もしかして、ピンチ
私はハナに言われた通り、紙と鉛筆を用意した。紙は先々月の保育園の行事予定一覧の裏紙。ハナは、B5サイズのそれの皺をしっかりと伸ばすと、鉛筆を握って姿勢を正した。
「私、絵を描くのがちょっと得意なの」
アニメか何かの絵だと思っていた。若い子なのだから、どうせそういうライトで低俗なものだろうって。けれど、私が渡したHBの鉛筆はさらさらとリアルで立体的な造形を浮かび上がらせていった。美術の教科書に載っているような絵。見本やモデルもいないのに、3Dスキャナで読み取って正確に再現していくかのような。
「人前でこういうのを書くのは初めてだから、ドキドキする」
鉛筆が紙の上を滑り始めて三十分余り。紙いっぱいに描かれていたのは女性であった。それが誰だとか、上手すぎるとか、そういうのは問題ではない。その構図にいささか問題がある。描かれたのは女性の裸体だ。最も目を引くのはツンと上向く豊満な胸と開かれた股の辺りの空白。わざと書かなかったのだろうそこは、紙の中にぽっかりと空いた亜空間で、何も書かれていないからこそ妙に意識が吸い込まれてしまう。あるはずのものを想像させる。
「私、こういう子が好みなの。ね、似てるでしょ? カナさんに」
「似ていないと思う」
と、咄嗟に否定する。
「こうやってね、好きな子を描くの。いろんな角度を描くのだけど、全部笑顔にするの。それを眺めるのって、とってもいい気分だわ。」
「愛でるっていうこと?」
「どうだろう。私に見られて喜んでる女の子なんて、ほんと変態でしょ? それが、いいなって思う。もしくは、私は服を透視して女の子の秘密を全て暴いているの。しかも、こうやって記録している。だから、辱めてるのかもしれない。カナさんと一緒」
自然と自分の顔が綻ぶのが分かった。
私とハナはおそらく非道徳的な存在で、でも実在してしまっているのも確か。なので、どうにかその衝動をコントロールする必要がある。そうすることで、やっと自分で自分を受け止めて、何でもない普通の人の顔をして街を歩くことができるのだ。
「いいと思うわ。そういう方法も。でも」
「でも?」
「描いてるところとか、描いたものを見られると」
「上手に描けたものは、枕の下に敷いて寝るの。夢の中でその子を抱けますようにって。下手くそに仕上がったものは、ライターで燃やしているわ」
私は、手渡されたハナの作品に目を落とす。
「これは、失敗?」
「これは未完成なの。まだ失敗になるかどうかは分からない」
それならばと思って、私は紙をハナの手元に戻した。ハナはふわりと微笑む。性癖さえ知らなければ、完璧な美少女だった。
「続き、描く?」
「描いていい?」
部屋の隅へ目をやる。娘は眠ったままだ。
「この後も静かにしててくれるなら、いいよ」
「じゃぁ、カナさん」
「何?」
「手伝ってくれる?」
「何を?」
「完成した絵、見たいでしょ」
私は少し考えて返事した。
「見たい」
ハナの好みの子は、私の好みにも近かったからだ。もし描きあがったなら、それを貰えないかとも思った。
「良かった。じゃぁ、カナさん。全部脱いで、そこに座って」
「え、なんで」
「脱いで、私の目の前に座って、脚開いてほしいの。ここだけは本物のカナさんのを描きたいから」
ハナの指が、紙の白い空間でゆるりと円を描く。自分の同じ辺りの場所をハナの手がなぞったような気がして、腰が熱くなった。
「そんな」
「大丈夫。まだ、見るだけだから。私、綺麗に描いてあげる。自信があるの」
声が出ない。すぐに断ればいいのだし、ハナを即刻家から叩き出してもいい。それなのに、何もできない。
「もし、自分だけじゃ嫌なのだったら、私も脱ぐから。カナさん、触ってみたいんでしょ。見てみたいんでしょ? 生の女の子の身体に」
抗えなかった。
ごめんなさい。ごめんなさいと繰り返して叫ぶ。心の中で誰かに頭を下げて、土下座して、私のこの正直すぎる慟哭をそのままハナにぶつけることに許しを乞う。
私は、ハナに断れない。ある種、人生最大のチャンスが目の前にぶら下がっていて、それを跳ね除けるなんて到底できない。これを逃したら、もう二度と巡ってこないかもしれない幸運なのだから。
「分かった」
絞り出した声は掠れているけれど、自覚できる程に色が乗っていた。まずは、見られるだけ。まだすぐに、ハナに触れられるわけではない。なのに、なぜこうも興奮してしまうのか。
この場所。ダイニングの椅子なんて、いつもシャワーを浴びた後はタオルを巻いたままで座っている。そんな無防備な状態で化粧水をつけるのが私の習慣。それとほぼ同じ、裸の状態になるだけ。だけど、今はハナがいる。
ハナが見てる。
ハナが私のズボンの腰ゴムに手を触れた。
彼女の人差し指、そして中指がゴムの内側に滑り込む。
同時に、私のお腹に触れることになる。
あぁ、隠さねばならない歓喜のメーターが振り切れて、気が狂うんじゃないか。体温が急上昇して、下半身が敏感になっていく。
「見せて」
ハナの切望するかのような苦しそうな声。私が微かに頷くと、ズボンはショーツと一緒に足首まで下ろされた。
と、その瞬間。
「んぁああ」
娘が泣いた。
「もしかして、ピンチ?」
「まさか」
私はハナの言葉に取り澄まして答えると、すぐにズボンなどを腰まであげて、娘のところに向かった。




