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探水中花之一


 荷車が跳ね飛ばす泥水を避け、韶華(ショウカ)甘河(カンカ)の河岸に向かった。

 とある植物を採取するためだが、歩みは急かされたようなものになる。花期の盛りが、少しばかり過ぎてしまっているのだ。

 見つけ出すことは難しくない。それでも、求める花の様態(ようす)によっては長い探索を免れない。甘河は宮都甘棠(カントウ)を横に貫いており、となれば狩り場は都城の幅、西から東まで及ぶことになる。

 韶華は初めに西街(セイガイ)の港口に行った。水の際まで行く必要があるので、あまり好ましくはないのだが、甘河の支流で見つけられたら事は早い。ただ、船の行き交う中で探すのは難しく、すぐ諦めることになった。

「ま、楽はできないよね。ちゃんと狙ったところに行かなくちゃ……」

 言って、北に向かうものの、韶華の形跡(きょどう)は徐々に怪しいものになった。

 西街から出た辺りは商家が並び、まだ庶人の住む南洛(ナンラク)としての賑やかさがある。そんな南洛にあって、北西の街だけは異質である。皇城(おうじょう)に通う者が住む街、つまり官人たちの館第(やしき)が立ち並んでいるのだ。

 なぜそこに官人が住むようになったかというと、甘河を渡ればすぐ閣門(かくもん)――皇城の正門があるからだった。

 北洛(ホクラク)に住む貴族や官人たちは、東にあるので東城(とうじょう)と呼ばれる皇城の門から宮城に入り、庶人の目に触れることはあまりない。彼らがわざわざ南下してまで閣門から入るのは、祝事があって姿を見せつけたい時か、皇帝に拝するのに正門を使わなければならない時、最も遠くから登城しなければならない正式な議事と祭事の時だけである。

 閣門の周囲はだから、いくつもの兵営があり、守りが固められている。うろうろしているだけで不審と思われるのだ。

 韶華は橋を渡るつもりもないし、行きたいのは河岸で介士(へいし)の目につくとも思えないが、当然のように身体を低くして歩いた。艶のある焼栗色の結い髪が、さっと揺れては止まるを繰り返すと、どうしたって醒目なのだが。

 ひとりの少女が崖を使って河岸に下りて行く。当人だけがひとの目につかないと考えていた。

「うわ、冷たい」

  脚先(つまさき)が水に浸され、韶華は思わず声を上げた。

 ぬかるんでいる崖は急斜より危ないものである。転げそうになったのを辛うじてこらえても、(くつ)は犠牲になってしまう。泥は覚察(かくご)していたのに、冷たさまでは考えに入れていなかった。

「いえ、考えてましたよ、花がまだ咲いてそうな冷たいところ探そうってね。でもさあ……」

 韶華は誰に聞かせるでもなく、つぶやいた。

「こんなに冷たいものかな。それとも水量が多いから?」

 都で雨が止みつつあっても、上流の雨水は遅れてやってくる。まだ水は澄んでいるが流れは速く、岸も侵水してかなり狭くなっていた。

 この勢いでは、うかうかすれば流されてしまうかもしれない。もっと緩い流れの岸を探して東の下流に目をやると、皇城に渡る大きな橋が見えた。

 中洲を介して橋が掛けられ、北から黄道橋(コウドウキョウ)天津橋(テンシンキョウ)星津橋(セイシンキョウ)という。都城における重要建造物は、遠くからでもひとの動きがよく分かった。

「あっちのがゆるやかだけど……近づきたくはないかな」

 速い流れであろうと潜るわけではないのだから、危なくはないだろう。と己に言い聞かせ、韶華は河岸をのぞき込んだ。

「あった! 咲いてる!」

  水流に呑み込まれるように白い小花が咲いていた。緑の茎と細い葉が、わさわさと蠢く。水草と定めるには、小菊に似すぎている。しかし小菊と断じるには、水中で咲く古怪(ふしぎ)さが迷わせる。古い植物誌の一章に、水中花と記されたものである。

「香の配方に貝の香があったくらいだし、この水の花を使えば……さぞかし珍しい香りがするでしょう……」

 妖しい笑いを洩らし、少女は水中に手を伸ばす。水の冷たさはもう感じない。

 つかみ取ろうとする指が触れたその瞬間、危険と察したわけでもなかろうに、愛らしい花卉(かべん)はばらけて流れ出した。次も、その次の花も。

「弱すぎ! 柔すぎ! わたしが魔爪(魔の手)だとでも言うのっ? 新鮮(ないわー)!」

「やはり、いたな」

「何者っ!」

 及時(さっそく)、韶華の物理的指弾が静影(セイエイ)を襲った。

「おまえ、分かっててやってるだろう」

 げんなりとした顔色(かお)で、静影は額を拭った。

 水滴は正確に額を狙っており、これは個兒(たいかく)が分かっていなければできないことである。

「どうしてここにいるのよ。そんなに暇なの? もしかして処士(無官)ですか」

「違う……増水しているから、危ないだろうと思って来てみただけだ」

 静影がわざと糢糊(あいまい)に言ったことを、韶華は感じ取った。

 河川の管理をするならば水部司がいる。武人のすることではないのである。監察ということならあり得るが、それなら「やはり」とは言うまい。

「もしかして、見た?」

「……見たよ。この辺りに小さな印がついてるのもな」

「よく見えたね。ちらっとしか見てなかったと思うけど……」

 静影は目を逸した。盗ませた地図をじっくり調べたからとは言えない。

 韶華に男の後ろめたさは見えていた。だが、問い詰めるまではしなかった。一瞥で覚えてしまうこと、それは韶華にとって小節(ささい)な事で、ほかにできるひとがいても疑う理由はないのである。

