表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/117

使者来訪


 新緑から滴る雫が雨の終わりを告げている。

 香草の採取延期は、韶華(ショウカ)が決めたこととはいえ、少しばかり焦っていた。

 狙う植物は、甘河(カンカ)の岸に生えているので、かなり広い範囲で採ることができる。ただ、花期はそう長くない。

 じきに使者が来て、長姉は考試を受けに宮城へ行くだろう。その時には、納める香を作り上げておかねばならない。早くしないと間に合わないのである。

  明天(あす)が晴れなら、行こう。

 そう考えた韶華の腕に、ぽんと触れるものがあった。

韶姉(ショウねえ)、これ読んで?」

「いいけど、ちゃんと寝台に横になったらね。熱が下がらないよ」

 うんと頷く妹の手から冊子を受け取り、韶華は上掛けを軽く叩いた。

 長い雨が悪かったのか、瑠璃(ルリ)はよく寝込むようになっていた。食気(しょくよく)もなく、熱もなかなか下がらない。眠りの浅さはとくに気になった。

 夜、(かたわ)らで話しをする父親が眠ってしまうと、ぺちぺちと叩いて起こすのだという。本来であれば、聞いているうちに瑠璃は眠るのだが、そうならない。父親が疲れているせいではと韶華が言うと、頑固に違うと断じて譲らなかった。

「いつも瑠璃を見てるから、そう思うんだろうけど……でもなんでか忙しそうだよね……不妙(へん)なの」

 一家の(あるじ)に言うべきことではないが、構わず韶華は冊子を開いた。

西方見聞録(さいほうけんぶんろく)? なんていうか、偽書(パチモノ)くさいんだけど……どこで手に入れたの」

「お父さんの文房(しょさい)にあった」

「ふうん……お父さん、どこに行ったんだろうね」

 打手(ようじんぼう)に晴れも雨もないので母親が出かけているのは当然としても、最近は、常に

瑠璃を気遣い、そばにいる父親までふらりといなくなるので、出かける計画の立たないこと、この上ない。

 それでも妹が喜ぶのを見るのは好きなので、怪しげな偽書を読んでいると、朱蕣(シュシュン)が小椀を持ってきた。

「韶華、これを瑠璃に。蜜生姜よ。苹果(りんご)で香りをつけてみたわ」

好好(わあい)! 苹果、大好き!」

 妹の喜びに反して、長姉はなんとも言えない顔色になった。香りとしか言えないくらい、僅かな量しか入っていないのだろう。

果子(くだもの)で香を作ってみようかな……あ、でも桔子(みかん)しかないな」

「瑠璃、桔子も好き」

「ねえ、誰か来たみたい……?」

 朱蕣が胸を押さえ、ささやいた。音を聞きつけたものの、気のせいかもしれないと疑っていた。

 残る姉妹も動きを止める。もしも『あれ』なら了了(とうとう)来た、のである。

「えーこちらは、()家でありましょうか?」

 聞き覚えのある声が門口(げんかん)から響いた。

 疾風の速さで二姐妹が駆けつけると、ひとりの男が恭しく函を掲げた使丁(召使い)を引き連れ、立っていた。

 久達(ひさしぶり)に見たせいか、涙で汚れた呪面しか覚えていなかったせいか、使いが香試の王重明(オウ・チョウメイ)であることを思い出すには時が必要であった。

令叔(おじさま)、お待ちしておりましたわ」

「誰かと思ったら、王先生(オウさん)ではないですか! 歓! 迎! 光! 臨ッ!」

「なぜ名を知って……はッ、おまえか! ここはおまえの家だったのか!」

家母(ハハ)のですけど」

「そういうことは、言ってないッ! とにかく杜朱蕣、令姉(あなた)にこれを以って五百六十七女の序次(じゅんじょ)を授けるッ」

 すごい数と言うべきか、そんなものかと言うべきか。悩む韶華の隣で、朱蕣は函から取り出された契符と包みを受け取った。

「なに、これ?」

「手冊を読んでな……否、小児(コドモ)には係わりのないことだったなッ! しばし黙っておれ! では……」

 韶華をしっしっと手で払い、重明は朱蕣に拱手(あいさつ)をした。

「しかるに令姉は、その中にある(きぬ)を飾り、期日にそれを持ち宮城に来なければならぬ。尚、装飾に使うことができるのは、包まれているものだけ。譲るのも譲られるのも、新品を買い直すのもまかりならん。知道了(分かったな)?」

