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人魚の涙 1

 U.N.F.が所有する建物。

 その中にあまり人が多くない階層があり、エレベーターの近くにある一室。

 廊下と繋がる壁だけはガラスでできており、ドアは開かれたままだ。

 それ以外の壁には棚があり、本やファイルとノートパソコンなど様々な物が置かれている。カーペットや壁紙の色からも飾り気を感じない内装だ。

 一番奥、つまりドアからもっとも遠い所にデスクが設置しており、上にはパソコンや電話機、書類など乗せられていた。

 そのデスクに向き合う形で置かれた椅子、そこに座っているのは里中剣だった。

 毛先に少しくせがある黒髪の彼は、紺のスーツを着てその長い脚を組んで座っている。手にはタブレットを持っていた。

「親父、一週間前の”自由の翼”の件はどうなった?」

 質問の先は、デスクに座っている男性であった。デスクには名札など置かれていないが、書類には里中浩司とサインが書かれていた。

「他部隊が聴取などを行ったが、人質をとった理由は謎のままだ」

 その若い声は、剣がショッピングモールで通話していた声と同じであった。

 声と同様に容姿も若く見えるものであったが、整えた髪の中には少し白髪が混じっていた。

「アジトも押さえたが、必要な情報がないらしい。この調子だと恐らく、建物の破壊だけを行っていた以前の行動から、なぜ変えたのか判明しないだろうな」

「そうか…」

 返答する浩司は、表情も含め残念そうなものであった。

 剣も同調するように返答した。だが、その表情の変化はわずかなものであった。

 とはいえ、それ以上探るのは他の者のやる事。今の任務の為に、手元のタブレットを点けた。

 その画面にはメガネをかけ、今着ているのと同じスーツでの顔写真がある履歴書が映った。だが名前は里中剣ではなく、違う名前が書かれていた。

 しかし剣が求めているものは違い、スワイプして画面を切り替える。そこには一人の男性の経歴が書かれていた。

「次の任務は潜入で、ターゲットは葛城という男か」

「ああ。北城大学に勤務している教師だ」

「必要なのは製作に関わっている未確認違法薬物の正体、その流通先。それらの確定的なデータか」

 剣はさまざまな情報を速読で確認すると、立ち上がろうとした。

 だが浩司に呼び止める。

「なぁ、剣。表情が一番変わるのが仕事の時、ってのは相変わらずか?」

「…悪いな、妹や弟とは違って。家族の前じゃ、柔らかいとは思ってるんだけどな」

 表情のことは本人も少し気にしていた。だが浩司に向き合ったその表情は、少々読み取りにくいものであった。

 そして伊達メガネを取り出してかけると、そのまま部屋を出た。



「山本さん、大学に来てすぐなのに早くも人気ですね」

「いえ、学問への熱意が高い生徒さんが多いだけですよ」

 山本と呼ばれた剣は、女性教師に答えた。

 その顔は笑顔そのものであった。

 北城大学にある、教師や学生が共同で使える休憩所。

 そこで剣、女性と男性教師の三人で座って話していた。

「いやいや、生徒に人気なのは確かですって」

 そう言ったのは男性教師であった。

「講義が分かりやすいと評判で。特に女生徒の人気が高くて」

「あー、分かる」

 男性教師が嫌味なく気さくに言うと、女性教師も盛り上がった。

「来て三日しか経ってないのにね。私も見習わないと」

「今度暇な時、講義に行こうかな」

「なんだか恥ずかしいですね…。僕もまだ、皆さんから勉強する身ですよ」

 盛り上がっている二人へ、剣は山本として恥ずかしそうに返した。

「そういえば、あいさつに来ましたね」

「ええ。先輩方から学ぼうと思って。ただ、一人会えない方がいて。葛城さん…だったかな?」

 来た当初のことを思い出した男性教師へ、剣は葛城の話題を出した。

「葛城さんかぁ…」

 すると、二人の間に微妙な空気が流れた。

「…なにか、良くないみたいですね」

「いやぁ…ちょっと前までは普通に話せたけど」

 ばつの悪いように言った剣へ、男性教師が返した。

「最近ピリピリしているというか、誰かといようとしないんだよなぁ」

「なにかあったのか聞いても、答えないし。他の話ししてもたまに怒鳴る時あるのよね」

「そうですか…」

 二人が話す空気に合わせて、剣は返答してスマートフォンで時計を確認する素振りをした。

「あっ…すみません。そろそろ準備する時間で」

「ああ、もうそんな時間か」

 剣の言った事に合わせて、二人も時間を確認した。

 剣は二人へ軽く会釈しながら立ち上がると、その場から離れた。


 

(さて、どうするか)

