怪しいぞ、おまえ……まさか」
「ないない知らないあああ危ない鍋が沸騰して……え?」
「あ……?」
話を逸したい者と、質す者。利害は一致していなかったものの、ふたりは思わず顔を見合わせた。
そして視線は一点へと収束する。全てを凌駕するもの――それが鼎の上、鍋の中に、あったのである。