「分かりました。宮城に上がる日までに、ということですわね。では、包みの内容を検品して頂けますでしょうか。ひとつの間違いがあっても困ります」

「えっ……ああ、あい分かった。では()け……()け……」

 それまで会った候補のうち、内容を確かめろと言った者はいなかったのだろう。重明の結び紐をほどく手つきは、もたもたとしてひどく頼りない。

 待つのにに飽きて朱蕣の顔を見た使丁は、その酷薄な目光(まなざし)に激しく冷戦(みぶるい)をした。

「あのさ……言っても良いかな、王先生」

「なんだッ!」

貴下(あなた)の腰に()いていらっしゃる(くじ)りは、なにに使うものでしょうか? 結び目をほどく刀ではないのでしょうか? それとも飾り? ああ、飾りかなあ? だってほら、(かしら)がついてたって使ってさそうだしぃ」

 怒りにかられ、韶華へ反論しようと顔を上げた重明だが、冷笑を浮かべた佳人の藐視(蔑みの目)に震え、ただ抉りを使うにとどめた。

「ええ、まず……これが糸。そしてこちらが帛……」

「小さいね、手帛(ハンカチ)? それに糸も短そうだよねえ? このひと巻、二丈(6メートル)もないと思うよ」

「そうだな……だが、これで正しいはずだ。料想(よそう)外にひとが多くなって、細切れにしたと聞いたから」

「まああ、そうだったの! あれっぽっちでなにができるのって思ったけど、諦めるしかないわね!」

 いつの間に現れたのか、包みをのぞき込む影が一つ増えていた。

「あら、郁李(イクリ)さん。歓迎光臨?」

「なんだか、来客人了(あら、来たの)って感じ」

 郁李は下巴(あご)をつんと上げて、口許を袖で覆った。

「朱蕣さんのところには今、使いが来たのね」

 流し目の先には、せっせと包みを戻している重明がいた。ふたりの美女には目もくれないが、女たちもそれ以上香試を見なかった。


「わたくしと貴女は后妃を競う敵手(ライバル)よ、馴れ合うつもりはないの。でも、貴女の助言には感謝しているわ。毎毎(いっつも)わたくしを見ては大息を吐くお父様とお兄様が、清秀(きれい)だって褒めて下さったのよ」

「やっぱり髪飾り、地味にして良かったね」

 睨まれて韶華は口を閉じた。下を向いたまま吹き出した香試こそ、睨まれてしかるべきなのだが。

「とにかく……ありがとうと言いに来たの。それで、小意志(ほんの気もち)だけど!」

 郁李は軽く手を振り、控えていた妾侍(おつき)(はこ)を渡すよう促した。

「これを貴女に。どうせ買い占めにあって、持ってないんでしょ」

「なんと、極品の薫陸(くんろく)ではないか……! それから蒔蘿子(じらこ)の香油? 栴檀(ビャクダン)は二種あるようだが……」

 香試之最(トップパヒューマー)と自尊するだけはあって、重明は洩れた香りだけで嗅ぎ分けた。褒めようとはしたのだが、

「む、幼女の匂い!」

「土に還れ、穢れし者よ!」

 韶華が勢い良く重明の鼻先で扉を閉めても、異を唱える者はいなかった。

 しかし、専長(とくぎ)に偽りはない。門口での騒ぎが気になったらしい瑠璃が、眠そうに目をこすりながらやってきていた。

 倒れそうになる瑠璃を抱き締め、朱蕣は声を潜めた。

「起こしたのね。でも眠りなさいね、瑠璃……まだ熱があるわ」

「だって、西方……読んでもらってないもん……」

「お熱があるなら、令姉(お姉さま)の言うことを聞いて寝ていなさいな。わたくしはもう帰るから」

「待って……郁李さん、お香をありがとう」

「お礼を言われるほどじゃなくてよ。考試で落ちれば香など無用……買い漁るなんて愚かだわ」

「あら、もう諦めているの?」

「失礼ね、諦めていないわよ。でも(しょうじき)に言えば……后妃の壇に乗れなくても構わないのよね。面試まで行けたらいいわ。そこまで行けば、女としての品位を得ることができるもの。わたくしの考試を受ける理由は、それよ……そういう女性、かなり多いと思うわ」

 郁李は首を傾げる朱蕣を、笑いを含んだ目で見つめた。真に狙っている女は少なく、その中で朱蕣は特別であると認めるように。

「えっと、わたしからもありがとうと言わせて。令姉にとって香りは重要でないの

かもしれないけど、土茴香(ヒメウイキョウ)の香油なんてそうそう手に入るものじゃないし、僅かでも分けられるような値でもないんだから」

「止めて。馴れ合いはしないって言ったはずよ。わたくし、借りはつくりたくないのよ」

 郁李の頬が仄かに赤くなっているのは、韶華の見間違いではないだろう。

姐姐(おねえさん)……悄乎恋恋(ツンデレ)ッ?」

「な、なにを言ってるのよ、この妹妹()はっ」

「熱があるから……」

 朱蕣の表白(いいわけ)は要らなかったかもしれない。

 幼い少女はすでに睡意に負け、女たちの話など聞いていなかった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