 数多くの生徒が行きかう大学内の廊下、剣はすこし悩んでいた。

 さきほどの二人も含め、教師などからの情報を照らすと葛城が豹変したのは薬物の開発に関わり始めた時期からだ。

 周囲を警戒している葛城。そこへ取り入れる事ができるか。あるいは盗み出せるか。

 歩いている廊下に、曲がり角のあるところへ行った時――。

「えっ…?」

 角で会った人はすっとんきょうな声をあげた。

 肩まで伸ばした髪に、華奢だが女性らしいラインの体つきをした人。葉月ももであった。

「里中さん?」

「こんにちは」

 ももは自分の事を忘れていない。そもそもここに彼女がいる。

 剣はその二つの事に動揺していたが、その顔は仕事をする時の笑顔で答えた。

「葉月さん、少しいいですか」

「はい――あっ」

 ももが答えるか否かの速さで、剣は先を歩いた。

 その後ろを素直についていくと、剣が連れてきたのは誰もいない教室であった。

「私に会ったことは忘れてください」

 教室内で振り返った剣は、笑顔ではなかった。

 その顔を見たももの脳裏に、一週間前の事件で見た横顔がよぎった。

「詳しくは説明できません。ただ、葉月さん自身の安全の為に必要なんです」

 その表情、声色は優しいものではない。受け取る人間によっては冷たさを感じるようなものであった。

 そんな剣の対応へももは――。

「会ったことを誰にも言わなければいいんですね」

 どこか楽しそうに答えた。

「本当に分かっていますか…?」

 思わず、というほど即座に剣は訊いていた。

 そんな彼へ、ももは頷いて答える。

「分かっています。ただ、嬉しいんです」

「嬉しい、ですか?」

「お礼言いたくて、U.N.F.へ行ったんです。ただ、いないって言われちゃって」

 数日前ももは、事情聴取の後でU.N.F.の建物へ行った。だが、受付で「そもそも所属していない」旨を伝えられ、キツネにつままれた様な気分であった。

 その建物は剣が大学へ来る前にいた場所と同じであったが、それはももの知らない事であった。

 ももは剣に向かって、ぺこりと頭を下げた。

 そして頭をあげると――。

「あの時、助けてくださってありがとうございました」

 ももは笑顔で、顔を見つめて言った。

 その笑顔に剣は、以前と似た感情の高ぶりを感じた。いやむしろ、それは以前より高いものだった。

「いえ、それが仕事ですので」

 だが以前と似たものだからこそ、あっさりと感情を抑えて答えた。

「でも、助けてもらったのは変わりません」

 どこか事務的な剣の返答であったが、ももは機嫌悪くなく、むしろ楽しそうにそう言った。

 もも本人の空気はどこかほんわかしており、嬉しいからを抜いて考えても、剣は心配になった。

 すると剣は懐からペンとメモを取り出し、番号を書く。

「念のためですが、私の番号です。もしなにかあったら」

 そう言いながら、メモをももに渡した。

「では、失礼します」

 両手でメモを受け取ったももを置いて、剣は先に教室を出た。

 忘れろと言って、メモを渡す。そんな行動に、我ながら矛盾を感じていた。

 その一方で、ももはメモを大切そうに握っていた。



 教室を出た剣は、人気のない場所を選ぶとスマートフォンを取り出し電話していた。

『どうした』

 数コールもせずに浩司が出た。

「”自由の翼”の任務で会った、葉月ももが現場にいた」

『なんだと? 情報共有はしたはず…雑な仕事をして…』

 剣の報告に、浩司は怒りを露わにした。

 だがその対象は剣本人ではない。

『今回の任務は、複数の諜報や潜入部隊間からのものだ。だからこそ潜入任務は、覚えている相手がいたら成り立たない。――それぐらい分かっているはず』

「一週間前なら、他の者だろうな。本来なら」

 浩司の他部隊への文句を言った。

 剣もまた皮肉ぎみに言うと、浩司は気分を落ち着けるようにため息をついた。

『分かった。いったん引き上げろ』

「了か――」

 返答しようとした剣の目と鼻の先。今は誰も使用していない部屋。

 そこに、葛城と見知らぬ誰かがいた。

「ターゲットと誰かが接触している。確認後に撤収する」

 剣は浩司へそれだけ伝えると、通話を切った。

 そして中の二人に見られないように中を確認する。

 葛城の相手は教師ではなく、恐らく生徒でもない、剃りこみをいれた男性であった。

「――だろう!」

 薄い壁とはいえ、声が漏れてくるほど葛城が叫んでいた。

 そして少しの間両者が言い争っていると、剃りこみの男性が部屋を出た。

「たっく…」

 剃りこみの男性がどこか不満げに呟く。その周囲に人の姿はなかった。

 その足先は駐車場へと向かい、そのまま車へと乗り込んだ。

 車が走り出して大学を出た。その後ろで、メガネの男性が通話を始める。

