里中若葉 1
五人のU.N.F.が拳銃を構えた正面に、ナイフを一本だけ握った里中剣が構えを取らずに立ちながら、お互いに言葉を交わさず対峙していた。
「…っ!」
五人が無言のまま、一斉に拳銃を撃とうと指を動かした瞬間だった。
地面を蹴った剣が弾が放たれるよりも速く、一人の懐へと潜りこむと相手の身体を空中へと浮かび上がらせた。
そして続けて、しゃがむように脚を伸ばして隣にいる隊員の足をあっさりと払い除けた。
「「ぐっ!」」
「撃てっ!」
隊員二人が背中から床へと衝突するのと、残った三人が剣を狙って発砲したのは同時であった。
その標的は足払い直後の屈んだ状態であったが、それが嘘のようにバネのごとく飛び跳ねると空中で一回転していた。
そして回転時にナイフで叩き落とした物が床を跳ねる中、着地した剣がまた駆けだした。
「くっ…!」
あまりにも速いその動きに、隊員は狙いを定められずにいた。
すると剣に飛び蹴りを繰り出されて、それを防御する事もできずにそのまま胸へと直撃して吹っ飛んでいた。
「ちぃ…」
はやくも二人になった隊員が同時に着地した所を狙って発砲したが、横からのそれを避けるとまた一人へと距離を詰めだしてきた。
そのまま正面から来る剣へと狙いを定めた時、急にその姿が消え失せた。
「なっ…!?」
狙いが消えて動揺していると、その隙に股の間を通り抜けていた剣が背後を取っていた。
振り返るよりもはやく、腕を掴まれると背中をサイフで突かれた。
「ぐぅ!」
腕を締め上げられながら痛みで呻き、動けなかった。
その一方で残った一人は、剣との間に隊員がいることで狙いをつけられずにいた。
固定されずわずかに動く銃口から、その迷いを感じ取った剣は隊員を突き飛ばした。
「ぎゃっ!」
そのまま衝突すると、隊員二人が短い悲鳴をあげて倒れ込んだ。
下敷きになりながらもなんとか立ち上がろうとしたが、首元へナイフが突きつけられた。
「―っ!」
「……」
ナイフを持つ手から見上げると、剣が無言で見下ろしていた。
視線だけ向けてくる、その威圧感で首筋に汗が流れた。
互いに口を開かずに一瞬の間が起きた。
「まだまだだな」
だがそう言うと剣は手を引っ込めて、倒れている二人から離れた。
そんな剣を見ると、倒れていた隊員達が体を起こし始めた。
その中にはナイフで背中を突かれた者もいたが、五人ともまだ痛みが残るのか立ち上がらずに床を座っていた。
「俺一人ぐらいは拘束してみせろ」
隊員達と距離を取るように歩く剣の足元には、実弾ではなくゴム弾が転がっていた。
「もう一度だ」
五人と距離を取ってから振り返った剣の手に握られているのは、刃の部分が収納される加工をされた訓練用ナイフであった。
その剣の言葉を聞いた隊員達は、顔を見合わせて頷いた。
そして立ち上がると先程と同じように、剣を狙って構えを取った。
そんな剣と隊員達の訓練を、強化ガラス越しに隣接する観覧室から見ている里中浩司の姿があった。
「剣の様子はドウ?」
先程まで室内に一人だけだった浩司の後ろから、そんな女性の声がした。
「そんなに変わってないな」
突然した女性の声に浩司は驚くこともなく返答すると、声の主が横へと並んでサングラス越しに訓練している剣を眺め始めた。
「それと、人魚の涙がマーメイドのように変化させると知ってから、他の隊員相手に訓練漬けだ」
「そっか、ちょっと変わっているかと思ったケド。…人魚の涙は送られてきた資料で見たやつネ。任務によって部隊も変わるし、どの部隊でも対応できる様に…ってコト」
剣の事を知っているであろう女性は、軽い口調で話していた。
「ところで、その人魚の涙の事をU.N.F.全体に伝えたの?」
「少し悩んだが…どっちにしろ、これから相手にする可能性が高い。それならと、 早いうちに対策する為に伝えておいた」
「そっか。また上層部から有難い小言を言われそうネ」
笑って話す女性の視線の先では、剣の相手が別の隊員達に代わっていた。
「―でも、あの様子はなんか別の理由もあるんじゃないノ?」
訓練している姿からなにかを感じ取ったのか、女性はそう言った。
「…やっぱり、お前なら分かるか。その理由だ」
女性が察したことに、浩司は嬉しくなさそうに返答した。
すると、手に持っていたタブレットを女性へ渡した。
「その子は二回も事件に巻き込まれた上、両方で剣と会っている。本人と周囲の安全確認をしてくれ」
タブレットのファイルを見ている女性に、続けて浩司は話した。
「なにがあったかは詳しく聞いていない。ただ、その子の影響で訓練に没頭している。安全だと分かれば、少し落ち着くだろうからな」
「りょーかい」
話を聞きながら読み終わった女性は、タブレットを浩司へと返した。
「そういえば」
