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第六十七話《残せるもの》



 町を出る前にわたしはもう一度あのパンくずの少女のいた病院の向かいにある壁へ野菜の買い出しをした帰りに寄りかかった。紙袋を抱えたセイディはわたしに付き合ってくれた。わたしも紙袋を抱えていて、腕が痺れたら帰ろうと考えている。


 わたしは病院の窓を眺めていたが、ときおり目の端にセイディの気づかわしげな視線を感じた。しかしそういう仕草にはまったく気づかずに、ふいと友人の顔を見たくなったとでもいったふうに視線を投げると、彼女は少しはっとして、それから目を伏せてしまった。


「何か気になる?」とわたしは何気なさそうにたずねた。


「いいえ」とセイディは一度首を振ったが、まもなく思いつめたような顔でわたしを見た。「ただ……そうですね。私は、メリルさんのお兄さんが亡くなられるとき、そばにいました。もうご存知の通り、病気でした。それが私には色濃く残っていて……それを思い出していたのです」


 彼女はなおも思いつめた顔をして病院のほうを見入りだした。


「牧場で、何度か同じように、動物が病気にかかって死ぬのを見ました。言葉が分かるわけじゃないんです。でも、もし言葉を分かった気になるのではなくて、本当に分かるなら、もっと安心させてあげることが出来るのにって、考えました」彼女は紙袋を強く抱きしめはじめる。「でも違いました。ただ辛いだけでしたよ……人が死ぬのを見るのは。メリルさんにも、何も言えませんでした」


 わたしたちの目の前を、絶えず人の波と馬車が通り過ぎた。機械的な雑踏に気圧されて、今わたしたちが寄りかかっている壁や、そうして眺めている病院だけが、やけに生き生きとして感じられた。結局のところ世界は、大きな半紙に様々な色があるんじゃなくて、様々な色が集まって半紙のような形を作っているだけなのではないか……それだからわたしは、病院とわたしたちだけを見つめて、そんなことを想ったのだろうかと、しばらく考えに耽った。それからわたしは、そばにいる彼女をちょっとでもはみださせまいとするかのように、押し黙ったまま、彼女の肩を抱き寄せた。


「いつだって辛いよ。残されて生きるのは」


 セイディはじっと病院を見入ったまま、わたしに寄りかかった。


 とうとうわたしの腕が痺れてきて、そのまま歩き出そうとしたときに、あの窓がひらいて、パンくずが小さい手からまかれるのを見ることができた。


「お腹すいたね」とわたしは言って、おもわず微笑んでしまった。


「帰ったら野菜の一つでもかじりましょう」セイディの顔は真っ赤だった。



 次に日がのぼってまもない時分、人も馬車の姿も少ないうちに、わたしたちは幌馬車に乗り込んだ。さも気に入ったらしい格好で荷台の縁に腰かけ、そこから病院の屋根のあたりを眺めていた。すると南の空にある雲が、あのぼんやりとした縁だけ朝焼け色の雲が、手を伸ばしでもするように、薄くのびていくのをはっきりと認める。


 突拍子のない出来事や颶風、穏やかなところにいつも不断の力で押し寄せるもの……あのやや不可解な雲の流れも、起こるべくして起きているのだろう。もう自然を利用し、自然に弄ばれる今になって、どこまでわたしたちは、わたしたちの思いを守れるのだろう。……


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