「葛城の接触者の、カーナンバーを確認した。これから撤収する」

『わかった。身元と場所を確認する』

 メガネの男性は短く通話すると、スマートフォンを懐へしまった。



 剣が大学から出た同日、時刻は真夜中。北城大学から離れた、街中の駐車場。

 昼間の大学内と同様、剃りこみの男性が自分の車に乗り込んだ。

 そしてバックミラーに目をやった時、後部座席に座っている人影が見えた。

「――っ」

 剃りこみの男性が、なにか行動するよりも速く――

「安心しろ。話をしに来ただけだ」

 影はそう言うと、少しなにかが動いた。

 バックミラーに映る範囲。そこに銃を持った右手が映った。

(下手な動きをすれば、右手の銃で撃たれる…)

 影は何も言わないが、伝えたいことは明確だった。

 剃りこみの男性は頭を動かせず、影へ振り向けなかった。

 またバックミラーも向きを変えられており、その映り方も計算済みで、膝近くやその位置に置いた手先しか映らない。

「リラックスして、ハンドルに手を置いたらどうだ」

 影の言われた通り、ハンドルへ両手を乗せた。

 剃りこみの男性とは違い余裕のある影は、椅子へ深く座っていた。だがその右手の銃口は、しっかりと男性を狙っている。

「…俺は下っ端だぞ。組織に銃を持たせてもらってないぐらいだ」

「知っている。だが、君が知っている話だから問題ない」

 影はそう言うと、左手を映す。そこには撃鉄の上がったリボルバーが握られていた。

「それで? 訊きたいことは?」


 カチン


 剃りこみの男性への返答は、リボルバーからした金属音だった。

 影は撃鉄を上げると、バックミラーへと映す角度を変えた。

(弾は三発目…あとチャンスは三回…)

 リボルバーの三発目にある。影はそのメッセージを送ると、銃口の角度はすぐに戻った。

 剃りこみの男性は緊張で首を冷や汗が流れ、必死に影の求める答えを考える。

「ドレッドハーブの市場か?」

 カチン

「…偽造薬品の買い取り手か?」

 カチン

「……人魚の涙か?」

「…」

 影は何も話さなかった。だが、そのトリガーも引かれなかった。

「あれは、俺が受け取りに行ってるだけだ」

「それ以上の事を知っているだろ」

「あんた、どこの者だ? 最初の競争で、手を引いた組織がいくつか…」

「質問してるのはこっちだ」

 影が威圧した声を出し、銃をわずかに動かした。

 それを見ると男性は息を飲んで黙った。

「それと、今いる組織を庇わないほうがいいぞ。長年働いて、いまだに下っ端の仕事しか貰っていないんだろ」

「……葛城って男が作っている。組織はそれを独占したいんだ」

 影の言葉に従っただけなのか、どこかに不満があったのか。

 庇う様子もなく、話し始めた。

「人魚の涙は飲み物らしい…。実際、飲んだことはないが。それがあれば抗争で勝てるだとか」

「完成品をどれぐらい受け取った?」

「まだだ。…今日も催促に行ったが、できてないだとかしつこいと他に売ると言ってた」

「そうか。完成品を受け取ったことはないんだな」

 その答えに興味を失ったのか、影は車から降りた。

 剃りこみの男性が撃たれなかった事へ安堵のため息をついた矢先、周囲を大量の人が取り囲んでいた。

 一方で、影は駐車場の隅に停めてある黒い車、その助手席に乗り込んだ。

「うまくいったな」

 隣に座った影へ、先に乗っていた浩司がそう言った。

「ああ。これが発砲できないと分からなかったみたいだな」

 影の主、剣はそう言うと、右手に持っていた銃―正確には精密な出来のモデルガン―を捨てるように置いた。

「俺達のことをU.N.F.だと思っていないみたいだしな。しばらくは時間が稼げそうだ」

 剣はリボルバーから取り出した銃弾を指先で遊んでいた。その薬莢の中も火薬の一切はなかった。

 そんな剣の様子を横目に、浩司は車の運転を始めた。

「しかし、よかったのか?」

 真夜中の道路を走る車内。剣がそう尋ねた。

「なにがだ?」

「さっきの男の件。また後で文句言われるんじゃないのか?」

「ああ…。相手に対して嘘はついていないしな。それに、上層部はなにをしても言うから今更だ」

 笑うように答えた浩司に、剣もまた笑っていた。

「あの男が剣をどっかの抗争相手だと思っている以上、利用はさせてもらおう」

「そうだな」

「そういえば、短い間の大学教師はどうだった?」

「三日だからな。あんまりこれといってな。でも、そういえば――」

 家族の前じゃ柔らかい。

 その言葉を示すように剣は笑って、父親と話しながら窓から外を眺めていた。

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