 だから逆に少し腹が立った。植物に詳しいだけでなく、すぐに「覚えられる」ことも封信には書かれていなかった。恋愛指南を求めておきながら、正しく評判(しんさ)できないように隠しておくのは卑怯だと思う。

「そういうの、誘敵(おさそい)に使えるんだから教えておいてよねっ。好処(とりえ)がないって言うけど、あるじゃん。なんか狡いよ、恨事(がっかり)だよっ」

「はあ?」

鼓動(はげまし)なんか、いらなかったんじゃないの? 知らないよ、もう……」

 韶華がいくら動気(かんしゃく)を起こしても、静影はよく分からないといった顔色(かお)のままだった。それがなおさら気に触り、差し出された手を跳ね退け、河岸に踏み込んだ。

「おい、上がれ。危ないぞ」

「お断りです。逆耳でーす。探してるものがあ、る……から」

 水流の乱れが花を散らすなら、溜まっている深みを探すのはどうか。低い崖の下が削れているのを見て、韶華はのぞき込んだ。

 思った通り、水面の揺れはほとんどない。水中にある花の仄かな白さが、浮き上がって見えるくらいだ。

 韶華の見つめるものを見て、静影は叫んだ。

不行(よせ)! 深みに嵌まるぞ。俺が取ってやる」

「ひとりでできます。だいたい採るものがなにか、分かってる?」

「草だろ、草!」

「違いまーす。花です、花ああああっ」

 倒れる韶華の身体に向かって静影は手を伸ばす。

 腕を掴むのは間に合った。しかし、傾きかけた身体を支えるまでには至らなかった。究境(けっか)、下身を水に沈み込ませた少女と岸で呆然とする男の彫像ができ上がる。

送料(よそう)より浅くて……良かったな」

「あとで怒られると決まったようなものだけどね……」

「引き上げるぞ」

「待って、どうせならもう少しそのままで。腕、離さないでね」

 韶華は身体を屈ませ、流れのよどみに手を入れた。肘まで濡らし、ゆるやかに混ぜて、そっと掬い上げる。

 手の内には水の煌きとともに、小さな白い花が残されていた。

「もういいよ」

 言うが早いか、韶華の身体は岸に引き上げられる。濡れた袖を絞るより先、花を静影の鼻先に突き付けた。

「ありがとっ……お礼に、初めに匂いを試させてあげる」

「いや、いらな……」

 顔をしかめ、それきり封口(だんまり)を決め込む静影。欠佳(いや)預感(よかん)がした。

「どう……なの?」

「分からない。というか、ない……ような気がする」

「ないのっ? なんにも? そりゃあ植物誌に香りの有無は記されてないけど」

「まあ……河水の臭いはするかな」

 慌てて韶華も匂いを嗅ぐ。苔を洗う水と、藻と水草と泥の臭いがした。わりといろいろな臭いがあるものである。

 しかし思うような香りは、そもそも香りといえるものは、それこそなにひとつ感じとれなかった。

「水中花って、匂いがない……? でも魚は寄ってくるはずだし」

「なら、香りがないわけではなくて、魚だけ感じるんじゃないか」

「魚でないと、感じない?」

「俺たちには無用ということだな」

 声にならない悲鳴を上げて、韶華は河岸に膝をついた。

 魚にだけ嗅げる匂いは確かに珍しかろう。花油を抽出できたとしても、芳しいと思うのは魚だけ。池の鯉なら呼べるかもしれないが、そもそもやつらは人影を見せるだけで寄ってくる。媚薬など必要ない。

「水浸しになっただけで、損した……」

「懲りたなら、早く帰れ」

 また言われた。韶華が言い返そうと静影を見上げると、直心(いちず)な目で見返され、なにも言えなくなった。

「おまえのしようとしてることは、分かる……あの地図で採取できる植物なら、あまり危ないところはない。だが、様態は変わる。この河岸のように、増水していたりするかもしれない。だから軽易(かって)に山に入り込んだりするなよ。香を作るのは構わないが、地道(まっとう)にやったらどうだ。珍品には、珍品なりの理由がある。そんなものを使っても、誰もが好むものができるとは限らないぞ」

 実に正当な助言である。韶華も検討(はんせい)しなければならない。

(なんて認められるくらいなら、こんなこと、してないんですけど……)

 項垂れた韶華は、とぼとぼと歩き出した。後ろで静影が著涼(風邪)に気をつけろと言うのが聞こえるが、応える魄気(きりょく)はなかった。

  なにかを返せとも叫んでいるが、韶華がしたのは、ぎゅっと水中花を握ることだけだった。







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