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納女敷求之二


     棠梨(トウリ)万世(たみ)に告げる。一国の帝は豊かなる地を治め、

     泰平なる世を現すも、妃、なくして空閨は長きに渡る。

     すでに正統に足る丕子(よつぎ)はありて、次代に及ぼすことなし。

     されど、后を立てんとする臣の用意(ねらい)は甚だし。皇宮に

     門閥の威を争うを憂う。

     よってここに納女を敷求(ふきゅう)し、考試日期を巷間に知らしめる――



 後宮にたったひとり、考試で選ばれた后妃が坐す。

 それは棠梨国の長き歴史から見ても、考えられないことである。

 しかし皇后を亡くしたのち、後宮にひとりも后妃を置かないというのは、さらに有り得ないことであった。

「まあそれが、皇上(おかみ)がいかに元妃(初妻)を……徐小君(ジョ・ショウクン)を愛していたかって証拠だわなあ。後妃になるのも、善し悪しじゃないかね」

「でも結婚する気になったんだから、振り切れたってことじゃないの? それともなにか隠し事がある?」

 韶華(ショウカ)は書き散らした原稿(したがき)に朱筆を入れるのを諦め、古い書籍をめくる白髪の老爺を眺めた。

 老いているのは間違いないが、齢も定かでないこの男について、韶華が知るのは(ハク)姓で呼ばれていることくらい。それも白果舎(ハクカシャ)という書肆の老板(あるじ)だからであって、実の名ではないだろう。人物ということなら、表は白くても裏は黒い、が韶華の評である。

「訊こうと思ってたんだけどさ……白老師(ハクせんせー)

「なんじゃその口の利きは」

「申し訳ございません、白公公(おじいさま)。一つ、お尋ねしたいのですが」

「うむ」

「恐れながら『白果(ハクカ)』は、大兄(おにいさん)対手(あいて)にした雑誌ではなかったか、ということでございます」

「その通り」

 爽やかに言い切ってんじゃないぞ、と韶華は口を曲げた。

 白果舎は書肆の牌子(かんばん)を掲げてはいるが、ある者は売り、ある者は書く、といったさまざまな(しごと)もこなしている。書籍を買う銭のなかった韶華は、いろいろと手伝う代わりに書籍を読ませてもらうようになり、いつしか誘われて、作家(書き手)も担うようになったのだ。

「書くのは構わないんですよ……金銭の報いは少なかろうとも、()家の暮らしの助けになるんですから? ですが? 小人(わたくしめ)主持(たんとう)する投稿欄目(コラム)は、始めは家相を主な話題としていように思われますが?」

「そうだったかな」

「そうです! それが、男子恋愛指南って題字があるんですけど! これっていつ付いたのよ! そういうのは、他のひとに分けてなかった?」

 韶華は来ているはずのひとを探し、立ち上がって辺りを見回した。

 広くはないが、積み上げられた書籍のせいで肆中(なか)は見通しにくい。それでもほかにひとのいないことだけは分かり、しぶしぶ牀子(いす)に座り直す。

「察知して逃げた?」

「……来るのが遅くなったから、入れ違いになったんだなーとは、思わんのか」

「そうなの?」

「いや……いろいろと家事で忙しいようだ。封信(てがみ)には、しばらく来られそうもないから、あとはよろしくと」

「わたしだって忙しくなるのにー! 八十の令令(おじさま)情話(コイバナ)だとか愛人(つま)が欲しいとか、男子的苦心(おとこごころ)は男子に解いてもらってよ!」

「しかしなあ……おまえさんのアレは、かなり受けておるぞ。定期で投稿してくる者が増えたくらいで」

 韶華にぎろりと睨まれた老板は、慌てて話題を変えた。

「ところで、おまえさんが香を作るのかい? 調香の書籍はもう読んだかね」

 話題逸しに乗るのは悔しいが、先のことを考え、韶華は口袋(ポケット)から篇子(かきつけ)を取り出した。

 手に入れた納女の知らせに考試の全てが書かれていたわけではないが、最も気になったのが「香を納めよ」という一篇の文章だった。

「お香は分かるけど、なんでそんなものが要るの?」

一人(天子)は若いころから香をお好みでな……徐小君を妻に迎えたのは、その躯より芳しき香りをただよわせていたから、と言われておるよ。まあ、皇太子の位に就くとは思われていなかったんでな、そんな恣心(わがまま)も叶ったようだ」

 しかし後妃にも良い香りを求めるなら、皇帝になっても恣心を叶えているような気がする。

「でもさあ……生まれつきの芳香とお香では、なんか後者は、禁薬添加(ドーピング)っぽい……まあ蕣姉(シュンねえ)のために、蕩けるような香りを作ってみせましょう! それでね」

「調香の秘籍、だな?」

 にやりと笑う老爺は、先ほどの睨みを忘れていない。韶華にできるのは、可愛らしく見えるよう、甘く笑うだけだった。

「ちょっと見せてくれるだけでいいんだけど」

「おまえさんに見せたら、売り渡したのと同じではないか」

「うう……」

 幼い頃から韶華は、書籍を一次(いっかい)読んだだけで全て覚えられた。というより、文でも画でも墨で表されたものなら肖似(そっくり)に再現できるのである。

 常に「そう」であった故に、つまらない小技(ぎのう)の一つに数えていたが、誰にでもできることではないと知ったのは、白果舎に誘われてからである。

 老板が韶華のそれを偽造の技とみて誘ったことは、うすうす気づいていた。黒道に入るもやむなしと考えたこともあったが、結局、才能を悪事に用いられることはなかった。

「ま、こちらも香りのことなぞよく知らん。かき集めてみたが、秘籍というほどの

ものもないだろう。だから好きな書籍を読んで行け。ここでな」

「で、そのあと売るんだ……」

「当然ではないか」

 重要な文章を墨塗りしてやろうかとも思うが、かき集めるの言に優しさを感じ、考えを改めた。

(それに、きっと真っ黒になった書籍だけ、売り値が高騰するんだろうな……)

 とりあえず少しばかり交渉を重ね、借りるところまで許しを得、韶華は五冊ほど抱え上げた。

後天(あさって)には返すね」

「気をつけて帰れよ。もう日が落ちているのではないかな。おまえさん、今天(きょう)は来るのが遅かったからな」

 白果舎から出ると、辺りは思った以上に暗くなっていた。藍雪(ランセツ)路に並ぶ妓楼の華やかな灯りが目を引くが、それでかえって闇も濃く見える。

 慣れている道なのに落ち着かないのは、少々風があるせいかもしれない。揺れる灯火の作る影が気になった。

不妙(マズ)ったなあ。ここまで遅く居るつもりはなかったんだけど……夜は荒れ模様になるって聞いてたし……あ」

 視界の隅、するりとひとがすべり込むのが見えた。

 その過ぎる影に、韶華は声をかけようとした。

 見覚えがあると思ったから。

 だがそれは思い違いだった。黒衣を着た男に知り合いなどいない――いないはずである。

 なのに韶華の足は影を追おうとしている。

 あるいは――墨で形取(かたど)られたものを紙上に描き出すように、黒い影を(かたち)として捉え、覚えてしまったせいで知っていると感じたのかもしれない。

 ならばもう、黒衣の動きを目で追ってはいけない。

 見られていると知られたなら――

「おい」

 韶華の抱えていた書が(くう)を舞い、男の顔を直撃した。






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