なにか思い出したのか、女性が口を開いた。
「今も千歳とは距離を取っているノ?」
「そうだな。彼女も相変わらずだし、剣もどう距離を取っていいのか分からないみたいだ」
「そっか。…先に千歳のところに寄ってもイイ?」
「構わないぞ」
浩司が許可に快く答えると、女性は軽く手を振って部屋を出た。
「おひさー」
川原千歳のいる研究室に、女性の明るい声が響いた。
「あら、里中若葉じゃない。二年ぶりかしら?」
「そうネ。父さんに呼ばれて、フランスから飛んできたノ」
パソコンを使っていた千歳が、女性―若葉の声を聞いて振り返った。
そして体ごと向ける千歳と、対して若葉は手元にあった椅子へと座った。
「それで千歳はドウ? 相変わらずU.N.F.上層部にこき使われているの?」
「私にはそれしかないもの」
「ふーん」
自分たちより上司にあたる存在への皮肉を言っても、千歳は淡々と返した。
そんな返答に、変わらないなつかしさを感じた若葉が部屋を見渡した。
そこは二年前と、いや、それよりも長い年月から変わらず、千歳以外人のいない研究室であった。
「でもさ、ここに籠って研究三昧、しかも二四時間の監視セットでしょ。買い物も制限されているし、ワタシだったら嫌だなー」
「ふふっ、好きなブランド品も買えないものね」
まるで子供のように椅子で回りながら、千歳の状況に対して若葉は文句を言っていた。
そんな彼女を見ていると、千歳は自然と一瞬だけ笑っていた。
「そーいや、父さんから聞いたヨ。まだ剣の憎まれ役をやっているんだッて?」
「別に、そういうつもりはないわよ」
千歳は普段と変わらない淡々とした返答をしたが、その内容はあまり触れられたくないものであった。
「そう? ワタシからは、マーメイドを受け入れられてない剣のストレスの受け皿になっている様に見えるケド?」
「だからそういうつもりはないわよ」
だが、若葉はそのまま話を続けた。
「誤魔化さなくても、千歳と長い付き合いだから分かるわよ。…剣のほうはどうだか知らないけどネ」
今度はもう返す気がなくしたのか、千歳はパソコンへと向き合った。
そしてそのまま集中しているそぶりをした。
「まー剣の気持ちも分からなくもないケドね」
千歳の行動を見ても、そんなこともお構いなしに若葉は言葉を続けた。
それは話というより、一方的に聞かせたい様であった。
「西園寺に育てられるというより、ほとんど兵器の扱いをうけて、本人は蒸発。…そのあと環境がガラッと変わって、千歳と一緒に仕事するは、周りからはいわれのない化け物扱いされるなんてネ」
「…その妹はずいぶん軽く接してくるわね」
千歳は動かないまま、若葉へと言った。
「ワタシの親は父さん一人だから、西園寺はただの赤の他人。それにさ、千歳も優しく接してくれたカラ。…だいぶ不器用だったケド」
「そんなことないわよ」
照れるわけでもなく、淡々と千歳は返した。
「んー。剣も千歳ももうちょっと素直になればイイのに」
しかし千歳の答えが気になったのか、若葉はそう言った。
その言葉に千歳は無言で止まると、若葉もまた反応を見る様に黙っていた。
しばらくしてから千歳は椅子に深く座って、長く息を吐いた。
「……私は浩司と同じで、貴女達を残したいだけよ」
そう言った千歳は、目の前ではなくどこか遠くを見ていた。
そして話しかけるわけではない、呟くような小さい声を若葉は静かに聞いていた。
「計画が浮上してから、上層部は残ったマーメイドの処理を考えていた。その時に里中剣を含めて、唯一世話をすると言い出したのが浩司だった。そこまで階級も高くなかったのにね」
「へぇー、そうだったンだ。マーメイドの部隊、No.0を作ったのは知ってるケド」
「そう。それもマーメイドの存在を証明する為に、各国のU.N.F.へ派遣しているの。それに―」
そこまで話した千歳は一息おいた。
「私の事も、能力があると庇ってくれたし」
そう言った顔は、今までと違って嬉しそうなものであった。
しかし横目に若葉を見ると、余計な事を言ったと思って空咳をした。
「ちょっと長く話過ぎたわね」
また普段の淡々とした声に戻った千歳は、机にむかって忙しそうにし始めた。
「じゃあワタシはもう行こうかな。話し相手が必要になったら呼んでネ」
千歳の行動がポーズだけであることを、言わずとも理解した若葉は立ち上がった。
そしてそのまま扉へと向かうが、千歳は顔を向けなかった。
「―それと、監視のない息抜きをしたい時もネ」
それだけ言うと、若葉は外へと出た。
「覚えておくわ。…ふふっ」
また一人になった研究室で、千歳は笑っていた。
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